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聖書 Q&A
イ聖 記事120
イエスが苦しみの杭を運んでいる。

イエスは何なんのために死しにましたか

聖せい書しょの答こたえ

イエスの死しにより,人じん類るいは罪つみの許ゆるしと終おわりのない命いのちを受うけられるようになりました。(ローマ 6:23。エフェソス 1:7)さらに,人にん間げんは極きょく度どの試し練れんに直ちょく面めんしても神かみへの忠ちゅう節せつを保たもつことができる,ということが証しょう明めいされました。(ヘブライ 4:15)

どうして1人ひとりの人ひとの死しによってこれほどのことが成なし遂とげられたのでしょうか。考かんがえてみましょう。

  1. イエスは「罪つみの許ゆるし」のために死しんだ(コロサイ 1:14)

    最さい初しょの人にん間げんアダムは,罪つみのない完かん全ぜんな者ものとして創そう造ぞうされました。しかし,アダムは神かみに背そむくことを選えらびました。アダムの不ふ従じゅう順じゅん,つまり罪つみは,子し孫そんすべてに大おおきな影えい響きょうを及およぼしました。聖せい書しょは,「一人ひとりの人ひとの不ふ従じゅう順じゅんを通とおして多おおくの者ものが罪つみ人びととされた」と説せつ明めいしています。(ローマ 5:19)

    イエスも完かん全ぜんでした。しかし,罪つみを犯おかすことはありませんでした。それで,イエスは「わたしたちの罪つみのためのなだめの犠ぎ牲せい」となることができました。(ヨハネ第だい一いち 2:2)アダムの不ふ従じゅう順じゅんによって,人じん類るいは罪つみで汚お染せんされましたが,イエスの死しによって,イエスに信しん仰こうを働はたらかせる人ひとは皆みな,罪つみという汚お点てんを取とり除のぞかれたのです。

    アダムはある意い味みで,人じん類るいを罪つみに売うり渡わたしました。イエスはわたしたちのために進すすんで死しぬことにより,人じん類るいをご自じ分ぶんのものとして買かい戻もどしてくださいました。ですから,「もしだれかが罪つみを犯おかすことがあっても,わたしたちには父ちちのもとに助たすけ手て,すなわち義ぎなる方かたイエス・キリストがおられ」るのです。(ヨハネ第だい一いち 2:1)

  2. イエスは,死しぬことにより「だれでも彼かれに信しん仰こうを働はたらかせるものが滅ほろぼされないで,永えい遠えんの命いのちを持もてるようにされた」(ヨハネ 3:16)

    アダムは永えい遠えんに生いきるように創そう造ぞうされましたが,罪つみを犯おかしたため,死しという罰ばつを受うけました。アダムを通とおして「罪つみが世よに入はいり,罪つみを通とおして死しが入はいり,こうして死しが,すべての人ひとが罪つみをおかしたがゆえにすべての人ひとに広ひろが」りました。(ローマ 5:12)

    対たい照しょう的てきにイエスの死しは,イエスに信しん仰こうを働はたらかせるすべての人ひとの罪つみの汚お点てんを取とり除のぞいただけでなく,死し刑けい宣せん告こくも取とり消けしました。聖せい書しょは次つぎのようにまとめています。「罪つみが死しを伴ともなって王おうとして支し配はいしたのと同おなじように,過か分ぶんのご親しん切せつもまた,わたしたちの主しゅイエス・キリストを通とおして来くる永えい遠えんの命いのちの見み込こみを伴ともないつつ,義ぎによって王おうとして支し配はい[しました]」。(ローマ 5:21)

    もちろん,人にん間げんの寿じゅ命みょうは今いまのところ限かぎられていますが,神かみは心こころの正ただしい人ひとに永えい遠えんの命いのちを与あたえると約やく束そくしておられます。イエスの犠ぎ牲せいの死しから恩おん恵けいを受うけられるよう,神かみは亡なくなった人ひとも復ふっ活かつさせます。(詩し編へん 37:29。コリント第だい一いち 15:22)

  3. イエスは「死しに至いたるまで従じゅう順じゅんにな[った]」ので,どんな試こころみや試し練れんのもとでも人にん間げんは神かみへの忠ちゅう実じつを保たもてることを証しょう明めいした(フィリピ 2:8)

    アダムは,完かん全ぜんな心こころと体からだを持もっていたにもかかわらず,利り己こ的てきにも自じ分ぶんのものではないものを欲ほっしたため,神かみに背そむきました。(創そう世せい記き 2:16,17; 3:6)後のちに,神かみの主しゅ要ような敵てきであるサタンは,無む私しの態たい度どで神かみに従したがっている人にん間げんなど1人ひとりもおらず,自じ分ぶんの命いのちがかかっていればなおさら従したがわないだろうとほのめかしました。(ヨブ 2:4)しかし,完かん全ぜんな人ひとであったイエスは,不ふ名めい誉よで苦く痛つうを伴ともなう死しを遂とげることになっても,神かみに従したがい,忠ちゅう節せつを保たもちました。(ヘブライ 7:26)どんな試し練れんや試こころみが降ふりかかったとしても,人にん間げんが神かみへの忠ちゅう実じつを保たもつことは可か能のうである,ということがはっきり証しょう明めいされたのです。

苦しみの杭に掛けられているイエス。その両側には強盗も掛けられている。

イエスの死しに関かんする疑ぎ問もん

  • 人じん類るいを買かい戻もどすためにイエスが苦くるしんで死しぬ必ひつ要ようがあったのはなぜか 神かみが死しの宣せん告こくを取とり消けすだけでよかったのではないか

    「罪つみの報むくいは死し」である,と神かみの律りっ法ぽうは述のべています。(ローマ 6:23)神かみは,この律りっ法ぽうをアダムに隠かくすことなく,不ふ従じゅう順じゅんの罰ばつは死しであると告つげておられました。(創そう世せい記き 3:3)神かみは「偽いつわることのできない」方かたなので,アダムが罪つみを犯おかした時とき,ご自じ分ぶんの言こと葉ばを曲まげることはされませんでした。(テトス 1:2)アダムは子し孫そんに罪つみだけでなく,罪つみの報むくい,つまり死しも伝つたえることになりました。

    罪つみを受うけ継ついだ人にん間げんは,死しという罰ばつを受うけて当とう然ぜんですが,神かみは「過か分ぶんのご親しん切せつの富とみ」を差さし伸のべてくださいました。(エフェソス 1:7)人じん類るいを買かい戻もどすための神かみの備そなえ,つまりイエスを完かん全ぜんな犠ぎ牲せいとして地ちに遣つかわすことは,全まったく公こう正せいで,極きわめて憐あわれみ深ぶかいことでした。

  • イエスはいつ亡なくなったか

    イエスは,ユダヤ人じんの過すぎ越こしの日ひに亡なくなりました。時じ刻こくは日ひの出でから数かぞえて「第だい九く時じ」,つまり午ご後ご3時じごろでした。(マルコ 15:33-37,脚きゃく注ちゅう)現げん代だいの暦こよみによれば,その日ひは西せい暦れき33年ねん4月がつ1日ついたちの金きん曜よう日びに当あたります。

  • イエスはどこで亡なくなったか

    イエスは,「いわゆる“どくろの場ば所しょ”……ヘブライ語ごでゴルゴタと呼よばれる所ところ」で処しょ刑けいされました。(ヨハネ 19:17,18)イエスの時じ代だい,この場ば所しょはエルサレムの「門もんの外そと」にありました。(ヘブライ 13:12)イエスの処しょ刑けいを「やや離はなれたところ」から見みていた人ひとたちもいた,と聖せい書しょは述のべていることから,丘おかの上うえに位い置ちしていたのかもしれません。(マルコ 15:40)しかし現げん在ざいでは,ゴルゴタの場ば所しょについて確たしかなことは分わかりません。

  • イエスはどのように亡なくなったか

    イエスは十じゅう字じ架かに磔はりつけにされて処しょ刑けいされた,と多おおくの人ひとは信しんじていますが,聖せい書しょには「あなたがたが木きにつけて殺ころしたイエス」と書かかれています。(使し徒と 5:30,「新しん共きょう同どう訳やく」,日に本ほん聖せい書しょ協きょう会かい)聖せい書しょ筆ひっ者しゃはイエスの処しょ刑けいに使つかわれた道どう具ぐを示しめすのに,スタウロスとクシュロンというギリシャ語ごの2つの言こと葉ばを使つかいました。これらは1本ぽんの梁はり材ざい,またはまっすぐな杭くいを指さしていると多おおくの学がく者しゃは結けつ論ろんしています。

  • イエスの死しをどのように記き念ねんすべきか

    ユダヤ人じんの年としごとの過すぎ越こしの日ひの夜よる,イエスは追つい随ずい者しゃたちのためにシンプルな手て順じゅんを制せい定ていし,「わたしの記き念ねんとしてこれを行おこなってゆきなさい」と命めいじました。(コリント第だい一いち 11:24)その後ご,イエスは処しょ刑けいされました。

    聖せい書しょ筆ひっ者しゃたちは,イエスを過すぎ越こしでささげられた子こ羊ひつじに例たとえています。(コリント第だい一いち 5:7)過すぎ越こしの祝いわいが,イスラエル人じんたちに奴ど隷れい状じょう態たいからの解かい放ほうを思おもい起おこさせたのと同おなじように,イエス・キリストの死しの記き念ねん式しきも,クリスチャンに罪つみと死しからの解かい放ほうを思おもい起おこさせます。過すぎ越こしは,太たい陰いん暦れきのニサン14日かに毎まい年とし祝いわわれました。同どう様ように,初しょ期きクリスチャンたちも年としごとに記き念ねん式しきを守まもり行おこないました。

    毎まい年とし,ニサン14日かに当あたる日ひに,世せ界かい中じゅうで何なん百びゃく万まんもの人ひと々びとがイエスの死しを記き念ねんします。

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