だれに仕えるかをいま心に決めなさい
1 論争に対する態度について,今日どんな事態が見られますか。
この時代の人々は論争に対してはっきりした態度をとるようになっています。論争の焦点はますます明確になり,人々は意見を表明することを控えなくなりました。自分たちの立場を主張するため,暴力に訴えることもまれではありません。それぞれの立場を表明するように他の人々をすすめ,あるいは強いるために圧力を加えることが行なわれます。
2 神を信ずる者にはどんな特別な責任が課せられていますか。キリスト教国の教会員はたいていどのように応じますか。
2 このような事態は特に崇拝の分野において顕著です。昔の人は神や宗教に挑戦することをあまり考えませんでしたが,今では無神論や進化論的な考えがはばからず公に表明されています。したがって神を信ずる者には特別な責任が課せられているのです。しかしぐらついた,弱腰の,あるいは無関心な態度の人が大ぜい,とくにキリスト教国の教会の中にいます。彼らの信仰はほとんど失せてしまいました。
3 義を愛する人ならば,なぜ世の宗教組織に,もはやとどまることができませんか。
3 今日の事態を考えると,いやしくも義を愛する人であれば,キリスト教国の教会あるいはキリスト教以外の宗教の組織にとどまっていることはできません。なぜですか。その指導者は「神が死んでいる」と宣言し,同性愛,奔放な恋愛,不法,権威に対する不敬を是認しているからです。神のしもべであると主張しながら,これらの行ないに反対の立場を表明せず,それを黙認あるいは是認さえしている組織から離れないならば,その人はもはや神のしもべではありません。そのような人は神に敵対する群衆にどこまでもついて行くがよいでしょう。宇宙主権者の生ける神が論争に対する立場をまもなく激しく表わされる時,彼らはみな死にます。
4 神に仕えることを望まない人々はどんな結果に陥りましたか。
4 神は,神に仕えない者が腐敗のきわみに達し,滅び以外の何ものにも値しなくなるまで,事態の進展を許していられます。神のことばによれば,彼らの「思いはむなしくなり」,「自分のからだを互にはずかしめ」るため,彼らは汚れに渡されました。「彼らは神の真理を変えて虚偽とし,創造者の代りに被造物を拝み,これに仕えたのである…それゆえ,神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた…そしてその乱行の当然の報いを,身に受けたのである」。彼らは忌むべき病気,精神の崩壊,暴力の実を刈り取っています。彼らは神の御手によって処刑され,地から除かれるのを待つばかりです。―ローマ 1:18-32。
「預言を軽んじてはならない」
5 クリスチャンであると言いながら世の道にならう人は,なぜ二重の責めを負うべきですか。
5 献身した全能の神のしもべ,またクリスチャンであると主張しながら,世とその汚れ,不敬虔なしわざにならう者は汚れに染まるだけでなく,その罪に加えて預言を軽んじています。(テサロニケ第一 5:20)それは神が預言者,代弁者の口をとおして語られたすべての事を無視する行ないです。そのような自称クリスチャンは自分が仕えると主張する神のことば聖書を持ちながらそれを無視してしまい,自分の利己的な欲求をみたすのに都合のよい人間の考えに従っています。それは神をあなどることであり,偽善者になることであって不信者よりも悪く,神の2倍の怒りを招きます。
6 神のしもべになることを願う人はまず何をしなければなりませんか。なぜ直ちにそのことをすべきですか。
6 しかしどうすればよいのか,どこで神に仕えることができるかをある人は問うでしょう。まず大いなるバビロンの偽りの宗教制度すなわち神の御名を汚すバビロン的な偽りの宗教組織から直ちに離れなければなりません。(黙示 18:4)そのことを延ばすならば,遂には神に対する信仰を全く失ってしまうでしょう。そのうえ預言のことばによれば,神はさばきを執行されます。命を救おうとする人にとって最後の機会はいまです。
どこで神に仕えるか
7 神に仕えるためバビロン的な宗教組織を離れた人は,どこに行くことができますか
7 のがれるべき場所があります。真に神に仕え,神の預言を見守っている人々がいます。時機にかなった霊的な食物を与えさせるために「忠実な思慮深い僕」を任命し,その「僕」にすべての持ち物を管理させるというイエスの預言は,この人々のことを述べたものです。この「僕」の級に属する人々は,現代におけるエホバのクリスチャン証人の組織の中に見いだされます。―マタイ 24:45-47。
8 神を崇拝する人にどんな命令が与えられていますか。
8 黙示録の最後の章には「神だけを拝しなさい」との命令がしるされています。ついで黙示録の筆者,使徒ヨハネは明らかにイエス・キリストに言及して次のようにしるしています。「また〔彼[イエス]は〕わたしに言った,『この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである』」。(黙示 22:9,10,〔新世訳〕)黙示録の預言は強力であり,いま耳を傾けるべき最も重要なものです。(黙示 1:1-3)神のしもべはこの書の預言のことばを封じないようにと命じられています。エホバの証人はこの命令を守ってきました。
9 エホバの証人は黙示録 22章10節の命令に従いましたか。説明しなさい。
9 1879年7月に創刊され,初め「シオンのものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」と呼ばれた本誌の創刊号には,「なぜ再臨在があるか」と題する記事の中で聖書巻末のこの本に多くの説明が加えられています。その時以後,エホバの証人の他の出版物すべては黙示録から豊富に引用し,説明を加えてきました。ものみの塔聖書冊子協会が1917年に刊行した「完成された奥義」は,ヨハネ黙示録全巻の各節を解説したものです。1930年には「光」2巻が出されて黙示録の説明をさらに新しくし,ごく最近の1963年には704頁の本「『大いなるバビロンは倒れた!』神の国は支配する!」が出されました。この本は特に黙示録 14章から22章までをくわしく説明しています。
10 黙示録を説明したエホバの証人の出版物は,黙示録 22章10節に従うことにおいてキリスト教国の宗教制度とどのように異なっていますか。
10 これらの出版物は広く世界に配布されました。宗教上の信条や世界各地の異なった習俗に合わせるために出版物が改訂されたことはありません。預言の真理はそのまますべての人に宣明されてきました。
明白な区分
11 黙示録 22章11節の趣意はなんですか。
11 キリスト・イエスはさばきの間に2つのグループが浮かび出ることを次に示されています。「不義な者はさらに不義を行い,汚れた者はさらに汚れたことを行い,義なる者はさらに義を行ない,聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。(黙示 22:11)これは不義を行なう者に悔い改めを促し,清くなることを求める訴えではありません。むしろ,それが彼らの望みであるなら,今までの道をそのまま進ませよという考えを述べたものです。悪い道をとるならば,おそくとも主イエスが「全能の神の大いなる日(の)戦い」をされる時,正当な報いを受けることを彼らに知らせなさい。―黙示 16:14。
12 (イ)神に仕えてのち不義に転ずる者はどんな結果に陥りますか。(ロ)かつて汚れに染まっていた人が義を行ないはじめ,義の道を歩みつづけるならばどうですか。
12 イエス・キリストをとおして神に献身し,義を行なっている者は,神から聖なる者と見なされます。彼らは神の御名を負う者です。それにもかかわらず不義を行なう者があれば。その者はエホバの御名にそしりをもたらしており,したがってエホバにとっても仲間の人間にとっても無用の者となり,以前に築きあげられた義と聖との価値は失われます。(エゼキエル 18:24)他方,汚れた事を行なっていた者がそれをやめ,献身した神のしもべとなって義と聖の道を歩みつづけるならば,遂には神の前に認められるでしょう。「彼は必ず生きることができる」と主なるエホバは言われます。―エゼキエル 18:5-9,21,22。
13 今日クリスチャンの道を歩むことに関して不注意になるのは,なぜ非常に危険ですか。
13 次にヨハネに告げられたエホバご自身のことばは,神の油そそがれた者が少しでも義の道に対しておろそかになることの危険そして事態の重大さを示しています。「見よ,わたしはすぐに来る。報いを携えてきて,それぞれのしわざに応じて報いよう」とエホバは言われます。―黙示 22:12。
14 不義をもてあそぶクリスチャンは,おそらくどんな結果に陥りますか。
14 ゆえに今は聖なる道を歩む者がふたしかな歩き方をしたり,義の道を踏みはずすことなくどれだけ不品行や悪をもてあそび,それに思いをめぐらせるかをためしたりすべき時ではありません。それはくずれやすいがけのふちを歩くようなものです。御子イエス・キリストを伴ってさばきの座についていられるエホバ神は,神の前に出た者が不義を行なうことを許されません。神が下されたさばきについては上訴の道がありません。比喩的に言って神はアルファでありオメガであられ,最終的な訴えを聞くかたです。(ハバクク 1:13。黙示 1:8。申命記 23:14とくらべなさい)さばき主としてのイエス・キリストは「万民の審判者なる神」エホバのさばきを執行するにすぎません。(ヘブル 12:23)動くことなく義の道をしっかり歩む者だけが救われます。
15 不義を行なう者にとってエホバのさばきはどのように速やかに臨みますか。それは彼らにとって何を意味しますか。
15 全能の神は権を執り,王となって治めはじめられました。神のしもべである預言者と聖徒,神の御名を負う者が報いを受け,また地を滅ぼす者の滅ぼされる時が来たのです。(黙示 11:17,18)エホバは敵の上にさばきを執行するため迅速に「来られ」ます。その時までわずかの年月が残されているにすぎません。暗やみの中にいるかのように義の道を踏みはずし,あたかも眠っているところを襲われる人にとって,それはきわめて迅速に臨んだように感じられることでしょう。汚れたことを行なっている最中に死ぬなら,さばきはその時に臨んだことになります。彼らは復活しません。
自分を常に吟味しなさい
16 クリスチャンは自分の行動に関して自己満足に陥ってもよいですか。説明しなさい。
16 だれも自分を例外と考えてはなりません。すべての人は自分のしている事に注意する必要があります。神は全く公正でかたより見ず,それぞれの行ないに応じて各人に報われるからです。自分で意識しては何も悪いことをしていないとしても,なお自分の行ないを吟味する必要があります。自分の考えだけで自分を是認してはなりません。(コリント第一 4:4)次のことを心にとめてください。「神の言は生きていて,力があり,もろ刃のつるぎよりも鋭くて,精神と霊魂と,関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして,心の思いと志とを見分けることができる」― ヘブル 4:12。
17 どのように自分を吟味できますか。どんなことを心にとめてそうしますか。
17 神のことばによって常に自分を吟味しなければなりません。(コリント第二 13:5)自分では正しい精神つまり心がまえを持っていると感ずるかもしれません。しかし魂つまり生活は神の標準にかなっており,私たちは真にエホバのみたまに導かれていますか。私たちのわざは永続するものですか。(コリント第一 3:12-15)私たちがどんな者であるかは明らかにされる時がきます。「神のみまえには,あらわでない被造物はひとつもなく,すべてのものは,神の目には裸であり,あらわにされているのである。この神に対して,わたしたちは言い開きをしなくてはならない」。(ヘブル 4:13)次のことばを心にとめなければなりません。「〔エホバ〕は自分の者たちを知る」。また「〔エホバ〕の名を呼ぶ者は,すべて不義から離れよ」。(テモテ第二 2:19,〔新世訳〕)エホバを欺くことはできません。エホバは,わたしたちがどんな者であるかが,私たちの行ないによって表わされるようにされます。それでその時に弁解の余地はなく,また他のすべての人がそれを見ます。自分を欺いても,最終的なさばき主であられる神を欺くことはできません。
エホバは唯一の真の神であることが証明された
18 神々の論争において黙示録 22章13節はどのようにあてはまりますか。
18 エホバはつづけてこう言われます,「わたしはアルパであり,オメガである。最初の者であり,最後の者である。初めであり,終りである」。(黙示 22:13)聖書を世界歴史とともに研究した人は,この事実が何世紀も前に疑問の余地なく証明されたことを知っています。エホバの前に神が存在したことはなく,エホバののちにも全能の神であることをみずから証明した者はいません。またエホバは崇拝者が造り出した神ではありません。エホバは創造者であられ,イスラエルの神,イエス・キリストの神,クリスチャンの神であられます。(ヨハネ 20:17。ローマ 3:29)預言を軽んじない人は,2600年以上前すなわち黙示録が書かれる800年以上前にしるされたエホバのことばを読んで認識を得ることでしょう。「エホバ如此いひたまふ われは始なり われは終なり われの外に神あることなし」。(イザヤ 44:6,7,文語)「わたしはわが栄光をほかの者に与えることをしない。ヤコブよ,わたしの召したイスラエルよ,わたしに聞け。わたしはそれだ,わたしは初めであり,わたしは終りである」― イザヤ 48:11,12; 41:4。
19 過去においてエホバに挑戦した神々はどうなりましたか。現在はどうですか。
19 過去においてエホバは他の神々と戦い,ご自身の優越性を示されました。エホバに敵対して立つことのできた神はありません。エジプト,アッシリア,バビロンその他すべての諸国民の神は無力なことが証明されました。それらの神々は今日どこに存在していますか。遠い昔の遺物として覚えられているにすぎず,少数の人々に知られているにすぎません。しかしエホバの御名はかつてなかったほどに今日輝いています。まもなくエホバは力を表わし,神々の論争においてご自身が初めであり終わりであることを示されるでしょう。現在の神々,科学,進化論,共産主義,ナショナリズムは一掃され,偽りの神であることが証明されます。またこれらの神々の崇拝者は恥をこうむり,一方エホバの証人は唯一の真の神を正しく代表する者であることが示されるでしょう。
聖なる都にはいることを許される
20 黙示録 22章14節に述べられている幸いな者とはだれですか。彼らはどのようにして「いのちの木」に至る権利を与えられますか。
20 さてエホバはキリストの忠実な追随者14万4000人に注意を集中されます。彼らは天的な希望を持ち,イエス・キリストの犠牲を受け入れ,信仰をいだき,イエスの血によって罪から解かれた,したがって神の目には罪のない者です。(黙示 1:5。ヨハネ第一 1:7)エホバは言われます,「いのちの木にあずかる特権を与えられ,また門をとおって都にはいるために,自分の着物を洗う者たちは,さいわいである」。(黙示 22:14)これは天上の都です。終わりまで忠実を保ち,勝利を得た人々はキリストとその死にあずかるバプテスマを受け,そのバプテスマを終えたことになります。彼らはキリストと同じく忠実な死を遂げ,霊者によみがえらされます。ここに言われているパラダイスはもちろん実際のものではなく,象徴的なものです。勝利を得る忠実な者は,「いのちの木」の実を食べることを許されます。それは天にある神のパラダイスにおいて不滅の生命を永遠に享受する権利を与えられることを示しています。―コリント第一 15:44,52-54。
21 14万4000人がはいる都とはなんですか。不義を行なう者はなぜその都にはいれませんか。
21 彼らがはいる都すなわち聖都新しいエルサレムの12の真珠の門は,12人の天使によって守られています。これら門守りの天使は14万4000人の忠実な霊的イスラエル人を識別し,彼らを黄金の都の中に入れます。しかし少しでも不義の見いだされる者は,はいることができません。それはアダムとエバの場合と同様です。アダムとエバは地上のエデンの園の東におかれた天使の焔の剣を通り抜けて園の中央にある生命の木に達することができませんでした。―黙示 21:12,13,18。創世 2:9; 3:24。
外に出されているふさわしくない者
22 黙示録は都の外に出されている者をどのように描写していますか。彼らはどんなさばきを受けていますか。
22 全能の神エホバの怒りがだれに対して燃え,また神の目から見てだれが汚れた忌むべき者であるかに注目してください。彼らの最後は火と硫黄の燃える象徴的な池すなわち第二の死です。(黙示 21:8)黙示録に描かれているような人は今日でもキリスト教国の牧師から是認されており,牧師の中にもそのような人が大ぜいいます。「犬ども,まじないをする者,姦淫を行う者,人殺し,偶像を拝む者,また,偽りを好みかつこれを行う者はみな,外に出されている」― 黙示 22:15。
23 黙示録 22章15節に描かれている「犬ども,まじないをする者,姦淫を行う者,人殺し」とはどんな人々ですか。
23 同性愛,男色,狂暴,残酷の行ないをする者は,野良犬のように都の外に出されています。(申命 23:18。詩 22:16,20。マタイ 7:6。ピリピ 3:2)悪霊と連絡する霊媒術者も都の外に出されています。占星術者,易者,占い師もその中に含まれます。それらとならんで,姦淫をする者,売春婦,彼らと性の不品行をする者,人殺し,実際の殺人にも等しい憎しみをいだく者が述べられています。―ヨハネ第一 3:15。申命 19:4。
24 偶像を拝む者,「偽りを行う者」の中にはどんな人が含まれていますか。
24 偶像崇拝者も外に出されています。彼らは実際の偶像あるいは「獣」とその像のような象徴的な偶像に忠誠をささげたり,救いを帰する者,またいわゆる“相対的崇拝”において宗教的な像を使う者です。物質主義者またLSDのような幻覚剤によって心身をむしばんでいる人々は,彼らの選んだ腐敗の中におぼれるにまかされています。このような人々について好意的に論評し,彼らがりっぱな人々であるかのような印象を与えている新聞雑誌は「偽りを好」んでいるのです。人間の個性やナショナリズムに救いを帰する人,また偽りの上に建てられた制度を支持する人は,エホバの清い政府の“都”にはいることを許されません。
ダビデの根と明けの明星
25 これらの事柄に関する黙示録のことをなぜ信ずるべきですか。
25 前述の行ないを支持し,他の人のこのような行ないを弁護するのは,往々にしてこの事物の制度においてみずからを賢いとしている人々です。ではなぜ黙示録のことばを信ずることができますか。その情報は最高の根拠に基づいているからです。ヨハネは次のことばを告げられました。「わたしイエスは,使をつかわして,諸教会のために,これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは,ダビデの若枝また子孫であり,輝く明けの明星である」。(黙示 22:16)イエスは忠実な,まことの証人であり,また指導者また命令する者として宇宙の神なる全能者により立てられたかたです。―黙示 1:5; 3:14。イザヤ 55:3,4。創世 49:10。
26 どんな点においてイエスは「ダビデのひこばえ」ですか。
26 イエス・キリストは昔のエルサレムの王ダビデの子孫でした。イエスはダビデ王の重要な子孫であり,アブラハムから出てダビデを経る家系はイエスに終わります。それでイエスは「ダビデのひこばえ」と呼ばれているのです。(黙示 5:5,文語)今日,ダビデの子孫であることを証明できるユダヤ人はひとりもいません。イエス・キリストは御国の王座につくダビデの相続者として神から是認され,また指名されたかたです。(エゼキエル 21:27。マタイ 3:17。使行 2:29,30,36)事実ダビデの家を興した根本の理由は,メシヤを生み出すことにありました。そしてそのことは成就されたのです。イエスは永遠の相続者として永久に王位を保つゆえに,ダビデの家系は真にイエスに根ざしています。
27 イエスはどのように「輝く明けの明星」ですか。イエスはどのように「明けの明星」を追随者に与えますか。
27 イエスはまた民数記 24章17節に預言された「星」です。昔のユダにおいて王たちは「エホバの位」に座したゆえに「神の星」と見なされていました。(歴代上 29:23,文語)紀元前607年,ダビデの家系のゼデキヤを王位からひきおろした時,バビロンの王は「神の星」である王たちの上に自分の位を永久に高くあげたと思いました。しかし古代バビロンもその実体である現代の大いなるバビロンも神の行なわれる事柄を妨げることはできません。神はその定めの時に,「輝く明けの明星」イエス・キリストをダビデの家から上らせ,古代バビロンの強大な王ネブカデネザルの位よりも全く高い位につかせます。(イザヤ 14:4,12,13)大いなるバビロンは女王として君臨してきたものの完全に覆されるでしょう。イエス・キリストはダビデのすわったような地上の位にではなく,メルキゼデクに似た王として天の位につき,永遠に治めます。14万4000人も忠実を守ることにより,天の御国において「明けの明星」すなわちキリストとともになるという報いを受けます。このようにしてキリストは彼らに「明けの明星」を与えます。―黙示 18:7; 2:26-28。
28 油そそがれた残れる者も「他の羊」の「大ぜいの群衆」も,いまどんな態度をとらねばなりませんか。
28 天の御国政府に対する神の要求は,その政府の清さと正しさを強調しています。その政府の下で生命を得る人々に対する要求の高さ,あるいは要求される義は少しも劣るものではありません。ゆえに14万4000人を数える神の霊的イスラエル人として天的な希望を持つ人も,「他の羊」の「大ぜいの群衆」のひとりとして御国の下で地上の楽園における新秩序に生きる希望を持つ人も,厳格な義の道を歩むという,献身の時の決意を守りつづけなければなりません。時間を無駄にすることはできません。いまは不義に手を出したり あるいはたとえ考えるだけにしても不義の行ないに思いをめぐらして,エホバとの関係を危くするときではありません。さばきは進行中であり,私たちの行ないに基づいて,恒久的な結果が,偉大なさばき主により決定されつつあります。ゆえに,神の民の各人は,昔のさばき人ヨシュアと同じ堅い決意をもって我と我家とは共にエホバに事へんと言わねばなりません。彼らはヨシュアに答えた民のごとく「我らの神エホバに我らは事へ其声に我らは聴したがふべし」と言わなければなりません。―ヨシュア 24:15,24,文語。