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支部の手紙王国宣教 1978 | 1月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
夏の間一時的な特別開拓者が日本の各地ですばらしい働きを行ないました。彼らがどんな働きを行なったか知りたいと思われるでしょう。100人の一時的な特別開拓者と16人の正規開拓者が夏のほぼ3か月,未割当区域での奉仕を行ないました。まだ奉仕がなされたことのない330の町村で奉仕がなされました。その結果,3万3,000冊の書籍と10万6,000冊の雑誌が配布され,900件以上の予約が得られました。奉仕が終わった時,約3分の1に当たる36人の開拓者が引き続きそこにとどまり,18の新しい群れが設立されました。
幾つかの経験をお知らせしましょう。秋田県西仙北町で働いた二人の兄弟は3か月間に合計2,001冊の書籍を配布し,77件の予約を得ることができました。岡山県勝史町で2か月間奉仕した65歳と19歳の二人の兄弟は合計4,238冊の雑誌を配布しました。その他興味深い経験がたくさん寄せられていますが,みな魂を込めて,エホバに対する愛と,王国の良いたよりを聞いたことのない人々に対する愛に基づいてりっぱな奉仕をしました。彼らが奉仕していた夏の3か月間,全日本の人口の97%が証言を受ける区域に住んでいたことになります。
10月の野外奉仕は本当にすばらしいものです。伝道者合計は4万2,492人の最高数でした。正規開拓者も最高数の5,575人で,補助開拓者はいままでの二番目の記録で5,121人でした。開拓者合計は1万1,659人,つまり全伝道者の27%が何らかの開拓奉仕に携わったことになります。
最もすばらしいのは奉仕時間が141万時間を超える新最高数であったことで,これは1976年9月,開拓者の奉仕時間に調整が加えられて以来初めてです。みなさん本当に良い努力をなさいました。どうぞみなさん,奉仕に対する熱意を何にもくじかれることのないようにしてください。良いたよりを宣べ伝え,人々を弟子とし,エホバのご意志を行ない続けましょう。1月の「目ざめよ!」誌による予約運動は本当にすばらしいものとなるでしょう。わたしたちの暖かい愛を送ります。
日本支部事務所で働く,みなさんの兄弟
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喜びに満ちた働き人でありなさい王国宣教 1978 | 1月
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喜びに満ちた働き人でありなさい
1 今日わたしたちには喜びに満ちた働き人であるべき十分の理由があります。わたしたちの神エホバは「幸福な神」であり,共に働いておられるイエスも「幸福な唯一の大能者」と呼ばれ,喜びに満ちておられます。(テモテ第一 1:11; 6:14,15)もしわたしたちがイエスの弟子としてその足跡に従うなら,その喜びに共にあずかります。使徒パウロは適切にも次のように書きました。「主にあって常に喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい!」―フィリピ 4:4。
証言することに喜びを見いだす
2 1月中わたしたちすべては特に喜びに満ちた働き人として奉仕する大きな理由があります。それは準備された特別号の「目ざめよ!」誌を用いて予約活動に参加できるからです。会話するための話題はこの「王国奉仕」2ページにある通り,「人間をお造りになった神は偏り見ることをなさらない」と題するものです。12月号「王国奉仕」4ページの「良いたよりを伝える」はこの話題を用いながら「目ざめよ!」の予約を提供するとても優れた提案を載せていました。みなさん,ご家族で,また奉仕の友とこの話の用い方を幾度も練習して野外で用いてみてください。会衆の書籍研究の後,もし時間が許せば司会者が率先して話し方を練習したり,提供物のどこを用いるかなど提供方法を共に考えたり学んだりすることができます。そうすれば新鮮な方法で,効果的に奉仕できるでしょう。
3 予約活動で大切な一つの特質は積極性です。11月中みなさんは「若い時代」の書籍を確信に満ちて,積極的に配布し良い成果を見ることができたでしょう。それで1月の「目ざめよ!」の予約提供の際にも,同様に励みましょう。わたしたちは人々に真に益をもたらす雑誌を持っており,それを通して人々がとこしえの命に至ることを心から望んでいるのです。積極的である十分の理由があります。
弟子を作る業に喜びを見いだす
4 弟子が作られる時,エホバとみ使いは喜ぶことをわたしたちは知っています。もし人々に対するエホバの愛と気遣いとを表わすのであれば,わたしたちも弟子を作ることに喜びを見いだすでしょう。わたしたちは単に報告できる「研究」としてではなく,人々に,弟子となる見込みのある人々に対して誠実な関心を示すべきです。研究を司会して弟子を作る喜びは,ある種の方法や技術に注意を向けることからよりも,人々に対する真実の愛からもっと得られるものです。ほとんどの場合,本当の愛や関心を示されると,人々はそれに答え応じます。
5 イエスはりっぱな模範を示しました。イエスはご自分が教えた人々の友となられました。(ヨハネ 15:11-15)わたしたちも,家庭聖書研究で教える人の友となるよう努力すべきです。この目的を考慮に入れるとき,わたしたちの研究は冷たい,組織的な考察や討議であってはなりません。むしろ,暖かくて役立つものであるべきで,優れた教えが含まれ,エホバとの良い関係を発展させることに強調がおかれるものであるべきです。聖書の原則や命令を教えることで満足するのではなく,これらの原則を生活の中でどのように適用し,神の義にかなったご命令をどのように果たしてゆくかを示し,わたしたちと研究している人を常に助けるように努めるべきです。わたしたちの討議は,弟子となる見込みのある人,それゆえ信仰における将来の兄弟または姉妹としての研究生に対する真実の個人的な関心を表わすものであるべきです。
6 本当に,弟子が献身とバプテスマの段階まで進歩するのを見るのは大きな喜びです。パウロはそのような喜びを経験し,自分が助けた人々に特に愛着を感じました。(テサロニケ第一 2:17-20)バプテスマの後でさえ,多くの人は引き続き援助を必要としています。確かにわたしたちは,ある人が信仰のうちにしっかりと根ざし,確固とした者となるよう助けることから喜びを得ます。(エフェソス 3:17-19)新しくバプテスマを受けた弟子たちに個人的な関心を示してください。その人たちが信仰において確固とした者となるよう助けるため,彼らが少なくとも2冊の本を研究するまで援助を続けてはどうですか。
7 確かにエホバと隣人に対する愛は,他の人々を助けることに関し,正しい態度を持つようわたしたちを動かします。愛と喜びは密接に結び付いており,それら二つは神の霊の実です。(ガラテア 5:22)あなたが証言し,教え,弟子を作る活動を行なってゆく時,人々に愛と関心を表わし続けてください。そうすればあなたは,幸福と喜びの神エホバから祝福として多くの喜びを得られるでしょう。
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「これら小さな者」を助けてください王国宣教 1978 | 1月
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「これら小さな者」を助けてください
1 イエスは人々を愛されました。ご自分に忠実に従った者だけでなく,群れから迷い出た者たちをも気遣われました。マタイ 18章14節のイエスの言葉を思い出してください。「これら小さな者のひとりが滅びるのは,天におられるわたしの父にとって願わしいことではありません」。
2 疑いなくイエスは,群れから迷い出るおそれのあった人たちのことを考えておられました。というのは,マタイ 18章12,13節でイエスは迷い出て,見いだされ,そして群れに帰ってきた一匹の羊に大きな喜びがあるであろうと言われたからです。
3 時々ある人は離れてゆき,彼らが戻って来ることを願ってなされる援助をその時は受け入れようとしないかもしれません。しかし,クリスチャンの活動を弱めたりやめたりする人のほとんどは,いろいろな圧迫や個人的な問題のためにそうしたのです。彼らは単に野外奉仕に参加したり,集会でわたしたちと定期的に交わることから離れただけのことです。これらの人たちに対してキリストのような愛を持って,彼らが戻って来るのを助けるために,何ができるでしょう。
だれが助けることができるか
4 各長老団は1月中に会合して,過去数年の間に不活発になった人々をどのように助けたらよいか一緒に話し合いたいと思われるでしょう。(箴 27:23)牧羊の業の一部として,長老たちは,特別の努力を払って「迷い出た」者たちを訪問し,彼らを霊的に助けるよう努めていただきたいと思います。彼らを訪問して励ましを差し伸べる時,不活発になった人々の考えや状況に通じている奉仕のしもべが一緒に来てくれるよう求めることもできるでしょう。
何をするか
5 不活発な人を訪問する際,決して彼らをしかったり,厳しく罰したりしてはなりません。むしろ,深い愛と気遣いを示してください。彼らが集会に出ていないので寂しく思っていることを知らせてください。もし助けとなるようなら連れて行ってあげるなどして一緒に出席することを勧めてください。それから,その人を困惑させたり,不愉快な思いをさせることなく,親切にその人が離れていっ
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