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サルデスの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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の終わりに天で樹立されたメシアによる神の王国を宣べ伝える使命を,そうです,それを全世界にふれ告げる使命を神から受けました。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)それは油そそがれた残りの者にとって,数年来の失敗や,死んだような状態に陥る傾向を悔い改め,目覚め,その時取るべきことになっていた行動を起こす,緊急な時だったのです。そうしないなら,統治しておられる王イエス・キリストが,将来のある知らされていない時に到来し,彼らを本当の死に渡されます。―啓示 3:3。
白い外衣を着て歩く
19 その当時の油そそがれた残りの者たちの間に,「自分の外衣を汚さなかった少数の名」があったというのはどういうわけですか。
19 当時の油そそがれた残りの者たちの場合,その全成員が霊的に死んでいたわけではありません。サルデス会衆の場合も同様でした。イエス・キリストはそれを知っておられました。それで彼は,サルデス会衆の「使い」に次のように言っておられるのです。「とはいえ。サルデスのあなたのところには,自分の外衣を汚さなかった少数の名があるにはある。彼らは白い外衣を着てわたしとともに歩くであろう。それにふさわしい者だからである」。(啓示 3:4)それら「少数の名」つまり人間は,クリスチャンの人格の点で自分を醜い者とはせず,自分たちが公に宣言している,イエス・キリストに見倣う者としてふさわしい生活をしていました。彼らの「外衣」は,外部に対する宣言,宗教的な主張を象徴します。物質主義と偶像礼拝に染まったサルデスの,人を汚す異教のもろもろの影響にもかかわらず,彼らは清く,非の打ちどころのないクリスチャンとしての外見を保ちました。クリスチャンを宣言する「外衣」を汚すことも,よごすこともしませんでした。こうして彼らは,サルデス会衆になんら恥も非難ももたらすことなく,キリスト教を真に実践したのです。
20 汚れのないその少数の者たちは,「ふさわしい者」であるゆえに,白い外衣を着て自分と歩むであろう,と言われるイエスの約束は何を意味していましたか。
20 汚れのない生活をしているそれらクリスチャンを慰め,力づけるため,イエス・キリストは,彼らが最後には,「白い外衣を着てわたしとともに歩くであろう。それにふさわしい者だからである」と言われました。これはイエス・キリストが,メシアによる王国の樹立後,墓の眠りから,天における自分と共なる,清く,汚れのない命へと,彼らを復活させられることを意味します。その時彼らは,光り輝く義を着せられ,そして,啓示の幻の中で「足まで届く衣をまとい,胸に黄金の帯を締めて」おられるイエス・キリストの下で奉仕する,従属の祭司としての職を与えられます。(啓示 1:13)これと一致して啓示 6章9-11節は,魂が祭壇の下にあると表わし示されている,殉教したクリスチャンに,『白い衣』が報いとして与えられたと述べています。このふさわしい「少数の名」は,サルデス会衆の他の者,すなわち,異教サルデスの世俗的な要素によって外衣を汚し,それゆえ悔い改め,クリスチャンを宣言する「外衣」を清める必要のある者たちに対する模範でした。第一次大戦後,それと同じことが,戦争を生き残った油そそがれた残りの者についても当てはまりました。
21 イエスはサルデス会衆の「使い」に対する結びの言葉で,「外衣」の重要性をどのように強調されましたか。
21 サルデス会衆の「使い」に対する音信の結びにある励ましの言葉は,適切にも,クリスチャンを宣言する「外衣」の重要さを強調しています。この「使い」に向かって,「神の七つの霊と,七つの星を持つ」,栄光に輝くかたはこう言われます。「征服する者はこのようにして白い外衣で身を装うのである。そしてわたしは彼の名を命の書から決して塗り消さず,わたしの父の前またその使いたちの前で彼の名を認める。耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」― 啓示 3:5,6。
22 (イ)1世紀および今日における,「征服する者」とはだれですか。(ロ)不完全なクリスチャンはどのように,この世で生活しながら,なおも象徴的な外衣を清く保つことができますか。
22 1世紀のサルデス会衆の成員,および20世紀の油そそがれた残りの者の成員にとって,「征服する者」とは,主イエス・キリストの追随者を表明する象徴的な外衣を,よごすことも汚すこともしなかった油そそがれたクリスチャンを意味します。その者は,サルデスがかつてその一部であった,この人類の世の中にいようと,イエス・キリストご自身が人間として地上におられた時,この世のものとならなかったように,自分もこの世のものとはなりません。(ヨハネ 15:19; 17:14-16)自分を「世から汚点のない」状態に保ち,世も「世にあるものをも」愛さないことにより,純粋で,汚れないキリスト教を実践します。(ヤコブ 1:27。ヨハネ第一 2:15-17)持って生まれた罪の状態と弱さのゆえに,それと知らずに,あるいは不本意に罪を犯してしまうかもしれませんが,罪を犯したことに気づくと,悔い改め,神のゆるしを請い,「み子イエスの血」を通して罪を清めてもらうのです。(ヨハネ第一 1:7から2:2。啓示 1:5)こうして,自分の外衣を汚さないように保ちます。
23 (イ)「征服する者」という表現は,他のどんな意味で適用されますか。(ロ)マタイ 10章32,33節のイエスの言葉は,征服することに関するこの面をどのように強調していますか。
23 「征服する者」という表現はまた,敵の手による残酷な死の危険に面しても,恥じることなくイエス・キリストを自分の贖い主,主また主人として認める,油そそがれたクリスチャンを意味します。キリストを認めていることと調和し,またその証拠として,征服者は,地上の政治・宗教・軍事上の人間の奴隷になることを拒みます。パウロはこう述べています。「自由な人の時に召された者はキリストの奴隷です。あなたがたは代価をもって買われたのです。もう人間の奴隷となってはなりません」。(コリント第一 7:22,23)征服者は,次のイエスの言葉をも真剣に受け取ります。「それゆえ,人の前でわたしとの結びつきを言い表わす者はみな,わたしも天におられるわたしの父の前でその者との結びつきを言い表わします。しかし,人の前でわたしのことを否認する者がだれでも,わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを否認します」。(マタイ 10:32,33。マルコ 8:38。ルカ 9:26)征服者は栄光を受けたキリストにより,天の父の前またみ使いたちの前で認められるのですから,それは,彼が地上でキリストを認めることにより征服を遂げるからに違いありません。
24 (イ)人はどのようにして,自分の名が「命の書」に試験的に書かれるようにしますか。(ロ)その人はどのようにして,自分の名が「命の書」に確かにとどめられるようにしますか。それを達成することは何を意味しますか。
24 そうした征服者すべては,とこしえに保護されるでしょう。キリストの足跡に従い,狭い門を通って,命に至る狭められた道を歩んできたので,試験的にではありますが,すでに自分の名を「命の書」に書かれています。(マタイ 7:13,14)征服者は,その狭められた道を歩み続け,クリスチャンの信仰と忠実さを通してこの世を征服することにより,自分の名をその「命の書」に確かにとどめてもらうことになります。主イエス・キリストは次の保証を与えておられます。「わたしは彼の名を命の書から決して塗り消さない」。その者の天の相続財産である命は,不滅性ですから,彼は限りなくとこしえに,王イエス・キリストのふさわしい共同者として,「白い外衣を着て」歩くことができます。これは,霊が諸会衆に述べることとして,「耳のある者」が聞くに価する知らせです。
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フィラデルフィアの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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第13章
フィラデルフィアの使いへ
1 (イ)フィラデルフィア市はどこにありましたか。同市およびそこで信奉されていた宗教に関し,顕著な点を幾つか述べなさい。(ロ)同市のユダヤ人はクリスチャン会衆に対し,「フィラデルフィア」という名にふさわしい行動をしていましたか。
栄光を受けたイエス・キリストは今度は,サルデスの会衆からフィラデルフィアの会衆に注意を向けます。フィラデルフィアは,サルデスの南東50㌔,また,使徒ヨハネが同市の会衆に対する特別の音信を与えられたパトモス島から約200㌔離れた所にありました。今日,そこはアラセヒル(丘陵から後方部にかけて“赤味
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