第7章
証印を押される14万4,000人を生み出す会衆
1 (イ)証印を押された14万4,000人の神の奴隷が天でイエス・キリストと共に支配する,ということを聞いて幸福に感じるのはだれですか。(ロ)彼らは地上にいる間どのように,また何の目的で集められてきましたか。
地の諸国民のために良い政府を願う人たちは,「生ける神の証印」を額に押された14万4,000人の,神の奴隷たちが,復活して天におられる,神のみ子イエス・キリストと共に,「地の王たち」として支配するという喜ばしい事態を歓迎します。(啓示 7:4-8)地上で訓練と鍛練を受け,また吟味されながら,神の是認の証印を受け天の支配者となる見込みを持つそれらの者たちは,諸会衆に集められてきました。
2,3 使徒ヨハネは啓示の書の冒頭で,証印を押されたご自分の奴隷に対する神の取扱い方および目的に関して何を明らかにしていますか。
2 神の証印を押される奴隷たちから成るそれらの会衆が,今日の邪悪な事物の体制の終結後の,天の王国における彼らの分のために整えられていたことは,西暦1世紀の末ごろ使徒ヨハネによってはっきり指摘されました。自分がイエス・キリストを通して神から驚くべき啓示を受けた,恵まれた奴隷であることを明らかにした後,ヨハネは,名をあげられた幾つかの会衆に,次のあいさつのことばを書き送ります。
3 「ヨハネから,アジア地区にある七つの会衆へ: あなたがたに,『今おられ,かつておられ,これから来られるかた』からの,またそのみ座の前にある七つの霊からの,そして,『忠実な証人』,『死人の中からの初子』,『地の王たちの支配者』であるイエス・キリストからの過分のご親切と平和がありますように。わたしたちを愛しておられ,ご自身の血によってわたしたちを罪から解いてくださったかたに ― そして彼はわたしたちを,ご自分の神また父に対して王国とし,祭司としてくださったのである ― 実にこのかたにこそ,栄光と偉力が永久にあらんことを。アーメン」― 啓示 1:1-6。
4 (イ)証印を押された者たちの成員は,ヨハネが手紙を書き送った七つの会衆の中にいます。ヨハネはそれをどのように示していますか。(ロ)それら七つの会衆に対する音信が,同じく,今日地上にいる霊的イスラエルの残りの者の関心を引き,その益となるのはなぜですか。
4 「アジア地区にある七つの会衆」に対し,霊感を受けた使徒ヨハネは,「彼[すなわち,イエス・キリスト]はわたしたちを,ご自分の神また父に対して王国とし,祭司としてくださった」と述べています。これは,証印を押された14万4,000人の霊的イスラエルのある成員たちが,その七つの教会の中に見いだされることを証明しています。なぜですか。なぜなら,14万4,000人の霊的イスラエルは,「聖なる都市,新しいエルサレム」にある天のシオンの山で,子羊イエス・キリストと共に王として支配するからです。したがって,その七つの会衆に特に書き送られた事柄は,今日地上にいる霊的イスラエルの残りの者たちの関心事であり,また彼らの霊的な益となります。彼らは,エホバ神が地の四隅の四人の使いに合図を送り,「地の四方の風」を解き放たせ,ほとんど六千年昔に人間が創造されて以来このかた,人間家族を襲ったどんな苦難をもしのぐ最大の苦難のあらしをもたらす前の,この短くなりつつある時に「生ける神の証印」を押されているのです。―啓示 7:1-3; 14:1-3。
5 (イ)啓示を記した時,ヨハネはどこにいましたか。七つの会衆は,ヨハネのいた所からどんな位置にありましたか。(ロ)冒頭の記述によると,彼はだれの幻を見ましたか。
5 アジア地区にあるそれら七つの会衆は,使徒ヨハネが啓示を書き留めた場所から程遠くないところ,つまり,エーゲ海沿いの小アジアの海岸にごく近いパトモス島から半径約280㌔以内にありました。イエス・キリストの使徒としてクリスチャン活動に携わったため,年老いたヨハネは罪人を収容するこの島で囚人となり,ローマ帝国から迫害を受けていました。この島で与えられた啓示の中で,ヨハネは最初に,七つのアジアの会衆の主要な監督者であり,ヨハネに啓示を与えることを神から託されたかたの幻を見ます。冒頭の記述をヨハネは次のように始めます。「イエス・キリストによる啓示,これは,ほどなくして必ず起きる事がらをご自分の奴隷たちに示すため,神が彼に与えたものである。そして,彼は自分の使いを送り,その使いを通して,しるしによりそれを自分の奴隷ヨハネに示したのである。ヨハネは,神の語られたことばと,イエス・キリストの行なった証し,すなわち自分の見たことすべてについて証しした。この預言のことばを朗読する者,またそれを聞き,その中に書かれている事がらを守り行なう者たちは幸いである。定められた時が近いからである」― 啓示 1:1-3。
6 イエス・キリストは神からのこの啓示をなぜ,まただれの益のために送りましたか。
6 ご自分の血によって罪からの解放をもたらした者たちの会衆に対し,エホバ神から主要な監督者として任命されたイエス・キリストは,神からのこの啓示をそれらの会衆の益のために送ります。啓示はまず,名のあげられた七つのアジアの会衆へ直接に送られましたが,1世紀の使徒時代から今日の20世紀に至るまでの他のすべての会衆がそれから益を受けてきました。彼らは,啓示のその驚くべき預言を聞くことにより,また,その中に書かれている事柄を従順に守り行なうことにより,幸いな者となりました。そして,これは今日のわたしたちにとって非常に重要です。というのは,20世紀もこれ程経過した今,「定められた時が近い」ことは厳然たる事実だからです。
7 ご自分の音信を諸会衆に送るにさいし,イエス・キリストはどのような方法でご自分をヨハネに現わされましたか。
7 栄光を受けたイエス・キリストは,「死人の中からの初子」として西暦33年ニサンの16日に死からよみがえらされ,その後40日間,弟子たちに現われるためご自分を化肉されました。しかし,パトモス島にいたヨハネに対してはそうされず,その代わり,栄光の幻の中に現われたのです。その幻は,神の聖霊により証印を押される忠実な追随者たちから成る,地上の諸会衆の中の大祭司なる監督者として彼を示しました。『ヨハネは,その栄光の現われについての顕著な特色に注目しました。わたしたちも同様に注意を払うべきです。ヨハネはこう記します。
8,9 (イ)ヨハネはどんな命令を受けましたか。(ロ)エルサレム,ローマ,あるいはどこが,それら権威のある手紙の出された中心地ですか。
8 「あなたがたの兄弟であり,イエスとともになって患難と王国と忍耐をあなたがたと分け合う者であるわたしヨハネは,神について語り,イエスについて証ししたために,パトモスと呼ばれる島に来ることになった。わたしは霊感によって主の日に来ており,ラッパの音のような強い声がわたしの後ろでこう言うのを聞いた。『あなたが見ることを巻き物に書き,それを,エフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオデキアにある,七つの会衆に送りなさい』」― 啓示 1:9-11。
9 2世紀のクリスチャン,イレナエウスが明白に述べているように,ヨハネへの啓示が西暦96年,つまり,ローマ人がエルサレムを破壊してから26年後に死んだ,ローマ皇帝ドミティアヌスの統治の終わりに書かれたのであれば,この天からの音信を書き留めるようにとの命令は,地上のエルサレムのクリスチャン使徒に与えられたものではありません。というのは,当時,中東のエルサレムは存在していなかったからです。また,啓示を書き留めるようにとの命令は,ローマ帝国の首都にいるクリスチャンの使徒のだれかに与えられたのでもありません。その命令は,ローマの東南約1,400㌔の所にある,罪人を収容するパトモス島にいた,老齢の使徒ヨハネに与えられたのです。
10 (イ)ヨハネは「霊感によって」どのように「主の日」に来ましたか。(ロ)その日はいつ始まりますか。どれ程の期間続くはずですか。
10 ヨハネはそこで,『霊感により』1世紀から20世紀の現代に運ばれました。つまり,『主の日に来ていた』のです。その「日」は,啓示 6章2節に描かれている,冠を頂いた,白い馬の騎士が,弓を携えて「征服しに」馬を乗り出した時に始まったに違いありません。この点に関するすべての証拠が示すとおり,それは,第一次世界大戦のぼっ発した年の西暦1914年に始まりました。その「日」の主は,冠を授かり,正式に就任されたイエス・キリストです。その「日」は,彼が「ハルマゲドン」で自分の征服を完了し,悪魔サタンを縛って底知れぬ深みに投げ込み,そして,14万4,000人の忠実な追随者と共に全人類を統治する千年の終わりまで続くはずです。(啓示 19:11から20:7)使徒ヨハネが目撃証人として描写し,記録したことは大部分,この「日」つまり,主イエス・キリストの活動に関する特定の時期にかかわるものです。
11,12 ヨハネへのこの幻の中で,栄光を受けた主イエス・キリストはどんな姿をしておられましたか。
11 栄光を受けた主イエス・キリストは,このヨハネの幻の中で,どんな姿をしておられたのでしょうか。それは,LSDの生じさせる現代的,幻覚的彩色を施されたものとは全く異なり,明確な形と描写可能な特色を持つ,光り輝く姿をしておられました。ヨハネはそれを次のように描写することができました。
12 「そこでわたしは,わたしと話している声を見ようとして振り向いた。そして,振り向いたわたしは,七つの黄金の燭台を見た。また,それらの燭台の中央に,人の子のような者が足まで届く衣をまとい,胸に黄金の帯を締めて立っているのを見た。しかも,その頭と髪の毛は白い羊毛のように,また雪のように白く,その目は火の炎のようであった。そして,その足は,炉の中で白熱しているときの純良な銅に似ていた。また,その声は多くの水の音のようであった。そして,右の手に七つの星を持ち,その口からは鋭くて長いもろ刃の剣が突き出ており,その容ぼうは力いっぱいに輝くときの太陽のようであった。それで,彼を見た時,わたしは死んだようになってその足もとに倒れた」― 啓示 1:12-17前半。
13 (イ)イエス・キリストが幻の中で,はだしでいるように見えたことは,何を思い起こさせますか。(ロ)白い髪の毛と黄金の帯は何を示していますか。(ハ)その顔の表情,目,声を描写しなさい。
13 この幻の中で,栄光を受けた主イエス・キリストは,地上のエルサレムにあったエホバの古代の神殿で奉仕をした時の大祭司と同じく,はだしでいるように見えます。しかし,古代の大祭司がつけたようなずきん,また頭当てはしておられず,その頭は,義の道において雪のように白くなった美しい髪の毛でおおわれていました。(箴 16:31)彼は,犠牲をささげる時に着用する衣をつけていたのではなく,栄光ある神の奉仕のしるし,すなわち黄金の帯を胸に締めておられました。その顔は,悲しみや屈辱の表情ではなく,真昼の光り輝く太陽のように輝いていました。しかしその目は,探索し,吟味する力,または,否認を受ける者たちに対する憤りをもって燃えているようでした。その声は,流動する多量の水のように反響し,鳴り響きました。そうした声の力は,彼の口から突き出ている鋭くて長いもろ刃の剣によって象徴されている,不利な裁きの執行の宣言に重みを加えます。彼は右手の中で,七つの星またはそれが象徴するものを支配しておられます。主イエス・キリストは後に,七つの会衆に話すさい,ご自分を明らかにしながら,それらの顕著な特色の幾つかに触れます。
14 (イ)幻はヨハネにどんな影響を与えましたか。(ロ)ヨハネの見た燭台が七つであったのはなぜですか。
14 このような栄光の姿を見た使徒ヨハネが,死んだようになって主イエス・キリストの足もとの地面に倒れたのは,少しも驚くにあたりません。しかし,幻の迫真性は非常に強力で,現実の効果を持っていたため,ヨハネは話すにも行動するにも,まるで現実に対するかのように反応しました。ヨハネは,ともされた七つの燭台と,栄光を受けた主イエス・キリストがその間に立っておられるのを見ました。古代イスラエルの賢王ソロモンによって建造されたエルサレムの神殿において,大祭司は神殿の聖なる所にある十の黄金の燭台の中央で奉仕しました。(列王上 7:48,49。歴代下 4:7,19,20)ヨハネの見た幻に燭台が七つしかなかったことには,七という数が聖書で霊的な完全さを示すこと以外に,一つの特別な理由がありました。エフェソスの会衆に手紙を書き送った時,ヨハネは,右手に七つの星を持ち,かつ「七つの黄金の燭台の中央を歩く者」に言及するよう告げられました。(啓示 2:1)星,燭台,そして主の栄光の現われ ― そのどれもがまばゆいばかりに輝いていたのです。
15 死のような状態にあったヨハネは,どのように助けられ,慰められましたか。
15 ローマのアジア州にある七つの会衆に具体的に何を書くかを告げられる前に,使徒ヨハネは死のような状態からよみがえらされ,平静な状態に戻されました。彼はこう告げます。「すると彼は右手をわたしの上に置いて言った,『恐れてはいけない。わたしは最初であり最後であり,また,生きている者である。わたしは死んだが,見よ,かぎりなく永久に生きており,死とハデスの鍵を持っている。それゆえ,あなたの見たこと,そして,今あることとこののちに起こることを書き留めなさい。あなたがわたしの右の手にあるのを見た七つの星と,七つの黄金の燭台とに関する神聖な奥義[秘義,ア標; 改標。秘められた意味,新英]について言えば,七つの星は七つの会衆の使いたちを表わし,七つの燭台は七つの会衆を表わしている」― 啓示 1:17後半-20。
『最初であり最後である』
16 だれが本源的な意味で最初であり最後ですか。ヨハネに話しておられるイエスは,自分がその者であると主張しているのですか。
16 『最初であり最後である』。エホバ神は,イザヤ書 44章6節の預言の中で,「われは始なり われは終なり われの外に神あることなし」,また,イザヤ書 48章12,13節で,「われは是なり われは始また終なり わが手は地のもといを置わが右の手は天をのべたり」,と述べておられます。また,ギリシャ語の最初の文字はアルファ,最後の文字はオメガ(大文字の0)と呼ばれます。それで,エホバ神は,ご自分が『最初であり最後である』ことを,啓示 1章8節で次のように述べて,再び強調しておられるのです。「エホバ神はこう言われる。『わたしはアルファであり,オメガである。今おり,かつており,これから来る者,全能者である」。また,啓示 22章13節では,「わたしはアルファでありオメガであり,最初であり最後であり,初めであり終わりである」と述べておられます。では,主イエス・キリストは,『最初であり最後である』と述べることにより,ご自分が全能者エホバ神であると主張しておられるのですか。決してそうではありません。別の意味,別の関連でご自分のことを『最初であり最後である』と述べておられるのです。それはどういうことですか。
17 ご自分の経験されたことに示されているとおり,イエス・キリストは何に関連して最初であり最後でしたか。
17 死と命に関連してです。栄光を受けた天のイエス・キリストは,その時,ご自分の言われたとおり,「生きている者」でした。しかしそれ以前についてはどうですか。「わたしは死んだ」,と述べておられます。それは,彼が人間となって,この地上で33年半生きておられた時のことです。その後彼の敵たちは,彼をエルサレムの外の杭にかけて殺しました。しかし三日目に,「朽ちることなく,人が見ることのできないとこしえの王,唯一の神」は,イエス・キリストを死から復活させました。(テモテ第一 1:17)その時から,復活させられた主イエス・キリストは,『見よ,わたしはかぎりなく永久に生きている』ということができたのです。(啓示 1:17,18)復活のさい,彼は天の霊の領域において不滅性を与えられました。それゆえ,もはや死ぬことはありえません。(ペテロ第一 3:18,ア標,改標。コリント第一 15:45-54。ローマ 6:9)地上で死を遂げた時,イエス・キリストは人類共通の墓であるハデスに行かれました。三日目に,エホバ神は「ハデスの鍵」を使って忠実なみ子をそこから出し,命によみがえらせ,永久に生きる不滅の者とされたのです。―使徒 2:22-36; 13:33-37; 26:23。
18 (イ)では,ご自分のことを『最初であり最後である』と言われたイエス・キリストは,何を意味していましたか。(ロ)これはそれ以外に死者の復活はないという意味ですか。説明しなさい。
18 イエス・キリストがご自分を『最初であり最後である』と言い得たのは,以上の関連においてであることがこれで分かりますか。彼は,全能者エホバ神が他のだれをも介さずに直接,死からよみがえらせた最初の者だったのです。しかもそれは,しばらく生きてまた死ぬためではなく,永久に生きるためでした。それゆえ使徒ヨハネは,彼を「『忠実な証人』,『死人の中からの初子』……であるイエス・キリスト」と言うことができました。(啓示 1:5)さらにイエス・キリストは,人間の死から天の領域における霊者としての命に復活させられた最初の者です。全能者エホバ神の目的によると,他の何人もだれかを介せずに,直接よみがえらされることはありません。人間の死から,霊的,天的な命へよみがえらされる場合といえどもそうです。その理由で,イエス・キリストはこの神の直接の介入を受ける「最後」でもあるのです。では,イエス・キリスト以外には,死者からの復活はないのですか。いいえ。それ以後,神は,復活させられたみ子を使って,その完全な人間としての命の犠牲の益にあずかる,他のすべての者をよみがえらされるのです。―ヨハネ 5:21-29。
19 「死とハデスの鍵を持っている」と言ったイエスは何を意味しておられましたか。
19 これにより,「見よ,かぎりなく永久に生きている」と述べたイエスが,その後なぜ,ご自分が「死とハデスの鍵を持っている」と付け加えられたかが分かります。エホバ神はその時以来,死のその鍵とハデスaのその鍵の使用をイエスに託されました。彼こそ,人類をその罪深い最初の人間の父アダムより受け継いだ死から,また,人類共通の墓すなわち,人類一般の大多数が死の時に行くハデスから解放するため,エホバ神が用いるかたなのです。
20 イエスが「最初であり最後であり」,死とハデスの鍵を持っているということは,ヨハネ 11章25,26節およびヨハネ 6章53-58節の彼の言葉をどのように適切なものとしますか。
20 極めて適切にも,イエスは次のように言うことができました。「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生きかえるのです。そして,生きていてわたしに信仰を働かせる者はみな決して死ぬことがありません」。(ヨハネ 11:25,26)血肉の人間として地上にいた時のイエスは,こうも言われました。「人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなたがたは自分のうちに命を持てません。わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち,わたしはその者を終わりの日に復活させるでしょう。わたしの肉は真の食物であり,わたしの血は真の飲み物なのです。……生ける父がわたしをお遣わしになり,わたしが父によって生きているのと同じように,わたしを食する者,その者もまたわたしによって生きるのです。これは天から下って来たパンです。……このパンを食する者は永久に生きるのです」― ヨハネ 6:53-58。
21 イエスはなぜ,啓示 1章19節に記録されている命令をヨハネに与える確実な根拠を持っておられましたか。
21 栄光を受けたイエス・キリストは死から永久に生き返り,罪ある人類が服させられている死と墓を除き去る力を持っています。それで,使徒ヨハネに次のように告げる確実な根拠を持っておられたのです。「それゆえ,あなたの見たこと,そして,今あることとこののちに起こることを書き留めなさい」。(啓示 1:19)常に生きておられ,強力な権限を授与されたイエス・キリストは,エホバ神の目的にしたがって起こるべきすべてのことが,必ず「こののちに起こる」ようにされます。さて,ヨハネが幻の中で見たものの中には,栄光を受けたイエス・キリストの右手にあった七つの星,そして七つの黄金の燭台がありました。それらに関する秘義,神聖な奥義は何ですか。それは何を象徴するのですか。主イエス・キリストご自身がその意味を説明されます。
星と燭台の秘義
22 (イ)七つの「星」は何の象徴ですか。七つの会衆の「使い」は目に見えない天の者たちですか。説明しなさい。(ロ)では,それら七つの「星」また七人の「使い」はだれですか。彼らはなぜ星として象徴されているのですか。
22 主イエスの右手の上にある七つの星は,古代ローマのアジア州(今のトルコの一部)にあった,「七つの会衆の使いたち」を象徴しています。その「使いたち」は目に見えない者たちですか。いいえ。使徒ヨハネは,啓示全体をイエス・キリストから,そして天の使いによって受けました。ですから,彼が,天の,目に見えない領域の使いたちに逆に書き送っているというのは不合理です。彼らは,アジアの七つの会衆に書き送られた音信を必要としてはいません。「使い」(angel,英語)という称号の基本的な意味は,「使者」,「音信を携える者」です。七つの会衆の「使い」は,それら七つの会衆を管理するため,エホバ神から遣わされた七人の人間の使者です。それら七つの象徴的な星は,イエスの右手の上に見られるのですから,その世話,管理また指示を受けています。イエスの,実際に適用される力を帯びる「右手」は,彼らを導き,保護することができます。つまり,彼らは,霊によって生み出される,油そそがれたクリスチャンから成る七つの会衆各の主宰奉仕者,監督,管理者に相当します。天の発光体である「星」として象徴されている彼らは,神の真理の霊的また天的な光を会衆の成員に照らすために用いられる手段,媒介です。
23,24 (イ)「七つの黄金の燭台」は何の象徴ですか。(ロ)「星」は「燭台」に関連してどんな責任を持っていますか。(ハ)マタイ 5章14-16節のイエスの言葉は,この責任をどのように強調していますか。
23 では,「七つの黄金の燭台」は何を象徴しているのですか。「七つの燭台は七つの会衆を表わしている」,とイエスは説明しておられます。(啓示 1:20)象徴的な「星」,『七人の使者』つまり会衆の監督だけでなく,会衆全体も,この邪悪な世の暗やみの中で輝かねばなりません。「燭台の中央」に見える,栄光を受けたイエス・キリストの指示の下に,七つの象徴的な星はそれらの燭台が輝き,常にともされているよう確かめねばなりません。彼らは,古代イスラエルの祭司が,エルサレムにおけるエホバの神殿の聖なる所にあった燭台の世話をしたのと同じように,象徴的な燭台の世話をしなければなりません。象徴的な星である人間としての「使いたち」は,燭台のどんなともしびより強い力で自ら輝くことにより,会衆のために模範を示します。彼らは,イエスが山上の垂訓の中で追随者たちに話された次の言葉を忘れず,それに基づいて行動しなければなりません。
24 「あなたがたは世の光です。都市が山の上にあれば,それは隠されることがありません。人はともしびをつけると,それを量りかごの下ではなく,燭台の上に据え,それは家の中にいるすべての者の上に輝くのです。同じように,あなたがたの光を人びとの前に輝かせ,人びとがあなたがたのりっぱな業を見て,天におられるあなたがたの父に栄光を帰するようにしなさい」― マタイ 5:14-16。
25 七つの会衆すべてが啓示の書全体を受け取ったであろう,と考えられるのはなぜですか。
25 使徒ヨハネは,記された啓示を「アジア地区にある七つの会衆」にあてて書き送りました。栄光を受けたイエス・キリストがそうするよう命じたのです。(啓示 1:4,10,11)使徒パウロはそれ以前に,エフェソスとラオデキアの会衆に手紙を書いています。(エフェソス 1:1,2。コロサイ 2:1; 4:16)使徒ヨハネが啓示の写しを七部作成し,栄光を受けたイエス・キリストが名をあげたエフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラ,サルデス,フィラデルフィアおよびラオデキアの七つの会衆の各に,その写しを一部ずつ別々に送ったことも考えられます。
26 啓示の書全体の内容は,すべてのクリスチャン会衆にとって重要でしたか。その書について何がなされたと考えられますか。
26 しかし,啓示全体の内容は,真のクリスチャン会衆すべてを益するものでした。すべて,という点は,直接のあて先となった会衆の数,すなわち,七という数により示されています。この数は霊的な完全さの象徴です。それで,時たつうちに,啓示の七つの原写本から写しが作られ,他のすべての会衆に送られるか,回覧されたことは間違いありません。また,必要に応じて他の言語への翻訳がなされたことでしょう。
27 (イ)だれが啓示を特に,そして直接必要としていますか。(ロ)彼らがその適用に関する理解を,後日ではなく今せつに必要としているのはなぜですか。
27 アジアのそれら七つの最初の会衆の中で,今日なお存続しているものはありません。しかし西暦1世紀に彼らに送られた啓示の写しと翻訳はわたしたちの手もとにあります。啓示の幻の中で,使徒ヨハネは神の霊感により「主の日」にいました。(啓示 1:10,11)1世紀の会衆は,その啓示をある程度必要としていましたが,啓示を最終的な適用において,特に直接必要としていたのは,「主の日」に実際に存在している,霊により生み出され,油そそがれたクリスチャンから成る真のクリスチャン会衆です。つまり,主イエス・キリストの「日」が始まった西暦1914年以来存在している象徴的な「七つの会衆」,またはそうしたすべての会衆です。そうした会衆は,人類を治めるキリストの千年統治の終了する,「主の日」の終わりまで地に存続するのではありません。しかし,その霊的会衆の成員が,肉体で地上にいる限り,つまり,彼らが統治する王イエス・キリストと共に天で栄光を受けるまで,それらの会衆は啓示およびその秘義の解明を切に必要としています。
28,29 (イ)幻の「主の日」における「七つの星」および「七つの燭台」は何を表わし示していましたか。(ロ)「星」になぞらえられた,人間としての「使い」は,何をする責任を持っていますか。(ハ)アジアの七つの会衆は順を追って存在しましたか。それともすべてが時を同じくしてですか。(ニ)アジアのそれら七つの会衆にあてた手紙の中に描写されている状況は,現代のいつ,またどこに存在しますか。
28 幻の「主の日」における「七つの燭台」が,西暦1914年以降の,現代の真の「主の日」における真のクリスチャン会衆すべてを表わし示したように,「七つの星」は,今日のそうした会衆の,霊によって生み出され,油そそがれた,使いのような監督全員を象徴しています。この人間の「使い」が「星」になぞらえられていることは,使徒パウロがエフェソスの会衆に書き送った,神は「わたしたちをともによみがえらせ,天の場所にともに座らせてくださった」という言葉を思い起こさせます。(エフェソス 2:4-6)そうした今日の象徴的な星は,使徒ヨハネが当時の「七つの星」に書き送ったことに注意し,それを現在に適用することが必要です。1世紀のアジアの会衆は,鎖の輪のように次々に存在したのではなく,みな同時に存在しました。ですから,七つの会衆に書き送られた状況は,西暦1914年以降の現代の「主の日」における,霊によって生み出され,油そそがれた会衆に同時に存在しているのです。
29 したがって,そうした会衆の全員が重大な影響を受けます。ゆえに,彼らは記されていることに真剣な注意を払わねばなりません。
[脚注]
a 啓示の六つのヘブライ語の翻訳によると,啓示 1章18節の「ハデス」という語は「シェオール」と訳されており,シリア語訳(フィロクセニアン・ハルクレイアン)では,「シウール」となっています。したがってここの意味は,異教ギリシャ人のハデスではなく,霊感を受けたヘブライ語聖書のシェオールつまり人類共通の墓です。