ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔研22 09月号 14–19ページ
  • あなたの名前は「命の書」に記されていますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • あなたの名前は「命の書」に記されていますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2022
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • どんな人の名前が命の書に記されているか
  • 復活してくる人たち
  • 命の復活と裁きの復活
  • 読者からの質問
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2022
  • 「命の書」にはだれの名前が書かれていますか
    聖書 Q&A
  • 読者からの質問
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
  • 大勢を正しい道へと導く
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2022
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2022
塔研22 09月号 14–19ページ

研究記事39

あなたの名な前まえは「命いのちの書しょ」に記しるされていますか

「エホバを畏おそれる人ひと……のために,神かみの前まえで記き録ろくの書しょが記しるされた」。マラキ 3:16

61番ばんの歌うた 証しょう人にんたちよ,進すすめ!

何なにを学まなぶかa

1. エホバが命の書に名前を書いている。2. さまざまな時代の,さまざまな人種の人たちが,笑顔で一緒に歩いている。

アベルの時じ代だい以い降こう,エホバは「命いのちの書しょ」に名な前まえを書かき加くわえてきた。(1-2節せつを参さん照しょう。)

1. マラキ 3章しょう16節せつによると,エホバはどんな書しょを記しるしてきましたか。そこには何なにが書かかれていますか。

エホバは,何なん千ぜん年ねんにもわたって特とく別べつな書しょを記しるしてきました。この書しょには,最さい初しょの忠ちゅう実じつな証しょう人にんアベルを先せん頭とうに,大おお勢ぜいの人ひとたちの名な前まえが記しるされています。b (ルカ 11:50,51)その時とき以い降こう,エホバはこの書しょに名な前まえを書かき加くわえてきました。現げん在ざいでは,非ひ常じょうに大おお勢ぜいの人ひとたちの名な前まえが記しるされています。聖せい書しょはこの書しょのことを,「記き録ろくの書しょ」,「命いのちの書しょ」,「命いのちの巻まき物もの」と呼よんでいます。この記き事じでは,そのうちの「命いのちの書しょ」という表ひょう現げんを用もちいます。(マラキ 3:16を読よむ。啓けい 3:5; 17:8)

2. 命いのちの書しょには,誰だれの名な前まえが記しるされていますか。私わたしたちはどうすればその書しょに名な前まえを記しるしてもらうことができますか。

2 この特とく別べつな書しょに名な前まえが記しるされているのは,深ふかい敬けい意いを持もってエホバを崇すう拝はいし,エホバのお名な前まえを大たい切せつにしている人ひとたちです。それらの人ひとたちには,永えい遠えんに生いきる見み込こみがあります。現げん代だいの私わたしたちも,独ひとり子ごイエス・キリストの贖あがないに基もとづくエホバとの強つよい絆きずなを持もっているなら,この書しょに名な前まえを記しるしてもらうことができます。(ヨハ 3:16,36)私わたしたちは皆みな,天てんに行いく希き望ぼうを持もっていても地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もっていても,ぜひ自じ分ぶんの名な前まえをこの書しょに記しるしてもらいたいと思おもっています。

3-4. (ア)いま命いのちの書しょに名な前まえが記しるされていれば,永えい遠えんの命いのちを得えられるということですか。(イ)この記き事じと次つぎの記き事じではどんなことを考かんがえますか。

3 では,命いのちの書しょに名な前まえが記しるされている人ひとは永えい遠えんの命いのちを保ほ証しょうされている,ということでしょうか。出しゅつエジプト記き 32章しょう33節せつから答こたえを知しることができます。エホバはモーセに対たいしてこう言いいました。「私わたしに罪つみを犯おかした人ひとの名な前まえを私わたしの書しょから消けし去さる」。ですから,この書しょに記しるされている名な前まえは消けし去さられる可か能のう性せいがあるということです。それは,鉛えん筆ぴつで書かかれているようなものです。(啓けい 3:5)それで私わたしたちは,自じ分ぶんの名な前まえが消けし去さられてしまわないように努ど力りょくする必ひつ要ようがあります。そうすればやがて,いわばインクで消きえないように書かいてもらえる時ときが来きます。

4 幾いくつかの疑ぎ問もんが生しょうじるかもしれません。聖せい書しょによると,命いのちの書しょに名な前まえが記しるされているのはどんな人ひとで,記しるされていないのはどんな人ひとでしょうか。その書しょに名な前まえが記しるされている人ひとが永えい遠えんの命いのちを受うけるのはいつでしょうか。生いきている間あいだにエホバを知しる機き会かいがなかった人ひとについてはどうですか。そのような人ひとも,命いのちの書しょに名な前まえを記しるしてもらうことができるでしょうか。こうした点てんの答こたえについて,この記き事じと次つぎの記き事じで考かんがえます。

どんな人ひとの名な前まえが命いのちの書しょに記しるされているか

5-6. (ア)フィリピ 4章しょう3節せつからすると,命いのちの書しょにはどんな人ひとの名な前まえが記しるされていますか。(イ)その人ひとたちの名な前まえが命いのちの書しょにいわばインクで記しるされるのはいつですか。

5 どんな人ひとの名な前まえが命いのちの書しょに記しるされていますか。この質しつ問もんの答こたえを知しるために,5つのグループについて考かんがえましょう。命いのちの書しょに名な前まえが記しるされている人ひとたちのグループもあれば,そうでない人ひとたちのグループもあります。

6 1つ目めのグループは,イエスと共ともに天てんで治おさめるよう選えらばれた人ひとたちです。この人ひとたちの名な前まえは,命いのちの書しょに記しるされていますか。はい。パウロがフィリピの「仲なか間またち」に述のべた言こと葉ばから分わかる通とおり,天てんに行いく人ひとたち,つまりイエスと共ともに治おさめる人ひとたちの名な前まえは,命いのちの書しょに記しるされています。(フィリピ 4:3を読よむ。)でも,この書しょから名な前まえが消けされないためには,忠ちゅう実じつであり続つづけなければなりません。死しぬ前まえ,あるいは大だい患かん難なんが始はじまる前まえに最さい終しゅう的てきな証しょう印いんを押おされたなら,彼かれらの名な前まえはいわばインクで命いのちの書しょに書かかれ,その名な前まえが消けされることはありません。(啓けい 7:3)

7. 啓けい示じ 7章しょう16,17節せつからすると,ほかの羊ひつじの大だい群ぐん衆しゅうが命いのちの書しょにいわばインクで名な前まえを記しるされるのはいつですか。

7 2つ目めのグループは,ほかの羊ひつじの大だい群ぐん衆しゅうです。この人ひとたちの名な前まえは,命いのちの書しょに記しるされていますか。はい。では,ハルマゲドンを生いき残のこった後あとも消きえずに残のこっているでしょうか。はい,残のこっています。(啓けい 7:14)イエスは,これらの羊ひつじのような人ひとたちが「永えい遠えんの命いのち」を受うけると言いいました。(マタ 25:46)とはいえ,ハルマゲドンを生いき残のこった人ひとたちは,すぐに永えい遠えんの命いのちを受うけるわけではありません。命いのちの書しょに鉛えん筆ぴつで名な前まえを記しるされているような状じょう態たいです。千せん年ねん統とう治ちの間あいだに,イエスは「この人ひとたちを世せ話わし,命いのちの水みずの泉いずみに導みちび」きます。キリストの指し導どうに喜よろこんで従したがい,エホバに忠ちゅう実じつであると最さい終しゅう的てきに認みとめられた人ひとたちは,名な前まえをいわばインクで命いのちの書しょに記しるされることになります。(啓けい示じ 7:16,17を読よむ。)

8. どんな人ひとたちの名な前まえは,命いのちの書しょに記しるされていませんか。それらの人ひとたちはどうなりますか。

8 3つ目めのグループは,ハルマゲドンで滅ほろぼされるヤギです。この人ひとたちの名な前まえは,命いのちの書しょに記しるされていません。イエスによると,この人ひとたちは「永えい遠えんの死しを迎むかえ」ます。(マタ 25:46)パウロも聖せいなる力ちからに導みちびかれて,「こうした人ひと々びとは,永えい遠えんの滅ほろびという処しょ罰ばつを受うけ[る]」と述のべています。(テサ二に 1:9。ペテ二に 2:9)聖せいなる力ちからに対たいしてあえて罪つみを犯おかした人ひとたちについても,同おなじことが言いえます。それらの人ひとたちも,永えい遠えんの命いのちではなく,永えい遠えんの滅ほろびという処しょ罰ばつを受うけます。そして,復ふっ活かつすることはありません。(マタ 12:32。マル 3:28,29。ヘブ 6:4-6)では次つぎに,地ち上じょうに復ふっ活かつしてくる2つのグループについて考かんがえてみましょう。

復ふっ活かつしてくる人ひとたち

9. 使し徒と 24章しょう15節せつによると,どんな2つのグループの人ひとたちが地ち上じょうに復ふっ活かつしてきますか。その2つのグループにはどんな違ちがいがありますか。

9 聖せい書しょには,復ふっ活かつして地ち上じょうで永えい遠えんに生いきる見み込こみがある2つのグループについて述のべられています。「正ただしい人ひと」と「正ただしくない人ひと」です。(使し徒と 24:15を読よむ。)「正ただしい人ひと」とは,生いきている間あいだエホバに忠ちゅう実じつだった人ひとたちのことです。一いっ方ぽう,「正ただしくない人ひと」とは,エホバに忠ちゅう実じつではなかった人ひとたちです。それらの人ひとたちの多おおくは,エホバから見みて正ただしくないことを行おこなっていたことでしょう。では,これらの2つのグループの人ひとたちがどちらも復ふっ活かつしてくるということは,それらの人ひとたちの名な前まえが命いのちの書しょに記しるされているということでしょうか。順じゅん番ばんに考かんがえていきましょう。

10. 「正ただしい人ひと」が復ふっ活かつしてくるのはなぜですか。一いち部ぶの人ひとたちはどんな責せき任にんを委ゆだねられますか。(この号ごうに掲けい載さいされている,地ち上じょうへの復ふっ活かつに関かんする「読どく者しゃからの質しつ問もん」も参さん照しょう。)

10 4つ目めのグループは,「正ただしい人ひと」です。これらの人ひとたちは,生いきていた時ときに命いのちの書しょに名な前まえを記しるされていました。では,死しんだ時ときにその名な前まえは消けされてしまったのでしょうか。いいえ,そんなことはありません。それらの人ひとたちは,エホバの記き憶おくの中なかで「生いきている」からです。エホバは「死しんだ人ひとの神かみではなく,生いきている人ひとの神かみです。彼かれらは皆みな,神かみにとっては生いきているのです」。(ルカ 20:38)ですから,地ち上じょうに復ふっ活かつしてくる正ただしい人ひとの名な前まえは,いわば鉛えん筆ぴつで命いのちの書しょに記しるされています。(ルカ 14:14)そして,一いち部ぶの人ひとたちは「全ぜん世せ界かいで高こう官かん」として奉ほう仕しする責せき任にんを委ゆだねられるでしょう。(詩し 45:16)

11. 「正ただしくない人ひと」は,命いのちの書しょに名な前まえを書かいてもらうために,どんなことをする必ひつ要ようがありますか。

11 5つ目めのグループは,「正ただしくない人ひと」です。これらの人ひとたちは,恐おそらくエホバのおきてを知しらなかったために,正ただしくない生いき方かたをしていました。それで,命いのちの書しょに名な前まえを記しるされてはいません。でも,エホバはこれらの人ひとたちを復ふっ活かつさせます。その結けっ果か,復ふっ活かつした「正ただしくない人ひと」には,命いのちの書しょに名な前まえを書かいてもらうチャンスが与あたえられます。それらの人ひとたちにはたくさんの助たすけが必ひつ要ようです。中なかには,非ひ常じょうに悪わるいことを行おこなっていた人ひともいるでしょう。ですから,エホバの正ただしい基き準じゅんに従したがって生いきることについて教おしえてもらう必ひつ要ようがあります。それで,神かみの王おう国こくは史し上じょう最さい大だいの教きょう育いくプログラムを行おこないます。

「命いのちの書しょ」にはどんな人ひとの名な前まえが記しるされているか

記しるされている

天てんに行いくよう選えらばれた者ものたち。天てんでイエスと共ともに統とう治ちする。

「正ただしい人ひと」。死しに至いたるまでエホバに忠ちゅう実じつだった人ひとたち。地ち上じょうに復ふっ活かつしてくる。

ほかの羊ひつじの大だい群ぐん衆しゅう。現げん在ざいエホバに仕つかえていて,地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もっている人ひとたち。

記しるされていない

ヤギ。エホバを退しりぞける邪じゃ悪あくな人ひとたちや,聖せいなる力ちからに対たいしてあえて罪つみを犯おかす人ひとたち。ハルマゲドンで滅ほろぼされる。

「正ただしくない人ひと」。エホバに忠ちゅう実じつではなかったものの,地ち上じょうに復ふっ活かつしてくる人ひとたち。命いのちの書しょに名な前まえを書かいてもらうチャンスが与あたえられる。

12. (ア)誰だれが正ただしくない人ひとを教おしえますか。(イ)教おしえられたことを実じっ践せんしようとしない人ひとたちは,どうなりますか。

12 誰だれが正ただしくない人ひとを教おしえるのでしょうか。大だい群ぐん衆しゅうと,復ふっ活かつしてきた正ただしい人ひとです。正ただしくない人ひとは命いのちの書しょに名な前まえを書かいてもらうために,エホバと親したしくなり,エホバに献けん身しんする必ひつ要ようがあります。イエス・キリストや,イエスと共ともに裁さばく者ものたちは,こうした人ひとたちの進しん歩ぽに深ふかい関かん心しんを抱いだいています。(啓けい 20:4)とはいえ,与あたえられる助たすけをはねつけるなら,たとえ100歳さいであったとしても滅ほろぼされることになります。(イザ 65:20)エホバとイエスは,人ひとの心こころを読よむことができます。そして,誰だれかが新あたらしい世せ界かいの平へい和わや美うつくしさを損そこなうようなことを決けっして許ゆるしません。(イザ 11:9; 60:18; 65:25。ヨハ 2:25)

命いのちの復ふっ活かつと裁さばきの復ふっ活かつ

13-14. (ア)これまで私わたしたちは,ヨハネ 5章しょう29節せつにあるイエスの言こと葉ばをどのように理り解かいしていましたか。(イ)この聖せい句くのどんな点てんに注ちゅう目もくする必ひつ要ようがありますか。

13 イエスも,地ち上じょうに復ふっ活かつしてくる人ひとたちについて教おしえました。ある時とき,こう言いいました。「記き念ねんの墓はかの中なかにいる人ひとが皆みな,彼かれの声こえを聞きいて出でてくる時ときが来くるのです。良よいことをした人ひとは命いのちの復ふっ活かつへ,悪わるいことを行おこなった人ひとは裁さばきの復ふっ活かつへと出でてきます」。(ヨハ 5:28,29)これはどういう意い味みでしょうか。

14 私わたしたちはこれまで,この聖せい句くは人ひとが復ふっ活かつした後あとに行おこなうことについて述のべている,と理り解かいしていました。つまり,復ふっ活かつした人ひとの中なかには,良よいことをする人ひともいれば,悪わるいことを行おこなう人ひともいる,と考かんがえていました。でもイエスは,記き念ねんの墓はかから出でてくる人ひとが良よいことをするとか,悪わるいことを行おこなうとは言いいませんでした。過か去こ形けいを使つかい,「良よいことをした」,「悪わるいことを行おこなった」と述のべています。ですから,これらの行おこないは,死しぬ前まえのものであることが分わかります。確たしかにその通とおりではないでしょうか。新あたらしい世せ界かいでは,悪わるいことを行おこなうことは誰だれにも許ゆるされないからです。それで,正ただしくない人ひとが悪わるいことを行おこなったのは,死しぬ前まえであるに違ちがいありません。では,イエスが述のべた「命いのちの復ふっ活かつ」や「裁さばきの復ふっ活かつ」という言こと葉ばには,どんな意い味みがあるのでしょうか。

15. 「命いのちの復ふっ活かつ」を経けい験けんするのはどんな人ひとですか。なぜそう言いえますか。

15 死しぬ前まえに良よいことをした正ただしい人ひとは,「命いのちの復ふっ活かつ」を経けい験けんします。それらの人ひとたちの名な前まえは,命いのちの書しょにすでに記しるされているからです。つまり,ヨハネ 5章しょう29節せつに出でてくる「良よいことをした人ひと」の復ふっ活かつと,使し徒と 24章しょう15節せつに出でてくる「正ただしい人ひと」の復ふっ活かつは,同おなじものを指さしているということです。この理り解かいは,ローマ 6章しょう7節せつの次つぎの言こと葉ばと調ちょう和わしています。「死しんだ人ひとは自じ分ぶんの罪つみから放ほう免めんされている」。正ただしい人ひとが犯おかした罪つみは,その人ひとが死しんだ時ときに帳ちょう消けしにされますが,その人ひとが忠ちゅう実じつに歩あゆんだ記き録ろくは,消けされずに残のこります。(ヘブ 6:10)とはいえ,復ふっ活かつした正ただしい人ひとは,命いのちの書しょから名な前まえを消けされないようにするために,忠ちゅう実じつを保たもつ必ひつ要ようがあります。

16. 「裁さばきの復ふっ活かつ」という表ひょう現げんにはどんな意い味みがありますか。

16 死しぬ前まえに悪わるいことを行おこなった人ひとたちについてはどうでしょうか。その人ひとたちも,死しによって罪つみは帳ちょう消けしにされています。とはいえ,エホバに忠ちゅう実じつではなかったので,命いのちの書しょに名な前まえが記しるされてはいません。それで,「悪わるいことを行おこなった人ひと」の復ふっ活かつと,使し徒と 24章しょう15節せつに出でてくる「正ただしくない人ひと」の復ふっ活かつは,同おなじものを表あらわしています。そして,この復ふっ活かつは「裁さばきの復ふっ活かつ」となります。c 正ただしくない人ひとは,命いのちの書しょに名な前まえを記しるされるのにふさわしいかどうかを判はん断だんされる,という意い味みで裁さばかれるのです。(ルカ 22:30)これには時じ間かんがかかります。正ただしくない人ひとは,以い前ぜんの良よくない生いき方かたをやめ,エホバに献けん身しんして初はじめて,命いのちの書しょに名な前まえを書かいてもらうことができます。

17-18. 地ち上じょうに復ふっ活かつしてくる人ひとたちは皆みな,どんなことを行おこなう必ひつ要ようがありますか。啓けい示じ 20章しょう12,13節せつで述のべられている「行おこない」とは何なんのことですか。

17 以い前ぜんに「正ただしい人ひと」だったか「正ただしくない人ひと」だったかに関かかわらず,復ふっ活かつしてくる人ひとは皆みな,千せん年ねん統とう治ちの間あいだに開ひらかれる新あたらしい巻まき物ものに書かかれているおきてに従したがう必ひつ要ようがあります。使し徒とヨハネは,幻まぼろしの中なかで見みたことについてこう述のべました。「さらに見みると,死しんだ人ひと々びとが,大おおきな者ものも小ちいさな者ものも,王おう座ざの前まえに立たっており,数かず々かずの巻まき物ものが開ひらかれた。別べつの巻まき物もの,すなわち命いのちの巻まき物ものも開ひらかれた。死しんだ人ひと々びとは,数かず々かずの巻まき物ものに書かかれている事こと柄がらに基もとづき,各かく自じの行おこないに応おうじて裁さばかれた」。(啓けい 20:12,13)

18 生いき返かえってくる人ひとたちは,どんな「行おこない」に基もとづいて裁さばかれるのでしょうか。死しぬ前まえの行おこないでしょうか。そうではありません。その人ひとたちの罪つみは死しによって帳ちょう消けしにされているからです。それで,ここで述のべられている「各かく自じの行おこない」が死しぬ前まえの行おこないであるはずはありません。そうではなく,新あたらしい世せ界かいで与あたえられる教きょう育いくに応おうじてどう行こう動どうするか,ということです。ノア,サムエル,ダビデ,ダニエルといった忠ちゅう実じつな人ひとたちでさえ,イエス・キリストについて学まなび,イエスの犠ぎ牲せいに信しん仰こうを抱いだく必ひつ要ようがあります。そうであれば,正ただしくない人ひとはなおのことそうではないでしょうか。

19. この素す晴ばらしいチャンスを退しりぞける人ひとはどうなりますか。

19 この素す晴ばらしいチャンスを退しりぞける人ひとはどうなるのでしょうか。啓けい示じ 20章しょう15節せつにはこうあります。「命いのちの書しょに名な前まえが書かかれていない者ものは皆みな,火ひの湖みずうみに投なげ込こまれた」。つまり,永えい遠えんに滅ほろぼされることになるのです。ですから,命いのちの書しょに名な前まえが記しるされるようにし,それが消けされないようにするのは,本ほん当とうに重じゅう要ようなことです。

楽園で,1人の兄弟が復活してきた人たちを教えている。地図や図を使って,ダニエル 2章に出てくるネブカドネザルの夢の像の意味を説明している。

1人ひとりの兄きょう弟だいが,千せん年ねん統とう治ちの間あいだに行おこなわれる大だい規き模ぼな教きょう育いくプログラムで教おしえている。(20節せつを参さん照しょう。)

20. 千せん年ねん統とう治ちの間あいだには,わくわくするどんなことが行おこなわれていきますか。(表ひょう紙しの絵えを参さん照しょう。)

20 千せん年ねん統とう治ちは,本ほん当とうにわくわくするような時ときとなるでしょう。その時とき,地ち上じょうで史し上じょう最さい大だい規き模ぼの教きょう育いくプログラムが行おこなわれます。そして,正ただしい人ひとも正ただしくない人ひとも,エホバの統とう治ちに喜よろこんで従したがうかどうかを試ためされることになります。(イザ 26:9。使し徒と 17:31)では,この教きょう育いくプログラムはどのようにして行おこなわれていくのでしょうか。次つぎの記き事じを学まなぶと,この点てんについての理り解かいと感かん謝しゃを深ふかめることができるでしょう。

どのように答こたえますか

  • 「命いのちの書しょ」にはどんな人ひとの名な前まえが記しるされていますか。

  • 「命いのちの復ふっ活かつ」とは何なんですか。

  • 「裁さばきの復ふっ活かつ」とは何なんですか。

147番ばんの歌うた 約やく束そくされた永えい遠えんの命いのち

a この記き事じでは,ヨハネ 5章しょう28,29節せつにあるイエスの言こと葉ばに関かんする理り解かいの調ちょう整せいを取とり上あげます。そこには,「命いのちの復ふっ活かつ」と「裁さばきの復ふっ活かつ」のことが述のべられています。それぞれの復ふっ活かつは何なにを表あらわしているか,それぞれには誰だれが関かん係けいしているのかを考かんがえます。

b この書しょが書かき始はじめられたのは,「世よが始はじまっ[た]」時ときです。この「世よ」とは,罪つみから買かい戻もどされる人ひと々びとの世よのことです。(マタ 25:34。啓けい 17:8)ですから,命いのちの書しょに最さい初しょに名な前まえが記しるされたのは,アベルだと考かんがえられます。

c これまで私わたしたちは,ここで用もちいられている「裁さばき」という言こと葉ばが,処しょ罰ばつや有ゆう罪ざい判はん決けつを表あらわしていると理り解かいしていました。確たしかに,「裁さばき」という言こと葉ばはそうした意い味みで使つかわれることもあります。とはいえ,この文ぶん脈みゃくでイエスは「裁さばき」という言こと葉ばをもっと広ひろい意い味みで使つかっていたようです。つまり,評ひょう価かや観かん察さつを行おこなうこと,あるいは,あるギリシャ語ごの辞じ典てんが述のべているように,「行いいを精せい査さすること」という意い味みで述のべていたと思おもわれます。

    日本語出版物(1953-2027)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする