過ぐる1年の際立った事柄
エホバの組織の地上の部分は,ひたすら前進を続けています。ここ数か月の間に起きた,胸の躍るような進展についてお読みください。
土地や建物の購入と売却
世界本部の新しい場所
2009年7月,エホバの証人は世界本部の移転計画のために,米国ニューヨーク州に102ヘクタールの土地を購入しました。その土地は,1909年以来使用しているニューヨーク市ブルックリンの施設の約80㌔北西にあります。
新しい敷地には事務棟,サービス棟,メンテナンスのための建物,四つの宿舎棟が建設され,800人ほどのベテル奉仕者がそこで生活し働く予定です。エホバの証人の現代の歴史を紹介する小さなミュージアムも計画されています。
施設自体の面積は18ヘクタールで,周りに森や湿地帯がそのまま残されます。芝地を広く造るようなことはせず,建物が周囲の森林地帯に溶け込むような景観となります。建築士たちは資源の保全を考えて,エネルギー効率のよい建物を設計しています。結果として,環境への影響を最小限にし,運営費を抑えることができます。例えば屋根は,丈夫であまり世話のいらない植物で覆われます。雨水の流出を減らし,建物内の温度を安定させるためです。オフィスは自然光を採り込む造りになります。水の保全も重視されています。
なぜ移転が計画されたのでしょうか。かつては聖書や聖書に基づく出版物の印刷がすべてブルックリンで行なわれていましたが,今では世界の様々な場所にある支部でも行なわれるようになっています。2004年に,米国での印刷や発送の業務は,ブルックリンの北西145㌔にあるニューヨーク州ウォールキルに移されました。コスト面も考慮に入れられました。老朽化し散在するブルックリンの施設の運営と維持には,多くの費用がかかります。小規模な施設に移転することで,より効率的に寄付を活用できます。
支部の統合
2012年9月までに,エホバの証人の支部のうち30ほどが大きな支部の管轄下に移されました。こうした変更には,おもに二つの理由があります。
1. テクノロジーによる作業の簡素化。近年,通信や印刷におけるテクノロジーの進歩により,大きな支部で必要とされる奉仕者の数が減りました。大きな支部の人数が減ったことに伴い,他の国の小さな支部で奉仕していた人たちもそこに住めるようになりました。
現在,幾つかの中心的な場所にいる経験豊かな奉仕者たちが聖書教育活動を世話しています。例えば,エルサルバドル,グアテマラ,コスタリカ,ニカラグア,パナマ,ホンジュラスでの伝道活動はメキシコ支部が監督するようになり,六つの国の支部は閉鎖されました。それら六つの支部のベテル家族の成員のうち,40人はメキシコ支部に割り当てられました。他の95人ほどは元の国にとどまり,全時間の伝道活動を始めました。
それら中米諸国の奉仕者の中には,メキシコ支部の監督下にある翻訳事務所での奉仕を続けている人もいます。例えばパナマでは,約20人の翻訳者が聖書文書を幾つかの現地語に翻訳しています。グアテマラでは,16人が地元の四つの言語に出版物を翻訳しています。このような再組織により,中米ではベテル奉仕者の数が300人から75人ほどに減りました。
2. より多くの全時間奉仕者が伝道を行なえる。支部の統合により,小さな支部で奉仕していた兄弟たちは良いたよりを宣べ伝える業に専念できるようになりました。そのように割り当てが変更されたアフリカの一人の兄弟はこう述べています。「最初の数か月は,新しい環境での生活に慣れるのが大変でした。でも,伝道を毎日行なって,あふれるほどの祝福と喜びを得ています。現在,20人の人に聖書を教えており,そのうちの何人かは会衆の集会に出席しています」。
ブルックリンの名物
エホバの証人の世界本部の屋上にあるサインは,ニューヨーク市民によく知られています。これまで40年以上,昼も夜も,高さ4.6㍍の赤い文字で時刻と気温を表示しているサインです。それを頼りにしている人は少なくありません。
最初にサインを設置したのはビルの以前の所有者で,それは70年以上前のことです。1969年にエホバの証人がビルを購入し,その後,現在の形にサインを変更しました。
エネルギー効率と正確さを高めるため,サインは幾度か改良されてきました。1980年代半ばには,時刻と華氏気温の交互表示に加えて,摂氏気温も表示されるようになりました。
ブルックリンの自宅アパートからこのサインを見ているエボニはこう言います。「出勤前に窓から時刻と気温が見えるので,助かっています。遅刻しないで済みますし,どんな服を着ればいいかも分かります」。
このサインは今後も残るのでしょうか。エホバの証人の世界本部は移転する予定のため,サインがどうなるかはこのビルの新しい所有者の決定次第です。
み言葉を広める
マンハッタンでの新たな試み
2011年11月にエホバの証人は,マンハッタンで聖書について人々に伝えるため,人目を引くように展示されたスタンドやカートを用いるようになりました。この取り組みが実施されているのは,ニューヨーク市で最も古くて人通りの多い区であるマンハッタンの南部です。その地区が四つのエリアに分けられ,各エリアの数か所によく整えられたスタンドやカートが置かれます。そこには地元の開拓者がいて,聖書に基づく出版物が並べられており,道行く人は自由に立ち寄れます。ほとんどのスタンドは,毎日何万人もが利用する駅やバスターミナルなどの付近にあります。
立ち寄る人たちは,様々な疑問に対する聖書の答えを知ることができます。時間を取りたくない人も,あとで読むために出版物を受け取れます。出版物は多くの言語で用意されています。希望する言語のものがない場合,頼んでおいて数日後に受け取ることができます。
一般の人々だけでなく,市の関係者たちも,この取り組みに好意的な反応を示しています。ある警察官は,「どうしてもっと早くやらなかったんですか。みんなこういうものを必要としています」と言いました。一人の男性は,「聖書は実際に何を教えていますか」の本を見て急に立ち止まりました。地下鉄でその本を読んでいる人たちを見かけて,どこで手に入れたんだろうと思っていた,とのことでした。そのなぞが解けたのです。
ある若い男性は毎日,通勤途中にスタンドの前を歩いて通り過ぎていました。そして6週間後にとうとう立ち止まり,「知りたいことがあるんです」と言いました。スタンドにいた奉仕者たちは喜んで対応し,男性に聖書を渡して調べ方を教えました。関心を持つ多くの通行人が立ち止まり,霊的な内容の話に応じています。8か月の間に,1,748人が聖書を学ぶことを希望しました。2012年6月の時点で,2万7,934冊の雑誌と6万1,019冊の書籍が配布されました。
雑誌のページ数が減り,言語数が増える
2013年1月から,「目ざめよ!」と一般用の「ものみの塔」のページ数が32ページから16ページに減りました。1号当たりの分量が減るので,もっと多くの言語に翻訳できるようになります。現在,「目ざめよ!」は98の言語に,「ものみの塔」は204の言語に翻訳されています。研究用の「ものみの塔」は引き続き32ページで発行されます。
これまで雑誌に載せられていた記事の幾つかは,ウェブサイトwww.jw.orgだけに掲載されることになりました。それに含まれるのは次の記事です。一般用「ものみの塔」に載せられていた「若い皆さんのために」と「せいしょのべんきょう」とギレアデ卒業式の報告,また「目ざめよ!」の「家族でやってみましょう」と「若い人は尋ねる」です。
さらに,ウェブサイト専用の記事として,聖書やエホバの証人に関する質問の,明解で簡潔な答えが載せられるようになりました。出版物の印刷版をウェブサイトからダウンロードすることもできます。パソコンやモバイル機器があれば,www.jw.orgから440余りの言語で出版物に簡単にアクセスできます。
新しくなった公式ウェブサイト
過去数か月にわたり,ニューヨークの世界本部にいる大勢の奉仕者が,www.jw.orgをより魅力的にし,コンピューターやモバイル機器で使いやすくするための作業をしてきました。さらに,そのウェブサイトを一新しました。それには二つの目的があります。
1. ウェブサイトの一本化。エホバの証人の三つのウェブサイトが,一つの公式サイトwww.jw.orgに統合されました。他の二つwww.watchtower.orgとwww.jw-media.orgは廃止されました。一つのサイトにまとめられることにより,エホバの証人に関する情報を探しやすくなりました。例えば,聖書や関連する出版物を多くの言語で読んだり,聞いたり,印刷したりできます。
2012年8月27日,ウェブサイトwww.jw.orgのデザインが一新された
2. 情報の追加。一新されたウェブサイトは,聖書に関する質問に答えているだけでなく,エホバの証人の伝道活動,支部,王国会館,大会についての情報を載せています。「ニュース」セクションは,世界中の兄弟たちに関係した出来事を取り上げています。家族,若い人,子どもが楽しめるコンテンツもあります。
毎日,数十万人がオンラインでエホバの証人の出版物を読んでいます。録音ファイル,EPUB,PDF,手話ビデオのダウンロード数は,1日50万件近くに上ります。毎日約100人が,聖書レッスンを申し込んでいます。
あらゆる人を助けるための備え
2メートルに達する聖書
「新世界訳」全巻の点字版は,英語,スペイン語,イタリア語で発行されていますが,20巻から28巻あり,本棚に置くには最低でも2メートルほどのスペースが必要です。印刷された点字版の聖書ほど場所を取らない形式のものもあります。例えば,視覚障害者は点字ノートテイカー(読み取り装置)を使うことにより,ノートを取ったり点字の電子ファイルを読み取ったりできます。持ち運び可能なその装置では,ピンが上下することによって点字が表示されます。また,画面上の文章を音声に変換するスクリーンリーダーを使うと,出版物の内容を聞くことができます。
100年以上にわたり,エホバの証人は聖書に基づく出版物を視覚障害者のために作成してきました。今では19の言語で入手できます。関心を持つ視覚障害者は無料で出版物を受け取れますが,多くの人は自発的に寄付を行なっています。
エホバの証人は,文章を点字に変換できるコンピューター・プログラムを開発し,そのプログラムは多くの言語に対応しています。ある言語の文字と点字の情報を含む変換テーブルが準備されると,そのプログラムが文章を点字に変換します。また,視覚障害者にとって読みやすいように出版物の体裁を整えます。この自動変換プログラムにより,点字のあるほとんどの言語(ローマ字を用いない言語も含む)で,点字の聖書や他の出版物を作成することが可能です。
以前は,大会で新しい出版物が発表されると,点字版は後に依頼できるということが聴衆に伝えられていました。昨年,米国支部は各地の会衆に問い合わせ,視覚障害者がどの大会に出席するか,またどの形式(点字の印刷版,ノートテイカー用電子ファイル,スクリーンリーダー用電子ファイル)を希望するかを調べました。
点字の印刷版が該当する大会会場に送られたので,視覚障害者も他の人たちと同時に新しい出版物を受け取ることができました。電子ファイルは,各大会の1週間後にメールで希望者に送信されました。
目の不自由な一人の姉妹はこう語りました。「ほかの人たちと一緒に出版物を受け取れたのは,本当に素晴らしいことでした。詩編 37編4節にはエホバが心の願いをかなえてくださるとありますが,今週末まさにそうしてくださいました」。視覚に障害を持つ別の兄弟も涙ぐみ,「良いお世話をしてくださるエホバに感謝しています」と言いました。
大勢の人が読み書きを学んでいる
2011年に,5,700人以上の人たちがエホバの証人の援助を受けて読み書きを学びました。幾つかの国で行なわれている事柄をご紹介しましょう。
ガーナ: 過去25年間に9,000人以上が援助を受けて,読み書きができるようになりました。
モザンビーク: 過去15年間に1万9,000人以上が学び,文字を読めるようになりました。その一人,フェリザルダはこう述べています。「聖句を見つけてほかの人に読んであげられるようになったので,うれしいです。以前は,それがすごく大変でした」。
ソロモン諸島: 支部はこう報告しています。「かつて,奥地に住む多くの人たちは学校に通えませんでした。また,ほとんどの女性は子どもの時,学校教育を受けられませんでした。とりわけ,そうした大人たちに識字クラスが役立っています。この課程を修了した多くの人が,以前より自信を持てるようになっています」。
ザンビア: 2002年以来,1万2,000人近くの人たちが上手に読み書きできるようになりました。82歳のアグネスはこう言います。「会衆で識字クラスが開かれるという発表を聞いて,すぐに申し込みました。1回目の授業で,自分の名前が書けるようになったんです!」
賛美の歌を多くの言語に
エホバの証人は聖書関係の出版物を約600の言語に翻訳しています。その中でも,135曲を収めた歌の本全体の翻訳は,非常に大きな仕事です。それでも,新しい歌の本「エホバに歌う」の全曲は,ここ3年間で116の言語に翻訳されました。また,55曲を収めた歌の本がすでに他の55の言語に翻訳されています。歌の本はさらに何十もの言語で準備中です。
歌詞を翻訳する人たちは,味わい深く,美しく,覚えやすい歌詞を作ることを目指します。さらに,賛美の歌の言葉遣いは,歌う時に意味をつかみやすい,シンプルなものでなければなりません。それぞれの言語で,歌詞とメロディーが一つになり,歌う人自身の言葉であるかのように自然に流れなければなりません。
どのようにその作業を行なうのでしょうか。「エホバに歌う」の英語の歌詞の直訳ではなく,元の歌の大切な要素を生かした新たな歌詞を作ります。それぞれの歌に込められた聖書的な考えにしっかり沿いつつ,分かりやすくて覚えやすい日常的な表現を用いるのです。
最初のステップは,英語の歌詞の直接的な訳を作ることです。次いでその訳をもとに,作詞の上手な奉仕者が生き生きとした味わい深い歌詞を作りました。それから,翻訳チームと校正担当者たちが聖書的な考えの正確さを意識しながら,その歌詞を検討しました。このように,歌の本の翻訳は膨大な仕事です。世界各地のエホバの証人は,自分の言語で賛美の歌の本を受け取って大喜びしました。
遠隔翻訳事務所
「啓示」の書には,今の時代の油そそがれた者たちが人々に,来て「命の水を価なくして受けなさい」との招きを差し伸べることが預言されています。(啓 22:17)この招きは,「すべての……民と国語」の人々に差し伸べられます。(啓 7:9)最近までほとんどの翻訳者は,扱う言語が支部の管轄する他の場所で話されている場合でも,支部にいて翻訳をしていました。そのため,自分の言語の用法に通じ,また読者の心を動かすような訳を作ることに苦労していました。今では,その言語が話される地方に翻訳事務所が置かれ,そこで翻訳者が奉仕するケースが多くなりました。このことは,翻訳者たちから寄せられた以下のコメントが示すとおり,たくさんの益を及ぼしています。
メキシコのマヤ語の翻訳者はこのように述べています。「わたしは,なじんでいた元の土に植え替えてもらった,小さな植物のように感じました」。ロシア南部の一人の翻訳者はこう語っています。「言語が実際に話されている場所に事務所があるというのは,翻訳者にとってまさに理想的な環境です。わたしたちの言語の場合,テレビや書籍やインターネットでの用法は,人々が日常生活で用いる話し方と大きく異なっています。自然な訳を作るには,実際に人々が話す言葉を聞くことがどうしても必要です」。
「わたしは,なじんでいた元の土に植え替えてもらった,小さな植物のように感じました」
コンゴのチルバ語の翻訳者は,次のように言います。「わたしたちはチルバ語を毎日使っています。日常の活動の際,例えば買い物をする時,近所の人と話す時,また伝道やクリスチャンの集会で用います。自分たちで訳したものを学びます。チルバ語の出版物を宣教で用いるので,翻訳した表現を人々が理解しているかどうかがすぐに分かります」。
ウガンダに住むルコンゾ語の翻訳者はこう語っています。「自分たちが話し,また翻訳する言語で開かれる集会に出席できるというのは,本当にうれしいことです。野外宣教も,もっと楽しくなりました。自分の母語で人々と話せるからです」。
翻訳者が割り当てられた会衆にも益が及んでいます。ある姉妹は,マヤ語の翻訳者たちについて次のように述べました。「話す言葉や手本からわたしたちは励みを受けています。この土地にも小さなベテルがあるようで,とても恵まれていると思います」。
このような取り決めから双方が励みを受けています。ケニアの翻訳者はこう言います。「ルオ語で発行されている読み物はあまりありません。この土地の人々は,自分の言語できちんとした出版物を読むことなど考えも及ばないため,その言語の出版物を受け取ると大喜びします。このような反応を見ると,わたしも大いに励まされ,割り当てられた仕事をこれからも続け,最善を尽くそうという気持ちになります」。
翻訳者の多くは支部で何年も,また場合によっては何十年も奉仕してきました。りっぱな精神を示し,自分のことよりもエホバの羊の益を進んで優先する心構えでいるので,大いに感謝されています。そのような精神を示すことで祝福されています。南アフリカのコーサ語の翻訳者の述べた次の言葉は,多くの人の気持ちを的確に伝えています。「翻訳事務所を設置するという統治体の決定は,素晴らしいと思います。ベテルにいた時も幸せでしたが,翻訳事務所にいる今はもっと幸せです」。
世界各地からの報告
「本当によく世話してくださいました」
2012年6月3日,日曜日,ナイジェリアで悲惨な飛行機事故が起きました。旅客機がナイジェリア最大の都市ラゴスで,人口の密集する市街地に墜落しました。搭乗していた153人全員が死亡し,現場付近でも多数の死者が出たのです。
飛行機は3階建てのビルに激突しましたが,そのビルの3階にコリンズ・エウェとその家族が住んでいました。事故当時,この一家は王国会館で会衆の集会に出席していました。
午後3時35分ごろ,「ものみの塔」研究の最中にコリンズと妻のチンイェレの携帯電話に何度か着信がありましたが,二人は出ませんでした。集会が終わると,チンイェレは電話に出ました。二人の住む建物が火事だと,近所の人が知らせてきたのです。家に戻り,状況が分かりました。飛行機がその建物に激突してから近くの別の建物に落ち,炎上したのです。
チンイェレはこう言います。「家にいたら間違いなく命を落としたはずです。事故後に手元に残ったのは,着ていた集会用の服だけでしたが,何よりも命が助かりました。巡回監督がすぐに救援委員会を設置し,兄弟たちはわたしたちを本当によく世話してくださいました。とても感謝しています」。
コリンズはこう語っています。「わたしがエホバの証人になって反対していた親族も,考えを変えました。ある親族にこのように言われました。『あなたのエホバは祈りを聞く神なんだね。その神から離れてはいけないよ。あなたを助けてくれるのだから』。別の親族は,『これまで神に仕えてきたように,引き続き一生懸命仕えなさい』と言いました。今回の件で,エホバのみ手が働いているのがよく分かりました。非常にうれしく思います」。
議会が教会としての登録を認める
2012年2月27日,ハンガリー政府は教会法の付帯条項を採択しました。それによってエホバの証人は,登録された宗教団体として認められました。この法的な立場は,ハンガリーで良いたよりを宣べ伝えるうえで大いに役立ちます。エホバの証人の団体は税の支払いを免除され,寄付を受け取ることができ,さらには刑務所や病院を訪問して霊的な導きを与えられるようになります。
特別な会場で行なわれた記念式
ナミビアのルンドゥーに住む特別開拓者は,近くの村で開かれた記念式について報告を寄せました。その村で関心を示す人がいたため,兄弟たちは地元の言語であるルマニョ語で初めて記念式を開くことにしました。その開拓者はこう書いています。「美しい屋外の会場で満月の光に照らされ,バッテリーを使った二つの照明や石油ランプで式を開きました」。集まった人たちがエホバに近づく優れた機会となりました。その土地に住む,たった一人の伝道者は3月に奉仕を始めたばかりでしたが,記念式には275人が出席したのです。
支部の献堂式がエホバの誉れとなる
2011年11月19日は,中央アフリカ共和国とチャドのエホバの組織の歴史において特別な日となりました。その日,兄弟姉妹269人が完成して間もない支部施設の建物の前に集まりました。統治体の成員サミュエル・ハードが出席し,ベテルの新しい建物をエホバへの奉仕のために献堂できたのは喜ばしいことでした。プログラムの中で,両国における宣べ伝える業の歴史が紹介されました。その業が中央アフリカ共和国で始まったのは1947年で,チャドは1959年でした。次の話では,建設について取り上げられ,その流れや完成に至るまでの詳しいいきさつが説明されました。たくさんの国からのあいさつが伝えられた後,聴衆はハード兄弟による献堂式の話を楽しみました。ベテル家族の成員42名は,翻訳のための八つの事務所,厨房,食堂,洗濯室が備えられ,必要が満たされたことを喜んでいます。さらに,22部屋ある宿舎に加え,ロビー,管理関係の事務所,発送用の区画などがあり,ベテルとして十分に機能しています。
コンゴで支部の献堂式が行なわれたのは初めてだった
2012年5月26日,土曜日は,コンゴ民主共和国のエホバの証人にとって重要な日となりました。8年に及んだ建設や改築の後,支部施設が献堂されたのです。これは特別なことでした。支部はコンゴに50年ほど前からありますが,この国で支部の献堂式が行なわれたのは今回が初めてだからです。統治体のジェフリー・ジャクソンが支部の敷地内で,2,422人の聴衆を前に献堂式の話をしました。その多くはバプテスマを受けて40年以上になる人たちでした。それに加え,23の国から117人のゲストが出席しました。その中には,かなり前にコンゴで奉仕したことのある宣教者たちもおり,励みの多い経験を語りました。出席した人は皆,支部の建物を専らエホバの崇拝のために用いる決意を表明し,感動と喜びを共にしました。
法律上の動き
2011年6月30日,ヨーロッパ人権裁判所は,フランス政府が行なった課税によってエホバの証人の権利が侵害されたという判決を下しました。同政府は,1993年から1996年にかけてフランスのエホバの証人協会に対してなされた宗教上の寄付全額に,60%の税を課していました。ヨーロッパ人権裁判所が,友好的解決を図るよう双方に勧めたにもかかわらず,その過重な課税は違法ではないという主張を政府は続けました。そのため,友好的な解決の道は閉ざされました。結果として,2012年7月5日,同裁判所はフランス政府に対し,課税による「すべての影響」を取り除くよう命じる判決を下しました。政府はエホバの証人協会に,課税当時に没収した459万295ユーロ(約4億6,000万円)を返還するよう命じられました。(これに,没収したお金に対する利息が加わります。)また,訴訟費用として5万5,000ユーロ(約550万円)の支払いも命じられました。
エリトリアに住むエホバの忠節な僕たちは,中立の立場を固守するために市民権を剥奪されています。(イザ 2:4)過去17年の間に多数の人が逮捕されました。現在では兄弟姉妹およそ50人が刑務所に入れられており,その中には高齢の女性や,2歳の幼児など子どもも含まれています。悲しいことに,2011年7月,ミスギナ・ゲブレティンサエ兄弟は刑務所で亡くなりました。エリトリアで投獄されているエホバの証人の中から死者が出た初めての例です。兄弟は死亡する前,一週間にわたって金属製のコンテナに独りで入れられており,不審な死を遂げたと見られています。兄弟たちは当局と接触する努力を続けています。わたしたちが平和を求め中立を保つことを願うのはエリトリア政府に反対しているからではない,という点を理解してもらえるようにするためです。
インドのエホバの証人は今なお,宣教に携わる際に暴徒に攻撃されています。大人や未成年者,さらには60歳の女性やその孫である1歳半の幼児までもが,ののしられたり身体的な暴行を受けたりしています。衣服をはぎ取られた人や,殺すと脅された人たちもいます。警察が偏見を持ち必要な行動を取らないため,エホバの証人の被害が拡大しています。警察は加害者を訴追するどころか,偽りの嫌疑でエホバの証人を拘束しています。逮捕される人はしばしば法外な保釈金の支払いを求められ,警察官による暴言や暴力にさらされ,治療を受けられず,食べ物や水を与えられません。その後,身の潔白が証明されるまで刑事被告人として何年も法廷に引き出されます。兄弟たちが救済を受けられるよう,国家人権委員会に何件もの人権被害の訴えがなされています。
2011年11月,ヨーロッパ人権裁判所はトルコがエホバの証人であるユヌス・エルチェプの良心の自由を侵害したという全員一致の判決を下しました。エルチェプ兄弟は,兵役を良心的に拒否したために有罪とされ投獄されました。1998年3月以降,兄弟は兵役の召集を39回受け,起訴された回数は30回余りに及びます。罰金を科され,投獄され,“宗教的妄想”を患っているとして精神病院に収容されました。
2004年10月,エルチェプ兄弟はヨーロッパ人権裁判所に申し立てを行ないました。同裁判所は判決の中で次のように述べました。「エホバの証人の一人である申立人が兵役の免除を求めているのは,純粋な宗教的信念に基づくものであり,自己の利益や便宜のためではない」。
フェティ・デミルタシュもトルコのエホバの証人で,2005年に召集された時,軍事上の訓練を受けることを拒みました。兄弟は逮捕され,殴打され,起訴され,554日間にわたって投獄された末,2007年6月に釈放されました。デミルタシュ兄弟は聖書に基づく信念を曲げなかったため,精神病を患っているとする報告書が作成されました。この裁判でもトルコは敗訴し,判決の中でヨーロッパ人権裁判所は,デミルタシュ兄弟がトルコの当局者によって非人道的な扱いを受けたことと,良心の自由の権利が侵害されたことを認定しました。
ヨーロッパ人権裁判所によるこれら二つの判決は,2011年7月の画期的な判決(「バヤティアン 対 アルメニア」事件)に続くものです。その判決の中で同裁判所の大法廷は,ヨーロッパ人権条約は良心的兵役拒否者の権利をも保護するものであることを確認しました。これらの判決は欧州評議会の構成国すべてに対して拘束力を持っており,トルコもそれに含まれています。
ヨーロッパ人権裁判所はアルメニアに対しても敗訴の判決を下しました。2012年1月,「ブカラティアン 対 アルメニア」事件と「ツァトゥリアン 対 アルメニア」事件の判決を言い渡し,良心的に兵役を拒否した二人のエホバの証人の宗教的自由が侵害されたことを認めました。同裁判所は判決を下す際に,「バヤティアン 対 アルメニア」事件の画期的な判決を引き合いに出しました。
アルメニアに対してこれらの歴史的な判決が下ったにもかかわらず,政府はなおも良心的兵役拒否者を起訴し,有罪とし,投獄しています。アルメニア政府は2012年3月,代替奉仕に関する法律の修正案を承認しましたが,議会ではまだ審議されていません。アルメニア政府がヨーロッパ人権裁判所の判決を履行し,今なお良心的兵役拒否者として投獄されている兄弟たちを釈放することが期待されています。
アゼルバイジャンのエホバの証人は,引き続き政府からの圧力にさらされています。例えば,宗教的な集会に出席することで捜索を受け逮捕されています。宗教的な文書の検閲,外国人の成員の国外追放,警察による暴行や暴言にも面しています。さらに,登録を抹消するという脅しをかけられています。再登録のためのエホバの証人による申請は,宗教協会を管轄する国の委員会によって却下されました。それからというもの,警察は崇拝のためのエホバの証人による平和的な集会をいっそう妨げるようになり,宣教奉仕を妨害し,聖書文書の輸入と配布を制限しています。エホバの証人が宗教文書を配布し,宗教の集会に出席したことで,裁判所は重い罰金を科しています。例えば,ある姉妹はガンジャ市で集会に出席したために16万円相当の罰金を科されました。こうした処罰は,ヨーロッパ人権条約によって保障されている崇拝の自由の権利を侵害するものであるため,ヨーロッパ人権裁判所に対して多数の申し立てがなされています。それにより,アゼルバイジャンのエホバの証人に対する嫌がらせや迫害がやむことが期待されています。
ロシア各地の捜査当局は,エホバの証人に対する嫌がらせや迫害を続けています。捜査当局は裁判所に対し,エホバの証人が神を崇拝する自由を行使することで彼らを有罪とするよう圧力をかけています。ロシアの裁判所は,各方面から批判されている過激活動対策法に基づいて,エホバの証人の発行する少なくとも64の出版物を過激主義的であると宣告しました。最近ではある検察官が,「偉大な教え手から学ぶ」という,イエス・キリストについて教える子ども向けの本を過激主義的であると宣告するよう求めました。ロシアの多くの場所で,裁判所はエホバの証人の公式ウェブサイトの閲覧を妨げています。さらに,捜査当局が会衆の成員をひそかに監視する許可を与えました。それには,監視カメラでひそかに動きを探ることや,郵便物を検閲することが含まれます。その結果,警察は近所の反対する住民への聞き込みを定期的に行ない,エホバの証人の家を捜索し,宗教文書や他の私物を押収しています。エホバの証人は外を歩く時,車を運転する時,列車を降りる時などに身柄を拘束されています。クリスチャンの集会は警察によって妨げられ,長老たちは会衆内で霊的な世話をしたために起訴されています。地域によっては,検察官が裁判所の命令を取りつけてエホバの証人の地元の宗教組織を解散させようと画策しています。
2012年5月にタガンログ市では,17人のエホバの証人が信仰を実践しただけで,犯罪行為を組織し,それに関与したとして起訴されました。この同じ地域では,2009年に裁判所命令によってエホバの証人の地元の宗教組織が解散させられ,王国会館は過激活動の疑いで差し押さえられました。証人たちは王国会館の使用が認められないため,個人の家や借りた会場で集まってきましたが,当局は今や組織的な崇拝をすべてやめさせようと画策しています。2012年7月,シベリアの都市チタに住む開拓者の夫婦は,信じている事柄を他の人に伝える際に「聖書は実際に何を教えていますか」の本を配布したため,憎しみをあおったとして有罪になりました。それは聖書について学ぶための本ですが,過激主義的であるとされているのです。二人はそれぞれ200時間の強制労働の刑に処されましたが,その判決に対して上訴しています。
ヨーロッパ人権裁判所は,エホバの証人がロシアを相手に起こした裁判で,エホバの証人に対して2件の明白な勝訴判決を下しています。2007年の「クズネツォフほか 対 ロシア」事件と,2010年の「モスクワのエホバの証人 対 ロシア」事件です。それにもかかわらず,ロシアの当局は権威ある同裁判所のこれらの判決を今なお無視しています。そうした状況で,エホバの証人はヨーロッパ人権裁判所に対してさらに19件の申し立てを行なっており,それらは未決です。今後下される同裁判所の判決によって,ロシアの当局がエホバの証人に対する迫害をやめ,証人たちが「敬虔な専心を全うし,まじめさを保ちつつ,平穏で静かな生活をしてゆく」のを認めるようになることが期待されています。―テモ一 2:2。
韓国では,若い兄弟たちがクリスチャンとして中立を保っていることを理由に,今なお投獄されています。毎月45人ほどの若い兄弟が有罪とされ,1年半の刑を宣告されています。結果として,韓国で現在投獄されている兄弟たちの数は750人ほどになります。世界でも信仰のためにこれほど多くのエホバの証人が投獄されている国は,ほかにありません。1950年以来,1万7,000人ものエホバの証人が刑を宣告され,その刑期は合計3万2,000年を超えます。
2012年,当局はエホバの証人の良心的兵役拒否者に対する扱いをさらに厳しくし,初めてのこととして,予備役への召集を良心的に拒む人に拘禁刑を言い渡しています。以前は,そのように予備役の軍事訓練を拒む人には罰金刑のみが科せられました。予備役への召集は一定の年月の間に何度もあるため,予備兵としての務めを果たすのを拒む人は複数の裁判を受けることになります。例えば,2011年11月,ソン・ホジョンは8か月の刑を宣告されました。そして2012年6月に再び裁判を受け,今度は6か月の刑を宣告されました。彼は2度目の裁判の直後に拘束されましたが,29日後には保釈され,上訴の結果を待っています。現時点で合計14か月の刑に処せられる可能性があります。
韓国では毎月45人ほどの若い兄弟が有罪とされ,1年半の刑を宣告されている
国連規約人権委員会はこれまでに幾度か,良心の自由の権利を侵害しているとして韓国を非難してきました。問題の解決を図るため,同委員会と韓国の憲法裁判所に対して新たな申し立てがなされ,係争中です。