1-3. (ア)イエスと一 いっ 緒 しょ に旅 たび をしている弟 で 子 し たちにはどんな素 す 晴 ば らしい機 き 会 かい がありましたか。弟 で 子 し たちがイエスの教 おし えをよく覚 おぼ えていられたのはどうしてですか。(イ)良 よ い例 たと えが記 き 憶 おく に残 のこ るのはどうしてですか。
イエスと一 いっ 緒 しょ に旅 たび をしている弟 で 子 し たちには,偉 い 大 だい な教 きょう 師 し から直 ちょく 接 せつ 学 まな ぶという素 す 晴 ば らしい機 き 会 かい がありました。神 かみ の言 こと 葉 ば の意 い 味 み を説 せつ 明 めい し,感 かん 動 どう 的 てき な真 しん 理 り を教 おし えるイエスの声 こえ を聞 き けたのです。イエスの言 こと 葉 ば が書 か き記 しる されるのはしばらく先 さき のことだったので,それまで弟 で 子 し たちはイエスが話 はな した大 たい 切 せつ なことを覚 おぼ えておかなければなりません。 それでイエスは,弟 で 子 し たちが覚 おぼ えやすいような教 おし え方 かた をします。特 とく に,記 き 憶 おく に残 のこ る例 たと えをとても上 じょう 手 ず に使 つか いました。
2 良 よ い例 たと えは確 たし かに印 いん 象 しょう に残 のこ ります。ある専 せん 門 もん 家 か によると,例 たと えは「耳 みみ を目 め にならせ」,聞 き く人 ひと が「頭 あたま の中 なか で絵 え を描 えが きながら考 かんが え」られるようにします。絵 え や映 えい 像 ぞう を使 つか って説 せつ 明 めい すると分 わ かりやすいのと同 おな じように,例 たと えを使 つか うと抽 ちゅう 象 しょう 的 てき な概 がい 念 ねん も理 り 解 かい しやすくなります。話 はなし が生 い き生 い きとし,大 たい 切 せつ な教 きょう 訓 くん が聞 き く人 ひと の脳 のう 裏 り に刻 きざ まれます。
3 イエス・キリストほど上 じょう 手 ず に例 たと えを使 つか った人 ひと は,これまで誰 だれ もいません。現 げん 代 だい に至 いた るまで,イエスの例 たと えは多 おお くの人 ひと にインパクトを与 あた えてきました。では,イエスが教 おし える時 とき によく例 たと えを使 つか ったのはどうしてでしょうか。イエスの例 たと えはどんなところが良 よ かったのでしょうか。どうすればイエスのように例 たと えを使 つか って上 じょう 手 ず に教 おし えられるでしょうか。
イエスが 例 たと えを 使 つか って 教 おし えたのはなぜか
4-5. イエスはどんな理 り 由 ゆう で例 たと えを使 つか いましたか。
4 聖 せい 書 しょ によれば,イエスが例 たと えを使 つか ったのには2つの重 じゅう 要 よう な理 り 由 ゆう がありました。1つは,預 よ 言 げん を実 じつ 現 げん させるためです。マタイ 13章 しょう 34,35節 せつ にはこう書 か かれています。「イエスは……例 たと えで群 ぐん 衆 しゅう に話 はな した。実 じっ 際 さい ,例 たと えを使 つか わずに話 はな そうとはしなかった。預 よ 言 げん 者 しゃ を通 とお してこう語 かた られたことが実 じつ 現 げん するためである。『私 わたし は口 くち を開 ひら いて例 たと えを語 かた り,始 はじ めから隠 かく されてきた事 こと 柄 がら を言 い い広 ひろ める』」。ここでマタイが引 いん 用 よう している預 よ 言 げん は,詩 し 編 へん 78編 ぺん 2節 せつ です。詩 し 編 へん 作 さく 者 しゃ はイエスが生 う まれる何 なん 世 せい 紀 き も前 まえ に,神 かみ の聖 せい なる力 ちから に導 みちび かれてその言 こと 葉 ば を書 か きました。エホバは何 なん 百 びゃく 年 ねん も前 まえ から,メシアが例 たと えを使 つか って教 おし えることを予 よ 告 こく していたのです。エホバがその教 おし え方 かた に大 おお きなメリットがあると考 かんが えていることが分 わ かります。
5 イエスが例 たと えを使 つか った2つ目 め の理 り 由 ゆう は,真 しん 理 り を受 う け入 い れる人 ひと たちと「心 こころ が鈍 にぶ く」なった人 ひと たちをいわばふるい分 わ けるためでした。(マタイ 13:10-15。 イザヤ 6:9,10 )イエスの例 たと えによって人 ひと 々 びと の心 こころ の状 じょう 態 たい が明 あき らかになったのはどうしてでしょうか。イエスは時 とき に,説 せつ 明 めい がなければ十 じゅう 分 ぶん に理 り 解 かい できないような例 たと えを語 かた りました。謙 けん 遜 そん な人 ひと は例 たと えの意 い 味 み を尋 たず ねましたが,傲 ごう 慢 まん な人 ひと や無 む 関 かん 心 しん な人 ひと はそうしませんでした。(マタイ 13:36。 マルコ 4:34 )ですから,イエスは例 たと えを使 つか うことにより,真 しん 理 り を求 もと める人 ひと たちには真 しん 理 り を明 あき らかにし, 高 こう 慢 まん な人 ひと たちからは真 しん 理 り を隠 かく した のです。
6. イエスが例 たと えを使 つか ったことには,ほかにもどんなメリットがありましたか。
6 イエスが例 たと えを使 つか ったことには,ほかのメリットもありました。人 ひと 々 びと は興 きょう 味 み を引 ひ かれ,もっと聞 き きたいという気 き 持 も ちになりました。内 ない 容 よう を頭 あたま の中 なか で思 おも い描 えが き,よく理 り 解 かい することができました。そして冒 ぼう 頭 とう でも考 かんが えた通 とお り,イエスが話 はな したことをよく覚 おぼ えておくことができました。イエスが特 とく に ふんだんに例 たと えを使 つか った例 れい として,マタイ 5章 しょう 3節 せつ から7章 しょう 27節 せつ に書 か かれている山 さん 上 じょう の垂 すい 訓 くん が挙 あ げられます。この垂 すい 訓 くん には50を超 こ える比 ひ 喩 ゆ 表 ひょう 現 げん が含 ふく まれているともいわれています。全 ぜん 体 たい を20分 ぷん ほどで話 はな せることを考 かんが えると,平 へい 均 きん して20秒 びょう に1回 かい 比 ひ 喩 ゆ 表 ひょう 現 げん が使 つか われていることになります。すぐにイメージが思 おも い浮 う かぶような教 おし え方 かた をイエスが意 い 識 しき していたことがよく分 わ かります。
7. イエスに見 み 習 なら って例 たと えを使 つか うとよいのはどうしてですか。
7 キリストの弟 で 子 し である私 わたし たちも,イエスに見 み 習 なら って例 たと えを使 つか って教 おし えたいと思 おも います。食 た べ物 もの の味 あじ を引 ひ き立 た てる調 ちょう 味 み 料 りょう のように,良 よ い例 たと えは私 わたし たちが語 かた ることをいっそう魅 み 力 りょく 的 てき にします。また,よく考 かんが えられた例 たと えを使 つか うと,重 じゅう 要 よう な真 しん 理 り が分 わ かりやすくなります。では,イエスの例 たと えのどんなところが良 よ かったのかさらに詳 くわ しく考 かんが え,例 たと えを使 つか った上 じょう 手 ず な教 おし え方 かた を学 まな びましょう。
シンプルな 例 たと えを 使 つか った
イエスは鳥 とり や花 はな を例 たと えに使 つか い,神 かみ が必 ひつ 要 よう な物 もの を与 あた えてくれることを教 おし えた
8-9. イエスはシンプルで分 わ かりやすいどんな例 たと えを使 つか いましたか。
8 イエスが教 おし える時 とき によく使 つか った例 たと えは,短 みじか くてシンプルなものでした。イエスは簡 かん 単 たん な言 こと 葉 ば で,聞 き いている人 ひと が生 い き生 い きとしたイメージを思 おも い描 えが けるようにし,重 じゅう 要 よう な真 しん 理 り を分 わ かりやすく教 おし えました。例 たと えば,衣 い 食 しょく 住 じゅう のことで心 しん 配 ぱい しないよう弟 で 子 し たちにアドバイスした時 とき ,「鳥 とり 」や「ユリ」に注 ちゅう 目 もく させました。鳥 とり は種 たね をまいたり作 さく 物 もつ を刈 か り取 と ったりしませんし,ユリは糸 いと を紡 つむ いだり布 ぬの を織 お ったりしません。それでも,神 かみ のおかげで食 た べ物 もの に困 こま ることはなく,きれいに装 よそお っています。要 よう 点 てん は明 あき らかです。神 かみ は,鳥 とり や花 はな に必 ひつ 要 よう な物 もの を与 あた えているのですから,「王 おう 国 こく ……をいつも第 だい 一 いち に」している人 ひと たちにも必 かなら ず必 ひつ 要 よう な物 もの を与 あた えてくださるのです。(マタイ 6:26, 28-33 )
9 イエスは,比 ひ 喩 ゆ の一 いっ 種 しゅ でインパクトの強 つよ い隠 いん 喩 ゆ もよく使 つか いました。隠 いん 喩 ゆ とは,「……のようだ」といった表 ひょう 現 げん を使 つか わずにあるものを別 べつ のもので例 たと えることです。例 たと えば,ある時 とき イエスは弟 で 子 し たちに,「あなたたちは世 よ の光 ひかり です」と言 い いました。弟 で 子 し たちはすぐにポイントをつかめたことでしょう。光 ひかり を輝 かがや かせるかのように,自 じ 分 ぶん たちの言 げん 動 どう によって真 しん 理 り を明 あき らかにし,神 かみ がたたえられるようにすることができる,ということです。(マタイ 5:14-16 )イエスはほかにも,「あなたたちは地 ち の塩 しお です」とか「私 わたし はブドウの木 き ,あなたたちはその枝 えだ です」といった隠 いん 喩 ゆ を使 つか いました。(マタイ 5:13。 ヨハネ 15:5 )こうした例 たと えはどれも,シンプルだからこそ強 つよ い印 いん 象 しょう を与 あた えます。
10. 教 おし える時 とき にどんな例 たと えを使 つか えますか。
10 私 わたし たちも教 おし える時 とき にシンプルな例 たと えを使 つか いたいものです。凝 こ った話 はなし を長 なが 々 なが とする必 ひつ 要 よう はありません。例 たと えば,復 ふっ 活 かつ について話 はな し合 あ っていて,死 し んだ人 ひと を生 い き返 かえ らせることはエホバにとって難 むずか しくないということを説 せつ 明 めい したい場 ば 合 あい ,どんな例 たと えを使 つか えるでしょうか。聖 せい 書 しょ の中 なか で死 し は眠 ねむ りに例 たと えられているので,こう言 い えるかもしれません。「神 かみ にとって,死 し んだ人 ひと を生 い き返 かえ らせるのは,眠 ねむ っている人 ひと を起 お こすようなものなんですよ」。(ヨハネ 11:11-14 )子 こ 供 ども がすくすく育 そだ つには親 おや からの愛 あい 情 じょう や思 おも いやりが必 ひつ 要 よう だということを伝 つた えたい場 ば 合 あい はどうでしょうか。聖 せい 書 しょ では子 こ 供 ども が「オリーブの若 わか 枝 えだ 」に例 たと えられています。(詩 し 編 へん 128:3 )それで,「子 こ 供 ども にとって愛 あい 情 じょう や思 おも いやりは,植 しょく 物 ぶつ にとっての日 にっ 光 こう や水 みず のようなものです」と言 い えます。例 たと えがシンプルであればあるほど,聞 き く人 ひと はポイントをつかみやすくなります。
日 にち 常 じょう 的 てき な 事 こと 柄 がら を 題 だい 材 ざい にした
11. イエスは故 こ 郷 きょう のガリラヤで観 かん 察 さつ したであろうどんなものを例 たと えの題 だい 材 ざい にしましたか。
11 イエスは一 いっ 般 ぱん の人 ひと の生 せい 活 かつ に基 もと づく例 たと えを上 じょう 手 ず に使 つか いました。故 こ 郷 きょう のガリラヤで観 かん 察 さつ したであろう日 にち 常 じょう 的 てき な光 こう 景 けい をよく題 だい 材 ざい にしました。子 こ 供 ども の頃 ころ ,母 はは 親 おや が粉 こな をひき,パン生 き 地 じ に酵 こう 母 ぼ を混 ま ぜ,ランプをともし,家 いえ の中 なか を掃 は くのを何 なん 度 ど も見 み たことでしょう。(マタイ 13:33; 24:41。 ルカ 15:8 )漁 りょう 師 し がガリラヤ湖 こ に網 あみ を下 お ろすのもよく目 め にしたはずです。(マタイ 13:47 )子 こ 供 ども たちが広 ひろ 場 ば で遊 あそ ぶのも,見 み 慣 な れた光 こう 景 けい でした。(マタイ 11:16 )イエスはほかにも,種 たね まき,結 けっ 婚 こん 披 ひ 露 ろう 宴 えん ,色 いろ づいた穀 こく 物 もつ 畑 ばたけ など,自 じ 分 ぶん が実 じっ 際 さい に見 み た事 こと 柄 がら をいろいろな例 たと えで使 つか っています。(マタイ 13:3-8; 25:1-12。 マルコ 4:26-29 )
12-13. イエスが親 しん 切 せつ なサマリア人 じん の例 たと え話 ばなし を,「エルサレムからエリコに下 くだ っていく」道 どう 路 ろ という場 ば 面 めん 設 せっ 定 てい にしたのはどうしてですか。
12 イエスは,聞 き いている人 ひと たちがよく知 し っている細 こま かい情 じょう 報 ほう を例 たと えに含 ふく めることもありました。一 いち 例 れい として,親 しん 切 せつ なサマリア人 じん の例 たと え話 ばなし の冒 ぼう 頭 とう でこう言 い いました。「ある男 だん 性 せい がエルサレムからエリコに下 くだ っていく途 と 中 ちゅう で,強 ごう 盗 とう たちに襲 おそ われました。強 ごう 盗 とう は服 ふく を剝 は ぎ,殴 なぐ り,半 はん 殺 ごろ しにして去 さ っていきました」。(ルカ 10:30 )イエスが「エルサレムからエリコに下 くだ っていく」道 どう 路 ろ という場 ば 面 めん 設 せっ 定 てい にしたことに注 ちゅう 目 もく できます。この例 たと え話 ばなし が語 かた られたのはユダヤのエルサレムからそう遠 とお くない場 ば 所 しょ だったので,聴 ちょう 衆 しゅう はその道 どう 路 ろ のことを知 し っていたに違 ちが いありません。それは人 ひと 里 ざと 離 はな れた所 ところ を通 とお る曲 ま がりくねった道 どう 路 ろ で,強 ごう 盗 とう が隠 かく れられるような場 ば 所 しょ がたくさんあったので,特 とく に1人 ひとり で歩 ある くには危 き 険 けん なことで知 し られていました。
13 イエスはほかにも,聞 き いている人 ひと たちにとってなじみ深 ぶか い情 じょう 報 ほう を含 ふく めました。例 たと え話 ばなし の続 つづ きで,まず祭 さい 司 し が,次 つぎ にレビ族 ぞく の人 ひと がその道 どう 路 ろ を通 とお ります。しかし,どちらも立 た ち止 ど まって被 ひ 害 がい 者 しゃ を助 たす けようとはしません。(ルカ 10:31,32 )祭 さい 司 し たちはエルサレムの神 しん 殿 でん で奉 ほう 仕 し し,レビ族 ぞく の人 ひと たちは祭 さい 司 し をサポートしていました。多 おお くの祭 さい 司 し やレビ族 ぞく の人 ひと が,神 しん 殿 でん での務 つと めがない間 あいだ はエルサレムから21㌔しか離 はな れていないエリコで暮 く らしていました。ですから,その道 どう 路 ろ をよく通 とお っていたことでしょう。さらにイエスは,彼 かれ らが「エルサレムから」の道 どう 路 ろ を上 のぼ っていくのではなく「下 くだ っていく」ところだったと言 い っています。聞 き いている人 ひと たちはしっくりきたことでしょう。エルサレムはエリコより標 ひょう 高 こう が高 たか かったので,「エルサレムから」来 く る人 ひと は確 たし かに「下 くだ っていく」ことになったからです。 イエスが聞 き いている人 ひと たちにとってイメージしやすい話 はなし をしたことがよく分 わ かります。
14. 相 あい 手 て にとってイメージしやすい例 たと えを使 つか えるよう,どんなことを考 かんが えるとよいですか。
14 私 わたし たちも,相 あい 手 て にとってイメージしやすい例 たと えを使 つか いたいと思 おも い ます。相 あい 手 て の年 ねん 齢 れい ,育 そだ った環 かん 境 きょう ,職 しょく 業 ぎょう などからして,どんな例 たと えが合 あ うかを考 かんが えるとよいでしょう。一 いち 例 れい として,農 のう 村 そん 地 ち 域 いき の人 ひと であれば,大 だい 都 と 市 し に住 す む人 ひと よりも農 のう 業 ぎょう を題 だい 材 ざい にした例 たと えを分 わ かってもらいやすいかもしれません。相 あい 手 て の普 ふ 段 だん の生 せい 活 かつ や関 かん 心 しん 事 じ に合 あ わせて,子 こ 供 ども ,家 いえ ,趣 しゅ 味 み ,食 た べ物 もの などを例 たと えの題 だい 材 ざい にすることもできます。
創 そう 造 ぞう 物 ぶつ を 題 だい 材 ざい にした
15. イエスが創 そう 造 ぞう 物 ぶつ を熟 じゅく 知 ち していたのはどうしてですか。
15 イエスが語 かた った多 おお くの例 たと えから,イエスが植 しょく 物 ぶつ や動 どう 物 ぶつ や自 し 然 ぜん 現 げん 象 しょう についてよく知 し っていたことが分 わ かります。(マタイ 16:2,3。 ルカ 12:24, 27 )どうしてイエスは自 し 然 ぜん 界 かい のことにそれほど詳 くわ しかったのでしょうか。故 こ 郷 きょう のガリラヤで,創 そう 造 ぞう 物 ぶつ を観 かん 察 さつ する機 き 会 かい がたくさんあったに違 ちが いありません。また,イエスは「全 ぜん 創 そう 造 ぞう 物 ぶつ の中 なか の初 はつ 子 ご 」であり,エホバがあらゆるものを創 そう 造 ぞう するのを「優 すぐ れた働 はたら き手 て 」として手 て 伝 つだ いました。(コロサイ 1:15,16。 格 かく 言 げん 8:30,31 )ですから,創 そう 造 ぞう 物 ぶつ を熟 じゅく 知 ち していたのです。では,その知 ち 識 しき がイエスの例 たと えにどのように生 い かされているか考 かんが えましょう。
16-17. (ア)イエスが羊 ひつじ の習 しゅう 性 せい をよく知 し っていたことがどんなことから分 わ かりますか。(イ)羊 ひつじ が羊 ひつじ 飼 か いの声 こえ を聞 き き分 わ けられることがどんな例 れい から分 わ かりますか。
16 イエスは自 じ 分 ぶん を「立 りっ 派 ぱ な羊 ひつじ 飼 か い」に,弟 で 子 し たちを「羊 ひつじ 」に例 たと えました。例 たと えの内 ない 容 よう から分 わ かる通 とお り,イエスは家 か 畜 ちく の羊 ひつじ の習 しゅう 性 せい をよく知 し っていました。羊 ひつじ 飼 か いと羊 ひつじ の間 あいだ には特 とく 別 べつ な絆 きずな があります。羊 ひつじ は羊 ひつじ 飼 か いに導 みちび かれるまま,素 す 直 なお にどこにでも付 つ いていきます。なぜ付 つ いていくかというと,イエスが言 い った通 とお り「羊 ひつじ 飼 か いの声 こえ を知 し っているからです」。(ヨハネ 10:2-4, 11 )羊 ひつじ は本 ほん 当 とう に羊 ひつじ 飼 か いの声 こえ を聞 き き分 わ けられるのでしょうか。
17 ジョージ・A・スミスという人 ひと は羊 ひつじ を観 かん 察 さつ し,「聖 せい 地 ち の歴 れき 史 し 地 ち 理 り 」(英 えい 語 ご ) という本 ほん の中 なか でこう書 か いています。「私 わたし たちは時 とき 折 おり ,ユダヤ各 かく 地 ち にあるそうした井 い 戸 ど の傍 かたわ らで,昼 ひる の休 きゅう 憩 けい を取 と った。井 い 戸 ど には,三 さん ,四 よ 人 にん の羊 ひつじ 飼 か いが自 じ 分 ぶん の群 む れと一 いっ 緒 しょ に下 お りて来 く る。それぞれの群 む れの羊 ひつじ は入 い り交 ま じっているので,羊 ひつじ 飼 か いはどのようにして自 じ 分 ぶん の羊 ひつじ を再 ふたた び集 あつ めるのだろうか,と私 わたし たちは思 おも っていた。ところが,水 みず を飲 の ませ,遊 あそ ばせ終 お えると,羊 ひつじ 飼 か いたちは一人 ひとり ひとり谷 たに の別 べつ 々 べつ の斜 しゃ 面 めん に上 のぼ って行 い き,各々 おのおの が独 どく 特 とく の呼 よ び声 ごえ を上 あ げた。すると,大 おお きな群 む れからそれぞれの羊 ひつじ たちが自 じ 分 ぶん の牧 ぼく 者 しゃ のもとへ向 む かい,各 かく 群 む れが来 き た時 とき と同 おな じように整 せい 然 ぜん と去 さ って行 い った」。羊 ひつじ は確 たし かに羊 ひつじ 飼 か いの声 こえ を聞 き き分 わ けられるので,イエスの例 たと えは言 い いたかったことにぴったり合 あ っていました。私 わたし たちもいわばイエスの声 こえ を聞 き き分 わ け,イエスの教 おし えに従 したが ってイエスに付 つ いていくなら,「立 りっ 派 ぱ な羊 ひつじ 飼 か い」に大 たい 切 せつ にしてもらえるのです。
18. エホバの創 そう 造 ぞう 物 ぶつ について知 し るために,どんなものを調 しら べることができますか。
18 私 わたし たちも創 そう 造 ぞう 物 ぶつ を題 だい 材 ざい にした例 たと えを使 つか うことができます。例 たと えば,動 どう 物 ぶつ の特 とく 徴 ちょう を簡 かん 単 たん に取 と り上 あ げたシンプルな例 たと えです。エホバの創 そう 造 ぞう 物 ぶつ について知 し るために,何 なに を調 しら べたらいいでしょうか。聖 せい 書 しょ にはいろいろな動 どう 物 ぶつ について書 か かれていて,動 どう 物 ぶつ の習 しゅう 性 せい に基 もと づく例 たと えも出 で てきます。ガゼルやヒョウのように速 はや い,蛇 へび のように用 よう 心 じん 深 ぶか い,ハトのように純 じゅん 真 しん といった例 たと えです。 (歴 れき 代 だい 第 だい 一 いち 12:8。ハバクク 1:8。 マタイ 10:16 )「ものみの塔 とう 」誌 し や「目 め ざめよ!」誌 し ,jw.orgの「だれかが設 せっ 計 けい ? 」シリーズの記 き 事 じ や動 どう 画 が からも,たくさんの情 じょう 報 ほう を得 え られます。そうした資 し 料 りょう に出 で てくる分 わ かりやすい例 たと えも参 さん 考 こう になります。
実 じつ 例 れい を 使 つか った
19-20. (ア)イエスは最 さい 近 きん の出 で 来 き 事 ごと を使 つか って,ある考 かんが えが間 ま 違 ちが っていることをどのように示 しめ しましたか。(イ)私 わたし たちはどのように実 じつ 例 れい を使 つか って教 おし えることができますか。
19 実 じつ 例 れい を引 ひ き合 あ いに出 だ すのも効 こう 果 か 的 てき です。ある時 とき イエスは最 さい 近 きん の出 で 来 き 事 ごと を使 つか って,悲 ひ 惨 さん な目 め に遭 あ うのは神 かみ からの処 しょ 罰 ばつ だという考 かんが えが間 ま 違 ちが っていることを示 しめ しました。こう言 い っています。「シロアムの塔 とう が倒 たお れて死 し んだあの18人 にん はエルサレムの他 た の全 すべ ての住 じゅう 民 みん より罪 つみ が重 おも かった,と思 おも いますか」。(ルカ 13:4 )その18人 にん が命 いのち を落 お としたのは,何 なに かの罪 つみ を犯 おか して神 かみ の怒 いか りを買 か ったからではありませんでした。「思 おも いも寄 よ らないこと」がたまたま身 み に降 ふ り掛 か かったのです。(伝 でん 道 どう の書 しょ 9:11 )このようにイエスは,よく知 し られていた出 で 来 き 事 ごと に触 ふ れて,聞 き いている人 ひと たちが正 ただ しい考 かんが えを持 も てるように助 たす けました。
20 私 わたし たちはどのように実 じつ 例 れい を使 つか って教 おし えることができるでしょうか。例 たと えば,イエスの臨 りん 在 ざい のしるしに関 かん する預 よ 言 げん の実 じつ 現 げん について話 はな し合 あ っているとします。(マタイ 24:3-14 )戦 せん 争 そう や飢 き 餓 が や地 じ 震 しん についての最 さい 近 きん の ニュースに触 ふ れて,イエスが預 よ 言 げん した通 とお りになっていることを説 せつ 明 めい できます。新 あたら しい人 じん 格 かく を身 み に着 つ けようと努 ど 力 りょく している人 ひと を励 はげ ますために,実 じっ 際 さい に変 へん 化 か を遂 と げた人 ひと の例 れい を伝 つた えたい場 ば 合 あい はどうでしょうか。(エフェソス 4:20-24 )身 み 近 ぢか な兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい の経 けい 験 けん 談 だん を引 ひ き合 あ いに出 だ せるかもしれませんし,エホバの証 しょう 人 にん の出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ に載 の っている経 けい 験 けん 談 だん なども使 つか えます。jw.orgの「聖 せい 書 しょ は人 ひと の生 い き方 かた を変 か える 」というシリーズから,ぴったりの例 れい を探 さが すこともできます。
21. 神 かみ の言 こと 葉 ば を上 じょう 手 ず に教 おし えることができると,どんな良 よ いことがありますか。
21 イエスはまさに最 さい 高 こう の教 きょう 師 し でした。このセクションで考 かんが えた通 とお り,「教 おし え,王 おう 国 こく の良 よ い知 し らせを伝 つた え」ることをライフワークにしていました。(マタイ 4:23 )私 わたし たちもそうしたいと思 おも います。上 じょう 手 ず に教 おし えることができると,良 よ いことがたくさんあります。教 おし えることによって人 ひと に与 あた えると,与 あた えることから来 く る幸 こう 福 ふく 感 かん を味 あじ わえます。(使 し 徒 と 20:35 )エホバについての真 しん 理 り という,人 ひと を永 えい 遠 えん に幸 しあわ せにできる何 なに よりも貴 き 重 ちょう なものを与 あた えられるのです。また,人 じん 類 るい 史 し 上 じょう 最 もっと も素 す 晴 ば らしい教 きょう 師 し であるイエスの手 て 本 ほん に倣 なら っているという充 じゅう 実 じつ 感 かん も味 あじ わえます。イエスと同 おな じ活 かつ 動 どう を行 おこな えるのは,本 ほん 当 とう にうれしいことです。