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「網をおろしてすなどれ」ものみの塔 1968 | 3月15日
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ませんでした。(マタイ 26:31-35,55,56,69-75)しかしガリラヤの海でペテロはイエスへの自分の愛が他の者のそれにまさると言って誇ることはありませんでした。しかし,「新英訳聖書」(新約聖書,1961年版)は「あなたは他のすべてにまさってわたしを愛するか」としています。
32 人々を得るため,ペテロはだれの資質を示すべきでしたか。得た人々を守るためには,どんな資質を示すべきでしたか。
32 ここに使われている代名詞「これら」が何を意味するにしても,イエスはここで,よみがえらされた見えない主であり師であられるご自分に対する愛を,地上でどのように示せるかを,ペテロに教えられたのです。つまり地上にいる主の「羊」に愛ある世話を施さなければなりませんでした。ペテロは,神のための人々を得るという面では,すなどり人の持つ資質を示し,集められた人々を組織の内にとどまるよう守るためには,主に仕える羊飼いとして,自分の主の羊にやさしい愛を示さねばなりませんでした。
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全世界ですなどれとの命令ものみの塔 1968 | 3月15日
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全世界ですなどれとの命令
1 復活したイエスはその後どこで再び使徒に現われましたか。マタイによれば,イエスは使徒に何と言われましたか。
復活したイエスがガリラヤの弟子たちに再び現われたのは,明らかに前述の事があって間もなくのことでした。今度は忠実な11人の人々すべてに,しかも湖の近くではなく,山の中で現われました。使徒マタイはその場におり,そのことをこうしるしています。「十一人の弟子たちはガリラヤに行って,イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。そして,イエスに会って拝した。しかし,疑う者もいた。イエスは彼らに近づいてきて言われた,『わたしは,天においても地においても,いっさいの権威を授けられた。それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは〔事物の制度の終結〕まで,いつもあなたがたと共にいるのである」。
2 (イ)人を弟子とするわざは11人の忠実な使徒だけに限るべきものですか。答えとしてどんな証拠をあげられますか。(ロ)このわざはどんな漁場で行われるべきでしたか。
2 おそらくその山には11人の忠実な使徒のほかにも多くの人がいたことでしょう。(マタイ 28:16-20)のちに使徒になったパウロが,「そののち,五百人以上の兄弟たちに,同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが,大多数はいまなお生存している」と述べたのは,この時のことかもしれません。(コリント第一 15:6)もとより,弟子を作る仕事は11人の忠実な使徒にだけ限るべきものではありませんでした。そして聖書ののちの記録はこの仕事が使徒だけに限られていなかったことを示しています。人をすなどるわざは新たに弟子になった者をも含め,すべての弟子によって行なわれるべきであり,イエスの網のたとえはこの点を示しています。すなどる場所は生来のユダヤ人という小さな池に限られるのでなく,「すべての国民」つまり人類という大海にまで
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