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エホバ神と共に働くことを選ぶものみの塔 1979 | 2月1日
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18 ペテロ第一 3章21節は,人がバプテスマを受ける必要のあることについて何を示していますか。
18 さらに,バプテスマは神に対して正しい良心を得るのに欠くことのできないものです。使徒ペテロはこの点をペテロ第一 3章21節で明確にしています。「これ[つまりノアの日の大洪水]に相当するもの,すなわちバプテスマ([単に]肉の汚れを除くこと[それはそれで重要なことではあるが]ではなく,神に対して正しい良心を願い求めること)がまた,イエス・キリストの復活を通して今あなたがたを救っているのです」。
19 (イ)バプテスマはどうして適切な象徴ですか。(ロ)バプテスマにはどんな実際的な面がありますか。
19 バプテスマは,わたしたちがイエス・キリストの足跡に従う者として神のご意志を行なうべく献身し,エホバ神と共に働くことを選んだことを表わす,極めて適切な象徴です。水中につけられ,水で覆われることにより,わたしたちはいわば葬られるのです。以前の行ないに関して死ぬのです。それは自己中心的な行き方,自分の思う通りにすることの終わりを意味します。水から引き上げられることは,神のご意志を行ない,『新たな生き方』をするように生かされたことを,よく表わしています。水のバプテスマにはまた,非常に実際的な面がある,と言えるかもしれません。神のご意志を行なうことに口頭で同意したことを,人は容易に忘れるかもしれないし,その趣意の書類にかつて署名したことさえ忘れるかもしれないからです。わたしたちは,自分の言ったことや書きとめたことでさえよく忘れるではありませんか。しかし,バプテスマに関する話を聞き,一緒に祈ったあと水着に着替え,多くの証人の見ているところでバプテスマを受けたことを,忘れることができるでしょうか。それはまず忘れることはできません。その段階を踏んだなら,その人はエホバ神の同労者としてあくまでも努力を続ける義務があります。それにはどんなことが関係しているのか,次の記事ではそのことが取り上げられます。
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エホバの業をエホバの方法で行なうものみの塔 1979 | 2月1日
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エホバの業をエホバの方法で行なう
「わたしたちのうち円熟した者はみな,こうした精神態度をいだきましょう。そして……自分がどこまで進歩したかに応じ,その同じしかたで整然と歩んでゆきましょう」― フィリピ 3:15,16。
1,2 今日の献身したクリスチャンに求められている二重の活動は何ですか。それはどの聖句から分かりますか。
エホバのご意志を行ない,そのみ子イエス・キリストの足跡に従うべく献身した人々は,エホバのどんな業を行なうのでしょうか。それは,イエス・キリストが予告し,命令しておられた二重の業です。
2 イエスは,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」と預言されました。(マタイ 24:14)したがって,王国のこの良いたよりの伝道にあずかることは,今日行なうエホバの業の重要な部分です。イエスはさらに初期の弟子たちに,「それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい」とお命じになりました。(マタイ 28:19,20)クリスチャンは,宣べ伝えるだけでなく,自分が教わったことを人々に教えることもしなければなりません。そして,イエスご自身が最初の使徒たちや弟子たちにお命じになった事柄を行なうよう,他の人々を助けなければなりません。
3 神の業を行なう方法について,聖句からどんなことが分かりますか。
3 エホバ神の業はどんな方法でなされるべきです
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