1. パウロたちは今 こん 後 ご どうなることを確 かく 信 しん していますか。
時 とき は59年 ねん ごろ,地 ち 中 ちゅう 海 かい のマルタ島 とう から出 しゅっ 航 こう した船 ふね がイタリアに向 む かっています。大 おお 型 がた の穀 こく 物 もつ 輸 ゆ 送 そう 船 せん と思 おも われ,「ゼウスの子 こ たち」の船 せん 首 しゅ 像 ぞう が付 つ いています。護 ご 送 そう 中 ちゅう のパウロと,仲 なか 間 ま のルカとアリスタルコが乗 の っています。(使 し 徒 と 27:2 )乗 のり 組 くみ 員 いん たちとは違 ちが い,3人 にん はギリシャの神 かみ ゼウスの子 こ たち(双 ふた 子 ご の兄 きょう 弟 だい カストルとポリュクス)に守 まも ってもらおうとは思 おも いません。(スタディー版 ばん の使 し 徒 と 28:11 の注 ちゅう 釈 しゃく を参 さん 照 しょう 。)パウロたちはエホバ神 かみ に頼 たよ っています。パウロはエホバから,ローマでも神 かみ の王 おう 国 こく について語 かた り,カエサルの前 まえ に立 た つことになる,と言 い われています。(使 し 徒 と 23:11; 27:24 )
2,3. パウロが乗 の った船 ふね はどんなルートを進 すす みましたか。旅 たび するパウロを誰 だれ がずっと支 ささ えてきましたか。
2 船 ふね はシチリアの美 うつく しい町 まち シラクサ(アテネやローマ並 な みの大 おお きな町 まち )に3日 か 間 かん 停 てい 泊 はく した後 あと ,レギウムへ向 む けて出 しゅっ 航 こう します。長 なが 靴 ぐつ 形 がた のイタリア半 はん 島 とう のつま先 さき に位 い 置 ち する町 まち です。南 みなみ 風 かぜ のおかげで320㌔の航 こう 路 ろ を順 じゅん 調 ちょう に進 すす み,2日 ふつか 目 め にはイタリアのポテオリ(現 げん 代 だい のナポリの近 ちか く)の港 みなと に到 とう 着 ちゃく します。(使 し 徒 と 28:12,13 )
3 ローマへの旅 たび も終 お わりに近 ちか づき,パウロは皇 こう 帝 てい ネロの前 まえ に出 で ることになっています。「あらゆる慰 なぐさ めの神 かみ 」エホバがこれまでずっと支 ささ えてくれました。(コリ二 に 1:3 )これからもエホバに支 ささ えられながら,宣 せん 教 きょう 者 しゃ のパウロは熱 あつ い思 おも いで語 かた り続 つづ けます。見 み てみましょう。
「パウロは…… 神 かみ に 感 かん 謝 しゃ し, 勇 ゆう 気 き づけられた」( 使 し 徒 と 28:14,15 )
4,5. (ア)パウロたちは,ポテオリの兄 きょう 弟 だい たちにどのように迎 むか えられましたか。パウロが自 じ 由 ゆう に行 こう 動 どう できたのはどうしてだと考 かんが えられますか。(イ)刑 けい 務 む 所 しょ でも良 よ い振 ふ る舞 ま いをすることが大 たい 切 せつ なのは,どうしてですか。
4 パウロたちは,ポテオリで「兄 きょう 弟 だい たちに出 で 会 あ い,頼 たの まれて7日 か 間 かん 一 いっ 緒 しょ に過 す ごし」ます。(使 し 徒 と 28:14 )ポテオリの兄 きょう 弟 だい たちは,パウロたちを温 あたた かくもてなしました。素 す 晴 ば らしいことです。たくさん与 あた えたかもしれませんが,得 え られたものはそれよりもずっと多 おお かったはずです。パウロたちの話 はなし を聞 き いて,神 かみ への奉 ほう 仕 し にますます打 う ち込 こ もうと思 おも ったことでしょう。とはいえ,護 ご 送 そう 中 ちゅう のパウロがどうしてそんなに自 じ 由 ゆう に行 こう 動 どう できたのでしょうか。 ローマの兵 へい 士 し たちに信 しん 頼 らい されるようになっていたから,と思 おも われます。
5 現 げん 代 だい でも,刑 けい 務 む 所 しょ や強 きょう 制 せい 収 しゅう 容 よう 所 じょ でキリストに倣 なら った振 ふ る舞 ま いをして,優 ゆう 遇 ぐう を受 う けるケースがあります。ルーマニアでは,強 ごう 盗 とう 罪 ざい で75年 ねん の刑 けい に服 ふく していた男 だん 性 せい が聖 せい 書 しょ を学 まな び始 はじ め,とても良 よ い人 ひと になりました。すると,刑 けい 務 む 所 しょ で使 つか う物 ぶっ 品 ぴん を買 か いに行 い く仕 し 事 ごと を頼 たの まれるようになりました。信 しん 頼 らい されていたので,監 かん 視 し なしで町 まち に買 か い物 もの に行 い きました。いつも誠 せい 実 じつ でいることは大 たい 切 せつ です。そうすれば,エホバが褒 ほ めたたえられます。(ペテ一 いち 2:12 )
6,7. ローマの兄 きょう 弟 だい たちが仲 なか 間 ま を心 こころ から愛 あい していたことは,どんなことから分 わ かりますか。
6 ポテオリを出 で たパウロたちは,アッピア街 かい 道 どう をおそらく50㌔ほど歩 ある いてカプアに行 い きます。アッピア街 かい 道 どう はローマへ通 つう じる有 ゆう 名 めい な道 みち で,大 おお きな平 ひら たい火 か 山 ざん 岩 がん が敷 し き詰 つ められていました。途 と 中 ちゅう ,イタリアの美 うつく しい田 でん 園 えん 風 ふう 景 けい が見 み 渡 わた せ,きれいな地 ち 中 ちゅう 海 かい が見 み える場 ば 所 しょ もあります。ローマから60㌔ぐらい手 て 前 まえ にはポンティノ湿 しっ 地 ち があり,そこにアピウスの市 いち 場 ば がありました。ルカの記 き 録 ろく によれば,ローマの兄 きょう 弟 だい たちは「[パウロたち]についての知 し らせを聞 き いて」,アピウスの市 いち 場 ば まで迎 むか えに来 き ました。ほかにも,ローマから約 やく 50㌔の休 きゅう 憩 けい 所 じょ ,三 さん 軒 げん 宿 じゅく まで来 き て,そこで待 ま つ人 ひと たちもいました。パウロたちを本 ほん 当 とう に愛 あい していたことが分 わ かります。(使 し 徒 と 28:15 )
7 疲 つか れてやって来 き た旅 たび 人 びと にとって,アピウスの市 いち 場 ば は心 ここ 地 ち よい場 ば 所 しょ とはとても言 い えませんでした。ローマの詩 し 人 じん で風 ふう 刺 し 家 か のホラティウスは,アピウスの市 いち 場 ば は「船 ふな 乗 の りや無 ぶ 愛 あい 想 そう な宿 やど 屋 や の主 しゅ 人 じん でいっぱいだった」と書 か いています。さらに,「そこの水 みず は最 さい 悪 あく だった」と書 か いていて,そこで食 しょく 事 じ もしませんでした。兄 きょう 弟 だい たちはローマからそんな居 い 心 ごこ 地 ち の悪 わる い場 ば 所 しょ にやって来 き て,パウロたちを待 ま ち,ローマまで付 つ き添 そ いました。
8. パウロが「兄 きょう 弟 だい たちを見 み ると」,神 かみ に感 かん 謝 しゃ したのはどうしてですか。
8 「パウロは兄 きょう 弟 だい たちを見 み ると,神 かみ に感 かん 謝 しゃ し,勇 ゆう 気 き づけられた」と書 か かれています。(使 し 徒 と 28:15 )パウロがもともと知 し っていた人 ひと も,兄 きょう 弟 だい たちの中 なか にいたかもしれません。いずれにしても,パウロは兄 きょう 弟 だい たちの姿 すがた を見 み ただけで,心 こころ 強 づよ く感 かん じ,元 げん 気 き が出 で ました。神 かみ に感 かん 謝 しゃ したのはどうしてでしょうか。純 じゅん 粋 すい な愛 あい は,神 かみ の聖 せい なる力 ちから が生 う み出 だ すものの一 いち 面 めん だからです。(ガラ 5:22 )現 げん 代 だい のクリスチャンも聖 せい なる力 ちから に動 うご かされて,困 こま っている仲 なか 間 ま を進 すす んで助 たす けています。(テサ一 いち 5:11, 14 )
9. ローマの兄 きょう 弟 だい たちにどのように倣 なら えますか。
9 巡 じゅん 回 かい 監 かん 督 とく ,宣 せん 教 きょう 者 しゃ ,その他 た の全 ぜん 時 じ 間 かん 奉 ほう 仕 し 者 しゃ は,エホバへの奉 ほう 仕 し のためにとても多 おお くの時 じ 間 かん を使 つか っています。聖 せい なる力 ちから は,そういう人 ひと たちのために何 なに かをしたいという気 き 持 も ちを起 お こさせます。「巡 じゅん 回 かい 監 かん 督 とく の訪 ほう 問 もん をサポートするために,自 じ 分 ぶん にできることはないだろうか。もっと歓 かん 迎 げい したりもてなしたりできるだろうか。一 いっ 緒 しょ に伝 でん 道 どう できるだろうか」などと考 かんが えてみましょう。思 おも い切 き って何 なに かをしてみると,楽 たの しい経 けい 験 けん ができるものです。ローマの兄 きょう 弟 だい たちも,パウロたちからこれまでの経 けい 験 けん を聞 き いて喜 よろこ び,信 しん 仰 こう が強 つよ まったはずです。(使 し 徒 と 15:3,4 )
10. ローマに着 つ いたパウロはどうなりましたか。間 ま もなくして,どんなことをしましたか。
10 一 いっ 行 こう がついにローマに入 はい ると,「パウロは兵 へい 士 し の監 かん 視 し の下 もと に1人 ひとり で暮 く らすことを許 きょ 可 か され」ました。(使 し 徒 と 28:16 )軟 なん 禁 きん の場 ば 合 あい ,囚 しゅう 人 じん はたいてい見 み 張 は りの兵 へい 士 し に鎖 くさり でつながれました。パウロはそうされても,神 かみ の王 おう 国 こく について語 かた るのをやめませんでした。旅 たび を終 お えてわずか3日 か を休 きゅう 息 そく に充 あ てた後 あと ,ローマにいるユダヤ人 じん の主 おも 立 だ った人 ひと たちを家 いえ に呼 よ びます。あいさつを交 か わしてから,伝 でん 道 どう を始 はじ めました。
11,12. パウロはどのように話 はな して,ユダヤ人 じん たちの感 かん 情 じょう に配 はい 慮 りょ しましたか。
11 パウロはこう言 い います。「皆 みな さん,兄 きょう 弟 だい たち,私 わたし は,民 たみ に背 そむ くことや父 ふ 祖 そ たちの習 しゅう 慣 かん に反 はん することは何 なに もしていなかったのに,エルサレムで囚 しゅう 人 じん とされ,ローマ人 じん に引 ひ き渡 わた されました。ローマ人 じん は私 わたし を取 と り調 しら べましたが,処 しょ 刑 けい の根 こん 拠 きょ が何 なに もなかったので,釈 しゃく 放 ほう しようと思 おも いました。ところが,ユダヤ人 じん が反 はん 対 たい したので,私 わたし はカエサルに上 じょう 訴 そ するしかありませんでした。とはいえ,自 じ 分 ぶん の国 こく 民 みん を訴 うった えようとしたのではありません」。(使 し 徒 と 28:17-19 )
12 パウロは「兄 きょう 弟 だい たち」と呼 よ び掛 か けました。そうやって自 じ 分 ぶん も同 おな じユダヤ人 じん であることを伝 つた え,偏 へん 見 けん を取 と り除 のぞ こうとしました。(コリ一 いち 9:20 )そして,ここに来 き たのはユダヤ人 じん を訴 うった えるためではなく,カエサルに上 じょう 訴 そ するためだと言 い います。ところが,ローマのユダヤ人 じん はパウロの上 じょう 訴 そ について何 なに も聞 き いていませんでした。(使 し 徒 と 28:21 )ユダヤ地 ち 方 ほう のユダヤ人 じん から連 れん 絡 らく が来 き ていなかったのはどうしてでしょうか。ある文 ぶん 献 けん にはこうあります。「パウロの船 ふね は,冬 ふゆ が終 お わって間 ま もなくイタリアに着 つ いた船 ふね だったに違 ちが いない。それで,エルサレムのユダヤ人 じん の権 けん 力 りょく 者 しゃ たちが派 は 遣 けん した代 だい 表 ひょう 者 しゃ たちはまだ着 つ いておらず,この件 けん に関 かん する手 て 紙 がみ もまだ届 とど いていなかったのだろう」。
13,14. パウロはどのようにして,神 かみ の王 おう 国 こく について話 はな そうとしましたか。パウロにどのように倣 なら えますか。
13 パウロは,神 かみ の王 おう 国 こく に関 かん 係 けい したトピックにさりげなく触 ふ れ,ユダヤ人 じん たちの興 きょう 味 み を引 ひ こうとします。こう言 い います。「それで,皆 みな さんと会 あ って話 はな したい,とお願 ねが いした次 し 第 だい です。私 わたし はイスラエルの希 き 望 ぼう のためにこうして鎖 くさり につながれているのです」。(使 し 徒 と 28:20 )イスラエルの希 き 望 ぼう のよりどころはメシアとメシア王 おう 国 こく であり,クリスチャン会 かい 衆 しゅう はまさにそのことについて広 ひろ く伝 つた えていました。ユダヤ人 じん の長 ちょう 老 ろう たちはこう答 こた えます。「あなたの考 かんが えをあなたから聞 き くのがいいと思 おも います。この一 いっ 派 ぱ については,各 かく 地 ち で反 はん 対 たい に遭 あ っていることを知 し っているからです」。(使 し 徒 と 28:22 )
14 パウロに倣 なら い,良 よ い知 し らせを伝 つた える時 とき に興 きょう 味 み を引 ひ くことを言 い ったり尋 たず ねたりできます。どんなことを話 はな せるかについて,「神 しん 権 けん 宣 せん 教 きょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 育 いく から益 えき を得 え る」,「読 よ むことと教 おし えることに励 はげ む」,「生 せい 活 かつ と奉 ほう 仕 し 集 しゅう 会 かい ワークブック」などの出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ からヒントを得 え られます。ぜひ参 さん 考 こう にしてみましょう。
「 徹 てっ 底 てい 的 てき に 教 おし え[た]」パウロに 倣 なら う( 使 し 徒 と 28:23-29 )
15. パウロの教 おし え方 かた のどんなところに倣 なら えますか。
15 会 あ う約 やく 束 そく をした日 ひ ,ローマのユダヤ人 じん たちが「もっと大 おお 勢 ぜい で」,パウロの家 いえ にやって来 き ます。パウロは「朝 あさ から晩 ばん まで,神 かみ の王 おう 国 こく について徹 てっ 底 てい 的 てき に教 おし えて説 せつ 明 めい し,イエスについてモーセの律 りっ 法 ぽう と預 よ 言 げん 者 しゃ の書 しょ の両 りょう 方 ほう から説 せっ 得 とく しようとし」ました。(使 し 徒 と 28:23 )パウロの教 おし え方 かた について,注 ちゅう 目 もく したいことが4つあります。(1)神 かみ の王 おう 国 こく について話 はな しました。(2)納 なっ 得 とく してもらえるように話 はな しました。(3)聖 せい 書 しょ を使 つか って説 せつ 明 めい しました。(4)「朝 あさ から晩 ばん まで」精 せい 力 りょく 的 てき に教 おし えました。私 わたし たちも同 おな じようにしたいと思 おも います。聞 き いていた人 ひと たちはどうしたでしょうか。「信 しん じるようになる人 ひと もいれば,信 しん じようとしない人 ひと もい」ました。意 い 見 けん が分 わ かれ,「人 ひと 々 びと が立 た ち去 さ り始 はじ め」た,とルカは記 き 録 ろく しています。(使 し 徒 と 28:24,25前 ぜん 半 はん )
16-18. ローマのユダヤ人 じん の中 なか に信 しん じない人 ひと がいても,パウロが動 どう 揺 よう しなかったのはどうしてですか。伝 でん 道 どう で冷 つめ たくあしらわれるとき,パウロにどのように倣 なら えますか。
16 信 しん じない人 ひと がいても,パウロは別 べつ に動 どう 揺 よう しませんでした。聖 せい 書 しょ の預 よ 言 げん 通 どお りでしたし,これまでもよくあったことでした。(使 し 徒 と 13:42-47; 18:5,6; 19:8,9 )それで,立 た ち去 さ る人 ひと たちにこう言 い います。「預 よ 言 げん 者 しゃ イザヤは聖 せい なる力 ちから によって皆 みな さんの父 ふ 祖 そ たちに適 てき 切 せつ に語 かた り,こう述 の べました。『この民 たみ の所 ところ に行 い って言 い いなさい。「あなたたちは確 たし かに聞 き くが,決 けっ して理 り 解 かい せず,確 たし かに目 め を向 む けるが,決 けっ して見 み えない。この民 たみ は心 こころ が鈍 にぶ くな[って]しまったからである」』」。(使 し 徒 と 28:25後 こう 半 はん -27 )「心 こころ が鈍 にぶ くなり」と訳 やく されている部 ぶ 分 ぶん は,「心 こころ が厚 あつ くされ」とか「心 こころ が太 ふと らされ」とも訳 やく すことができ,神 かみ の王 おう 国 こく の良 よ い知 し らせが心 こころ に入 はい っていかなくなった状 じょう 態 たい を表 あらわ しています。そうなってしまうのは,とても残 ざん 念 ねん なことです。(スタディー版 ばん の使 し 徒 と 28:27 の脚 きゃく 注 ちゅう を参 さん 照 しょう 。)
17 ユダヤ人 じん は信 しん じませんでしたが,パウロは,「異 い 国 こく の人 ひと 々 びと ……はきっと耳 みみ を傾 かたむ けます」と最 さい 後 ご に言 い います。(使 し 徒 と 28:28。詩 し 67:2。イザ 11:10 )パウロは,確 かく 信 しん を持 も ってそう言 い えました。これまで,たくさんの異 い 国 こく 人 じん が良 よ い知 し らせを聞 き いて生 い き方 かた を変 か えるのを見 み てきたからです。(使 し 徒 と 13:48; 14:27 )
18 パウロのように,伝 でん 道 どう で冷 つめ たくあしらわれてもがっかりしないようにしましょう。「命 いのち に至 いた る」生 い き方 かた をする人 ひと は少 すく ない,と聖 せい 書 しょ に書 か かれているからです。(マタ 7:13,14 )誠 せい 実 じつ に耳 みみ を傾 かたむ ける人 ひと がエホバに喜 よろこ ばれる生 い き方 かた を始 はじ めるとき,一 いっ 緒 しょ に喜 よろこ び,温 あたた かく迎 むか え入 い れましょう。(ルカ 15:7 )
19. できることが限 かぎ られていても,パウロはどのようにベストを尽 つ くしましたか。
19 「使 し 徒 と の活 かつ 動 どう 」の記 き 録 ろく は,前 まえ 向 む きなトーンで締 し めくくられています。「パウロは,借 か り た家 いえ に丸 まる 2年 ねん とどまり,会 あ いに来 く る人 ひと を皆 みな 親 しん 切 せつ に迎 むか え,妨 さまた げられることなく,少 すこ しも気 き 後 おく れせずに,神 かみ の王 おう 国 こく について伝 つた えたり主 しゅ イエス・キリストについて教 おし えたりした」。(使 し 徒 と 28:30,31 )パウロはやって来 く る人 ひと を歓 かん 迎 げい し,信 しん 仰 こう を貫 つらぬ き,熱 あつ い心 こころ で伝 でん 道 どう を続 つづ けました。
20,21. 軟 なん 禁 きん 中 ちゅう のパウロから,どんな人 ひと たちが良 よ い感 かん 化 か を受 う けましたか。
20 パウロが温 あたた かく迎 むか えた人 ひと の中 なか に,オネシモがいます。オネシモは逃 とう 亡 ぼう 奴 ど 隷 れい で,コロサイから逃 に げてきていました。オネシモはパウロに教 おし えられてクリスチャンになり,「[パウロ]の愛 あい する忠 ちゅう 実 じつ な兄 きょう 弟 だい 」になりました。パウロは,オネシモは「自 じ 分 ぶん の子 こ のよう」で,自 じ 分 ぶん は「父 ちち 親 おや も同 どう 然 ぜん 」だ,と言 い っています。(コロ 4:9。 フィレ 10-12 )パウロは,オネシモがいてくれてとてもうれしかったはずです。
21 パウロのめげない姿 し 勢 せい は,オネシモ以 い 外 がい の人 ひと たちにも良 よ い感 かん 化 か を与 あた えました。パウロはフィリピのクリスチャンにこう書 か いています。「私 わたし の身 み に起 お きたことにより,良 よ い知 し らせはとどめられるどころか,かえって広 ひろ まっています。私 わたし がキリストのために拘 こう 禁 きん されていることが,親 しん 衛 えい 隊 たい の全 ぜん 員 いん とほかのあらゆる人 ひと たちに知 し られるようになっています。そして,私 わたし が拘 こう 禁 きん されていることで,主 しゅ に従 したが う兄 きょう 弟 だい たちの大 たい 半 はん が確 かく 信 しん を持 も ち,恐 おそ れることなく,ますます勇 ゆう 敢 かん に神 かみ の言 こと 葉 ば を語 かた っています」。(フィリ 1:12-14 )
22. パウロは軟 なん 禁 きん 中 ちゅう にどんなこともしましたか。
22 パウロは軟 なん 禁 きん 中 ちゅう に手 て 紙 がみ を何 なん 通 つう か書 か きました。現 げん 在 ざい ギリシャ語 ご 聖 せい 書 しょ の一 いち 部 ぶ になっている手 て 紙 がみ です。 当 とう 時 じ のクリスチャンたちは手 て 紙 がみ から多 おお くのことを学 まな びました。パウロが聖 せい なる力 ちから に導 みちび かれて書 か いた手 て 紙 がみ なので,今 いま も役 やく 立 だ ち,私 わたし たちも多 おお くのことを学 まな べます。(テモ二 に 3:16,17 )
ローマでの1 度 ど 目 め の 拘 こう 禁 きん の 間 あいだ にパウロが 書 か いた5 通 つう の 手 て 紙 がみ
使 し 徒 と パウロの手 て 紙 がみ のうち5通 つう は,ローマでの1度 ど 目 め の拘 こう 禁 きん の間 あいだ に書 か かれました。60年 ねん から61年 ねん ごろのことです。パウロは,クリスチャンだった「フィレモンへの 手 て 紙 がみ 」 の中 なか で,フィレモンの所 ところ から逃 に げ出 だ した奴 ど 隷 れい オネシモについて書 か きました。パウロはオネシモのことをわが子 こ のように思 おも っていました。オネシモは「以 い 前 ぜん は……役 やく に立 た 」たない奴 ど 隷 れい でしたが,今 いま はクリスチャンになっていて,主 しゅ 人 じん のフィレモンにとっても愛 あい すべき兄 きょう 弟 だい です。パウロは手 て 紙 がみ でそのことをフィレモンに伝 つた え,オネシモを送 おく り返 かえ しました。(フィレ 10-12, 16 )
パウロは「コロサイのクリスチャンへの 手 て 紙 がみ 」 の中 なか で,オネシモが「皆 みな さんの所 ところ から来 き た」と言 い っています。(コロ 4:9 )オネシモとテキコは,「フィレモンへの手 て 紙 がみ 」,「コロサイのクリスチャンへの手 て 紙 がみ 」,「エフェソスのクリスチャンへの 手 て 紙 がみ 」 を届 とど ける役 やく 目 め を果 は たしました。(エフェ 6:21 )
パウロは「フィリピのクリスチャンへの 手 て 紙 がみ 」 の中 なか で,自 じ 分 ぶん が「拘 こう 禁 きん されている」と言 い い,手 て 紙 がみ を届 とど ける人 ひと についても書 か いています。手 て 紙 がみ を届 とど けるのはエパフロデトです。エパフロデトは,フィリピのクリスチャンたちがパウロをサポートするために送 おく り出 だ した兄 きょう 弟 だい でした。でも,病 びょう 気 き になり,命 いのち にかかわるほど悪 わる くなりました。また「自 じ 分 ぶん が病 びょう 気 き になったのを……知 し られたことで」気 き 落 お ちしていました。それでパウロは,「彼 かれ のような人 ひと 」を大 たい 切 せつ にするようにと書 か いています。(フィリ 1:7; 2:25-30 )
「ヘブライ 人 じん のクリスチャンへの 手 て 紙 がみ 」 は,ユダヤにいるヘブライ人 じん のクリスチャンに宛 あ てて書 か かれました。誰 だれ が書 か いたかははっきり書 か かれていませんが,パウロだといえます。パウロらしい論 ろん じ方 かた の手 て 紙 がみ です。パウロはイタリアからあいさつを伝 つた え,一 いっ 緒 しょ にローマにいたテモテのことに触 ふ れています。(フィリ 1:1。 コロ 1:1。 フィレ 1。 ヘブ 13:23,24 )
23,24. 現 げん 代 だい のクリスチャンはパウロにどのように倣 なら っていますか。
23 パウロの釈 しゃく 放 ほう については「使 し 徒 と の活 かつ 動 どう 」に書 か かれていませんが,合 あ わせて4年 ねん ほど拘 こう 禁 きん されていたことになります。カエサレアで2年 ねん ,ローマで2年 ねん です。 (使 し 徒 と 23:35; 24:27 )それでも,パウロの心 こころ はいつも前 まえ 向 む きで,エホバのためにできる限 かぎ りのことをしました。現 げん 代 だい でも,信 しん 仰 こう を貫 つらぬ いて刑 けい 務 む 所 しょ に入 い れられたエホバの証 しょう 人 にん たちが,パウロと同 おな じようにしています。スペインのアドルフォは,兵 へい 役 えき を拒 きょ 否 ひ したために監 かん 房 ぼう に入 い れられました。ある士 し 官 かん はこう言 い いました。「君 きみ には全 まった く感 かん 心 しん するよ。われわれは君 きみ の生 せい 活 かつ を耐 た え難 がた いものにしてきた。それなのに,厳 きび しい仕 し 打 う ちをすればするほど,君 きみ はより笑 え 顔 がお になり,優 やさ しい話 はな し方 かた をした」。
24 アドルフォはとても信 しん 頼 らい されるようになり,監 かん 房 ぼう の扉 とびら が開 あ けっ放 ぱな しにされました。兵 へい 士 し たちが聖 せい 書 しょ について尋 たず ねによくやって来 き ました。見 み 張 は りの兵 へい 士 し の1人 ひとり は,監 かん 房 ぼう の中 なか に入 はい って聖 せい 書 しょ を読 よ むようになりました。その間 かん ,アドルフォが見 み 張 は りをしました。囚 しゅう 人 じん が監 かん 房 ぼう で見 み 張 は りをしたのです。こういう例 れい を知 し ると,「恐 おそ れることなく,ますます勇 ゆう 敢 かん に神 かみ の言 こと 葉 ば を語 かた 」ろうという気 き 持 も ちになります。
25,26. イエスが弟 で 子 し たちに与 あた えた任 にん 務 む は,30年 ねん 足 た らずのうちにどんな進 しん 展 てん を見 み ましたか。現 げん 代 だい はどうですか。
25 軟 なん 禁 きん されていても,パウロはやって来 く る人 ひと たちに「神 かみ の王 おう 国 こく について伝 つた え」ました。「使 し 徒 と の活 かつ 動 どう 」の締 し めくくりに何 なん ともふさわしいエピソードです。宣 せん 教 きょう に打 う ち込 こ んだ使 し 徒 と たちの物 もの 語 がたり は,最 さい 後 ご も伝 でん 道 どう についての記 き 録 ろく で終 お わっています。この本 ほん の1章 しょう で,使 し 徒 と 1章 しょう 8節 せつ を読 よ みました。そこにはイエスが弟 で 子 し たちに与 あた えた任 にん 務 む が書 か かれています。「聖 せい なる力 ちから があなたたちに働 はたら く時 とき ,あなたたちは力 ちから を受 う け,エルサレムで,ユダヤとサマリアの全 ぜん 土 ど で,また地 ち 上 じょう の最 もっと も遠 とお い所 ところ にまで,私 わたし の証 しょう 人 にん となります」と,イエスは言 い いました。(使 し 徒 と 1:8 )それから30年 ねん 足 た らずで,神 かみ の王 おう 国 こく の良 よ い知 し らせは「天 てん の下 した の至 いた る所 ところ で伝 つた えられ」ました。 (コロ 1:23 )神 かみ の聖 せい なる力 ちから がいかに強 きょう 力 りょく であるかが分 わ かります。(ゼカ 4:6 )
26 今 いま も聖 せい なる力 ちから が働 はたら いています。天 てん に行 い くことになっているキリストの兄 きょう 弟 だい たちと「ほかの羊 ひつじ 」が,聖 せい なる力 ちから に助 たす けられながら,世 せ 界 かい 中 じゅう で「神 かみ の王 おう 国 こく について徹 てっ 底 てい 的 てき に教 おし えて」います。240の国 くに や地 ち 域 いき で,良 よ い知 し らせが伝 つた えられています。(ヨハ 10:16。 使 し 徒 と 28:23 )あなたも伝 でん 道 どう を楽 たの しんでいますか。
61 年 ねん 以 い 降 こう のパウロ
61年 ねん ごろ,パウロは皇 こう 帝 てい ネロの前 まえ に出 で て,無 む 罪 ざい を宣 せん 告 こく されたようです。その後 ご のパウロについて,あまり多 おお くのことは分 わ かっていません。スペインに行 い く計 けい 画 かく を実 じっ 行 こう したとすれば,この時 じ 期 き のことと思 おも われます。(ロマ 15:28 )パウロは「西 にし の最 さい 果 は てに」行 い った,とローマのクレメンスは95年 ねん ごろに書 か いています。
釈 しゃく 放 ほう 後 ご に書 か かれた3通 つう の手 て 紙 がみ (テモテ第 だい 一 いち ,テモテ第 だい 二 に ,テトス)から,パウロがクレタ島 とう ,マケドニア地 ち 方 ほう ,ニコポリス,トロアスを訪 おとず れたことが分 わ かります。(テモ一 いち 1:3。 テモ二 に 4:13。 テト 1:5; 3:12 )パウロが再 ふたた び逮 たい 捕 ほ されたのは,おそらくギリシャのニコポリスです。いずれにしても,パウロは65年 ねん ごろ,ローマで再 ふたた び拘 こう 禁 きん されていました。ネロは,今 こん 度 ど は死 し 刑 けい を宣 せん 告 こく したようです。ローマの歴 れき 史 し 家 か タキトゥスによれば,64年 ねん のローマ大 たい 火 か の時 とき ,ネロは大 たい 火 か をクリスチャンのせいにし,残 ざん 忍 にん な迫 はく 害 がい を始 はじ めました。
パウロは自 じ 分 ぶん の死 し が近 ちか いと感 かん じ,テモテへの2通 つう 目 め の手 て 紙 がみ の中 なか で,マルコと一 いっ 緒 しょ にすぐに来 き てほしいとテモテに言 い っています。パウロを力 ちから づけるために命 いのち を懸 か けたルカとオネシフォロの勇 ゆう 気 き は注 ちゅう 目 もく に値 あたい します。クリスチャンであることを明 あき らかにすれば,逮 たい 捕 ほ されて残 ざん 酷 こく な方 ほう 法 ほう で処 しょ 刑 けい されるかもしれなかったからです。(テモ二 に 1:16,17; 4:6-9, 11 )パウロは,「テモテへの第 だい 二 に の手 て 紙 がみ 」を書 か いて間 ま もなく殉 じゅん 教 きょう したようです。65年 ねん ごろのことです。伝 つた えられるところによれば,ネロはパウロの殉 じゅん 教 きょう から3年 ねん ほど後 のち に自 じ 殺 さつ しました。
良 よ い 知 し らせが「 天 てん の 下 した の 至 いた る 所 ところ で 伝 つた えられ[た]」
61年 ねん ごろ,パウロはローマで拘 こう 禁 きん されていた時 とき に,良 よ い知 し らせが「天 てん の下 した の至 いた る所 ところ で伝 つた えられ[た]」と書 か きました。(コロ 1:23 )これはどういう意 い 味 み だったのでしょうか。
パウロは,良 よ い知 し らせが非 ひ 常 じょう に広 ひろ い範 はん 囲 い に伝 つた わったということを言 い いたかったようです。もちろん,当 とう 時 じ 知 し られていた世 せ 界 かい は広 ひろ く,良 よ い知 し らせが伝 つた わっていない地 ち 域 いき もありました。紀 き 元 げん 前 ぜん 4世 せい 紀 き ,アレクサンドロス大 だい 王 おう がアジアに侵 しん 略 りゃく し,インドとの境 きょう 界 かい にまで勢 せい 力 りょく を広 ひろ げました。紀 き 元 げん 前 ぜん 55年 ねん にユリウス・カエサルがブリテン島 とう に侵 しん 攻 こう し,その後 ご ,クラウディウスがその島 しま の南 なん 部 ぶ を征 せい 服 ふく して,西 せい 暦 れき 43年 ねん にローマ帝 てい 国 こく の属 ぞく 州 しゅう にしました。上 じょう 質 しつ の絹 きぬ の産 さん 地 ち だった極 きょく 東 とう のことも,当 とう 時 じ 知 し られていました。
良 よ い知 し らせは,そういったブリテン島 とう や極 きょく 東 とう でも伝 つた えられていたのでしょうか。そうではなさそうです。パウロは56年 ねん ごろ,「手 て 付 つ かずの場 ば 所 しょ 」であるスペインで伝 でん 道 どう したいと思 おも っていると言 い いましたが,「コロサイのクリスチャンへの手 て 紙 がみ 」を書 か いた61年 ねん ごろには,それがまだ実 じつ 現 げん していませんでした。(ロマ 15:20, 23,24 )それでも,その頃 ころ には,神 かみ の王 おう 国 こく のことはすでに広 ひろ く知 し られるようになっていました。少 すく なくとも,イエスの使 し 徒 と たちが訪 おとず れた地 ち 方 ほう や,33年 ねん のペンテコステの日 ひ にバプテスマを受 う けたユダヤ人 じん とユダヤ教 きょう に改 かい 宗 しゅう した人 ひと たちの故 こ 国 こく には伝 つた わっていました。(使 し 徒 と 2:1,8-11, 41,42 )