霊的に安全であることから得られる益と報い
1 漂流する世界のさまざまな危険に対して安全な人々はだれですか。
人類の物質的,身体的安全は崩壊しつつありますが,霊的安全は,漂流するこの世界の道徳的,社会的,政治的,宗教的危険に対する守りとなっています。霊的に安全な人々とは,神の聖言の中に述べられている霊的な事柄を自分の生活の中で第一にする人々です。彼らは,他の必要物はすべて神が世話をしてくださることを知っています。
2,3 残りの者と「大群衆」は実際にどのようにエホバを彼らの「避難所」としましたか。
2 生活の中で神を支配的な地位に置くことにつき,霊感を受けた詩篇 91篇の作者は,次のように述べてわたしたちに安心感を与えてくれます。「『エホバはわたしの避難所です』と言ったので,あなたはまさに至高者を自分の住みかとしたのである。災いはあなたに臨まず,災厄さえあなたの天幕に近づくことはない」― 詩 91:9,10,新。
3 この至高の神を「自分の住みか」とするとは,なんとすばらしい考えでしょう。それは,エホバに対して,「あなたはわたしの避難所です」と言うだけでなく,至高の神を実際に,わたしたちが安全を求めるすばらしい所とすることの結果です。神の霊的イスラエルの油そそがれた残りの者は,特に1925年以来,エホバが自分たちの避難所であることを恐れることなく公に言い表わしてきました。エホバを神として崇拝することに加わった,最近登場した「大群衆」は,残りの者に倣ってエホバを自分たちの避難所,したがって自分たちの「住みか」とし,そのことを言い表わしてきました。
4 この二つのグループは,どんな顕著な問題のために一致して行動してきましたか。
4 この二つのグループは一致して,至高者エホバが宇宙主権者であることを宣べ伝えてきました。いま激しい論争の的となっている,全地に対する神の支配権と人間の支配権との間の問題においては,彼らはエホバの主権を支持してきました。神のみ子イエス・キリストの手中にある神のメシアの王国こそ,苦悩する人類に対する唯一の希望であることを,彼らは全世界に知らせつづけています。彼らは,すべての安全の唯一の源としてエホバのうちに住まっています。現在および将来に対する彼らの不変の関心事は,エホバにあって安全であることです。
5 神を命の避難所とする者には臨まない災いとはどんなものですか。
5 この邪悪な世にとって,災いは,政治や経済の問題において大きくなっているのみならず,道徳や社会や宗教の問題においてははるかに大きく有害なものとなりつつあります。しかし,唯一の生ける真の神エホバを自分の命の避難所としている人々には,『災いは臨みません』。つまり,詩篇 91篇の前のいくつかの節に述べられている災いは一つも臨まないということです。もとより,洪水,ハリケーン,地震,流行病,食糧不足などの大規模な天災,国際間また部族間の戦争や政治革命などによる荒廃は一般の人々と共に経験します。しかしそうしたものは,彼らの霊性を破壊したり,彼らの信仰や全能の神に対する信頼を弱めることはありません。地上で生ずるそのような災いからは,物質的にも身体的にも立ち直ることができます。
6 霊的災いのほうがより深刻なのはなぜですか。それに悩まされるのはどんな人々ですか。
6 しかし,霊的災いは別です。キリスト教世界とユダヤ民族の場合のように,それからの回復はありません。これらの宗教グループは,異教世界と同じように,霊的に繁栄していません。宗教面では病気にかかった不健全な状態を続けており,彼らの前途には,きたるべき「大患難」における破滅的災いがひかえています。(マタイ 24:21,22。啓示 7:14)エホバのもとに避難せず,エホバを住みかとしていない人々すべての前途には,災いがあります。
7 (イ)都市のような世界を病菌で汚すひゆ的な「災厄」は何ですか。(ロ)天幕に住む外国人寄留者のようなわたしたちにとっては,どうすることが安全を得る道ですか。
7 至高なる神に信頼してそのうちに住まう人々は,現在の事物の体制においては,都市の境の外の天幕の中に住む外国人寄留者として描かれています。(ペテロ第一 2:11。ヘブライ 11:8-10)一つの級としての彼らに対する神の約束は,「災厄さえ彼らに近づくことはない」というものです。(詩 91:10,新)都市に似た世界を今悩ましている霊的に有害な「災厄」のなかには,国家主義,熱狂的な愛国主義,進化論を事実として教えること,利己的な物質主義,麻薬の乱用,輸血熱,心霊術的行ない,現代的な「新しい性道徳」,神よりも快楽を愛すること,宗派主義,聖書の「高等批評」,科学という「聖牛」の崇拝,また政治的「野獣」の崇拝,戦後現われた野獣の「像」すなわち国際連盟の後継者である国際連合の崇拝などの伝染性の強いものがあります。(啓示 9:20,21; 13:1-18)エホバを自分の避難所とする人々は,天幕をこの世という「都市」から遠く離れた所に張っておくときにのみ,その多くの「災厄」に影響されないでいることができます。わたしたちはこの世のものではないのですから,近寄らないようにしましょう。―ヨハネ 17:14-16。ヘブライ 11:9,10とくらべてください。
犠牲にならないための天使の保護
8 わたしたちは単なる人間の導きよりもむしろ何が必要ですか。わたしたちはそれを得ることができますか。
8 霊的な危険の多いこの世の中を歩き回るとき,わたしたちの道が神に喜ばれるものであるためには,人間の導き以上のものが必要です。その超人間的な導きが与えられることは約束されています。詩篇作者はさらにことばをつづけ,「彼は,あなたに関する命令をその使いたちに与え,すべての道であなたを守られるからである」と述べています。―詩 91:11,新。
9 このことは,肉のイスラエルに対するどんな約束がなされ,イエスに対しどんな奉仕が行なわれ,イエスの子どものような追随者たちに関連してどんな保証が与えられたことを思い起こさせますか。
9 この約束は,神が預言者モーセを通して肉のイスラエル国民に言われたことを思い起こさせます。『みよ我天の使いをつかわしてなんじに先だたせ途にてなんじを守らせ なんじをわが備えしところに導かしめん わが使いなんじにさきだちゆきてなんじを……導きいたらん』。(出エジプト 23:20,23; 32:34; 33:2)また,神のみ子イエス・キリストが,ユダヤの荒野の中でしかけられた,詩篇 91篇11,12節と関係のある誘惑を含む三つの誘惑を退けられた後にも,「悪魔は彼を離れた,見よ,み使いたちが来て彼に仕えはじめ」ました。(マタイ 4:1-11)イエスはご自分の子どものような追随者たちに関してこう言われました。「天にいる彼らのみ使いたちは,天におられるわたしの父のみ顔を見守っているのです」。(マタイ 18:10)これらの天の使いたちは今,霊的イスラエル人の残りの者とその忠節な仲間たちに関する命令を神から受けています。
10 み使いたちの,『すべての道であなたを守る』任務は,どんな「道」にも当てはまりますか。
10 この使いたちの,『すべての道であなたを守る』という任務は,エホバの崇拝者たちが歩む,啓示されているエホバのことばに調和した,したがってエホバの是認と導きのもとにある「道」を守ることにも当てはまります。エホバの使いたちは,それとは違う道 ― 利己的で自分勝手な道には,「残りの者」や彼らの仲間である「大群衆」と共に行きません。―マタイ 13:41,42。
11 「事物の体制の終結」と中天を飛ぶみ使いについてのイエスの預言は,み使いがイエスの地上の追随者たちとかかわりを持つことをどのように示していますか。
11 「[イエスの]臨在と事物の体制の終結のしるし」に関するイエスご自身の預言は,選ばれた霊的イスラエルの成員を集めるために,イエスがご自身の使いたちを遣わされることをはっきり予告しています。また,イエスが羊とやぎを分けるように諸国民を分けるために来られる時にも,み使いたちはイエスと共にいます。(マタイ 24:3,31; 25:31,32。啓示 7:1-8)聖書の巻末の本,すなわちイエスを通して使徒ヨハネに与えられた啓示は,この「事物の体制の終結」の間に,霊的イスラエルの油そそがれた残りの者が地上で行なう活動に,天のみ使いたちが関係することをはっきりと示しています。たとえば,ヨハネが見た,地の全住民に宣べ伝える永遠の良いたよりを携えて中天を飛んだみ使いの幻の成就においては,地上でその仕事を行なうエホバの崇拝者たちのために,み使いの導きと保護のあることが示されています。(啓示 14:6,7)しかしそれだけではありません。
12 啓示によると,当時の残りの者はいつ「最後の七つの災厄」をそそぎ始めましたか。彼らはみ使いの導きと保護を受けたにちがいありません。なぜそう言えますか。
12 西暦1922年から1928年の間に,「最後の七つの災厄」が当時の油そそがれた「残りの者」を通してそそがれ始めたときにも,み使いの導きと保護があったに違いありません。啓示 15章から17章は,神の怒りの満ちた「鉢」もしくは「びん」を,天のみ使いたちが神の手から受けて携えており,またそれらの器を操作していたことを示していますから,それは必然的な結果でした。このようにして,奉仕という神の道を歩み続けることにより,エホバの崇拝者たちはみ使いの保護を確信します。―詩 34:7。ヘブライ 1:13,14。
13 エホバの「道」を歩む人々の道筋に,サタンの地上の代理者たちは何を置きますか。このことについて詩篇 91篇12節はどう述べていますか。
13 エホバ神の崇拝者としてわたしたちが歩む「道」は,悪魔サタンを「神」とし,名利を追うことを事とする,この事物の体制のまん中を通っています。(コリント第二 4:4)したがって,この偽りの神の地上の代理者たちが,エホバの崇拝者たちをつまずき倒れさせて破滅に至らせるように,わたしたちの道にひゆ的な石を置くことは予想されます。しかし,そのようなつまずきの原因と関連して,詩篇作者は,エホバのみ使いにつきさらに語り,こう述べます。「彼らはその手に載せてあなたを運び,あなたがどの石にも足を打ち当てることがないようにする」― 詩 91:12,新。
14 西暦第1世紀においては,何が肉のイスラエル国民にとり「つまずく石」となりましたか。なぜですか。
14 これは,わたしたちがそのような「石」の影響を受けないように,それらの天のみ使いたちがわたしたちを支持し,支えてくれることを意味します。西暦1世紀においては,背教したイスラエル人,すなわち『イスラエルの両の家』には,つまずいて霊的破滅に至らぬよう守ってくれる,そのようなみ使いの助けがありませんでした。彼らはエホバの真のメシア,イエス・キリストにつまずきました。彼らにとってイエス・キリストは,イザヤ書 8章14節に予告されていたように,『つまずく石』,「妨ぐる磐」でした。(ペテロ第一 2:7,8)メシアとしてのイエスを彼らが退けたことは,今日に至るまで,割礼あるユダヤ人たちに霊的な害を及ぼしています。しかしながら,これは詩篇 91篇12節で語られている「石」ではありません。
15 詩篇 91篇12節の「石」はどのように異なっていますか。これはどのように説明できますか。
15 この「石」は,エホバの大敵対者,悪魔サタンから来るあるものです。ですからもし人が,この「石」に相当するものを受け入れるなら,その人は神の恵みを失います。これは1世紀の,メシアという「石」などとは違います。その石は,もしユダヤ国民が受け入れていたなら,彼らに引き続き神の恵みを受けさせていたでしょう。しかし当時,国家主義的なユダヤ人は,神からのものでない偽のメシアに従いました。イエス・キリストは,わたしたちの時代をも展望して,ご自分の弟子たちに,この「事物の体制の終結」の時における偽のメシアもしくはキリストに注意するよう,警告されました。(マタイ 24:3,5,23-26)予告どおり,それら「偽キリスト」は,とくに個々の人間の形で出現したわけではありませんが,メシア的力を持つもののように考えられ,メシアが与えるような祝福がそれを通して来ると期待された,政治体制や経済体制の形で出現しました。たとえば,ニキタ・フルシチョフが,彼流のソ連共産主義は,人民のために楽園を確立すると約束した時などがそれです。また,1918年の12月に,アメリカのキリスト教会連邦会議が,国際連合を,「神の王国の地上における政治的顕現」としてたたえたことも,忘れることはできません。
16 み使いたちに感謝すべきことに,エホバの証人が足を打ち当て倒れることのなかった,『多くの石』のうちの幾つかを挙げなさい。
16 エホバの使いたちは忠実に『エホバの崇拝者たちを彼らの手に載せて運びました』から,彼らはその種の「どの石」にも足を打ち当てず,エホバの恵みを失うことはありませんでした。1939年の11月,世のすべての紛争に対してクリスチャンの中立を守ることを公にした時,このことは,彼らがすでに選んでいた,平時戦時を問わず徴兵を拒否するという道において,彼らを強化しました。第一次世界大戦後,ドイツ国民の千年にわたる神聖ローマ帝国の再建をめざすアドルフ・ヒトラーのごとき独裁者が政府内に台頭しました。しかしエホバのクリスチャン証人は,そのような独裁者たちを,エホバの真のメシアであるイエス・キリストの立場を占める者としかつそれに従うというようなことは決してしませんでした。至高の神の律法の至上性に関する試練の時には,キリストの使徒たちのことばを取り上げ,政治家,裁判官,警察官などに対し,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」と言いました。(使徒 5:29)エホバの使いたちに感謝すべきことに,エホバの証人と,彼らが行なう神の王国の伝道とに対して下された禁令や禁止のような「石」にさえも,エホバの崇拝者たちはつまずいて倒れることはありませんでした。
公然と行なわれる攻撃と,ひそかに行なわれる攻撃に対して安全
17 ことばの種類について言えば,詩篇 91篇13節はルカ 10章19節とどのように似ていますか。
17 西暦32年の終わりごろ,イエス・キリストは70人の弟子を,神のメシアの王国の福音宣明者として送り出されました。イエスは彼らに対して明らかに象徴的なことばで語られ,こう言われました。「ご覧なさい,わたしはあなたがたに,へびやさそりを踏み付け,敵のすべての力を制する権威を与えました。それで,何ものもあなたがたをそこなうことはありません」。(ルカ 10:19)同様に,詩篇作者は,象徴的な意味で,エホバをその住まいとした級に向かって言います。「あなたは若じしとコブラを踏み付け,たて髪のある若じしと大へびとを踏みつぶす」― 詩 91:13,新。
18 「若じし」は,ひゆ的な意味で,どのように踏みつぶされましたか。
18 若じしは,自分の姿を現わして,公然と正面から攻撃します。それと同じように,強い権力を持つ政治国家は,犠牲者を告発する立法処置を取りました。彼らは,エホバの証人に適用することを目標にした法律を公に通過させました。あるいは国家主義的な法律を彼らに適用しました。それにはどんな目的がありましたか。それは彼らを飲み込み,同化させ,神により上から下に支配されているエホバの証人の世界的な組織体から引き裂いて国家の宗教団体とし,宗教面で国家に従属させるためでした。忠節なエホバの証人は,そのような全体主義の,国家が管理する制度を拒否し神権支配を受けている者にふさわしく,神の支配にしっかりとつき従いました。
19 「コブラ」は,ひゆ的な意味で,どのように踏みつぶされましたか。
19 コブラは若じしとは違い,ひそかに,隠れた所から襲います。それは,ダンの部族が似ているとされた,『路のかたわらの蛇』,『馬のくびすをかむ』へびのように危険です。(創世 49:16,17)国教が権力を握っている国においてさえ,エホバの証人は,神の王国を戸別に宣べ伝える公のわざを行なう時に,計画的に犠牲者にされ,コブラの攻撃のような,有害な,思いもよらぬ攻撃を受けました。キリスト教世界の僧職者たちは,国家を,自分たちに代わって刑を執行してくれる者としてその背後に隠れ,政治家,法律制定者,警察当局者,裁判所の判事などを通して,エホバの証人たちをひそかに攻撃しました。(詩 94:20)しかしエホバの証人について言えば,彼らは不当な攻撃の毒に対する恐怖で腰を抜かすようなことはしませんでした。彼らは依然として法律を守り,穏やかな態度で裁判所に訴え,国家によって認められている権利宣言に訴えて彼らの憲法上の権利を主張しました。彼らは国の最高法廷にまで出て,信教の自由と神の王国を宣べ伝える権利とを法律によって確立しまた守るための,法律上の戦いを行ないました。(フィリピ 1:7,16)彼らの努力はしばしば勝利を収めました。
20 聖書文書が発行禁止になったにもかかわらず,証人たちはどのようにして弟子を作りましたか。
20 敵は,おおっぴらに正面攻撃を加えようと,ひそかに陰険な方法で攻撃を加えようと,至高の神の一路前進する証人たちによって踏み付けられてしまいました。文書の発行を禁止された時には,彼らは聖書だけを証言のわざに用いて,キリストの弟子を作る聖書に基づくわざを押し進めました。その結果,多くの弟子が生まれました。―マタイ 28:19,20。
21 エホバの崇拝者たちはどのように,象徴的な「たて髪のある若じし」を踏み付けますか。
21 詩篇作者は,「たて髪のある若じしと大へび」を踏みつぶすことを述べ,比較によって,ひゆ的表現の感動を高めます。たて髪のある若じしは,ただの若じしよりも年がたけており,どうもうな顔つきをしているはずです。そして大へびは巨大な爬虫類の動物のことでしょう。ギリシャ語七十人訳の詩篇はこれを「龍」と呼んでいます。しかし,たて髪のある象徴的な若じしが,公然と正面攻撃をするときに,いかに荘重な,いかにどうもうな顔つきをしていようと,エホバの崇拝者たちはこの危険な攻撃者を踏みつぶします。彼らは,ししのような人間や,ししのような人間製の組織よりも,至高の神を最高支配者として従い,歩みつづけます。ししのようなカエサルには,カエサルのものだけを納め,神のものは何ひとつ控えることなくすべて神に納めます。(使徒 5:29。マタイ 22:21)ですから彼らは,「しし」の危険な行動によって霊的に害されることはありません。
22 エホバの崇拝者たちはどのように象徴的な「大へび」を踏みつぶしますか。
22 龍のような「大へび」は,へびの「胤」の父,悪魔サタン,「初めからのへび」を思い起こさせます。(創世 3:15,新。啓示 12:9)詩篇作者はここで彼を,「海の怪物」としてではなく,陸の怪物,人間をぐるぐる巻いて締め殺し,それを飲み込むだけの長さのある,並はずれた大きさの爬虫類の動物として描いています。(エレミヤ 51:34)それでエホバの崇拝者たちは,悪魔サタンが,その怪物のような世界組織によって彼らをぐるぐる巻き,この世の圧力で締め殺し,彼の配下の悪霊の支配する組織に飲み込んでしまおうとしているのを認めたなら,彼らはこの「大へび」をふりほどき,踏みつぶしてしまいます。彼らはあらゆる形の心霊術を避け,それらに抵抗します。そのようにして,悪霊に思いや意志を巧みに支配されないようにします。(ルカ 10:17)キリストの共同相続者の油そそがれた残りの者は,まもなくサタンを彼らの足の下に砕いて,ローマ 16章20節の成就にあずかりたいと思うなら,まずこのことを行なわねばなりません。彼らはこの火のように赤い「龍」に対して今断固たる処置を取り,彼を常に足の下に踏み付けておかねばなりません。―ペテロ第一 5:8。
神を愛し,神の名前を知る
23 神は詩篇 91篇14節の中で,神性のゆえにエホバを愛する人々についてなんと言われていますか。
23 人間は,創造者なる神を,ただその神性のゆえにのみ愛することができるのではない,と悪魔サタンは言います。しかし至高の神は,ご自分の地の被造物の真の愛をさえ認識されます。神がこの認識をどのように表わされるかを詩篇作者は示し,一つの級としての,ご自身の忠良なる崇拝者たちに関し,次のように話し語られたと書いています。「彼がわたしに愛情を傾けたがゆえに,わたしもまた彼のために逃れ道を備える。彼がわたしの名を知るようになったゆえに,わたしは彼を保護する」― 詩 91:14,新。
24 それで,ただ霊的安全を得るためというよりもむしろどんなわけで神の崇拝者たちは神のもとに避難しましたか。
24 生ける真の神の崇拝者たちは,神が愛の最高の典型であられるゆえに神に愛情を傾けてきました。彼らは自発的に心を神に寄せ,愛情を込めて神への忠誠を固守し,神から離れませんでした。彼らは神を愛するよう命令されています。しかし彼らは,神が先に彼らを愛し,ご自分の独り子イエス・キリストを通してその愛を表わされたがゆえに神を愛します。(申命 7:7; 10:15。マルコ 12:29,30。ヨハネ第一 4:19)ですから,彼らが神のもとに避難したのは,霊的安全を得るためばかりではありませんでした。
25 エホバはご自身の崇拝者たちのために何から逃れる道を備えられましたか。将来はどうでしょうか。
25 その彼らに対して全能者なる神は愛情をもってこたえ,彼らがこの世の宗教上のとりことならないよう,そうです,撲滅されてしまわないよう,ご自身の崇拝者たちに逃れ道を備えられました。その証拠に,神の真の崇拝者たちは,この極めて危険な時である今日にも存在しており,その数は増加しています。将来に臨む危急の時に逃れ道を備える神の能力は,依然として偉大なものです。
26 「彼がわたしの名を知るようになったゆえに,わたしは彼を保護する」という神のことばの要点は何ですか。
26 霊と真理とをもって至高の神を崇拝する人々が地の面から拭い去られることは,決してありません。さもなければ,至高の神のみ名は地から消し去られてしまうでしょう。これが,ご自身の崇拝者一同につき神が言われたことの要点です。「彼がわたしの名を知るようになったゆえに,わたしは彼を保護する」― 詩 91:14,新。
27 1925年に,何に注意が集中され始めましたか。その結果,「ものみの塔」の1926年1月1日号にはどんな記事が掲載されましたか。
27 西暦1925年以来,霊的イスラエルの油そそがれた残りの者は,神が全世界でご自分の名をあげられる時が来たことを聖書が示しているのに注目しました。(エレミヤ 32:20。イザヤ 63:12)このことは,エホバという神の固有の名前に注意を集中させました。したがって翌年の初頭,「ものみの塔」誌の読者たちは,「だれがエホバを敬うか」という挑戦的な問いかけに直面しました。1926年1月1日号に掲載された主要記事の主題はこれだったからです。
28 1928年,エホバの崇拝者たちは,エホバのみ名を「知るようになった」ことを示すために,デトロイトで開かれた国際聖書研究者協会の大会で何を行ないましたか。
28 それから3年もたたないうちに,国際聖書研究者協会は,神のみ名を「知るようになった」ことを示して,1928年の夏にミシガン州のデトロイトで開かれた国際大会で,「サタンに反対し,エホバに賛成する宣言」を,大いなる歓呼をもって採択しました。この宣言は印刷されて,全世界に幾千万部も配布されました。その注目すべき年1928年には,野外奉仕を報告する聖書研究者が4万4,000人いて,その配布に携わりました。さらにその後,期待を上回る事柄が生じましたが,それはどんなことでしたか。
29,30 (イ)神のみ名をさらに広く知らせるために,1939年に,「ものみの塔」誌の表紙の題銘はどうなりましたか。(ロ)エホバはそのみ名を上げられましたか。もしそうであれば,だれによって?
29 1931年7月26日,日曜日午後,オハイオ州のコロンバスで開かれた国際聖書研究者協会の国際大会で,エホバの証人という新しい名称を用いることに賛成の決議が心をこめて採択されました。以後この決議は世界じゅうの会衆によって採択されたので,そのときから彼らの宗教組織は,エホバの証人であることが分かるようになりました。神のみ名をさらに広く宣伝するために,第二次世界大戦の勃発する幾か月か前の1939年3月1日,証人の機関誌は,「ものみの塔 エホバの王国を告げ知らせる」という新しい題銘を帯びて登場しました。そして1975年という危機の年にある現在,預言をされる至高の神はご自身の名を上げられただろうか,という質問がなされるのはもっともなことです。その答えは自明で,然り,です。ではだれによって? キリスト教世界やユダヤ民族によってではなく,エホバのクリスチャン証人によって神はそのみ名を上げられました。
30 実際,エホバの崇拝者たちが「わたしの名を知るようになった」がゆえに彼らを保護するということは,ご自分の名前を守り,ご自分の名を「全地」に示すための手段を持つことを意味しました。―ローマ 9:17。出エジプト 9:16。
31 彼らはだれの名によって歩むことを決意していますか。彼らはだれの名を呼んで助けを求めますか。
31 これらエホバのクリスチャン証人たちの今の決意は,ミカ 4章5節(新)のそれと同じです。「すべての国々の民はおのおの,その神の名によって歩む。しかし,わたしたちは,定めのない時まで,永遠までも,わたしたちの神エホバのみ名によって歩む」。詩篇 91篇15節(新)の中でエホバが次に言われることばに心から信頼し,引き続きエホバのみ名を呼んで助けを求めます。「彼はわたしを呼び求め,わたしは彼に答える。苦難の時にわたしは彼と共にいる。わたしは彼を救い出し,彼に栄光を与える」。
救出され,栄光を受ける
32 エホバは,エホバを呼び求める者たちを,エホバの証人でないとして拒否していないことを,どのように示されますか。また将来そのことをどのように示されますか。
32 世の敵意が増大するゆえに,また龍であるサタンが絶え間なく戦いをしかけてくるゆえに,エホバの崇拝者たちはすでに多くの苦難を通過してきました。しかしエホバは,そのみことばにたがわず,常に彼らと共におられ,エホバの証人としての彼らを拒否されたことはありませんでした。この邪悪な世界は終わり,完全に滅びるので,彼らの前途にはなお大きな苦難がひかえていますが,その時にもエホバはご自分の崇拝者たちと共におられ,そのことを奇跡的な方法で知らせられるでしょう。彼らが,すべての見える敵,見えない敵によって不名誉な滅びに追いやられるのを許すよりも,むしろエホバは言われます。「わたしは彼を救い出し,彼に栄光を与える」,あるいは,「誉れを与える」― 新英語聖書。
33,34 救い出されたあと,エホバの崇拝者たちはエホバからどのように栄光を与えられますか。
33 ここで約束されている栄光は,必ずしも,霊的イスラエルの油そそがれた残りの者の成員が,統治しておられる王イエス・キリストと共に天で栄光を受けることを意味するものではありません。それはエホバのご予定の時に,約束されている「長き日」の後に生ずるでしょう。
34 しかしすでにエホバは,ご自分の地上の崇拝者たちをすぐれた方法で幾度も救い出しておられます。それは彼らにとっては霊的栄光となり,エホバのみ名にとっては誉れとなりました。そのように神に救い出されたあと,彼らは,神の敵でもある彼らの敵に対して誇る特権を与えられました。彼らは今日に至るまで,エホバの証人として,また神の無敵のメシアの王国の宣明者としてさらに奉仕する栄誉を与えられています。もとより,きたるべき世の「大患難」と,ハルマゲドンの時の「全能者なる神の大いなる日の戦争」におけるその最高潮の間には,エホバの最も大いなる,最もすばらしい救いが彼らを訪れるでしょう。したがって,彼らはその世界を滅ぼす「大患難」に生き残り,その戦争の中の大戦争の勝利者の側の栄光にあずかります。そして神がこの地のために立てられる新秩序に入る栄誉を得ます。
35 このようにして彼らは生きつづけて地上でどんな栄光を享受しますか。エホバの側の何が彼らにこのことを可能にしますか。
35 このようにして彼らは生き続け,至高の神がご自身の宇宙主権の立証のために,またご自身のりっぱなみ名を神聖にするため戦って勝利を得られる時に救い出される者となる栄光を享受するでしょう。(啓示 16:14,16。エゼキエル 38:23。詩 83:18)至高の神が彼らを救われるので,このことは彼らに可能となります。エホバはこの非常に美しい詩を終えるに当たり,詩篇作者を通して言われます。「長き日をもって彼を満ち足らせ,わたしの救いを彼らに見させる」― 詩 91:16,新。
36 残りの者はいつ,ハルマゲドンにおける神の「戦争」に生き残る見込みに目を開かれましたか。彼らは,地上での「長き日」にどの程度まで満足しますか。
36 ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」に生き残り,この地上でエホバの義の新秩序に入るという見込みを,「神のイスラエル」の油そそがれた残りの者が霊的に理解し始めたのは,1928年の末からにすぎません。(「ものみの塔」誌〔英文〕の1928年12月15日号,376ページ,35,36節をごらんください)そして1975年の現在,依然この地上にいる幾千人かの油そそがれた残りの者は,その喜ばしい見込みが実現することを予期しています。彼らの羊のような仲間の,増加しつつある「大群衆」は,命を中断されることなくその新秩序に入ることを,残りの者と共に待望しています。新秩序においてエホバ神は,地上にいる油そそがれた残りの者の「長き日」を,その成員が十分に満足するまで増やされるでしょう。彼らが,地の死者の復活の開始を見,古代の,つまりキリスト以前の忠実な証人たちに会うまで,なおこの地上にとどまっているかどうかはまだ分かりません。地から取り去られてキリストと共に天の報いを受ける前にそうなれば,彼らは喜ぶでしょう。
37 「大群衆」の成員は,どんな「長き日」に満足することが可能ですか。
37 人類に対するキリストの千年統治が終わったあとの決定的な試験の時に,終始,宇宙主権者エホバに忠実を保つ「大群衆」の人々は,エホバの宇宙主権の支配下にある地の「楽しみの楽園」で永久に,終わることなく生きて,「長き日」に満足するでしょう。エホバを崇拝することには,なんと大きな報いがあるのでしょう。
38 「秘められた所に住まう」人のだれかが,ハルマゲドンの神の戦争が終わりサタンが底知れぬ深みにつながれる前に忠実のうちに死ぬとしても,それはなぜ霊的安全の最重要なことを否定するものとならないでしょうか。
38 ところでわたしたちは,エホバ神が与えてくださる霊的安全に対して感謝し,心からそれを望むでしょうか。エホバが,ご自身の忠実な崇拝者すべてのために用意しておられる輝かしい報いを得られるよう保護されることを望むなら,この種の安全は最重要なものではないでしょうか。『至高者のもとなる秘められた所に住まって』,エホバの設けられた霊的に安全な所に,信頼しつつとどまる人々はみな,エホバにより『わたしの救いを見させ』られるでしょう。(詩 91:16,新)もしハルマゲドンのエホバの「戦争」後新秩序が実際に始まる前,そしてサタンとその配下の悪霊が底知れぬ深みにつながれる前に,忠実に仕える日々が死によって短くされるとしても,このことは変わりません。(啓示 20:1-6)全能の神は,約束通り死者を復活させることにより,忠実のうちの死からやはり救い出すことができます。神の設けられた霊的に安全な所から離れる人は,神の是認を得てきたるべき「大患難」を通過し,神による救いを見ることは決してありません。
39 わたしたちひとりびとりは,エホバにどんな喜びを持っていただくことを願うべきですか。どうすればエホバにそれを持っていただくことができますか。
39 エホバは,ご自分がみ子イエス・キリストを通して救いをわたしたちに見させることに喜びを持たれます。わたしたちはひとりびとり,愛を込めて,エホバにこの喜びを持っていただくようにしたいものです。エホバがご自分の忠実な崇拝者たちのために備えられた,霊的に安全な「秘められた所」に,崇拝者にふさわしい態度でとどまることにより,わたしたちはそれを行なうことができます。―箴 21:31。啓示 7:9-17。