8-10. (ア)テサロニケの人たちは良い知らせを聞いて,どうしましたか。(イ)ユダヤ人たちがパウロのことを面白く思わなかったのはどうしてですか。(ウ)怒ったユダヤ人たちはどうしましたか。
8 イエスはこう言ったことがあります。「奴隷は主人より偉く[ありません]。世の人々が私を迫害したのであれば,あなたたちをも迫害します。私の言葉を守ったのであれば,あなたたちの言葉も守ります」。(ヨハ 15:20)パウロはすでにその言葉通りのことを経験していました。テサロニケでもそうなります。パウロの話を聞こうとする人もいれば,はねつける人もいました。パウロから学んでクリスチャンになった人たちについて,こう書かれています。「ある人たち[ユダヤ人]は信者となってパウロとシラスに加わった。神を崇拝する非常に大勢のギリシャ人や,かなりの数の主立った女性たちもそうした」。(使徒 17:4)新しくクリスチャンになった人たちは,聖書を正しく理解できて喜んだことでしょう。
9 パウロの話に感謝する人がいる一方で,激しく怒る人もいました。ユダヤ人たちは,パウロが「非常に大勢のギリシャ人」の心をつかんだことを面白く思わなかったようです。彼らはこれまで,ギリシャ人たちをユダヤ教に改宗させようとして,ヘブライ語聖書をずっと教えてきました。自分たちの側に付いていると思っていた人たちが,あっという間にパウロに説得されて離れていってしまいました。しかも,よりによってユダヤ教の会堂でそういうことが起きました。ユダヤ人たちの怒りは収まりません。
10 記録はこう続いています。「ユダヤ人たちは嫉妬し,広場をぶらつくならず者たちを寄せ集めて,町に騒動を起こし始めた。そして,ヤソンの家を襲撃し,パウロとシラスをその暴徒の前に引き出そうとした。しかし2人が見つからないので,ヤソンと何人かの兄弟たちを町の支配者たちの所に引きずっていき,こう叫んだ。『至る所で騒ぎを起こした男たちがここにまで来ていて,ヤソンが迎え入れました。この男たちは皆カエサルの命令に逆らって行動し,イエスという別の王がいると言っています』」。(使徒 17:5-7)パウロたちはどうなるのでしょうか。
11. パウロたちはどんなことで訴えられましたか。ユダヤ人が言った皇帝の命令とは,どんなものだったと考えられますか。(脚注を参照。)
11 暴徒と化した人たちというのは,手が付けられないものです。どんどんエスカレートし,暴力的になっていきます。ユダヤ人がパウロとシラスを追い出そうとして使ったのは,まさにそういう暴徒たちでした。ユダヤ人は「町に騒動を起こし」た後,パウロたちがとんでもないことをしていると,町の支配者たちに訴えを起こします。まず,パウロたちが「至る所で騒ぎを起こした」と言い張ります。騒ぎを起こしたのは当の自分たちなのにです。次に,さらに大きなことを持ち出し,彼らはイエスという王について広めて皇帝の命令に違反している,と主張します。
12. パウロたちは,重い処罰を受ける危険にさらされました。どうしてですか。
12 以前,宗教指導者たちがイエスについて同じようなことを訴えました。「この男は私たちの民を扇動し,……自分が王キリストだと言っていました」とピラトに訴えました。(ルカ 23:2)ピラトは,反逆の罪を大目に見たと皇帝から思われたくなかったためか,イエスに死刑を宣告します。テサロニケでのユダヤ人の訴えも,同じような重い処罰につながりかねません。ある文献にはこうあります。「彼らはこれ以上ないほどの危険にさらされた。『皇帝に対する反逆をほのめかしたというだけでも,告発された者はたいてい命を落とすことになった』からである」。パウロたちはこのひどい策略にはまってしまうのでしょうか。
13,14. (ア)暴徒たちが伝道を止められなかったのはどうしてですか。(イ)パウロはイエスの助言にどのように従いましたか。私たちはパウロにどのように倣えますか。
13 結局,暴徒たちはテサロニケでの伝道を止めることはできませんでした。どうしてでしょうか。まず,パウロとシラスを見つけられませんでした。また,町の支配者たちに,訴えが妥当だとは思ってもらえなかったようです。町の支配者たちは,連れてこられていたヤソンなどの兄弟たちを釈放します。「十分な保証を得た」後,そうします。これはおそらく,保釈金を受け取ったということだと思われます。(使徒 17:8,9)「蛇のように用心深く,しかもハトのように純真なことを示しなさい」というイエスの助言通り,パウロは不必要に危険な目に遭わないよう,町を出て別の場所で伝道を続けることにします。(マタ 10:16)パウロは勇敢でしたが,無謀な人ではありませんでした。私たちはどのように倣えるでしょうか。
14 現代でも,一般のキリスト教の聖職者がエホバの証人への暴動を引き起こすことがあります。エホバの証人が国家に背いていると支配者層に訴え,反対をあおります。1世紀と同じく,そういう人たちを動かしているのは嫉妬心です。私たちは攻撃されても,事を荒立てるようなことはしません。できるだけ取り合わないようにし,事が落ち着くまで,平和に伝道を続ける別の方法を探ります。