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主の足跡に従うものみの塔 1980 | 4月15日
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与えることは幸福です。この終わりの時のあいだクリスチャンに与えられている特別な仕事に自分の時間と精力を十分に用いたと思えるとき,ほのぼのとした気持ちになり,満足感を味わうことができます。わたしたちを最も幸福にし,エホバ神に最大の誉れとなるのは,確かに,主の足跡に従うことです。―マタイ 22:37-39。使徒 20:35。
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読者からの質問ものみの塔 1980 | 4月15日
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読者からの質問
● 聖書を研究するようになる前に,私は妻と離婚しましたが,それは不道徳のためではなく,ただ単にうまくやってゆけなかったためです。現在私はクリスチャンになっています。聖書的に見て,私には再婚する自由があるでしょうか。
お尋ねのような状況に置かれた人に,聖書的に見て再婚の自由があるかどうかは,その結婚関係が神のみ前で終わったとみなされているかどうかにかかっています。
あなたの結婚関係はご自分がクリスチャンになる前に法的に解消されましたが,それは性格の不一致というような法的根拠に基づいていたのでしょう。政府の見地からすれば,それによって結婚関係には終止符が打たれました。しかし,あなたは宇宙の立法者があなたと以前の奥さんとを「一つの肉体」と見ておられるかどうかを気づかっておられ,それはふさわしいことです。―創世 2:22-24,新。
イエスはこの点でわたしたちに助けとなる事柄を述べておられます。イエスは様々な理由で離婚が行なわれてきたことを認めてから,こう言われました。「だれでも,淫行[ギリシャ語,ポルネイア]以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」。(マタイ 19:9; 5:32)ですから,人に再婚の自由を与える,離婚の唯一の根拠は「淫行」,つまりポルネイアです。これには姦淫とその他のはなはだしい性の不道徳が含まれます。
ですから,奥さんが不貞を働いていたのであれば,離婚をする聖書的な根拠があったことでしょう。その場合,姦淫を根拠としてであれ,その他の正当な法的根拠に基づいてであれ,離婚が成立したのであれば,もはや「一つの肉体」ではありません。逆に,あなたのほうが不義を働き,奥さんがそれを許さず,離婚した場合,二人とも聖書的に再婚の自由があります。
しかし,お話によりますと,離婚前に不道徳はなかったとのことです。では,イエスの言われたことからして,離婚によりその結婚関係が神のみ前でも自動的に解消されたと考えるどんな根拠があるでしょうか。人はクリスチャンになるときに過去の罪に対して神のゆるしを求めることはできますが,だからと言って過去の責務や誓約すべてが無効になるわけではありません。(ヨハネ第一 1:7。コリント第一 6:9-11)実例を挙げて考えてみましょう。友人から借金をして,その負債に対して定期的に支払いをすることに同意したとします。その後,クリスチャンになった場合,負債は帳消しになりますか。決してそのようなことはありません。負債の支払いに対する神の見方を知って,その責務をもっと敏感に感じるようになるでしょう。(詩 37:21; 15:4; 112:5)結婚についても,同じことが言える場合があります。あなたが結婚したとき,神は二人を「一つの肉体」とみなすようになられました。そこで自問してみてください。神がもはやそのようにみなしてはおられないとする根拠がありますか。
あるかもしれません。離婚をした後に,神のみ前でその結婚関係を終わらせ得ることが起きたかもしれません。マタイ 19章9節に記録されているイエスの言葉に照らしてこの問題を考慮することにより,どうしてそう言えるか認識できます。あなたが不道徳を犯していないのに奥さんが離婚を成立させてしまい,その後,あなたが「淫行」を犯したなら,その結婚関係は終わったとみなせます。奥さんがあなたを受け入れず,後日,もはや「一つの肉体」ではなくなったとみなす聖書的な根拠が存在するようになったのです。一方,離婚後の「淫行」の罪を犯したのは相手の方かもしれません。イエスの認めておられるとおり,そのような状況下では結婚関係は神のみ前で終結したものとみなせます。離婚がなされ,潔白な側の当事者であるあなたは相手が不道徳であることを確証したからです。
ですから,この質問で提起されているような状況では,離婚した後に起きた,あるいは起きなかった事柄が,神のみ前でお二人がまだ「一つの肉体」であるかどうかを決定する要素になるでしょう。
神の見地からして,自分には聖書的に再婚する自由がないと判断した場合,どんなことができるでしょうか。一つの可能性として考えられるのは,現在離婚している配偶者に自分の知っている聖書の真理を伝えるよう努めることです。聖書には人の人格を変え,以前は生活に問題のあった人々を幸福にする力があるということを悟るよう,相手を助けることができるでしょう。もっとも,もし二人がもう一度一緒になることを選ぶなら,自分たち
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