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  • 塔研21 10月号 24–28ページ
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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 10月号 24–28ページ

研究記事43

諦あきらめないようにしましょう!

「諦あきらめずに立りっ派ぱなことを行おこない続つづけましょう」。ガラテア 6:9

68番ばんの歌うた 王おう国こくの種たねをまく

何なにを学まなぶかa

1. エホバの証しょう人にんであることが,幸しあわせで誇ほこれることなのはなぜですか。

エホバの証しょう人にんでいられるというのは,本ほん当とうに幸しあわせで誇ほこれることです。私わたしたちは神かみの名なによって語かたっています。そして,良よい知しらせを伝つたえ,人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうを行おこなうことによって,神かみの名な前まえにふさわしく生いきています。「永えい遠えんの命いのちを得えるための正ただしい態たい度どを持もつ人ひと」が信しん者じゃとなるよう助たすけることができると,大おおきな喜よろこびを感かんじます。(使し徒と 13:48)イエスは,弟で子したちが伝でん道どうで成せい功こうを収おさめて戻もどってきた時とき,「聖せいなる力ちからにより喜よろこびにあふれ」ました。私わたしたちもイエスと同おなじような気き持もちになります。(ルカ 10:1,17,21)

2. どうすれば,良よい知しらせを伝つたえる活かつ動どうを真しん剣けんに受うけ止とめていることを示しめせますか。

2 私わたしたちは,良よい知しらせを伝つたえる活かつ動どうを真しん剣けんに受うけ止とめています。使し徒とパウロはテモテに対たいして,「自じ分ぶん自じ身しんと自じ分ぶんの教おしえに絶たえず注ちゅう意いを払はらいなさい」と勧すすめました。そして,こう言いいました。「そうするなら,あなたは自じ分ぶん自じ身しんと,あなたの言こと葉ばに耳みみを傾かたむける人ひとたちを救すくうことになります」。(テモ一いち 4:16)ですから,命いのちが関かん係けいしています。私わたしたちが自じ分ぶん自じ身しんに絶たえず注ちゅう意いを払はらうのは,私わたしたちが神かみの王おう国こくの国こく民みんだからです。私わたしたちはいつも,エホバをたたえる仕し方かたで,また自じ分ぶんたちが伝つたえる良よい知しらせにふさわしい仕し方かたで行こう動どうしたいと思おもっています。(フィリ 1:27)そして,宣せん教きょうのためによく準じゅん備びし,誰だれかに伝つたえる前まえにエホバの祝しゅく福ふくを祈いのり求もとめることによって,「自じ分ぶんの教おしえに……注ちゅう意いを払はら」っていることを示しめします。

3. 全すべての人ひとが王おう国こくに関かんするメッセージに良よい反はん応のうを示しめしますか。

3 とはいえ,ベストを尽つくしても,区く域いきのほとんどの人ひとは王おう国こくに関かんするメッセージに良よい反はん応のうを示しめさないかもしれません。ギオルグ・リンダル兄きょう弟だいの経けい験けんを考かんがえてみましょう。兄きょう弟だいは,1929年ねんから1947年ねんまで,1人ひとりでアイスランド中じゅうを回まわり,良よい知しらせを伝つたえました。何なん万まん冊さつもの出しゅっ版ぱん物ぶつを配はい布ふしましたが,真しん理りを受うけ入いれた人ひとは一人ひとりもいませんでした。こう書かいています。「真しん理りに敵てき対たいする立たち場ばを取とった人ひともいるようですが,大たい半はんは全まったく無む関かん心しんなままです」。ギレアデ学がっ校こうを卒そつ業ぎょうした宣せん教きょう者しゃたちがやって来きて,アイスランドでの活かつ動どうに加くわわりましたが,アイスランドの人ひとがエホバに献けん身しんしてバプテスマを受うけるまでには,さらに9年ねんかかりました。b

4. 私わたしたちの伝つたえるメッセージに人ひと々びとが良よい反はん応のうを示しめさないと,どんな気き持もちになるかもしれませんか。

4 人ひと々びとが良よい反はん応のうを示しめさないと,私わたしたちはがっかりします。パウロと同おなじように感かんじるかもしれません。ほとんどのユダヤ人じんがイエスをメシアとして受うけ入いれなかったために,パウロは「大おおきな悲かなしみと絶たえ間まない苦く痛つう」を味あじわいました。(ロマ 9:1-3)では,誰だれかに聖せい書しょを教おしえていて,その人ひとのために真しん剣けんに努ど力りょくしたり祈いのったりしても,その人ひとがなかなか進しん歩ぽせず,聖せい書しょレッスンを中ちゅう断だんしなければならない場ば合あいはどうでしょうか。また,誰だれかをバプテスマまで援えん助じょしたことが一いち度どもない場ば合あいはどうですか。自じ分ぶんを責せめたり,自じ分ぶんの宣せん教きょうはエホバに祝しゅく福ふくされていないと考かんがえたりすべきでしょうか。この記き事じでは次つぎの2つの点てんを考かんがえます。(1)宣せん教きょうで成せい功こうを収おさめているかどうかは,どんなことで決きまりますか。(2)宣せん教きょうを行おこなう際さい,どんな現げん実じつ的てきな見み方かたを持もつべきですか。

宣せん教きょうで成せい功こうを収おさめているかどうかは,どんなことで決きまるか

5. 私わたしたちがエホバのために行おこなうこと全すべてが私わたしたちの願ねがう通とおりの結けっ果かになるわけではありません。なぜですか。

5 聖せい書しょは,神かみの望のぞむことを行おこなう人ひとについて,その人ひとが「行おこなうことは全すべて成せい功こうする」と述のべています。(詩し 1:3)でもこれは,エホバのために行おこなうこと全すべてが私わたしたちの願ねがう通とおりの結けっ果かになる,ということではありません。人ひとは皆みな,「悩なやみの多おおい日ひ々びを送おくります」。なぜなら,自じ分ぶんも周まわりの人ひとたちも完かん全ぜんではないからです。(ヨブ 14:1)また,私わたしたちに反はん対たいする人ひとたちのせいで,伝でん道どうを自じ由ゆうに行おこなえなくなることもあります。(コリ一いち 16:9。テサ一いち 2:18)では,エホバは私わたしたちの宣せん教きょうが成せい功こうしているかどうかをどのように判はん断だんするのでしょうか。この点てんに関かんする聖せい書しょの教おしえを幾いくつか考かんがえてみましょう。

兄弟姉妹が伝道を行っている。1. 1人の兄弟が家から家の伝道をしている。2. 1人の姉妹が手紙を書いている。3. 1人の兄弟が電話で伝道している。

私わたしたちが直ちょく接せつ会あって伝でん道どうするとしても,手て紙がみや電でん話わで伝でん道どうするとしても,エホバは私わたしたちの努ど力りょくを高たかく評ひょう価かしてくださる。(6節せつを参さん照しょう。)

6. エホバは私わたしたちの働はたらきが成せい功こうしているかどうかをどのように判はん断だんしますか。

6 エホバは私わたしたちの努ど力りょくや粘ねばり強づよさを見みている。人ひと々びとの反はん応のうがどうであっても,私わたしたちが愛あいの気き持もちから熱ねっ心しんに宣せん教きょうを行おこなうなら,エホバは私わたしたちの宣せん教きょうが成せい功こうを収おさめていると見みてくださいます。パウロもこう述のべています。「皆みなさんはこれまでずっと聖せいなる人ひとたちに仕つかえ,今いまも仕つかえ続つづけています。そのようにして,神かみの名なを愛あいしていることを示しめしてきました。神かみは不ふ公こう正せいな方かたではないので,そうした働はたらきや愛あいを忘わすれたりはされません」。(ヘブ 6:10)エホバは,私わたしたちの努ど力りょくや愛あいを覚おぼえています。そうした努ど力りょくが良よい結けっ果かにつながっていないとしてもです。パウロはコリントのクリスチャンに対たいして,「主しゅのために働はたらくことは無む駄だではない」と書かきました。ですから私わたしたちも,自じ分ぶんの働はたらきが思おもう通とおりの結けっ果かになっていないとしても,パウロと同おなじように考かんがえることができます。(コリ一いち 15:58)

7. 使し徒とパウロが自じ分ぶんの宣せん教きょうについて述のべた言こと葉ばから,どんなことを学まなべますか。

7 使し徒とパウロは優すぐれた宣せん教きょう者しゃで,多おおくの町まちで新あたらしい会かい衆しゅうを設せつ立りつしました。それでも,自じ分ぶんにキリストの奉ほう仕し者しゃとしての資し格かくがあることを示しめす必ひつ要ようがあった時とき,クリスチャンになるよう自じ分ぶんが助たすけた人ひとの数かずを強きょう調ちょうすることはありませんでした。そうではなく,自じ分ぶんをライバル視ししていた人ひとたちの主しゅ張ちょうに対たいして,「私わたしの方ほうがたくさん働はたらき……ました」と言いいました。(コリ二に 11:23)パウロに倣ならって,エホバが重じゅう視ししているのは努ど力りょくや粘ねばり強づよさであることを忘わすれないようにしましょう。

8. 宣せん教きょうに関かんして,どんなことを覚おぼえておく必ひつ要ようがありますか。

8 私わたしたちが宣せん教きょうを行おこなうなら,エホバは喜よろこんでくださる。王おう国こくに関かんするメッセージを伝つたえるようイエスが遣つかわした70人にんの弟で子したちは,その活かつ動どうを終おえ,「喜よろこびながら帰かえってき」ました。なぜ喜よろこんでいたのでしょうか。こう言いっています。「あなたの名なを使つかうと,邪じゃ悪あくな天てん使しも服ふく従じゅうするのです」。しかし,イエスは弟で子したちの考かんがえを正ただしてこう言いいました。「邪じゃ悪あくな天てん使しが服ふく従じゅうすることを喜よろこぶのではなく,あなたたちの名な前まえが天てんに記しるされたことを喜よろこびなさい」。(ルカ 10:17-20)イエスは,弟で子したちが宣せん教きょうでそうした素す晴ばらしい経けい験けんをいつもできるわけではないことを知しっていました。実じっ際さい,弟で子したちの話はなしに耳みみを傾かたむけた人ひとたちのうち,何なん人にんが信しん者じゃになったかは分わかりません。弟で子したちは,成なし遂とげたことだけを喜よろこぶのではなく,もっと重じゅう要ようなこととして,エホバが自じ分ぶんたちの勤きん勉べんな努ど力りょくを喜よろこんでくださっていることに喜よろこびを見みいだす必ひつ要ようがありました。

9. ガラテア 6章しょう7-9節せつによると,粘ねばり強づよく宣せん教きょうを行おこなうなら,どんな結けっ果かになりますか。

9 宣せん教きょうを粘ねばり強づよく行おこなうなら永えい遠えんの命いのちを得えられる。心こころを込こめて王おう国こくの真しん理りという種たねをまいて育そだてるなら,「聖せいなる力ちからに導みちびかれてまいている」,つまり,生せい活かつの中なかで神かみの聖せいなる力ちからが自じ由ゆうに働はたらくようにしていることになります。私わたしたちが「諦あきらめない」なら永えい遠えんの命いのちを刈かり取とることになる,とエホバは約やく束そくしています。バプテスマを受うけるまで誰だれかを助たすけたかどうかに関かかわりなくです。(ガラテア 6:7-9を読よむ。)

どんな現げん実じつ的てきな見み方かたを持もつべきか

10. 私わたしたちの宣せん教きょうに対たいする人ひと々びとの反はん応のうは,何なにに懸かかっていますか。

10 どんな反はん応のうが返かえってくるかは,主おもに聞きく人ひとの心こころの状じょう態たいに懸かかっている。イエスはこの点てんを,種たねをまく人ひとの例たとえを使つかって説せつ明めいしました。種たねはさまざまな場ば所しょにまかれましたが,実みを結むすんだのは良よい土つちにまかれたものだけでした。(ルカ 8:5-8)イエスによると,種たねがまかれた場ば所しょは人ひと々びとの心こころを表あらわしていて,「神かみの言こと葉ば」に対たいする反はん応のうはそれぞれ異ことなっています。(ルカ 8:11-15)種たねをまく人ひとと同おなじように,私わたしたちは自じ分ぶんの活かつ動どうがどんな結けっ果かになるかをコントロールすることはできません。それは聞きく人ひとの心こころの状じょう態たいに懸かかっているからです。私わたしたちに求もとめられているのは,王おう国こくに関かんするメッセージという良よい種たねをまき続つづけることです。使し徒とパウロが述のべている通とおり,「それぞれがその働はたらきに応おうじて報むくわれます」。働はたらきの結けっ果かに応おうじてではありません。(コリ一いち 3:8)

ノアと家族が,動物たちを連れ,食料を持って箱船に乗り込んでいる。

ノアは長なが年ねん忠ちゅう実じつに伝でん道どうを続つづけたが,自じ分ぶんと家か族ぞく以い外がいに箱はこ船ぶねに入はいった人ひとはいなかった。それでも,エホバはノアのことを従じゅう順じゅんな人ひととご覧らんになった。(11節せつを参さん照しょう。)

11. ノアが「正ただしいことの伝でん道どう者しゃ」としてエホバから喜よろこばれたのはなぜですか。(表ひょう紙しの絵えを参さん照しょう。)

11 昔むかしから,エホバに仕つかえる大おお勢ぜいの人ひとたちは,神かみからのメッセージを伝つたえても聞きいてもらえないという経けい験けんをしてきました。例たとえば,ノアは恐おそらく何なん十じゅう年ねんもの間あいだ,「正ただしいことの伝でん道どう者しゃ」として働はたらきました。(ペテ二に 2:5)ノアは,自じ分ぶんが伝つたえるメッセージに人ひと々びとが良よい反はん応のうを示しめすことを望のぞんでいたに違ちがいありませんが,エホバはそうなるとは言いいませんでした。それどころか,ノアに箱はこ船ぶねを造つくるよう命めいじた時とき,こう言いいました。「あなたは,息子むすこたち,妻つま,息子むすこたちの妻つまと一いっ緒しょに箱はこ船ぶねに入はいらなければならない」。(創そう 6:18)ノアは,神かみから伝つたえられた箱はこ船ぶねの大おおきさからして,良よい反はん応のうを示しめす人ひとはあまり多おおくないことに気き付づいていたかもしれません。(創そう 6:15)結けっ局きょくのところ,当とう時じの暴ぼう力りょく的てきな世せ界かいには,ノアのメッセージに耳みみを傾かたむけた人ひとは一人ひとりもいませんでした。(創そう 7:7)エホバはノアのことをだめな伝でん道どう者しゃと考かんがえたでしょうか。そんなことはありません。エホバはノアのことをとても喜よろこびました。ノアがエホバから命めいじられたことを忠ちゅう実じつに行おこなったからです。(創そう 6:22)

12. 預よ言げん者しゃエレミヤが無む関かん心しんや反はん対たいの中なかでも自じ分ぶんの務つとめに喜よろこびを見みいだせたのはなぜですか。

12 預よ言げん者しゃエレミヤも,無む関かん心しんや反はん対たいの中なかで何なん十じゅう年ねんも伝でん道どうしました。エレミヤは,反はん対たい者しゃから「侮ぶ辱じょくされ,からかわれ」たのでとてもがっかりし,務つとめを果はたすのをやめようと思おもいました。(エレ 20:8,9)でも諦あきらめませんでした。消しょう極きょく的てきな考かんがえ方かたを乗のり越こえ,奉ほう仕しの務つとめに喜よろこびを見みいだすことができました。なぜでしょうか。2つの重じゅう要ような点てんに目めを向むけたからです。第だい一いちに,エレミヤが伝つたえた神かみからのメッセージは,人ひと々びとに「良よい将しょう来らいと希き望ぼう」を与あたえるものでした。(エレ 29:11)第だい二にに,エレミヤはエホバの名なによって語かたる務つとめを与あたえられていました。(エレ 15:16)私わたしたちも同おなじように,この暗くらい世よの中なかで希き望ぼうのメッセージを伝つたえ,エホバの証しょう人にんとして神かみの名なによって語かたっています。これらの重じゅう要ような2つの点てんに目めを向むけるなら,人ひと々びとの反はん応のうに関かかわりなく喜よろこびを味あじわえます。

13. マルコ 4章しょう26-29節せつにあるイエスの例たとえから,どんなことを学まなべますか。

13 信しん仰こうが成せい長ちょうするには時じ間かんがかかる。イエスは,種たねをまいてから眠ねむる人ひとの例たとえを使つかって,この点てんを説せつ明めいしました。(マルコ 4:26-29を読よむ。)種たねが成せい長ちょうするには時じ間かんがかかります。種たねをまいた人ひとがその成せい長ちょうを速はやめることはできません。同おなじように,聖せい書しょを学まなんでいる人ひとの信しん仰こうが成せい長ちょうするのにも時じ間かんがかかります。種たねをまいた人ひとが作さく物もつを望のぞみ通どおりのスピードで成せい長ちょうさせることができないのと同おなじように,私わたしたちも聖せい書しょを学まなんでいる人ひとの信しん仰こうを望のぞみ通どおりのスピードで成せい長ちょうさせることはできません。ですから,学まなんでいる人ひとが思おもったほど速はやく進しん歩ぽしないとしても,がっかりしたり諦あきらめたりしないようにしましょう。農のう業ぎょうと同おなじように,人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうにも辛しん抱ぼうが必ひつ要ようです。(ヤコ 5:7,8)

14. 宣せん教きょうの成せい果かが表あらわれるには時じ間かんがかかる場ば合あいがあることを示しめす,どんな例れいがありますか。

14 地ち域いきによっては,宣せん教きょうの成せい果かが表あらわれるまでに何なん年ねんもかかる場ば合あいがあります。グラディス・アレン姉し妹まいと姉あねのルビー・アレン姉し妹まいの例れいを考かんがえてみましょう。2人ふたりは1959年ねんに,カナダのケベック州しゅうにある町まちで正せい規き開かい拓たく奉ほう仕しを行おこなうよう割わり当あてられました。c そこの人ひと々びとは,地ち域いき社しゃ会かいやカトリック教きょう会かいからの圧あつ力りょくがあったため,王おう国こくについてのメッセージを聞きこうとしませんでした。グラディス姉し妹まいは,当とう時じのことをこう述のべています。「日ひに8時じ間かん,2年ねんにわたって戸こ別べつ訪ほう問もんを行おこなったのですが,応おう対たいしてくれる人ひとは一人ひとりもいませんでした。家いえの人ひとは,戸と口ぐちまで出でて来くると,物ものも言いわずにドアのブラインドを下さげたのです。でもわたしたちはあきらめませんでした」。やがて人ひと々びとの態たい度どは和やわらぎ,一いち部ぶの人ひとは話はなしを聞きいてくれるようになりました。今いまではその町まちに,3つの会かい衆しゅうがあります。(イザ 60:22)

15. コリント第だい一いち 3章しょう6,7節せつから,人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうについてどんなことを学まなべますか。

15 人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうは1人ひとりで行おこなうものではない。人ひとをバプテスマの段だん階かいまで導みちびくには,会かい衆しゅう全ぜん体たいで助たすける必ひつ要ようがあります。(コリント第だい一いち 3:6,7を読よむ。)例たとえば1人ひとりの兄きょう弟だいが,関かん心しんを示しめした人ひとにパンフレットか雑ざっ誌しを渡わたしたとします。でも兄きょう弟だいは,予よ定ていが合あわないためにその人ひとを再さい訪ほう問もんできないことに気き付づきます。それで,別べつの兄きょう弟だいに再さい訪ほう問もんしてもらうことにします。その兄きょう弟だいは,聖せい書しょレッスンを始はじめることができました。そして,いろいろな兄きょう弟だい姉し妹まいに参さん加かしてもらいます。参さん加かした人ひとは,学まなんでいる人ひとをそれぞれの仕し方かたで励はげまします。学まなんでいる人ひとに接せっする全すべての兄きょう弟だい姉し妹まいは,真しん理りの種たねに水みずを注そそいで成せい長ちょうを助たすけることができます。こうして,学まなんでいる人ひとが弟で子しになると,イエスが言いった通とおり,まく人ひとと刈かり取とる人ひとは共ともに喜よろこぶことができます。(ヨハ 4:35-38)

16. 体たい調ちょうが優すぐれなかったり体たい力りょくがなかったりして,宣せん教きょうに多おおくは参さん加かできないとしても,喜よろこびを見みいだせるのはなぜですか。

16 体たい調ちょうが優すぐれなかったり体たい力りょくがなかったりして,良よい知しらせを伝つたえて教おしえる活かつ動どうに多おおくは参さん加かできない場ば合あいはどうでしょうか。それでも,この比ひ喩ゆ的てきな収しゅう穫かくに貢こう献けんしていることを喜よろこべます。ダビデ王おうと部ぶ下かたちが,アマレク人じんの略りゃく奪だつ隊たいから家か族ぞくと持もち物ものを取とり戻もどした時ときのことを考かんがえてみましょう。200人にんの部ぶ下かは,疲つかれ切きっていたため追おい続つづけることができず,途と中ちゅうでとどまって荷に物もつを守まもりました。それでも,戦たたかいに勝かったダビデは,戦せん利り品ひんを全すべての部ぶ下かに平びょう等どうに分わけるよう命めいじました。(サム一いち 30:21-25)世せ界かい中じゅうで行おこなわれている人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうについても,同おなじことが言いえます。自じ分ぶんにできることを精せいいっぱい行おこなうなら,学まなんでいる人ひとが命いのちの道みちを歩あゆみ始はじめる時とき,誰だれもが同おなじように喜よろこぶことができます。

17. どんなことをエホバに感かん謝しゃできますか。

17 エホバが私わたしたちの奉ほう仕しを優やさしく見み守まもってくださっていることに感かん謝しゃできます。エホバは,私わたしたちが人ひとの反はん応のうをコントロールできないことをご存ぞんじです。そして,私わたしたちの熱ねっ心しんさや愛あいに目めを留とめて,報むくいを与あたえてくださいます。比ひ喩ゆ的てきな収しゅう穫かくにおいて,自じ分ぶんにできることにどうすれば喜よろこびを見みいだせるかも教おしえてくださっています。(ヨハ 14:12)諦あきらめてしまわないなら,エホバは必かならず私わたしたちのことを喜よろこんでくださるのです。

どのように答こたえますか

  • 人ひと々びとが私わたしたちの伝つたえるメッセージに良よい反はん応のうを示しめさないと,どんな気き持もちになるかもしれませんか。

  • 宣せん教きょうで成せい功こうを収おさめているかどうかは,どんなことで決きまりますか。

  • 自じ分ぶんがバプテスマまで導みちびいた人ひとの数かずに注ちゅう目もくすべきでないのはなぜですか。

67番ばんの歌うた 「神かみの言こと葉ばを広ひろめなさい」

a 私わたしたちは,人ひと々びとが良よい知しらせを喜よろこんで聞きいてくれるとうれしくなりますが,そうでないとがっかりします。では,自じ分ぶんが聖せい書しょを教おしえている人ひとがなかなか進しん歩ぽしない場ば合あいはどうでしょうか。誰だれかをバプテスマまで援えん助じょしたことが一いち度どもない場ば合あいはどうですか。自じ分ぶんは人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうを十じゅう分ぶんに行おこなえていないと考かんがえるべきでしょうか。この記き事じでは,私わたしたちが伝つたえるメッセージを人ひと々びとが聞きくかどうかに関かかわりなく,私わたしたちが宣せん教きょうで成せい功こうを収おさめ,喜よろこびを保たもてるのはなぜかについて考かんがえます。

b 「2005 エホバの証しょう人にんの年ねん鑑かん」205-211ページを参さん照しょう。

c 「ものみの塔とう」2002年ねん9月がつ1日ついたち号ごうの「何なに一ひとつ変かえたくありません」というグラディス・アレン姉し妹まいのライフ・ストーリーを参さん照しょう。

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