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  • 祈りの際に頭を覆うのは正しいことですか
    ものみの塔 1977 | 6月1日
    • しかし,だれでも,自分の頭を覆わないで祈ったり預言したりする女は,自分の頭を辱しめることになります。それは,頭をそった女であるのと同じことだからです。

  • 祈りの際に頭を覆うのは正しいことですか
    ものみの塔 1977 | 6月1日
    • 覆ったり,覆わなかったりするのはなぜか

      使徒パウロが頭の覆いと祈りについて記した事柄を理解するために,一つ前の節を調べてみることにしましょう。「あなたがたに次のことを知って欲しいと思います。すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神なのです」。(コリント第一 11:3)そうです,パウロは頭の権に関する神の原則,そして特に,公の崇拝におけるその適用について論じていたのです。

      使徒が説明しているとおり,創造者は,最初に男を創造し,男のあばら骨から造ったその妻に対する頭の権および権威を男に与えました。頭の権に関して言えば,男は「神の像また栄光」でした。地上では,男の上に別の頭は立てられていなかったからです。しかし,その妻や子供たちには地的な頭が存在し,その頭に相対的な服従を示さねばなりません。―コリント第一 11:7-10。エフェソス 5:22-24; 6:1。

      頭の権に関する原則は,会衆の活動にも当てはまります。婦人たちは,教えたり,祈ったりする業に携わる男子を尊敬し,彼らと協力すべきである,とパウロは記しています。(コリント第一 14:33-35。テモテ第一 2:11,12と比較してください。)ですから大抵の場合,西暦一世紀当時の婦人たちが会衆内で教えたり,祈ったりすることはありませんでした。

      それでは,なぜパウロは頭を覆うことについて論じたのですか。どんな場合にそれはふさわしく,どんな場合にふさわしくないのでしょうか。また,今日この原則はどのように当てはまりますか。

      パウロは,婦人が祈る際には「権威のしるし」として,頭に覆い ― それが帽子であれ,スカーフであれ,ベールであれ ― をしなければならない,と書きました。(コリント第一 11:10)それは彼女が頭の権を認めている証拠となるはずでした。しかし,どんな場合に婦人は頭を覆う必要があるのでしょうか。次の三つの場合を考えてみてください。

      パウロの時代に,あるクリスチャンたちは,預言をしたり,異言を語ったりする能力などの奇跡的な賜物をエホバの聖霊によって与えられていました。例えば,一世紀当時の集会では,クリスチャンの婦人が聖霊に動かされて預言をするようなことがあったかもしれません。(コリント第一 12:4-11。使徒 21:8,9)あるいは,会衆の集会に出席しているのが婦人だけである場合もあったでしょう。先頭に立って祈ったり,教えたりするはずのバプテスマを受けた男子がその場にいないためクリスチャンの婦人がそうしなければならなかったかもしれません。さらにまた,未信者の夫を持つクリスチャンである妻が,夫のいる前で祈ったり,聖書について教えたりするよう求められることもあったと思われます。以上のどの場合にも,婦人は頭に覆い,つまり「権威のしるし」を着け,自分が頭の権に関する原則を認めていることを表明したはずです。

  • 祈りの際に頭を覆うのは正しいことですか
    ものみの塔 1977 | 6月1日
    • 同様に,自分の頭を覆わないで,「祈ったり預言したり」する女は,「彼女の頭を辱しめる」,つまり「自分の頭を辱しめる」ことになります。各々の場合,「頭」として言及されているのはだれ,あるいは何ですか。

      それは,前の節が述べていることに照らして理解できるかもしれません。その中でパウロは,「すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であ(る)」と述べています。(コリント第一 11:3)

  • 祈りの際に頭を覆うのは正しいことですか
    ものみの塔 1977 | 6月1日
    • 同様に,自分の頭を覆わずに祈る女は,クリスチャンの取り決めにおける自分の「頭」,つまり自分の夫(既婚者である場合),父親,あるいは会衆内の頭としてのクリスチャン男子を辱しめることになるでしょう。

      別の見解を示す注釈者もいます。そうした人々は,コリント第一 11章4,5節が,だれでも「自分の頭に」何かを着けて祈ったり預言したりする男は「自分の頭」を辱しめ,「自分の頭を覆わないで」祈ったり預言したりする女は「自分の頭」を辱しめると述べている事実に注意を向けています。いずれの場合にも,「頭」が辱しめられることが言われる直前に,人の文字通りの頭について言及されています。ですからそれら注釈者たちの述べる考えによれば,頭の覆いに関してふさわしくない行ないをするクリスチャン男女は自分自身を辱しめる,という意味のことをパウロは言おうとしていたのかもしれません。

      ヘブライ語聖書の中には,辱しめ,悪,問題,暴虐,流血の罪,および危害などが人に返される,あるいは自分の頭に降り懸かることについて書かれています。(ネヘミヤ 4:4。サムエル前 25:39。詩 7:16,新。サムエル後 1:16,新。列王上 2:32,44,新)こうした例において頭は,体の中でその人の行動に対して一番責任を負うべき肢体であるゆえに,その人自身を表わしています。

  • 祈りの際に頭を覆うのは正しいことですか
    ものみの塔 1977 | 6月1日
    • 同様に,女も,自分の夫や父や会衆内の男子を侮辱することがあるかもしれません。しかしまた,頭の権と服従に関する神の取り決めを無視する人は同時に,自分自身の頭にも確かに恥を来たらせることになります。

      祈りの際に着ける頭の覆い

      パウロは主に,「神の諸会衆」において,特に集会の際に何がふさわしいかについて論じていました。(コリント第一 11:16,20-34)ですから,祈りの際に頭を覆うことに関するパウロの指示は,基本的に言って,人が独りでする祈りとではなく,公の崇拝の際に一団となって行なう祈りと関係していました。この点は,祈りと共に預言をすることにも言及されていることから分かります。当時の人々が個人的な祈りをする場合のように,自分の部屋で独りで預言をしたとは思われません。―マタイ 6:6。

      したがって,男でも女でも,神に個人として祈りをささげる際には,聖書的に言って,頭を覆うことに関する指示を当てはめる必要はありません。ある婦人が頭に覆いをせずに家事をしていて,その途中で祈ろうとする場合でも,わざわざ自分の頭を覆う必要はありません。

  • 祈りの際に頭を覆うのは正しいことですか
    ものみの塔 1977 | 6月1日
    • しかし,クリスチャンの婦人が自分の頭を覆って祈らねばならないような時もあるでしょう。一世紀当時と同様,兄弟がその場にいないため,集会の際,姉妹が声を出して祈らねばならないことがあるかもしれません。あるいは,未信者の夫が,食卓で家族のために声を出して祈るよう,クリスチャンである妻に求めることもあるでしょう。そのような場合姉妹は,普通であれば自分の上に権威を行使するはずの会衆の兄弟や自分の夫の代役を務めていることになります。それゆえ,頭に覆いを着けねばなりません。そうすることによって,その姉妹は頭の権に関する神の原則に対する敬意を示し,「自分の頭を辱しめ」ずにすみます。―コリント第一 11:5。a

      最後に,グループで一緒に祈りをするものの自分は声を出さないような場合に,頭を覆うことについてはどう言えますか。例えば,墓の傍らでささげられた前述の祈りについて考えてみましょう。その場にいた婦人は,祈りの際に自分の頭を覆わねばなりませんか。いいえ,その必要はありません。その婦人は,公の崇拝の先頭に立っているわけでもなく,普通であれば会衆の男子の成員の行なう役割を果たしているわけでもないからです。その婦人は祈りに耳を傾け,「アーメン」と唱えるでしょう。ですから,その際に自分の頭を覆ったかどうかは,頭の権に関する原則に対するその人の敬意のほどを反映するものではありません。

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