「神よ,立ちあがって,その敵を散らしてください」
「神よ,立ちあがってその敵を散らし,神を憎む者をみ前から逃げ去らせてください」― 詩 68:1。
1,2 自分では気づいていない人をも含めて,だれが神の敵となっていますか。
神の敵となっている者がいます。今日何百万の人々は神すなわち至上者,全能者,初めも終わりもない神が実在し,天地の創造者,人間の造り主,地上の理知ある人間すべてがその前に責任を負い,かつ全く依存しなければならない神が存在するという考え自体を憎んでいます。
2 そのほかにも神を崇拝するふりをしながら実際には神の敵となっている者がいます。神をあやまり伝える宗教的な偽善者であるゆえに,彼らは最も悪質な敵でありましょう。神を愛したひとりの人は昔つぎのように書きました。「彼らは神を知っていると,口では言うが,行いではそれを否定している。彼らは忌まわしい者,また不従順な者であって,いっさいの良いわざに関しては,失格者である」。(テトス 1:16)また何億という他の人々はそれとは知らずに神の敵となっています。それは偽りの神々を崇拝しているからではなく,この世の友となっているからです。「世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は,みずからを神の敵とするのである」。(ヤコブ 4:4)不幸にも神の敵となっている者がいることは,否定できない事実です。
3 (イ)エホバが敵に対して立ちあがられるのは,どの程度までですか。(ロ)イザヤ書 28章21節には神のどんな目的が宣言されていますか。敵は何を考えるべきですか。
3 神が立ちあがって地上の敵を最終的に一掃する時がきました。今までにも神が敵の前に立ちあがり,さからう者を滅ぼされた例は歴史の頁に残されています。しかし今,神はみずから宣明された目的に従い,立ちあがって今日の敵を地から一掃されるでしょう。それはすべてのものに及ぶ大きな一撃であって,ひとりの敵ものがしません。たとえ27世紀前に記録されたものであっても,神はみずから宣言された目的を忘れません。「そは エホバ往昔ペラヂムの山にて起たまひしがごとくにたち ギベオンの谷にて忿恚をはなちたまひしが如くにいきどほり 而してその所為をおこなひ給はん 奇しき所為なり その工を成たまはん異なる工なり」。(イザヤ 28:21,文語)その時ペラジムで起きたことは歴史に残っており,それは神が怒りをはなたれる時,神の敵が大水に押し流されるようにその偶像もろとも一掃されることを彼らに思い起こさせるのに十分です。
4,5 (イ)ペラジムとギベオンにおける神のみわざを目撃したのはだれですか。その人は,土地に住む神の敵に対してどんな役割をはたしましたか。(ロ)詩篇 68篇1節から3節において,彼は敵と正義の者に関し何を祈りましたか。
4 紀元前11世紀にペラジムで起きたこと,またそののちギベオンで起きたことを目撃したのは,エルサレムのダビデ王です。(サムエル下 5:17-25。歴代上 14:8-17)ペラジムとギベオンにおいて敵のペリシテ人は一掃されましたが,それでも神がその代表としてエルサレムの王位にダビデ王をつけて中東の地に建てられた神の国の敵は完全に一掃されたわけではありません。ダビデの先祖,族長アブラハムに与えるとエホ神が約束された,ユフラテの大河からエジプトの川に至る細長い土地には,まだ大ぜいの敵が残っていました。(創世 15:17-21; 12:1-9; 13:14-18)たとえばシリア人のような手ごわい敵がその地方一帯に残っており,彼らを滅ぼすか,従わせて進貢者にすることが必要でした。ダビデ王は神の忠実な友アブラハムに,その土地をことごとく与えるという神の約束が成就するような方法で,敵に対処することを神から命ぜられていました。ダビデは詩篇 68篇の最初の3節を書いた時,それらの敵のことを考えていたに違いありません。
5 「神よ,立ちあがって,その敵を散らし,神を憎む者をみ前から逃げ去らせてください。煙の追いやられるように彼らを追いやり,ろうの火の前に溶けるように悪しき者を神の前に滅ぼしてください。しかし正しい者を喜ばせ,神の前に喜び踊らせ,喜び楽しませてください」。
6,7 (イ)詩篇作者ダビデはそこにだれのことばを引用していますか。その者は神の臨在を表わすどんなものを作るように命ぜられましたか。(ロ)ダビデの引用したことばをこの者が述べたのはいつですか。なぜ述べたのですか。
6 約束の地にはまだ征服されていない敵が残っていたため,敵に対するエホバ神の勝利の行進はまだ完全には行なわれていませんでした。そこで適切にもダビデ王は,紀元前16世紀にこの勝利の行進が始まった時,エホバ神に用いられた預言者モーセのことばを霊感の下に引用したのです。当時モーセはイスラエル12部族およびイスラエル人でない「多くの入り混じった群衆」とともにアラビアのシナイ半島の荒野にいました。(出エジプト 12:38。民数 11:4)宿営は全体で何百万人もの人から成り立っていました。その前年にエホバ神は彼らをエジプトら奇跡的に救い出されたのです。のがれるイスラエル人を追って乾いた紅海の底を渡ろうとしたエジプトのパロの軍勢は滅びました。その後3か月目にイスラエル人と「入り混じった群衆」とはシナイ山に達し,そこにおいてエホバ神は一国民としての彼らと契約を結ばれました。
7 この国家的契約の律法に従って,神を崇拝するための聖なる幕屋が建立され,幕屋の最も奥まった部屋には,神の臨在を表わす黄金の契約の箱が安置されました。イスラエル人が天幕をたたんで次の場所に移動する時,契約の箱は祭司たちの肩にかつがれて運ばれました。こうして神とその民は所有すべき約束の地にむかって行進したのです。その土地を全部所有するまでには,多くの敵に遭遇しなければなりません。そのことを認識したモーセは神とイスラエル国民との仲保者として神の導きを求めました。民数記 10章35,36節はそのことを述べています。「契約の櫃の進まんとする時にはモーセ言りエホバよ起あがりたまへ然ば汝の敵は打散され汝を悪む者等は汝の前より逃さらんと またその止まる時は言りエホバよ千万のイスラエル人に帰りたまへ」― 文語。
8,9 詩篇 68篇4節から6節において,ダビデ王は神に関し何をすることをその民に求めていますか。
8 エホバの勝利とその民に対するあわれみ深い処遇とは,エホバを賛美する歌によって祝うに値します。歌と音楽をよくした詩篇作者のダビデ王は自分の民であるイスラエル12部族にそのことをすすめました。
9 「神にむかって歌え,そのみ名をほめうたえ。雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。その名は〔ヤハ〕,そのみ前にも喜び踊れ。その聖なるすまいにおられる神はみなしごの父,やもめの保護者である。神は寄るべなき者に住むべき家を与え,めしゅうどを解いて幸福にみちびかれる。しかしそむく者はかわいた地に住む」― 詩 68:4-6,〔文語〕。
10 イスラエルの場合,神はご自身が(イ)みなしごの父また(ロ)やもめの保護者であることを示されましたか。
10 神を支配者とし,目に見えない王とした昔のイスラエル国民とくらべ,今日彼らの支配者にまさる支配者に恵まれた国民はありません。イスラエルの全国民は心ならずも,そして不当にも異教のエジプトにつながれていました。しかしエホバ神は奇跡的な十の災いを送ってエジプトの地を荒廃させ,彼らを繁栄へと導き出されたのです。その繁栄はダビデ王の時代までに全き状態に達していました。エジプトにおいてみなし子のようであったイスラエル国民全体を,エホバは「わたしの長子」と呼ばれ,彼らの父であることを証明されました。(出エジプト 4:22)神をあなどったパロの圧制の下からエホバが長子イスラエル国民を導き出された時,エジプトの長子と雄のういごはみな殺されました。エジプトにおいて神の民は,法廷で弁護する者のない無力なやもめのようでした。そこへ神は最高法廷の正義の裁判官のように介入し,苦しめられた国民が当然のもの,すなわち解放を得るようにされました。神はその民にとってあたかも夫になられたかのようでした。―イザヤ 54:4。エレミヤ 3:14; 31:31,32。
11 神は「そむく者」とは対照的に「寄るべなき者」をどのように扱れましたか。神はどんな名をもって進み行かれましたか。
11 エジプトにおいて油断のならない奴隷として扱われたイスラエル人は,住む家もなく荒涼とした荒野にさびしくいる人のようでした。しかしエホバは彼らを導き出して家すなわち約束の地に住まわせました。神の敵となり,かたくなにも神にさからった者を,神はさわやかな祝福と恵みのない,あたかも日に照りつけられて乾ききった地のようなところに住ませました。神の御名はヤハです。これはエホバを短くしたものです。エジプトにおいてイスラエル人は彼らの忠実な先祖が知っていたのとは別の意味においてエホバの名を知るようになりました。(出エジプト 15:1,2; 17:16)高められこの御名をもって,神は荒野を通り,その民を約束の地に導かれました。声高くエホバをほめ歌いなさい。
シナイからシオンへの行進
12,13 詩篇作者ダビデのことばから思い起こされるように,神は創造者としての力を表わすために何をふるうことができますか。神はシナイ山においてそれをどのように表わされましたか。
12 ご自身が創造の神であり万物の法則の神であることを示すために天地をふるうのは,全能の神エホバにとってはなんでもないことです。エジプトの奴隷のくびきからご自身の民を解放してのち3か月目に,神は彼らをアラビアのシナイ山に導き,ご自分の力を示されました。シナイの山頂から十戒を宣言する前に,神は彼らの律法授与者が単なる人間ではなく天地の神であることを示すため,地と空に畏怖すべき光景を出現させました。自然界の無生物が神の見えない臨在に動かされたとすれば,創造の驚異を見る理知ある人間が動かされないはずはありません。神は御心を成し遂げるために天地を動かすことができます。神のそのような力を思いおこした詩篇作者ダビデ王は,エホバをほめる次のことばを述べました。
13 「神よ,あなたが民に先だち出て,荒野を進み行かれたとき……イスラエルの神なる神の前に,地は震い,天は雨を降らせました。神よ,あなたは豊かな雨を降らせて,疲れ衰えたあなたの嗣業の地を回復され,あなたの群れは,そのうちにすまいを得ました。神よ,あなたは恵みをもって貧しい者のために備えられました」― 詩 68:7-10。
14 (イ)神は疲れ衰えた嗣業にどのように生気を与えられましたか。(ロ)神の民はどのように天幕生活を営みましたか。彼らは遂にどんな抵抗にあいましたか。
14 イスラエルの人々は異教の民の中から取り出されて神の独占的な所有となり,神の嗣業と呼ばれました。(申命 32:8,9)彼らはエジプトで苦しみにあっていました。それで荒野に出てシナイ山のふもとにたどりついた時,かわいた地のように疲れ衰えていたことでしょう。しかしそこで十戒をはじめ契約の他の律法が与えられ,組織的な清い崇拝が確立されて,エホバの祝福は豊かな雨のようにそそがれはじめたのです。それは神の嗣業の民を霊的に活気づけ,食物のように彼らを力づけました。からだの糧だけでなく神の口から出るすべてのことばによって生きなければならないことを,彼らは知ったのです。彼らは40年もの長い間,荒野すなわち約束の地の境の外で天幕生活を営みましたが,その最後の年にエホバは「乳と蜜の流れる地」の境に彼らを導かれました。土地の王たちが抵抗しはじめたのはその時です。いま何をすべきでしたか。聞いてください。
15,16 詩篇 68篇11節にしるされているように,イスラエルの女は彼らの男たちによる神の勝利に関連してどんな役をしましたか。
15 「〔エホバ〕は命令を下される。おとずれを携えた女たちの大いなる群れは言う,『もろもろの軍勢の王たちは逃げ去り,逃げ去った』と。家にとどまる女たちは獲物を分ける,たとい彼らは羊のおり[灰だまり,新世訳]の中にとどまるとも,はとの翼は,しろがねをもっておおわれ,その羽はきらめくこがねをもっておおわれる。全能者がかしこで王たちを散らされたとき,ザルモンに雪が降った」― 詩 68:11-14,〔新世訳〕。
16 むかし女は戦闘に加わりませんでしたが,軍隊が凱旋する時,いっせいに家から出てきて踊りと歌と音楽で勝利を祝い,良い知らせを宣べました。モーセの姉妹ミリアムは,エホバ神がエジプトの軍勢を紅海に沈めた時,イスラエルの女たちの先頭に立っておどり歌いました。(出エジプト 15:20,21)エフタの娘も敵のアンモン人を打ち破って帰った父を音楽と舞いで迎えています。(士師 11:34)サウル王が将軍ダビデとともにペリシテ人との戦いから凱旋した時にも,すべての町々から女たちが出てきて音楽と歌と踊りで迎えました。(サムエル上 18:6,7)女たちにとってそれは沈黙している場合ではありません。神の下に戦って勝利を得たのは彼らの男たちであり,女たちも勝利を祝い,勝利を与えられた神に栄光を帰することができました。彼らの男たちはその神の御心を行なったのです。
17 (イ)今日の婦人にはなぜ「おとずれ」を告げる義務がありますか。(ロ)神が昔のイスラエルに与えられたのはどんな「命令」ですか。その「命令」に従順なことから何が生まれますか。
17 このような女たちは神の敵ではありません。ダビデの詩篇にうたわれている昔において女たちの告げた良いたよりが心を喜ばせるものであったにしても,現代の婦人たちが告げるべき良いたよりはさらにまさったものです。それを告げることによって彼らは神の敵ではなく友であることを証明します。それは神からの良いたよりであり,それを告げるのは彼らの権利また義務です。イスラエル国民の歴史の初期において,「エホバは命令を下され」ました。それはどんな命令でしたか。神の敵の手から約束の地を奪いとるため,その土地に近づいたイスラエル人に対する命令は,勇ましく進め,神から授けられた権利なくして約束の地に住む神の敵を武力で滅ぼし,土地を得よというものであったに違いありません。イスラエルの戦士がこの命令に従うならば,どうなるはずでしたか。「エホバよ起あがりたまへ然ば汝の敵は打散されん」という願いが神にささげられています。この願いをささげられた神は勝利を保証されました。女たちが音楽と踊りで祝い,歌いつつ語るべき「おとずれ」がもたらされるでしょう。
18 (イ)どんな意味において女たちは神から「命令」を与えられたと言えますか。(ロ)神が敵の王を散らされた時,どのようにしてザルモンに「雪」が降りはじめましたか。
18 ご自分の民のために戦い,勝利を授けてくださるエホバは,語り告げるべき事柄を女たちに供給し,勝利を祝う歌の主題を与え,良いおとずれを授けられます。この意味においてエホバは命令を下されるのです。勝利の祝いに際して女たちは,異教徒の王にひきいられた敵の軍勢が彼らに対して戦われるエホバ神の前から逃げ去ったこと,全能の神がイスラエルの前から敵の王たちを散らされた時,累々たる敵の軍勢の死体がザルモンの雪のように戦場をおおったこと,あるいは神の民に勝利を与えるため,神の奇跡によってザルモンに雪が降ったとすれば,それらの事柄を語り告げたことでしょう。勝利を得た神の戦士は殺した敵の持ち物を奪って帰還し,家を守った女たちと分捕り品を分け合ったことでしょう。
19 兵士が灰だまりの中に伏しても,どのように貴金属のはとがあるはずでしたか。
19 刑執行者の神の軍勢が灰だまりの間に伏すことがあっても,しろがねの翼ときらめくこがねの羽を持つ貴金属製のはとがエホバの勝利のトロフィーとして持ち帰るために備えてあったのかもしれません。しかしイスラエル国民はエホバの「はと」とも呼ばれていました。(詩 74:19)この観点から見ると,神のはとの国民の兵士は神の敵との戦いにおいて灰だまりの間に伏すことがあっても,しろがねときらめくこがねでおおわれているかのように輝き,力強く羽ばたく清いはとのように現われるでしょう。それで神はこのはとの国民を敵の手に渡すようなことをされません。
20 1914年以来,敵は何を行ないつづけており,したがってエホバはハルマゲドンにおいて彼らに対し立ちあがられますか。
20 今日,神の敵は神の処遇を述べたこの詩的なことばが意味するものを見落としてはなりません。これらの敵は神の民に関する神の目的すなわち約束された正義の新秩序にその民を導き入れる神の目的の遂行を妨げようとしています。神のことばに預言された「終りの時」は,異邦人の時すなわち「諸国民の定められた時」が終わった1914年以来,諸国民に臨んでいます。諸国家はこの「終りの時」に臨んで権力を放棄しようとはせず,ご自身の創造に成る地に対して主権を行使される神に,平和に道をゆずろうとはしません。そこで全能の神は諸国家をその権力の座から追わねばなりません。神は国々に敵対して立ちあがります。神はそのことをハルマゲドンの戦場で行なわれるでしょう。今のところ諸国家は,神の国の地上における関心事を進める神の民の前進をあいかわらず妨げています。
21 ダビデの場合と同じく,敵はイエスの支配をどのように妨げようとしましたか。その企ては成功しましたか。
21 御国は,地上のエルサレムにあった昔のダビデの国ではなく,約束のダビデの子イエス・キリストの国です。イエス・キリストは神の奇跡によりユダヤ人の処女マリヤによってダビデの家系に生まれました。ダビデがエルサレムのシオンの山から王として治めるのを阻止しようとした敵は,神が彼らに対して立ちあがられた時,みじめな敗北をこうむりました。また敵はダビデの子イエス・キリストが王として治めるのを阻止しようとして,同じく敗北を喫しました。彼らはユダヤ人が過ぎ越しの小羊を殺す日にエルサレムの外でイエス・キリストを殺しました。しかし3日目に全能の神はイエスを死からよみがえらせ,栄光ある不滅の霊者にされたのです。その後ダビデの子は天の父のもとに上りました。神は天のシオンの王なる礎石としてイエスをすえられました。それは神の定めの時すなわち1914年にイエスが支配を始めるためです。その時から神はすべての異邦をダビデの子の足台とすることを始められます。―ルカ 21:24。イザヤ 28:16-21。詩 110:1,2。使行 2:34-36。ヘブル 10:13。
22 1914年以来,異邦は何にさからってきましたか。
22 1914年以来いまに至るまで異邦人の諸国家は「諸国民の定められた時」の終結を認めようとせず,統治するダビデの子の足台にされまいとして逆らっています。しかし彼らの頑強な抵抗はハルマゲドンにおいてむなしいものとなるでしょう。
諸国家に告げる
23,24 (イ)1914年に与えられたエホバの命令はなんですか。(ロ)イエスは1914年以後に何が起こることを預言されましたか。これも「命令」に含まれていますか。
23 昔の詩篇は68篇11節において「〔エホバ〕は命令を下される」と述べています。〔新世訳〕異邦人の時が終わった1914年にエホバは敵である地上の諸国家の放逐を命令されました。諸国家は「終りの時」を迎えたのです。(ダニエル 11:40; 12:4)この「終りの時」に何が起こるかについて,ダビデの子イエス・キリストは世界大戦,ききん,疫病,地震,諸国民の悩みだけでなく,地を治める新しい正当な政府すなわち神の国の福音の宣明を預言されました。ご自分の忠実な追随者の迫害を預言してからイエスは次のように言われました。「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」― マタイ 24:7-14。
24 こうして神は敵の諸国家に告げることをされています。これらの敵は従わせられ,ダビデの子の足台とされるでしょう。神はそのことを「命令」されました。この「命令」の中には,ハルマゲドンにおいて神が立ちあがる前に,諸国家に警告することも含まれています。そのことは行なわれてきましたか。
25 (イ)警告を与えることは御国の証人にとって何を意味しましたか。神にとって何を意味しましたか。(ロ)同様に御国の誕生は何を意味しましたか。どんなおとずれがそれに由来しましたか。
25 それは特に1919年以来行なわれてきました。1919年以来エホバの御国の証人にとってそれは戦いを意味したのです。しかしこれら御国の証人は「神よ,立ちあがって,その敵を散らしてください」と祈りました。神はその祈りに答えて彼らのために道を開かれたので,1914年に,ダビデの子の治める神の国の建てられたことを告げる良いたよりが宣明され,諸国家に警告が与えられてきました。これはエホバにとって一連の勝利を意味しました。今日では199に及ぶ世界各地で164の言語を用いて御国を諸国家に告げることが可能となっています。天における神の国の誕生自体,サタン悪魔と悪霊に対する神の勝利でした。(黙示 12:5-12)御国を告げるわざが大きくなり,ますます多くの国で行なわれるようになったことは,エホバ神にとっていっそうの勝利を意味しました。神のこのような勝利は,良いたよりであって,人々に告げられねばなりません。
26 (イ)「おとずれを携えた女たち」が「大いなる群れ」を成すことは,今日どのように真実ですか。(ロ)「軍勢」ということばは,これらの婦人にとってなぜ適切ですか。
26 神のこれら霊的な勝利は今に至るまで世界的に祝われてきました。神の「命令」はむなしくなりませんでした。神はその命令を遂行して勝利に導かれたので,「おとずれを携えた女たち」は「大いなる群れ」を成しています。(詩 68:11)それは報告された事実からも証明されています。1967年4月には全世界で115万4079人の人々が神の御国を知らせ,ハルマゲドンにむかう神の勝利の行進における神のみわざを宣明していました。祝う者は大ぜいです。それを構成する人々をしらべると,その大多数は婦人であることがわかるでしょう。ゆえにこれら115万4079人のうち,婦人は「大いなる群れ[軍勢,新世訳]」を成しています。「おとずれ」を宣べる婦人はヤハすなわちエホバの御名を持たれる神の下に戦う人々であるゆえに,適切にも「軍勢」と呼ばれています。その多くは母親,妻,娘として家を顧みなければならないことでしょう。それでも彼らは地上にいる御国の証人をとおしての神の勝利の獲物にあずかります。戸別訪問による伝道において,これらの婦人は全体として男子よりも多くを行なっています。