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復活するのは死んだからだですか,それとも死んだ魂ですかものみの塔 1963 | 4月15日
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ゲッセマネの庭でイエスは使徒に向かって何と言われましたか。「わが心〔魂,英文欽定訳〕いたく憂ひて死ぬばかりなり」。(マタイ 26:38。マルコ 14:34)伝道者ピリポは,「死にいたるまで,自分の魂をそそぎだし」と述べたイザヤ書 53章12節(新口)の預言を文脈上イエスに適用しました。―使行 8:30-35。
23 ヤコブ書および黙示録は右のこととどのように一致していますか。
23 弟子ヤコブは次のように述べてその手紙を結んでいます,「わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち,真理の道から踏み迷う者があり,だれかが彼を引きもどすなら,かように罪人を迷いの道から引きもどす人は,そのたましいを死から救い出(す)……ものであることを,知るべきである」。(ヤコブ 5:19,20,新口)聖書の最後の本を見ても,黙示録 16章3節(新口)に次の言葉があります,「第二の者が,その鉢を海に傾けた。すると,海は死人の血のようになって,その中の生き物〔魂,英文欽定訳〕がみな死んでしまった」。
24 魂の死ぬことについて,聖書の一部は他の部分と矛盾していますか。聖書の何という言葉は,「魂」を指していませんか。
24 人間の魂の不滅を述べた聖句を出して見せるならば,そのような聖句ひとつに対して5ドルずつ出すと,聴衆に挑戦した聖書の巡回説教者が何年か前にあったのを思い起こします。言うまでもなく,この人は一度たりとも5ドル出す必要がありませんでした。聖書は,人間である魂が罪のゆえに死ぬという事実を終始一貫して述べているからです。何百頁もある聖書の中で「不滅性,不滅な,不朽,朽ちない」という言葉は,英文欽定訳の中で16回出ているに過ぎず,神の言葉の中でこれらの語が人間である魂を指して使われていることは一度もありません。e
25 神の言葉からこれらの事実を指摘されるとき,すべての人はどう感ずるべきですか。そしてなぜ?
25 神の真理の言葉を見せて,魂に関するこれらの事実を指摘すると,怒りをあらわしてそれ以上先を読もうとしない人が,信仰を持つ人の中にあるのは,いったいどうしたことですか。むしろすべての人は喜ぶべきです。なぜなら死の時に人間の魂は死んでしまい,従って意識のある不滅の魂が,異教で教えるような地獄あるいは煉獄で永却あるいは一定の期間,火と硫黄の燃える中で苦しめられることはないからです。この事実は,これに関連する事実すなわち死者の復活があるという事実と相まって,神と人を愛するすべての人を喜ばせます。これによって次のことがはっきり理解できます。すなわち死者が再び生きて私たちと共に新しい世の終りない幸福を得るため,なぜ復活が必要かということです。
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よみがえった人を見分けるものみの塔 1963 | 4月15日
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よみがえった人を見分ける
1 復活について言えば,自分自身また他の人に関して何を望みますか。この事につき,何が保証されていますか。
復活にあずかるかも知れない私たちすべてが望むのは,かつて愛した友人や身内の者が死からよみがえったとき,見てそれと知ることです。また私たちの当然の願いは,自分自身であることがわかることです。人は,記憶を喪失して自分がだれであるかわからなくなるような事を望みません。互に見てそれと知ることができる事は,神の言葉から明らかです。復活を確信していた使徒パウロは,「しかしその時には,わたしが完全に知られているように,完全に知るであろう」と述べています。(コリント前 13:12,新
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