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家庭において聖書の原則を実践するものみの塔 1974 | 8月15日
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21 愛と服従ということがどのように,またなぜ子どもにも当てはまりますか。
21 子どもに対しては,当然の従順と服従が強調されています。「主と結ばれた」親による健全で愛のこもった,そして聖書にかなった懲らしめのもとで,子どもは「すべての事において」従順であるべきです。それには,「あなたにとって物事がよく運び,あなたが地上で生き永らえるため」という約束が伴っています。―エフェソス 6:1-4。コロサイ 3:20。
22 すべての者が謙遜な思いを持つことの必要をペテロはどのように確証していますか。
22 最後に,こうしてパウロの強調した聖書の原則を,ペテロがまた彼なりのしかたで確認しているのを見るのは励みになり,またわたしたちを強めます。ペテロもまた,各自が謙遜な思いを持つ必要を強調しています。彼はこう書きます。「最後に,あなたがたはみな同じ思いを持ち,思いやりを示し合い,兄弟の愛情を実践し,優しい同情心に富み,謙遜な思いをいだきなさい」。また,さらにこう述べます。「あなたがたはみな,互いに対してへりくだった思いを身につけなさい。神はごう慢な者に敵対し,謙遜な者に過分のご親切を施されるからです」。(ペテロ第一 3:8; 5:5)このことは,イエスが弟子たちの足を洗った手本の中によく示されました。それは弟子たちの倣うべき模範でした。家族内のだれか,あるいは会衆内のだれかに対して何かのへりくだった奉仕を喜んで行ない,こうして比ゆ的な意味でだれかの足を洗ったのはいつのことですか。これも,わたしたちがいよいよ実践すべき,聖書の愛ある原則です。―ヨハネ 13:4-9。
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覚えていますかものみの塔 1974 | 8月15日
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覚えていますか
あなたは最近の「ものみの塔」を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● 「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所」とは何ですか。―啓示 16:16。
それは文字どおりの場所ではなく,決定的な戦争の行なわれる世界の局面をさしている。それは,時が満ちた時に,神とこの世界との敵対関係において,その敵対関係の生じている論争に対する決着の求められるような段階をさしている。―236,237ページ。a
● 「大きな地震が……あるでしょう」というイエスのことばが1914年以来成就してきたことを何が示していますか。―ルカ 21:11。
地震そのものの力,地震で失われた人命,そして資産におよんだ被害という点で,1914年以降の地震は『大きい』ものであった。事実,そうした地震による破壊の規模は,1914年以前におけるものより,ずっと広範囲に及ぶ強大なものであった。過去千年間に生じた地震による死亡者総数のほぼ30%が,1914年以降の地震で死んだと言われている。―252,253ページ。
● 信仰をいだいてささげられた祈りに答えが与えられることに関する,弟子ヤコブの,「神はすべての者に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです」ということばをどう理解すべきでしょうか。―ヤコブ 1:5。
神はわたしたちの弱さを非難したり,わたしたちを“愚か”とみなしたりはなさらない。神は,わたしたちがお願いしてよかったと思えるような方法で,寛大に,心から与えてくださる。―266ページ。
● キリスト教世界の諸教会や他の宗教団体が依然として力を保持していても,エホバの激しい裁きの日がずっと先のものであると言えないのはなぜですか。
「大いなるバビロン」を構成している宗教体制の終わりは,それが依然機能を果たしていて,表面上は力のある組織と見られているときに突然臨む。ヨハネへの啓示 17:16,17は,宗教組織を滅ぼそうとする動機付けを,神が政治体制の心に与えることを示している。―277,278ページ。
● 何かの提案を受ける時,「心のへりくだった」人であるクリスチャンの監督は,どんな態度を避けますか。
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