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「来て,私の弟子になりなさい」
追 第12章 118–127ページ

第12章

「例たとえを使つかわずに話はなそうとはしなかった」

1-3. (ア)イエスと一いっ緒しょに旅たびをしている弟で子したちにはどんな素す晴ばらしい機き会かいがありましたか。弟で子したちがイエスの教おしえをよく覚おぼえていられたのはどうしてですか。(イ)良よい例たとえが記き憶おくに残のこるのはどうしてですか。

イエスと一いっ緒しょに旅たびをしている弟で子したちには,偉い大だいな教きょう師しから直ちょく接せつ学まなぶという素す晴ばらしい機き会かいがありました。神かみの言こと葉ばの意い味みを説せつ明めいし,感かん動どう的てきな真しん理りを教おしえるイエスの声こえを聞きけたのです。イエスの言こと葉ばが書かき記しるされるのはしばらく先さきのことだったので,それまで弟で子したちはイエスが話はなした大たい切せつなことを覚おぼえておかなければなりません。a それでイエスは,弟で子したちが覚おぼえやすいような教おしえ方かたをします。特とくに,記き憶おくに残のこる例たとえをとても上じょう手ずに使つかいました。

2 良よい例たとえは確たしかに印いん象しょうに残のこります。ある専せん門もん家かによると,例たとえは「耳みみを目めにならせ」,聞きく人ひとが「頭あたまの中なかで絵えを描えがきながら考かんがえ」られるようにします。絵えや映えい像ぞうを使つかって説せつ明めいすると分わかりやすいのと同おなじように,例たとえを使つかうと抽ちゅう象しょう的てきな概がい念ねんも理り解かいしやすくなります。話はなしが生いき生いきとし,大たい切せつな教きょう訓くんが聞きく人ひとの脳のう裏りに刻きざまれます。

3 イエス・キリストほど上じょう手ずに例たとえを使つかった人ひとは,これまで誰だれもいません。現げん代だいに至いたるまで,イエスの例たとえは多おおくの人ひとにインパクトを与あたえてきました。では,イエスが教おしえる時ときによく例たとえを使つかったのはどうしてでしょうか。イエスの例たとえはどんなところが良よかったのでしょうか。どうすればイエスのように例たとえを使つかって上じょう手ずに教おしえられるでしょうか。

イエスが例たとえを使つかって教おしえたのはなぜか

4-5. イエスはどんな理り由ゆうで例たとえを使つかいましたか。

4 聖せい書しょによれば,イエスが例たとえを使つかったのには2つの重じゅう要ような理り由ゆうがありました。1つは,預よ言げんを実じつ現げんさせるためです。マタイ 13章しょう34,35節せつにはこう書かかれています。「イエスは……例たとえで群ぐん衆しゅうに話はなした。実じっ際さい,例たとえを使つかわずに話はなそうとはしなかった。預よ言げん者しゃを通とおしてこう語かたられたことが実じつ現げんするためである。『私わたしは口くちを開ひらいて例たとえを語かたり,始はじめから隠かくされてきた事こと柄がらを言いい広ひろめる』」。ここでマタイが引いん用ようしている預よ言げんは,詩し編へん 78編ぺん2節せつです。詩し編へん作さく者しゃはイエスが生うまれる何なん世せい紀きも前まえに,神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれてその言こと葉ばを書かきました。エホバは何なん百びゃく年ねんも前まえから,メシアが例たとえを使つかって教おしえることを予よ告こくしていたのです。エホバがその教おしえ方かたに大おおきなメリットがあると考かんがえていることが分わかります。

5 イエスが例たとえを使つかった2つ目めの理り由ゆうは,真しん理りを受うけ入いれる人ひとたちと「心こころが鈍にぶく」なった人ひとたちをいわばふるい分わけるためでした。(マタイ 13:10-15。イザヤ 6:9,10)イエスの例たとえによって人ひと々びとの心こころの状じょう態たいが明あきらかになったのはどうしてでしょうか。イエスは時ときに,説せつ明めいがなければ十じゅう分ぶんに理り解かいできないような例たとえを語かたりました。謙けん遜そんな人ひとは例たとえの意い味みを尋たずねましたが,傲ごう慢まんな人ひとや無む関かん心しんな人ひとはそうしませんでした。(マタイ 13:36。マルコ 4:34)ですから,イエスは例たとえを使つかうことにより,真しん理りを求もとめる人ひとたちには真しん理りを明あきらかにし,高こう慢まんな人ひとたちからは真しん理りを隠かくしたのです。

6. イエスが例たとえを使つかったことには,ほかにもどんなメリットがありましたか。

6 イエスが例たとえを使つかったことには,ほかのメリットもありました。人ひと々びとは興きょう味みを引ひかれ,もっと聞ききたいという気き持もちになりました。内ない容ようを頭あたまの中なかで思おもい描えがき,よく理り解かいすることができました。そして冒ぼう頭とうでも考かんがえた通とおり,イエスが話はなしたことをよく覚おぼえておくことができました。イエスが特とくにふんだんに例たとえを使つかった例れいとして,マタイ 5章しょう3節せつから7章しょう27節せつに書かかれている山さん上じょうの垂すい訓くんが挙あげられます。この垂すい訓くんには50を超こえる比ひ喩ゆ表ひょう現げんが含ふくまれているともいわれています。全ぜん体たいを20分ぷんほどで話はなせることを考かんがえると,平へい均きんして20秒びょうに1回かい比ひ喩ゆ表ひょう現げんが使つかわれていることになります。すぐにイメージが思おもい浮うかぶような教おしえ方かたをイエスが意い識しきしていたことがよく分わかります。

7. イエスに見み習ならって例たとえを使つかうとよいのはどうしてですか。

7 キリストの弟で子しである私わたしたちも,イエスに見み習ならって例たとえを使つかって教おしえたいと思おもいます。食たべ物ものの味あじを引ひき立たてる調ちょう味み料りょうのように,良よい例たとえは私わたしたちが語かたることをいっそう魅み力りょく的てきにします。また,よく考かんがえられた例たとえを使つかうと,重じゅう要ような真しん理りが分わかりやすくなります。では,イエスの例たとえのどんなところが良よかったのかさらに詳くわしく考かんがえ,例たとえを使つかった上じょう手ずな教おしえ方かたを学まなびましょう。

シンプルな例たとえを使つかった

飛んでいる2羽のカモメと,一輪の花

イエスは鳥とりや花はなを例たとえに使つかい,神かみが必ひつ要ような物ものを与あたえてくれることを教おしえた

8-9. イエスはシンプルで分わかりやすいどんな例たとえを使つかいましたか。

8 イエスが教おしえる時ときによく使つかった例たとえは,短みじかくてシンプルなものでした。イエスは簡かん単たんな言こと葉ばで,聞きいている人ひとが生いき生いきとしたイメージを思おもい描えがけるようにし,重じゅう要ような真しん理りを分わかりやすく教おしえました。例たとえば,衣い食しょく住じゅうのことで心しん配ぱいしないよう弟で子したちにアドバイスした時とき,「鳥とり」や「ユリ」に注ちゅう目もくさせました。鳥とりは種たねをまいたり作さく物もつを刈かり取とったりしませんし,ユリは糸いとを紡つむいだり布ぬのを織おったりしません。それでも,神かみのおかげで食たべ物ものに困こまることはなく,きれいに装よそおっています。要よう点てんは明あきらかです。神かみは,鳥とりや花はなに必ひつ要ような物ものを与あたえているのですから,「王おう国こく……をいつも第だい一いちに」している人ひとたちにも必かならず必ひつ要ような物ものを与あたえてくださるのです。(マタイ 6:26,28-33)

9 イエスは,比ひ喩ゆの一いっ種しゅでインパクトの強つよい隠いん喩ゆもよく使つかいました。隠いん喩ゆとは,「……のようだ」といった表ひょう現げんを使つかわずにあるものを別べつのもので例たとえることです。例たとえば,ある時ときイエスは弟で子したちに,「あなたたちは世よの光ひかりです」と言いいました。弟で子したちはすぐにポイントをつかめたことでしょう。光ひかりを輝かがやかせるかのように,自じ分ぶんたちの言げん動どうによって真しん理りを明あきらかにし,神かみがたたえられるようにすることができる,ということです。(マタイ 5:14-16)イエスはほかにも,「あなたたちは地ちの塩しおです」とか「私わたしはブドウの木き,あなたたちはその枝えだです」といった隠いん喩ゆを使つかいました。(マタイ 5:13。ヨハネ 15:5)こうした例たとえはどれも,シンプルだからこそ強つよい印いん象しょうを与あたえます。

10. 教おしえる時ときにどんな例たとえを使つかえますか。

10 私わたしたちも教おしえる時ときにシンプルな例たとえを使つかいたいものです。凝こった話はなしを長なが々ながとする必ひつ要ようはありません。例たとえば,復ふっ活かつについて話はなし合あっていて,死しんだ人ひとを生いき返かえらせることはエホバにとって難むずかしくないということを説せつ明めいしたい場ば合あい,どんな例たとえを使つかえるでしょうか。聖せい書しょの中なかで死しは眠ねむりに例たとえられているので,こう言いえるかもしれません。「神かみにとって,死しんだ人ひとを生いき返かえらせるのは,眠ねむっている人ひとを起おこすようなものなんですよ」。(ヨハネ 11:11-14)子こ供どもがすくすく育そだつには親おやからの愛あい情じょうや思おもいやりが必ひつ要ようだということを伝つたえたい場ば合あいはどうでしょうか。聖せい書しょでは子こ供どもが「オリーブの若わか枝えだ」に例たとえられています。(詩し編へん 128:3)それで,「子こ供どもにとって愛あい情じょうや思おもいやりは,植しょく物ぶつにとっての日にっ光こうや水みずのようなものです」と言いえます。例たとえがシンプルであればあるほど,聞きく人ひとはポイントをつかみやすくなります。

日にち常じょう的てきな事こと柄がらを題だい材ざいにした

11. イエスは故こ郷きょうのガリラヤで観かん察さつしたであろうどんなものを例たとえの題だい材ざいにしましたか。

11 イエスは一いっ般ぱんの人ひとの生せい活かつに基もとづく例たとえを上じょう手ずに使つかいました。故こ郷きょうのガリラヤで観かん察さつしたであろう日にち常じょう的てきな光こう景けいをよく題だい材ざいにしました。子こ供どもの頃ころ,母はは親おやが粉こなをひき,パン生き地じに酵こう母ぼを混まぜ,ランプをともし,家いえの中なかを掃はくのを何なん度ども見みたことでしょう。(マタイ 13:33; 24:41。ルカ 15:8)漁りょう師しがガリラヤ湖こに網あみを下おろすのもよく目めにしたはずです。(マタイ 13:47)子こ供どもたちが広ひろ場ばで遊あそぶのも,見み慣なれた光こう景けいでした。(マタイ 11:16)イエスはほかにも,種たねまき,結けっ婚こん披ひ露ろう宴えん,色いろづいた穀こく物もつ畑ばたけなど,自じ分ぶんが実じっ際さいに見みた事こと柄がらをいろいろな例たとえで使つかっています。(マタイ 13:3-8; 25:1-12。マルコ 4:26-29)

12-13. イエスが親しん切せつなサマリア人じんの例たとえ話ばなしを,「エルサレムからエリコに下くだっていく」道どう路ろという場ば面めん設せっ定ていにしたのはどうしてですか。

12 イエスは,聞きいている人ひとたちがよく知しっている細こまかい情じょう報ほうを例たとえに含ふくめることもありました。一いち例れいとして,親しん切せつなサマリア人じんの例たとえ話ばなしの冒ぼう頭とうでこう言いいました。「ある男だん性せいがエルサレムからエリコに下くだっていく途と中ちゅうで,強ごう盗とうたちに襲おそわれました。強ごう盗とうは服ふくを剝はぎ,殴なぐり,半はん殺ごろしにして去さっていきました」。(ルカ 10:30)イエスが「エルサレムからエリコに下くだっていく」道どう路ろという場ば面めん設せっ定ていにしたことに注ちゅう目もくできます。この例たとえ話ばなしが語かたられたのはユダヤのエルサレムからそう遠とおくない場ば所しょだったので,聴ちょう衆しゅうはその道どう路ろのことを知しっていたに違ちがいありません。それは人ひと里ざと離はなれた所ところを通とおる曲まがりくねった道どう路ろで,強ごう盗とうが隠かくれられるような場ば所しょがたくさんあったので,特とくに1人ひとりで歩あるくには危き険けんなことで知しられていました。

13 イエスはほかにも,聞きいている人ひとたちにとってなじみ深ぶかい情じょう報ほうを含ふくめました。例たとえ話ばなしの続つづきで,まず祭さい司しが,次つぎにレビ族ぞくの人ひとがその道どう路ろを通とおります。しかし,どちらも立たち止どまって被ひ害がい者しゃを助たすけようとはしません。(ルカ 10:31,32)祭さい司したちはエルサレムの神しん殿でんで奉ほう仕しし,レビ族ぞくの人ひとたちは祭さい司しをサポートしていました。多おおくの祭さい司しやレビ族ぞくの人ひとが,神しん殿でんでの務つとめがない間あいだはエルサレムから21㌔しか離はなれていないエリコで暮くらしていました。ですから,その道どう路ろをよく通とおっていたことでしょう。さらにイエスは,彼かれらが「エルサレムから」の道どう路ろを上のぼっていくのではなく「下くだっていく」ところだったと言いっています。聞きいている人ひとたちはしっくりきたことでしょう。エルサレムはエリコより標ひょう高こうが高たかかったので,「エルサレムから」来くる人ひとは確たしかに「下くだっていく」ことになったからです。b イエスが聞きいている人ひとたちにとってイメージしやすい話はなしをしたことがよく分わかります。

14. 相あい手てにとってイメージしやすい例たとえを使つかえるよう,どんなことを考かんがえるとよいですか。

14 私わたしたちも,相あい手てにとってイメージしやすい例たとえを使つかいたいと思おもいます。相あい手ての年ねん齢れい,育そだった環かん境きょう,職しょく業ぎょうなどからして,どんな例たとえが合あうかを考かんがえるとよいでしょう。一いち例れいとして,農のう村そん地ち域いきの人ひとであれば,大だい都と市しに住すむ人ひとよりも農のう業ぎょうを題だい材ざいにした例たとえを分わかってもらいやすいかもしれません。相あい手ての普ふ段だんの生せい活かつや関かん心しん事じに合あわせて,子こ供ども,家いえ,趣しゅ味み,食たべ物ものなどを例たとえの題だい材ざいにすることもできます。

創そう造ぞう物ぶつを題だい材ざいにした

15. イエスが創そう造ぞう物ぶつを熟じゅく知ちしていたのはどうしてですか。

15 イエスが語かたった多おおくの例たとえから,イエスが植しょく物ぶつや動どう物ぶつや自し然ぜん現げん象しょうについてよく知しっていたことが分わかります。(マタイ 16:2,3。ルカ 12:24,27)どうしてイエスは自し然ぜん界かいのことにそれほど詳くわしかったのでしょうか。故こ郷きょうのガリラヤで,創そう造ぞう物ぶつを観かん察さつする機き会かいがたくさんあったに違ちがいありません。また,イエスは「全ぜん創そう造ぞう物ぶつの中なかの初はつ子ご」であり,エホバがあらゆるものを創そう造ぞうするのを「優すぐれた働はたらき手て」として手て伝つだいました。(コロサイ 1:15,16。格かく言げん 8:30,31)ですから,創そう造ぞう物ぶつを熟じゅく知ちしていたのです。では,その知ち識しきがイエスの例たとえにどのように生いかされているか考かんがえましょう。

16-17. (ア)イエスが羊ひつじの習しゅう性せいをよく知しっていたことがどんなことから分わかりますか。(イ)羊ひつじが羊ひつじ飼かいの声こえを聞きき分わけられることがどんな例れいから分わかりますか。

16 イエスは自じ分ぶんを「立りっ派ぱな羊ひつじ飼かい」に,弟で子したちを「羊ひつじ」に例たとえました。例たとえの内ない容ようから分わかる通とおり,イエスは家か畜ちくの羊ひつじの習しゅう性せいをよく知しっていました。羊ひつじ飼かいと羊ひつじの間あいだには特とく別べつな絆きずながあります。羊ひつじは羊ひつじ飼かいに導みちびかれるまま,素す直なおにどこにでも付ついていきます。なぜ付ついていくかというと,イエスが言いった通とおり「羊ひつじ飼かいの声こえを知しっているからです」。(ヨハネ 10:2-4,11)羊ひつじは本ほん当とうに羊ひつじ飼かいの声こえを聞きき分わけられるのでしょうか。

羊飼いが群れを連れている。

17 ジョージ・A・スミスという人ひとは羊ひつじを観かん察さつし,「聖せい地ちの歴れき史し地ち理り」(英えい語ご)という本ほんの中なかでこう書かいています。「私わたしたちは時とき折おり,ユダヤ各かく地ちにあるそうした井い戸どの傍かたわらで,昼ひるの休きゅう憩けいを取とった。井い戸どには,三さん,四よ人にんの羊ひつじ飼かいが自じ分ぶんの群むれと一いっ緒しょに下おりて来くる。それぞれの群むれの羊ひつじは入いり交まじっているので,羊ひつじ飼かいはどのようにして自じ分ぶんの羊ひつじを再ふたたび集あつめるのだろうか,と私わたしたちは思おもっていた。ところが,水みずを飲のませ,遊あそばせ終おえると,羊ひつじ飼かいたちは一人ひとりひとり谷たにの別べつ々べつの斜しゃ面めんに上のぼって行いき,各々おのおのが独どく特とくの呼よび声ごえを上あげた。すると,大おおきな群むれからそれぞれの羊ひつじたちが自じ分ぶんの牧ぼく者しゃのもとへ向むかい,各かく群むれが来きた時ときと同おなじように整せい然ぜんと去さって行いった」。羊ひつじは確たしかに羊ひつじ飼かいの声こえを聞きき分わけられるので,イエスの例たとえは言いいたかったことにぴったり合あっていました。私わたしたちもいわばイエスの声こえを聞きき分わけ,イエスの教おしえに従したがってイエスに付ついていくなら,「立りっ派ぱな羊ひつじ飼かい」に大たい切せつにしてもらえるのです。

18. エホバの創そう造ぞう物ぶつについて知しるために,どんなものを調しらべることができますか。

18 私わたしたちも創そう造ぞう物ぶつを題だい材ざいにした例たとえを使つかうことができます。例たとえば,動どう物ぶつの特とく徴ちょうを簡かん単たんに取とり上あげたシンプルな例たとえです。エホバの創そう造ぞう物ぶつについて知しるために,何なにを調しらべたらいいでしょうか。聖せい書しょにはいろいろな動どう物ぶつについて書かかれていて,動どう物ぶつの習しゅう性せいに基もとづく例たとえも出でてきます。ガゼルやヒョウのように速はやい,蛇へびのように用よう心じん深ぶかい,ハトのように純じゅん真しんといった例たとえです。c (歴れき代だい第だい一いち 12:8。ハバクク 1:8。マタイ 10:16)「ものみの塔とう」誌しや「目めざめよ!」誌し,jw.orgの「だれかが設せっ計けい?」シリーズの記き事じや動どう画がからも,たくさんの情じょう報ほうを得えられます。そうした資し料りょうに出でてくる分わかりやすい例たとえも参さん考こうになります。

実じつ例れいを使つかった

19-20. (ア)イエスは最さい近きんの出で来き事ごとを使つかって,ある考かんがえが間ま違ちがっていることをどのように示しめしましたか。(イ)私わたしたちはどのように実じつ例れいを使つかって教おしえることができますか。

19 実じつ例れいを引ひき合あいに出だすのも効こう果か的てきです。ある時ときイエスは最さい近きんの出で来き事ごとを使つかって,悲ひ惨さんな目めに遭あうのは神かみからの処しょ罰ばつだという考かんがえが間ま違ちがっていることを示しめしました。こう言いっています。「シロアムの塔とうが倒たおれて死しんだあの18人にんはエルサレムの他たの全すべての住じゅう民みんより罪つみが重おもかった,と思おもいますか」。(ルカ 13:4)その18人にんが命いのちを落おとしたのは,何なにかの罪つみを犯おかして神かみの怒いかりを買かったからではありませんでした。「思おもいも寄よらないこと」がたまたま身みに降ふり掛かかったのです。(伝でん道どうの書しょ 9:11)このようにイエスは,よく知しられていた出で来き事ごとに触ふれて,聞きいている人ひとたちが正ただしい考かんがえを持もてるように助たすけました。

20 私わたしたちはどのように実じつ例れいを使つかって教おしえることができるでしょうか。例たとえば,イエスの臨りん在ざいのしるしに関かんする預よ言げんの実じつ現げんについて話はなし合あっているとします。(マタイ 24:3-14)戦せん争そうや飢き餓がや地じ震しんについての最さい近きんのニュースに触ふれて,イエスが預よ言げんした通とおりになっていることを説せつ明めいできます。新あたらしい人じん格かくを身みに着つけようと努ど力りょくしている人ひとを励はげますために,実じっ際さいに変へん化かを遂とげた人ひとの例れいを伝つたえたい場ば合あいはどうでしょうか。(エフェソス 4:20-24)身み近ぢかな兄きょう弟だい姉し妹まいの経けい験けん談だんを引ひき合あいに出だせるかもしれませんし,エホバの証しょう人にんの出しゅっ版ぱん物ぶつに載のっている経けい験けん談だんなども使つかえます。jw.orgの「聖せい書しょは人ひとの生いき方かたを変かえる」というシリーズから,ぴったりの例れいを探さがすこともできます。

21. 神かみの言こと葉ばを上じょう手ずに教おしえることができると,どんな良よいことがありますか。

21 イエスはまさに最さい高こうの教きょう師しでした。このセクションで考かんがえた通とおり,「教おしえ,王おう国こくの良よい知しらせを伝つたえ」ることをライフワークにしていました。(マタイ 4:23)私わたしたちもそうしたいと思おもいます。上じょう手ずに教おしえることができると,良よいことがたくさんあります。教おしえることによって人ひとに与あたえると,与あたえることから来くる幸こう福ふく感かんを味あじわえます。(使し徒と 20:35)エホバについての真しん理りという,人ひとを永えい遠えんに幸しあわせにできる何なによりも貴き重ちょうなものを与あたえられるのです。また,人じん類るい史し上じょう最もっとも素す晴ばらしい教きょう師しであるイエスの手て本ほんに倣ならっているという充じゅう実じつ感かんも味あじわえます。イエスと同おなじ活かつ動どうを行おこなえるのは,本ほん当とうにうれしいことです。

a 神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれてイエスの地ち上じょうでの生しょう涯がいについて最さい初しょに記しるしたのは,マタイだと思おもわれます。マタイの福ふく音いん書しょはイエスの死しから約やく8年ねん後ごに書かかれました。

b イエスの例たとえ話ばなしの中なかで,祭さい司しとレビ族ぞくの人ひとも「エルサレムから」来きました。つまり,神しん殿でんから帰かえる途と中ちゅうでした。ですから誰だれも,彼かれらは汚けがれて神しん殿でんでの奉ほう仕しができなくなることがないように,死しんでいるように見みえた人ひとを避さけただけだ,と言いうことはできませんでした。彼かれらに人ひとを助たすける気きがなかったことは明あきらかでした。(レビ記き 21:1。民みん数すう記き 19:16)

c エホバの証しょう人にんが発はっ行こうした「聖せい書しょに対たいする洞どう察さつ」第だい1巻かん863-865ページには,聖せい書しょの中なかでさまざまな動どう物ぶつがどんな例たとえに使つかわれているかをまとめた表ひょうが載のっています。

イエスの弟で子しとして考かんがえたいこと

  • イエスはどんな創そう造ぞう物ぶつを例たとえに使つかいましたか。どのようにその手て本ほんに倣ならえますか。(マタイ 13:24-32)

  • イエスは大だい事じなことを教おしえるためにどんなシンプルな例たとえを使つかいましたか。イエスの手て本ほんからどんなことを学まなべますか。(マタイ 18:12-14)

  • イエスは普ふ段だんの生せい活かつで目めにするどんなことを例たとえの題だい材ざいにしましたか。私わたしたちもその手て本ほんに倣ならってどんな例たとえを使つかえますか。(ルカ 11:5-8; 12:6)

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