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神の王国について徹底的に教える
徹 26章 203–210ページ

26章

「誰だれも命いのちを失うしないません」

船ふねが難なん破ぱしそうになる中なか,パウロは神かみが助たすけてくれることを信しんじ,みんなを勇ゆう気きづけた

使し徒と 27:1–28:10

1,2. パウロはこれからどんな旅たびをしますか。どんなことが心しん配ぱいだったかもしれませんか。

「カエサルのもとに行いくように」。パウロはフェストにそう言いわれてから,いろんなことを考かんがえたはずです。この先さきどうなるのでしょうか。これまでの2年ねん,ずっと拘こう禁きんされていたので,ローマへの長なが旅たびは大おおきな変へん化かになります。(使し徒と 25:12)でも,今いままでの船ふな旅たびで思おもい出だすのは,爽さわやかな潮しお風かぜやきれいな水すい平へい線せんだけではありません。海うみを越こえてカエサルの所ところに行いくまでにどんなことがあるか,心しん配ぱいになったかもしれません。

2 パウロは何なん度ども「海うみでの危き険けん」に遭あったことがありました。3度ど難なん船せんしたことがあり,海うみの上うえを一いっ昼ちゅう夜や,漂ただよったこともあります。(コリ二に 11:25,26)しかも,今こん回かいの旅たびはこれまでの宣せん教きょう旅りょ行こうとはだいぶ違ちがいます。捕とらわれの身みでの旅たびになりますし,かなりの距きょ離りを移い動どうします。カエサレアからローマまでは3000㌔以い上じょうあります。無ぶ事じにたどり着つけるでしょうか。たどり着ついたとしても,待まっているのは死し刑けい判はん決けつなのでしょうか。ローマで,当とう時じの世せ界かいの最さい高こう権けん力りょく者しゃに裁さばかれることになっています。

3. パウロはどんな決けつ意いでいましたか。この章しょうではどんなことを考かんがえますか。

3 パウロは今こん後ごのことを考かんがえて,絶ぜつ望ぼうしたり気き力りょくを失うしなったりするでしょうか。これまで私わたしたちが読よんできたパウロは,そういう人ひとではありません。試し練れんが待まち受うけていることを知しっていましたが,具ぐ体たい的てきにどんな経けい験けんをするかは分わかりませんでした。心しん配ぱいしてもどうにもならないことを考かんがえても,意い味みがありません。宣せん教きょうが楽たのしめなくなるだけです。(マタ 6:27,34)エホバがパウロに願ねがっているのは,行いった先さき々ざきで神かみの王おう国こくの良よい知しらせについて語かたることでした。そうやって権けん力りょく者しゃたちにも良よい知しらせを伝つたえてほしい,とエホバは思おもっていました。(使し徒と 9:15)パウロはそれが分わかっていたので,何なにがあっても自じ分ぶんの使し命めいを果はたす気きでした。私わたしたちもそのつもりではないでしょうか。では,パウロにどのように倣ならえるかを考かんがえながら,旅たびの様よう子すを見みてみましょう。

「向むかい風かぜだった」(使し徒と 27:1-7前ぜん半はん)

4. パウロはどんな船ふねに乗のりましたか。誰だれが一いっ緒しょでしたか。

4 ユリウスというローマの士し官かんが,パウロとほかの囚しゅう人じんたちを護ご送そうすることになります。ユリウスは,カエサレアに来きていた商しょう船せんに乗のることにします。小しょうアジア西せい岸がんの港みなとアドラミティオンから来きていた船ふねです。アドラミティオンは,レスボス島とうの町まちミテレネの向むかい側がわにありました。船ふねは北ほく上じょうしてから西にしに向むかい,途と中ちゅうの港みなとに立たち寄よって荷に物もつの揚あげ降おろしをしながら,進すすみます。旅りょ行こう者しゃが乗のるのに適てきした船ふねではありませんでした。もちろん,囚しゅう人じんにとっても快かい適てきな船ふねではありません。(「船ふな旅たびと通つう商しょう航こう路ろ」という囲かこみを参さん照しょう。)幸さいわい,乗のっていたクリスチャンはパウロ1人ひとりではありませんでした。仲なか間まが少すくなくとも2人ふたりいました。アリスタルコと,旅たびの記き録ろくを書かいたルカです。2人ふたりが自じ費ひで付ついていくことを申もうし出でたのか,パウロの付つき添そいとして同どう行こうすることを許きょ可かされたのかは分わかりません。(使し徒と 27:1,2)

船ふな旅たびと通つう商しょう航こう路ろ

昔むかし,船ふねは主おもに荷に物もつを運はこぶためのもので,客きゃくを乗のせるためのものではありませんでした。船ふねで旅たびをしようと思おもう人ひとは,行いきたい方ほう面めんに向むかう商しょう船せんを探さがし,運うん賃ちんの交こう渉しょうをし,船ふねが出でるのを待まちました。

多おおくの船ふねが地ち中ちゅう海かいを行いき交かい,食しょく糧りょうその他たの品しな物ものを運はこびました。そういう船ふねの乗じょう客きゃくはたいてい甲かん板ぱんで眠ねむらなければいけませんでした。夜よるになると自じ分ぶんでテントのようなものを立たててそこで眠ねむり,朝あさにはそれを片かた付づけたと思おもわれます。食しょく料りょうや寝しん具ぐなど,旅たびに必ひつ要ような物ものは全すべて持じ参さんしなければいけませんでした。

船ふな旅たびにかかる日にっ数すうは風かぜ次し第だいでした。冬ふゆは悪あく天てん候こうだったので,11月がつ半なかばから3月がつ半なかばまでは,普ふ通つう,航こう海かいには出でませんでした。

1世紀の船。船首と船尾,4つの各部。1. かじ。2. 主帆。3. いかり。4. 前帆。

5. パウロはシドンでどんなことを楽たのしめましたか。そこから,どんなことを学まなべますか。

5 船ふねは1日にちかけて北きたに110㌔進すすみ,シリア沿えん岸がんのシドンに停てい泊はくします。ユリウスはパウロを通つう常じょうの犯はん罪ざい者しゃのようには扱あつかわなかったようです。有ゆう罪ざいとは決きまっていないローマ市し民みんだったからでしょう。(使し徒と 22:27,28; 26:31,32)ユリウスはパウロに,船ふねを下おりて仲なか間またちに会あいに行いくのを許きょ可かしました。兄きょう弟だい姉し妹まいは,長ながらく拘こう禁きんされていたパウロを喜よろこんでもてなしたはずです。私わたしたちも仲なか間まを積せっ極きょく的てきにもてなしたいと思おもいます。そうすれば,自じ分ぶんも元げん気きをもらえます。(使し徒と 27:3)

6-8. シドンからクニドスまで旅たびはどのように進すすみましたか。その間かんパウロはどのように伝でん道どうしたと考かんがえられますか。

6 船ふねはシドンを出でて沿えん岸がんをさらに進すすみ,キリキア地ち方ほうのそばを通とおり過すぎます。パウロの故こ郷きょうタルソスの近ちかくです。ルカはその間かんどこかに停てい泊はくしたとは記き録ろくしておらず,「向むかい風かぜだった」とだけ書かいています。うまく航こう行こうできるか少すこし心しん配ぱいになったかもしれません。(使し徒と 27:4,5)それでも,きっとパウロはいつでも良よい知しらせについて話はなしていたことでしょう。船ふねの中なかで囚しゅう人じんや乗のり組くみ員いんたち,兵へい士したちに話はなし,停てい泊はくした港みなとの人ひとたちにも伝でん道どうしたはずです。私わたしたちも,出で会あういろんな人ひとたちに神かみの王おう国こくについて語かたりたいと思おもいます。

7 やがて,船ふねは小しょうアジア南なん岸がんの港みなとミラに着つきます。パウロたちはそこで,目もく的てき地ちのローマに向むかう船ふねに乗のり換かえます。(使し徒と 27:6)当とう時じ,ローマにはエジプトから穀こく物もつが多おおく運はこばれてきていて,エジプトの穀こく物もつ船せんがミラに寄き港こうしました。ユリウスはその船ふねを見みつけ,兵へい士しと囚しゅう人じんたちを乗のせました。最さい初しょの船ふねよりもずっと大おおきい船ふねだったと思おもわれます。小こ麦むぎを多おおく積つみ,乗のり組くみ員いん,兵へい士し,囚しゅう人じん,ほかの乗じょう客きゃくなど276人にんが乗のっています。船ふねを乗のり換かえたことで,また新あらたな人ひとたちに良よい知しらせを伝つたえられるようになりました。パウロはできるだけ多おおくの人ひとと話はなしたはずです。

8 次つぎに寄き港こうしたのは,小しょうアジアの南なん西せいの端はしにあるクニドスです。追おい風かぜであれば,そこまで1日にちほどで行いけます。でも,「船ふねは何なん日にちもの間あいだゆっくりと進すすみ,やっとのことでクニドスに着ついた」と,ルカは書かいています。(使し徒と 27:7前ぜん半はん)天てん候こうが悪わるくなってきていました。(「地ち中ちゅう海かいの向むかい風かぜ」という囲かこみを参さん照しょう。)船ふねは,激はげしい風かぜと荒あら波なみにもまれながら進すすんでいきます。

地ち中ちゅう海かいの向むかい風かぜ

昔むかし,商しょう船せんが地ち中ちゅう海かい(大おお海うみ)のどこをいつ航こう行こうするかは,風かぜと季き節せつに左さ右ゆうされました。東ひがしの端はしの方ほうでは,1年ねんの中なかごろにはたいてい西にしから東ひがしに風かぜが吹ふいたので,東ひがしに向むかう方ほうが楽らくでした。パウロが3度ど目めの宣せん教きょう旅りょ行こうから帰かえる時ときもそうでした。パウロたちが乗のった船ふねは,ミレトスを出でてロードスに向むかい,パタラに行いって停てい泊はくしました。そこからフェニキア沿えん岸がんのティルスまではほぼ一いっ直ちょく線せんでした。ルカは,キプロス島とうを左ひだりに見みて通とおり過すぎたと書かいています。キプロス島とうの南みなみ側がわを通とおったということです。(使し徒と 21:1-3)

逆ぎゃく方ほう向こうつまり西にしに向むかう航こう海かいは,どうだったのでしょうか。風かざ向むきが良よければ,同おなじようなルートで西にしに行いけたかもしれません。しかし,それがほぼ無む理りなこともありました。「国こく際さい標ひょう準じゅん聖せい書しょ百ひゃっ科か事じ典てん」(英えい語ご)にはこうあります。「冬ふゆは,大たい気きがかなり不ふ安あん定ていだった。強きょう力りょくな低てい気き圧あつが地ち中ちゅう海かいを東ひがしに進すすみ,時ときに強きょう風ふう級きゅうにもなる激はげしい風かぜを伴ともない,しばしば豪ごう雨うを,また雪ゆきをさえ降ふらせた」。こうした天てん候こうでの航こう海かいは,非ひ常じょうに危き険けんでした。

たいていどの季き節せつでも,船ふねはパレスチナ沿えん岸がんを北ほく上じょうしてからパンフリアの沿えん岸がんを西にしに向むかうことができました。その航こう路ろの後こう半はんでは,本ほん土どからの風かぜと西にし向むきの潮ちょう流りゅうに助たすけられました。捕とらわれの身みのパウロがローマへの旅たびで最さい初しょに乗のった船ふねがそうでした。でも,向むかい風かぜのこともありました。(使し徒と 27:4)ルカの記き録ろくに出でてくる穀こく物もつ船せんは,エジプトから北ほく上じょうした後あと,キプロス島とうと小しょうアジアの間あいだの安あん全ぜんな水すい域いきを通とおったのかもしれません。船せん長ちょうはミラからさらに西にしへ行いき,ギリシャの先せん端たんを回まわってイタリアの西せい岸がんを進すすもうとしました。(使し徒と 27:5,6)しかし,風かざ向むきが悪わるく,航こう海かいが難むずかしい季き節せつだったため,そうできませんでした。

「船ふねが嵐あらしにひどくもまれていた」(使し徒と 27:7後こう半はん-26)

9,10. クレタ島とうの近ちかくでどんなことがありましたか。

9 船ふねはクニドスからさらに西にしに向むかう予よ定ていでしたが,「風かぜのせいで進しん路ろを阻はばまれた」と,船ふねに乗のっていたルカは書かいています。(使し徒と 27:7後こう半はん)船ふねは本ほん土どから離はなれ,沿えん岸がん流りゅうを利り用ようできなくなり,北ほく西せいからの強きょう烈れつな向むかい風かぜを受うけて,南みなみへ押おし流ながされます。きっとすごい速はやさだったでしょう。以い前ぜんにはキプロス島とうを風かぜよけにして進すすんだことがありましたが,今こん回かいはクレタ島とうを風かぜよけにすることにします。クレタ島とうの東とう端たんのサルモネ岬みさきを過すぎると,風かぜが少すこし穏おだやかになります。船ふねが島しまの南みなみ側がわに回まわり,島しまで風かぜがいくらか遮さえぎられたからです。みんなほっとしたことでしょう。でも,いつまでも安あん心しんしてはいられません。冬ふゆが近ちかづいていました。冬ふゆの海うみは非ひ常じょうに危き険けんです。

10 ルカは,「やっとのことで[クレタ島とうの]沿えん岸がんを進すすみ,良よい港みなとと呼よばれる場ば所しょに着ついた」と書かいています。島しまを風かぜよけにしていても操そう縦じゅうに苦く労ろうしたことが分わかります。でも,ようやく小ちいさな入いり江えに停てい泊はく場ば所しょを見みつけました。海かい岸がん線せんが北きたに折おれる少すこし手て前まえだと思おもわれます。ここにいつまでいるのでしょうか。「かなりの時ときが過すぎ」た,とルカは書かいています。でも,待まてば待まつほど冬ふゆに近ちかづき,航こう海かいが困こん難なんになります。9月がつや10月がつの船ふな旅たびには危き険けんが伴ともないました。(使し徒と 27:8,9)

11. パウロはどんなことを勧すすめましたか。しかし,どうすることになりましたか。

11 パウロは地ち中ちゅう海かいを旅たびした経けい験けんがあったので,意い見けんを尋たずねられたかもしれません。航こう海かいを続つづけないことを勧すすめます。もし続つづければ,「危き険けんな目めに遭あい,多おおくが失うしなわれます」。人ひとの命いのちも失うしなわれかねません。でも,船せん長ちょうや船せん主しゅは行いきたがり,ユリウスを説せっ得とくします。冬ふゆの滞たい在ざいに適てきした場ば所しょを早はやく見みつけなければいけない,と思おもったのかもしれません。大だい多た数すうの人ひとが,沿えん岸がんを進すすんだ所ところにあるフォイニクスを目め指ざしてみるべきだと考かんがえます。そこは,冬ふゆを過すごせそうな,いくらか大おおきい港みなと町まちだったのかもしれません。穏おだやかな南みなみ風かぜが吹ふいてきて,一いっ見けん,安あん全ぜんそうに思おもえた時ときに船ふねを出しゅっ発ぱつさせました。(使し徒と 27:10-13)

12. 出しゅっ港こう後ご,どんなことが起おきましたか。乗のり組くみ員いんたちはどのように切きり抜ぬけようとしましたか。

12 ところが出しゅっ港こうして間まもなく,北ほく東とうから「暴ぼう風ふう」が吹ふいてきます。それで,「良よい港みなと」から65㌔ほど離はなれた「カウダという小ちいさな島しま」の近ちかくに行いって風かぜをよけようとします。それでも,南みなみに流ながされてアフリカ沖おきの砂さ州すに乗のり上あげる危き険けんがあります。そうならないよう,乗のり組くみ員いんたちは必ひっ死しで策さくを講こうじます。まず,後うしろにつながれていた小こ舟ぶねを引ひき上あげます。小こ舟ぶねに水みずがたくさん入はいっているので,大たい変へんです。それから,船ふねがばらばらにならないよう綱つなか鎖くさりを船ふねの下したに回まわし,船せん体たいを縛しばります。そして,索さく具ぐ類るい,帆ほや帆ほ綱づなを降おろし,力ちからを振ふり絞しぼって船せん首しゅを風かぜに向むけ,嵐あらしを切きり抜ぬけようとします。本ほん当とうに恐おそろしかったはずです。どんなに対たい策さくをしても,船ふねは「嵐あらしにひどくもまれ」続つづけます。3日か目めには,用よう具ぐを海うみに投なげ捨すてます。浮ふ力りょくを得えるためにそうしたと思おもわれます。(使し徒と 27:14-19)

13. 嵐あらしの間あいだ,船ふねの中なかはどんな様よう子すだったはずですか。

13 みんな恐きょう怖ふにおびえていたはずです。でもパウロたちは動どうじていません。パウロはイエスから,ローマで伝でん道どうすることになるとはっきり言いわれていました。(使し徒と 19:21; 23:11)その後ご,天てん使しも同おなじことを言いいました。猛もう烈れつな嵐あらしが2週しゅう間かん,昼ひるも夜よるも続つづきます。雨あめが降ふり続つづき,厚あつい雲くもに遮さえぎられて太たい陽ようも星ほしも見みえないため,船ふねの位い置ちも方ほう向こうも確かく認にんできません。まともな食しょく事じもできません。寒さむさ,雨あめ,船ふな酔よい,恐きょう怖ふのあまり,何なにも食たべる気きになりません。

14,15. (ア)パウロが,前まえにしたアドバイスに触ふれたのはどうしてですか。(イ)命いのちが救すくわれることをパウロがみんなに伝つたえたことから,私わたしたちはどんなことを学まなべますか。

14 パウロは立たち上あがって話はなし始はじめ,出しゅっ発ぱつ前まえに航こう海かいを続つづけないよう勧すすめたことに触ふれます。でも,「だから言いっただろ」というふうにみんなを責せめているわけではありません。とはいえこうなった今いま,パウロのアドバイスが正ただしかったことは確たしかです。パウロが言いうことには耳みみを傾かたむけた方ほうがよいのです。パウロはこう続つづけます。「勇ゆう気きを出だしてください。誰だれも命いのちを失うしないません。失うしなわれるのは船ふねだけです」。(使し徒と 27:21,22)そう聞きいて,みんなほっとしたことでしょう。パウロは,みんなの命いのちが救すくわれることをエホバから知しらされていました。そのことを伝つたえられてうれしかったはずです。エホバが一人ひとり一人ひとりの命いのちを大たい切せつに見みていることが分わかります。「エホバは……一人ひとりも滅ほろぼされることなく,全すべての人ひとが悔くい改あらためることを望のぞんでいる」と,使し徒とペテロも書かいています。(ペテ二に 3:9)命いのちが救すくわれるという希き望ぼうについて,私わたしたちができるだけ多おおくの人ひとに伝つたえることは本ほん当とうに大たい切せつです。一人ひとり一人ひとりの大たい切せつな命いのちが懸かかっているからです。

15 パウロはこれまで,「神かみ[の]約やく束そくの実じつ現げんを待まっている」ことについて,船ふねの中なかで話はなしてきたはずです。(使し徒と 26:6。コロ 1:5)船ふねが難なん破ぱしかけた今いま,パウロは,命いのちが助たすかることを神かみが約やく束そくしていると話はなします。「私わたしが崇すう拝はいし……ている神かみから天てん使しが遣つかわされ,昨さく夜や,私わたしのそばに立たって,こう言いいました。『パウロ,恐おそれることはありません。あなたはカエサルの前まえに立たたなければなりません。神かみはあなたのために,船ふねに乗のっている人ひとを皆みな,救すくってくださいます』」。そして,こう勧すすめます。「それで皆みなさん,勇ゆう気きを出だしてください。神かみがその通とおりにしてくださる,と私わたしは信しんじています。とはいえ,私わたしたちはどこかの島しまに流ながれ着つくことでしょう」。(使し徒と 27:23-26)

「全ぜん員いんが無ぶ事じに陸りくにたどり着ついた」(使し徒と 27:27-44)

人でいっぱいの船倉でパウロが祈っている。頭を垂れている人もいれば,ただ見ている人もいる。みんな疲れ切っている。重ねた木箱の上に,平たいパンが載っている。

「パウロは……皆みなの前まえで神かみに感かん謝しゃし[た]」。使し徒と 27:35

16,17. (ア)パウロはいつどんな場ば面めんで祈いのりましたか。祈いのりを聞きいて,みんなどう感かんじましたか。(イ)どのようにして,パウロが言いった通とおりになりましたか。

16 恐きょう怖ふにおびえた2週しゅう間かんが過すぎ,船ふねが870㌔ほど流ながされた頃ころ,船ふな乗のりたちは,陸りく地ちに近ちかづいているのではないかと感かんじます。岸きしに打うち付つける波なみの音おとが聞きこえたのかもしれません。それで,船せん尾びからいかりを投とうじます。漂ひょう流りゅうを避さけ,船せん首しゅを陸りくの方ほうに向むけておくためです。そうすれば,浜はま辺べに着ちゃく岸がんするときに備そなえられます。船ふな乗のりたちはそれから,小こ舟ぶねでこっそり逃にげようとしますが,兵へい士したちに阻はばまれます。パウロが士し官かんと兵へい士したちに,「あの人ひとたちが船ふねにいなければ,皆みなさんは助たすかりません」と言いったからです。船ふねがいくらか安あん定ていしたので,パウロはみんなに食しょく事じを取とるよう勧すすめます。命いのちが助たすかることをもう一いち度ど伝つたえてから,祈いのって「皆みなの前まえで神かみに感かん謝しゃし」ます。(使し徒と 27:31,35)パウロの心こころからの祈いのりを聞きいて,ルカとアリスタルコは自じ分ぶんもそういう祈いのりをしようと思おもったはずです。私わたしたちも考かんがえさせられます。代だい表ひょうして祈いのるとき,心こころが温あたたかくなるような祈いのりを捧ささげているでしょうか。

17 パウロの祈いのりが終おわると,「皆みなは勇ゆう気きづけられ,食たべだし」ます。(使し徒と 27:36)その後ご,積つみ荷にの小こ麦むぎを投なげ捨すて,船ふねをさらに軽かるくします。岸きしに近ちかづいた時ときに,できるだけ浅あさい所ところまで行いけるようにするためです。夜よが明あけると,乗のり組くみ員いんたちはいかりを断たち切きり,船せん尾びのかじの綱つなをほどき,前ぜん方ぽうの小ちいさな帆ほを揚あげて,浜はま辺べに近ちかづく時ときに少すこしでも操そう縦じゅうできるようにします。やがて,船ふねの前ぜん部ぶがおそらく砂さ州すか泥どろにめり込こみ,船せん尾びが波なみに打うたれて壊こわれ始はじめます。兵へい士したちは,囚しゅう人じんたちが逃にげてしまわないよう殺ころそうとしますが,ユリウスが止とめます。ユリウスはみんなに,泳およぐか何なにかにつかまるかして岸きしに向むかうよう命めいじます。こうして,パウロが言いった通とおり,276人にん全ぜん員いんが生いき延のびました。「全ぜん員いんが無ぶ事じに陸りくにたどり着ついた」とあります。でも,どこに着ついたのでしょうか。(使し徒と 27:44)

「非ひ常じょうに親しん切せつにしてくれた」(使し徒と 28:1-10)

18-20. マルタ島とうの人ひとたちはどんなことをしてくれましたか。神かみはどんな奇き跡せきを起おこしましたか。

18 漂ひょう着ちゃくしたのは,シチリアの南みなみにあるマルタ島とうでした。(「マルタ どの島しまのことか」という囲かこみを参さん照しょう。)外がい国こく語ごを話はなす島しまの人ひとたちが「非ひ常じょうに親しん切せつにしてくれ」ます。(使し徒と 28:2)ずぶぬれで震ふるえている見み知しらぬ人ひとたちのために,浜はま辺べでたき火びをしてくれます。雨あめが降ふる寒さむい中なかでしたが,たき火びのおかげで温あたたまることができました。その後ご,奇き跡せきも起おこります。

19 パウロはみんなのために自じ分ぶんも何なにかしようとして,小こ枝えだを集あつめて火ひにくべます。すると,毒どく蛇へびが出でてきて,パウロの手てにかみつきます。それを見みたマルタ島とうの人ひとたちは,神しん罰ばつだと考かんがえます。a

20 パウロがかまれたので,「腕うでが腫はれ上あがる」だろうと島しまの人ひとたちは思おもいました。ある文ぶん献けんによれば,ここで使つかわれているギリシャ語ごは「医い学がく用よう語ご」です。「医い者しゃルカ」らしい表ひょう現げんです。(使し徒と 28:6。コロ 4:14)結けっ局きょく,パウロは毒どく蛇へびを振ふり払はらい,全まったく無ぶ事じでした。

21. (ア)ルカの記き録ろくが正せい確かくであることが,どんな表ひょう現げんから分わかりますか。(イ)パウロはどんな奇き跡せきを起おこしましたか。奇き跡せきを見みて,島しまの人ひとたちはどうしましたか。

21 ポプリオという裕ゆう福ふくな地じ主ぬしが近ちかくに住すんでいました。ポプリオはマルタ島とうでローマの役やく人にんを務つとめていたのかもしれません。「島しまの主おも立だった人ひと」とルカは書かいています。これは,マルタ島とうで見みつかった2つの碑ひ文ぶんにも出でてくる称しょう号ごうです。ポプリオはパウロたちを3日か間かんもてなします。あいにくポプリオの父ちち親おやは病びょう気きでした。「熱ねつと赤せき痢りに苦くるしんで横よこになっていた」とルカは書かき,ここでも病びょう状じょうを詳くわしく記き録ろくしています。パウロが祈いのってから手てを置おくと,父ちち親おやは癒いやされます。島しまの人ひとたちはいたく感かん激げきし,病びょう気きの人ひとたちを連つれてきて癒いやしてもらおうとしました。そして,パウロたちのために必ひつ要ような物ものをいろいろと持もってきて,贈おくり物ものをしました。(使し徒と 28:7-10)

22. (ア)ある教きょう授じゅは,ルカの記き録ろくについてどんなことを言いっていますか。(イ)次つぎの章しょうではどんなことを調しらべますか。

22 こうして見みてきたパウロの船ふな旅たびについての記き録ろくは,とても正せい確かくです。「ルカの記き述じゅつは,聖せい書しょ全ぜん体たいの中なかでも特とくに描びょう写しゃ的てきで生いき生いきとしている。1世せい紀きの操そう船せん術じゅつについての詳しょう細さいはとても的てき確かくである上うえ,地ち中ちゅう海かい東とう部ぶの様よう子すの描びょう写しゃはとても正せい確かくなので,……日にっ誌しに基もとづいていると思おもわれる」とある教きょう授じゅは言いっています。ルカはパウロと旅たびをしながら,きっとそういうメモを取とっていたのでしょう。旅たびの続つづきについて,ルカはどんなことを書かいているでしょうか。ローマに着ついたパウロはどうなったでしょうか。見みてみましょう。

マルタ どの島しまのことか

パウロが漂ひょう着ちゃくした「マルタ」はどの島しまかについて,いろいろな意い見けんがあります。ある説せつでは,ギリシャ西せい岸がん沖おきのコルフ島とうに近ちかい島しまとされています。また,「使し徒との活かつ動どう」に出でてくる「マルタ」に相そう当とうするギリシャ語ごメリテーに基もとづいた説せつもあります。その説せつによると,現げん在ざいはムリエト島とうとして知しられるメリテ・イリリカ島とうだとのことです。アドリア海かいのクロアチア沿えん岸がんの島しまです。

使し徒と 27章しょう27節せつには「アドリアの海うみ」とありますが,当とう時じ,「アドリア」は現げん在ざいのアドリア海かいよりも広ひろい海かい域いきを指さしました。イオニア海かい,シチリアの東ひがしの水すい域いき,クレタ島とうの西にしの水すい域いきも含ふくんでいたので,現げん代だいのマルタ島とう付ふ近きんの海うみも含ふくまれていました。

パウロが乗のった船ふねは,クニドスから南なん下かしてクレタ島とうの南みなみを通とおることになりました。嵐あらしの中なか,強つよい風かぜが吹ふき付つけたことを考かんがえると,船ふねがその後ご,向むきを変かえて北きたのムリエト島とうまで,あるいはコルフ島とう近ちかくの島しままで行いったはずはありません。「マルタ」の位い置ちはもっと西にしであるはずです。漂ひょう着ちゃくした島しまは,シチリアの南みなみのマルタ島とうだと考かんがえられます。

a マルタ島とうの人ひとたちがその毒どく蛇へびについて知しっていたことから,当とう時じ,島しまに毒どく蛇へびが生せい息そくしていたことが分わかります。現げん在ざい,マルタ島とうに毒どく蛇へびはいないようです。時ときの経けい過かにより環かん境きょうが変かわったのかもしれませんし,人じん口こうが増ふえたことによりいなくなったのかもしれません。

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