1. マラキ 3章 しょう 16節 せつ によると,エホバはどんな書 しょ を記 しる してきましたか。そこには何 なに が書 か かれていますか。
エホバは,何 なん 千 ぜん 年 ねん にもわたって特 とく 別 べつ な書 しょ を記 しる してきました。この書 しょ には,最 さい 初 しょ の忠 ちゅう 実 じつ な証 しょう 人 にん アベルを先 せん 頭 とう に,大 おお 勢 ぜい の人 ひと たちの名 な 前 まえ が記 しる されています。 (ルカ 11:50,51 )その時 とき 以 い 降 こう ,エホバはこの書 しょ に名 な 前 まえ を書 か き加 くわ えてきました。現 げん 在 ざい では,非 ひ 常 じょう に大 おお 勢 ぜい の人 ひと たちの名 な 前 まえ が記 しる されています。聖 せい 書 しょ はこの書 しょ のことを,「記 き 録 ろく の書 しょ 」,「命 いのち の書 しょ 」,「命 いのち の巻 まき 物 もの 」と呼 よ んでいます。この記 き 事 じ では,そのうちの「命 いのち の書 しょ 」という表 ひょう 現 げん を用 もち います。( マラキ 3:16 を 読 よ む。 啓 けい 3:5; 17:8 )
2. 命 いのち の書 しょ には,誰 だれ の名 な 前 まえ が記 しる されていますか。私 わたし たちはどうすればその書 しょ に名 な 前 まえ を記 しる してもらうことができますか。
2 この特 とく 別 べつ な書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されているのは,深 ふか い敬 けい 意 い を持 も ってエホバを崇 すう 拝 はい し,エホバのお名 な 前 まえ を大 たい 切 せつ にしている人 ひと たちです。それらの人 ひと たちには,永 えい 遠 えん に生 い きる見 み 込 こ みがあります。現 げん 代 だい の私 わたし たちも,独 ひと り子 ご イエス・キリストの贖 あがな いに基 もと づくエホバとの強 つよ い絆 きずな を持 も っているなら,この書 しょ に名 な 前 まえ を記 しる してもらうことができます。(ヨハ 3:16, 36 )私 わたし たちは皆 みな ,天 てん に行 い く希 き 望 ぼう を持 も っていても地 ち 上 じょう で生 い きる希 き 望 ぼう を持 も っていても,ぜひ自 じ 分 ぶん の名 な 前 まえ をこの書 しょ に記 しる してもらいたいと思 おも っています。
3-4. (ア)いま命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されていれば,永 えい 遠 えん の命 いのち を得 え られるということですか。(イ)この記 き 事 じ と次 つぎ の記 き 事 じ ではどんなことを考 かんが えますか。
3 では,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されている人 ひと は永 えい 遠 えん の命 いのち を保 ほ 証 しょう されている,ということでしょうか。出 しゅつ エジプト記 き 32章 しょう 33節 せつ から答 こた えを知 し ることができます。エホバはモーセに対 たい してこう言 い いました。「私 わたし に罪 つみ を犯 おか した人 ひと の名 な 前 まえ を私 わたし の書 しょ から消 け し 去 さ る 」。ですから,この書 しょ に記 しる されている名 な 前 まえ は消 け し去 さ られる可 か 能 のう 性 せい があるということです。それは,鉛 えん 筆 ぴつ で書 か かれているようなものです。(啓 けい 3:5 )それで私 わたし たちは,自 じ 分 ぶん の名 な 前 まえ が消 け し去 さ られてしまわないように努 ど 力 りょく する必 ひつ 要 よう があります。そうすればやがて,いわばインクで消 き えないように書 か いてもらえる時 とき が来 き ます。
4 幾 いく つかの疑 ぎ 問 もん が生 しょう じるかもしれません。聖 せい 書 しょ によると,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されているのはどんな人 ひと で,記 しる されていないのはどんな人 ひと でしょうか。その書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されている人 ひと が永 えい 遠 えん の命 いのち を受 う けるのはいつでしょうか。生 い きている間 あいだ にエホバを知 し る機 き 会 かい がなかった人 ひと についてはどうですか。そのような人 ひと も,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を記 しる してもらうことができるでしょうか。こうした点 てん の答 こた えについて,この記 き 事 じ と次 つぎ の記 き 事 じ で考 かんが えます。
どんな 人 ひと の 名 な 前 まえ が 命 いのち の 書 しょ に 記 しる されているか
5-6. (ア)フィリピ 4章 しょう 3節 せつ からすると,命 いのち の書 しょ にはどんな人 ひと の名 な 前 まえ が記 しる されていますか。(イ)その人 ひと たちの名 な 前 まえ が命 いのち の書 しょ にいわばインクで記 しる されるのはいつですか。
5 どんな人 ひと の名 な 前 まえ が命 いのち の書 しょ に記 しる されていますか。この質 しつ 問 もん の答 こた えを知 し るために,5つのグループについて考 かんが えましょう。命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されている人 ひと たちのグループもあれば,そうでない人 ひと たちのグループもあります。
6 1つ目 め のグループは,イエスと 共 とも に 天 てん で 治 おさ めるよう 選 えら ばれた 人 ひと たち です。この人 ひと たちの名 な 前 まえ は,命 いのち の書 しょ に記 しる されていますか。はい。パウロがフィリピの「仲 なか 間 ま たち」に述 の べた言 こと 葉 ば から分 わ かる通 とお り,天 てん に行 い く人 ひと たち,つまりイエスと共 とも に治 おさ める人 ひと たちの名 な 前 まえ は,命 いのち の書 しょ に記 しる されています。( フィリピ 4:3 を 読 よ む。) でも,この書 しょ から名 な 前 まえ が消 け されないためには,忠 ちゅう 実 じつ であり続 つづ けなければなりません。死 し ぬ前 まえ ,あるいは大 だい 患 かん 難 なん が始 はじ まる前 まえ に最 さい 終 しゅう 的 てき な証 しょう 印 いん を押 お されたなら,彼 かれ らの名 な 前 まえ はいわばインクで命 いのち の書 しょ に書 か かれ,その名 な 前 まえ が消 け されることはありません。(啓 けい 7:3 )
7. 啓 けい 示 じ 7章 しょう 16,17節 せつ からすると,ほかの羊 ひつじ の大 だい 群 ぐん 衆 しゅう が命 いのち の書 しょ にいわばインクで名 な 前 まえ を記 しる されるのはいつですか。
7 2つ目 め のグループは,ほかの 羊 ひつじ の 大 だい 群 ぐん 衆 しゅう です。この人 ひと たちの名 な 前 まえ は,命 いのち の書 しょ に記 しる されていますか。はい。では,ハルマゲドンを生 い き残 のこ った後 あと も消 き えずに残 のこ っているでしょうか。はい,残 のこ っています。(啓 けい 7:14 )イエスは,これらの羊 ひつじ のような人 ひと たちが「永 えい 遠 えん の命 いのち 」を受 う けると言 い いました。(マタ 25:46 )とはいえ,ハルマゲドンを生 い き残 のこ った人 ひと たちは,すぐに永 えい 遠 えん の命 いのち を受 う けるわけではありません。命 いのち の書 しょ に鉛 えん 筆 ぴつ で名 な 前 まえ を記 しる されているような状 じょう 態 たい です。千 せん 年 ねん 統 とう 治 ち の間 あいだ に,イエスは「この人 ひと たちを世 せ 話 わ し,命 いのち の水 みず の泉 いずみ に導 みちび 」きます。キリストの指 し 導 どう に喜 よろこ んで従 したが い,エホバに忠 ちゅう 実 じつ であると最 さい 終 しゅう 的 てき に認 みと められた人 ひと たちは,名 な 前 まえ をいわばインクで命 いのち の書 しょ に記 しる されることになります。( 啓 けい 示 じ 7:16,17 を 読 よ む。)
8. どんな人 ひと たちの名 な 前 まえ は,命 いのち の書 しょ に記 しる されていませんか。それらの人 ひと たちはどうなりますか。
8 3つ目 め のグループは,ハルマゲドンで 滅 ほろ ぼされるヤギ です。この人 ひと たちの名 な 前 まえ は,命 いのち の書 しょ に記 しる されていません。イエスによると,この人 ひと たちは「永 えい 遠 えん の死 し を迎 むか え」ます。(マタ 25:46 )パウロも聖 せい なる力 ちから に導 みちび かれて,「こうした人 ひと 々 びと は,永 えい 遠 えん の滅 ほろ びという処 しょ 罰 ばつ を受 う け[る]」と述 の べています。(テサ二 に 1:9。 ペテ二 に 2:9 )聖 せい なる力 ちから に対 たい してあえて罪 つみ を犯 おか した人 ひと たちについても,同 おな じことが言 い えます。それらの人 ひと たちも,永 えい 遠 えん の命 いのち ではなく,永 えい 遠 えん の滅 ほろ びという処 しょ 罰 ばつ を受 う けます。そして,復 ふっ 活 かつ することはありません。(マタ 12:32。 マル 3:28,29。 ヘブ 6:4-6 )では次 つぎ に,地 ち 上 じょう に復 ふっ 活 かつ してくる2つのグループについて考 かんが えてみましょう。
復 ふっ 活 かつ してくる 人 ひと たち
9. 使 し 徒 と 24章 しょう 15節 せつ によると,どんな2つのグループの人 ひと たちが地 ち 上 じょう に復 ふっ 活 かつ してきますか。その2つのグループにはどんな違 ちが いがありますか。
9 聖 せい 書 しょ には,復 ふっ 活 かつ して地 ち 上 じょう で永 えい 遠 えん に生 い きる見 み 込 こ みがある2つのグループについて述 の べられています。「正 ただ しい人 ひと 」と「正 ただ しくない人 ひと 」です。( 使 し 徒 と 24:15 を 読 よ む。) 「正 ただ しい人 ひと 」とは,生 い きている間 あいだ エホバに忠 ちゅう 実 じつ だった人 ひと たちのことです。一 いっ 方 ぽう ,「正 ただ しくない人 ひと 」とは,エホバに忠 ちゅう 実 じつ ではなかった人 ひと たちです。それらの人 ひと たちの多 おお くは,エホバから見 み て正 ただ しくないことを行 おこな っていたことでしょう。では,これらの2つのグループの人 ひと たちがどちらも復 ふっ 活 かつ してくるということは,それらの人 ひと たちの名 な 前 まえ が命 いのち の書 しょ に記 しる されているということでしょうか。順 じゅん 番 ばん に考 かんが えていきましょう。
10. 「正 ただ しい人 ひと 」が復 ふっ 活 かつ してくるのはなぜですか。一 いち 部 ぶ の人 ひと たちはどんな責 せき 任 にん を委 ゆだ ねられますか。(この号 ごう に掲 けい 載 さい されている,地 ち 上 じょう への復 ふっ 活 かつ に関 かん する「読 どく 者 しゃ からの質 しつ 問 もん 」も参 さん 照 しょう 。)
10 4つ目 め のグループは,「 正 ただ しい 人 ひと 」 です。これらの人 ひと たちは,生 い きていた時 とき に命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を記 しる されていました。では,死 し んだ時 とき にその名 な 前 まえ は消 け されてしまったのでしょうか。いいえ,そんなことはありません。それらの人 ひと たちは,エホバの記 き 憶 おく の中 なか で「生 い きている」からです。エホバは「死 し んだ人 ひと の神 かみ ではなく,生 い きている人 ひと の神 かみ です。彼 かれ らは皆 みな ,神 かみ にとっては生 い きているのです」。(ルカ 20:38 )ですから,地 ち 上 じょう に復 ふっ 活 かつ してくる正 ただ しい人 ひと の名 な 前 まえ は,いわば鉛 えん 筆 ぴつ で命 いのち の書 しょ に記 しる されています。(ルカ 14:14 )そして,一 いち 部 ぶ の人 ひと たちは「全 ぜん 世 せ 界 かい で高 こう 官 かん 」として奉 ほう 仕 し する責 せき 任 にん を委 ゆだ ねられるでしょう。(詩 し 45:16 )
11. 「正 ただ しくない人 ひと 」は,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を書 か いてもらうために,どんなことをする必 ひつ 要 よう がありますか。
11 5つ目 め のグループは,「 正 ただ しくない 人 ひと 」 です。これらの人 ひと たちは,恐 おそ らくエホバのおきてを知 し らなかったために,正 ただ しくない生 い き方 かた をしていました。それで,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を記 しる されてはいません。でも,エホバはこれらの人 ひと たちを復 ふっ 活 かつ させます。その結 けっ 果 か ,復 ふっ 活 かつ した「正 ただ しくない人 ひと 」には,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を書 か いてもらうチャンスが与 あた えられます。それらの人 ひと たちにはたくさんの助 たす けが必 ひつ 要 よう です。中 なか には,非 ひ 常 じょう に悪 わる いことを行 おこな っていた人 ひと もいるでしょう。ですから,エホバの正 ただ しい基 き 準 じゅん に従 したが って生 い きることについて教 おし えてもらう必 ひつ 要 よう があります。それで,神 かみ の王 おう 国 こく は史 し 上 じょう 最 さい 大 だい の教 きょう 育 いく プログラムを行 おこな います。
「 命 いのち の 書 しょ 」にはどんな 人 ひと の 名 な 前 まえ が 記 しる されているか
記 しる されている
天 てん に 行 い くよう 選 えら ばれた 者 もの たち。 天 てん でイエスと共 とも に統 とう 治 ち する。
「 正 ただ しい 人 ひと 」。 死 し に至 いた るまでエホバに忠 ちゅう 実 じつ だった人 ひと たち。地 ち 上 じょう に復 ふっ 活 かつ してくる。
ほかの 羊 ひつじ の 大 だい 群 ぐん 衆 しゅう 。 現 げん 在 ざい エホバに仕 つか えていて,地 ち 上 じょう で生 い きる希 き 望 ぼう を持 も っている人 ひと たち。
記 しる されていない
ヤギ。 エホバを退 しりぞ ける邪 じゃ 悪 あく な人 ひと たちや,聖 せい なる力 ちから に対 たい してあえて罪 つみ を犯 おか す人 ひと たち。ハルマゲドンで滅 ほろ ぼされる。
「 正 ただ しくない 人 ひと 」。 エホバに忠 ちゅう 実 じつ ではなかったものの,地 ち 上 じょう に復 ふっ 活 かつ してくる人 ひと たち。命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を書 か いてもらうチャンスが与 あた えられる。
12. (ア)誰 だれ が正 ただ しくない人 ひと を教 おし えますか。(イ)教 おし えられたことを実 じっ 践 せん しようとしない人 ひと たちは,どうなりますか。
12 誰 だれ が正 ただ しくない人 ひと を教 おし えるのでしょうか。大 だい 群 ぐん 衆 しゅう と,復 ふっ 活 かつ してきた正 ただ しい人 ひと です。正 ただ しくない人 ひと は命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を書 か いてもらうために,エホバと親 した しくなり,エホバに献 けん 身 しん する必 ひつ 要 よう があります。イエス・キリストや,イエスと共 とも に裁 さば く者 もの たちは,こうした人 ひと たちの進 しん 歩 ぽ に深 ふか い関 かん 心 しん を抱 いだ いています。(啓 けい 20:4 )とはいえ,与 あた えられる助 たす けをはねつけるなら,たとえ100歳 さい であったとしても滅 ほろ ぼされることになります。(イザ 65:20 )エホバとイエスは,人 ひと の心 こころ を読 よ むことができます。そして,誰 だれ かが新 あたら しい世 せ 界 かい の平 へい 和 わ や美 うつく しさ を損 そこ なうようなことを決 けっ して許 ゆる しません。(イザ 11:9; 60:18; 65:25。 ヨハ 2:25 )
命 いのち の 復 ふっ 活 かつ と 裁 さば きの 復 ふっ 活 かつ
13-14. (ア)これまで私 わたし たちは,ヨハネ 5章 しょう 29節 せつ にあるイエスの言 こと 葉 ば をどのように理 り 解 かい していましたか。(イ)この聖 せい 句 く のどんな点 てん に注 ちゅう 目 もく する必 ひつ 要 よう がありますか。
13 イエスも,地 ち 上 じょう に復 ふっ 活 かつ してくる人 ひと たちについて教 おし えました。ある時 とき ,こう言 い いました。「記 き 念 ねん の墓 はか の中 なか にいる人 ひと が皆 みな ,彼 かれ の声 こえ を聞 き いて出 で てくる時 とき が来 く るのです。良 よ いことをした 人 ひと は命 いのち の復 ふっ 活 かつ へ,悪 わる いことを行 おこな った 人 ひと は裁 さば きの復 ふっ 活 かつ へと出 で てきます」。(ヨハ 5:28,29 )これはどういう意 い 味 み でしょうか。
14 私 わたし たちはこれまで,この聖 せい 句 く は人 ひと が復 ふっ 活 かつ した後 あと に行 おこな うことについて述 の べている,と理 り 解 かい していました。つまり,復 ふっ 活 かつ した人 ひと の中 なか には,良 よ いことをする人 ひと もいれば,悪 わる いことを行 おこな う人 ひと もいる,と考 かんが えていました。でもイエスは,記 き 念 ねん の墓 はか から出 で てくる人 ひと が良 よ いことをする とか,悪 わる いことを行 おこな う とは言 い いませんでした。過 か 去 こ 形 けい を使 つか い,「良 よ いことをした 」,「悪 わる いことを行 おこな った 」と述 の べています。ですから,これらの行 おこな いは,死 し ぬ前 まえ のものであることが分 わ かります。確 たし かにその通 とお りではないでしょうか。新 あたら しい世 せ 界 かい では,悪 わる いことを行 おこな うことは誰 だれ にも許 ゆる されないからです。それで,正 ただ しくない人 ひと が悪 わる いことを行 おこな ったのは,死 し ぬ前 まえ であるに違 ちが いありません。では,イエスが述 の べた「命 いのち の復 ふっ 活 かつ 」や「裁 さば きの復 ふっ 活 かつ 」という言 こと 葉 ば には,どんな意 い 味 み があるのでしょうか。
15. 「命 いのち の復 ふっ 活 かつ 」を経 けい 験 けん するのはどんな人 ひと ですか。なぜそう言 い えますか。
15 死 し ぬ前 まえ に良 よ いことをした正 ただ しい人 ひと は,「命 いのち の復 ふっ 活 かつ 」を経 けい 験 けん します。それらの人 ひと たちの名 な 前 まえ は,命 いのち の書 しょ にすでに記 しる されているからです。つまり,ヨハネ 5章 しょう 29節 せつ に出 で てくる「良 よ いことをした人 ひと 」の復 ふっ 活 かつ と,使 し 徒 と 24章 しょう 15節 せつ に出 で てくる「正 ただ しい人 ひと 」の復 ふっ 活 かつ は,同 おな じものを指 さ しているということです。この理 り 解 かい は,ローマ 6章 しょう 7節 せつ の次 つぎ の言 こと 葉 ば と調 ちょう 和 わ しています。「死 し んだ人 ひと は自 じ 分 ぶん の罪 つみ から放 ほう 免 めん されている」。正 ただ しい人 ひと が犯 おか した罪 つみ は,その人 ひと が死 し んだ時 とき に帳 ちょう 消 け しにされますが,その人 ひと が忠 ちゅう 実 じつ に歩 あゆ んだ記 き 録 ろく は,消 け されずに残 のこ ります。(ヘブ 6:10 )とはいえ,復 ふっ 活 かつ した正 ただ しい人 ひと は,命 いのち の書 しょ から名 な 前 まえ を消 け されないようにするために,忠 ちゅう 実 じつ を保 たも つ必 ひつ 要 よう があります。
16. 「裁 さば きの復 ふっ 活 かつ 」という表 ひょう 現 げん にはどんな意 い 味 み がありますか。
16 死 し ぬ前 まえ に悪 わる いことを行 おこな った人 ひと たちについてはどうでしょうか。その人 ひと たちも,死 し によって罪 つみ は帳 ちょう 消 け しにされています。とはいえ,エホバに忠 ちゅう 実 じつ ではなかったので,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されてはいません。 それで,「悪 わる いことを行 おこな った人 ひと 」の復 ふっ 活 かつ と,使 し 徒 と 24章 しょう 15節 せつ に出 で てくる「正 ただ しくない人 ひと 」の復 ふっ 活 かつ は,同 おな じものを表 あらわ しています。そして,この復 ふっ 活 かつ は「裁 さば きの復 ふっ 活 かつ 」となります。 正 ただ しくない人 ひと は,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を記 しる されるのにふさわしいかどうかを判 はん 断 だん される,という意 い 味 み で裁 さば かれるのです。(ルカ 22:30 )これには時 じ 間 かん がかかります。正 ただ しくない人 ひと は,以 い 前 ぜん の良 よ くない生 い き方 かた をやめ,エホバに献 けん 身 しん して初 はじ めて,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ を書 か いてもらうことができます。
17-18. 地 ち 上 じょう に復 ふっ 活 かつ してくる人 ひと たちは皆 みな ,どんなことを行 おこな う必 ひつ 要 よう がありますか。啓 けい 示 じ 20章 しょう 12,13節 せつ で述 の べられている「行 おこな い」とは何 なん のことですか。
17 以 い 前 ぜん に「正 ただ しい人 ひと 」だったか「正 ただ しくない人 ひと 」だったかに関 かか わらず,復 ふっ 活 かつ してくる人 ひと は皆 みな ,千 せん 年 ねん 統 とう 治 ち の間 あいだ に開 ひら かれる新 あたら しい巻 まき 物 もの に書 か かれているおきてに従 したが う必 ひつ 要 よう があります。使 し 徒 と ヨハネは,幻 まぼろし の中 なか で見 み たことについてこう述 の べました。「さらに見 み ると,死 し んだ人 ひと 々 びと が,大 おお きな者 もの も小 ちい さな者 もの も,王 おう 座 ざ の前 まえ に立 た っており,数 かず 々 かず の巻 まき 物 もの が開 ひら かれた。別 べつ の巻 まき 物 もの ,すなわち命 いのち の巻 まき 物 もの も開 ひら かれた。死 し んだ人 ひと 々 びと は,数 かず 々 かず の巻 まき 物 もの に書 か かれている事 こと 柄 がら に基 もと づき,各 かく 自 じ の行 おこな いに応 おう じて裁 さば かれた」。(啓 けい 20:12,13 )
18 生 い き返 かえ ってくる人 ひと たちは,どんな「行 おこな い」に基 もと づいて裁 さば かれるのでしょうか。死 し ぬ前 まえ の行 おこな いでしょうか。そうではありません。その人 ひと たちの罪 つみ は死 し によって帳 ちょう 消 け しにされているからです。それで,ここで述 の べられている「各 かく 自 じ の行 おこな い」が死 し ぬ前 まえ の行 おこな いであるはずはありません。そうではなく,新 あたら しい世 せ 界 かい で与 あた えられる教 きょう 育 いく に応 おう じてどう行 こう 動 どう するか,ということです。ノア,サムエル,ダビデ,ダニエルといった忠 ちゅう 実 じつ な人 ひと たちでさえ,イエス・キリストについて学 まな び,イエスの犠 ぎ 牲 せい に信 しん 仰 こう を抱 いだ く必 ひつ 要 よう があります。そうであれば,正 ただ しくない人 ひと はなおのことそうではないでしょうか。
19. この素 す 晴 ば らしいチャンスを退 しりぞ ける人 ひと はどうなりますか。
19 この素 す 晴 ば らしいチャンスを退 しりぞ ける人 ひと はどうなるのでしょうか。啓 けい 示 じ 20章 しょう 15節 せつ にはこうあります。「命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ が書 か かれていない者 もの は皆 みな ,火 ひ の湖 みずうみ に投 な げ込 こ まれた」。つまり,永 えい 遠 えん に滅 ほろ ぼされることになるのです。ですから,命 いのち の書 しょ に名 な 前 まえ が記 しる されるようにし,それが消 け されないようにするのは,本 ほん 当 とう に重 じゅう 要 よう なことです。
1人 ひとり の兄 きょう 弟 だい が,千 せん 年 ねん 統 とう 治 ち の間 あいだ に行 おこな われる大 だい 規 き 模 ぼ な教 きょう 育 いく プログラムで教 おし えている。(20節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
20. 千 せん 年 ねん 統 とう 治 ち の間 あいだ には,わくわくするどんなことが行 おこな われていきますか。(表 ひょう 紙 し の絵 え を参 さん 照 しょう 。)
20 千 せん 年 ねん 統 とう 治 ち は,本 ほん 当 とう にわくわくするような時 とき となるでしょう。その時 とき ,地 ち 上 じょう で史 し 上 じょう 最 さい 大 だい 規 き 模 ぼ の教 きょう 育 いく プログラムが行 おこな われます。そして,正 ただ しい人 ひと も正 ただ しくない人 ひと も,エホバの統 とう 治 ち に喜 よろこ んで従 したが うかどうかを試 ため されることになります。(イザ 26:9。 使 し 徒 と 17:31 )では,この教 きょう 育 いく プログラムはどのようにして行 おこな われていくのでしょうか。次 つぎ の記 き 事 じ を学 まな ぶと,この点 てん についての理 り 解 かい と感 かん 謝 しゃ を深 ふか めることができるでしょう。