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神は不公平な方ではないものみの塔 1988 | 5月15日
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神は不公平な方ではない
「神(は)不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」― 使徒 10:34,35。
1 パウロは古代のアテネで,人種に関してどんな重要なことを話しましたか。
「世界とその中にあるすべてのものを作られた神は,天地双方の主であられるので,人間の作った神殿には住んでおられません。……神は一人の先祖からあらゆる人種の人間を造り,全地の表で生きるようにされました」。(使徒 17:24-26,フィリップス訳)この言葉を語ったのはだれですか。それはクリスチャンの使徒パウロです。パウロはギリシャのアテネにあるマルスの丘,つまりアレオパゴスで行なった有名な話の中でそのように言いました。
2 生活を多彩で興味深いものにする上で,何が役立っていますか。日本から南アフリカを訪れたある人は,何に感銘を受けましたか。
2 わたしたちはパウロの言葉から,創造物の中に見られるすばらしい多様性について考えさせられるかもしれません。エホバ神は,実に多くの種類の人間や動物,鳥,昆虫,植物を創造されました。それらがみな同じようであったなら,生活はどんなに退屈なものでしょう。多様性があるおかげで,生活は多彩で興味深いものになります。例えば,日本から南アフリカを訪れ,エホバの証人の大会に出席したある人は,そこで目にした人種や皮膚の色の多様性に感銘を受けました。そして,日本の場合は事情が全く異なり,圧倒的大多数の人々は人種的に同じ特色を持っていると語りました。
3 ある人々は皮膚の色の異なった人々をどのようにみなしますか。そのため,どんな問題が生じますか。
3 しかし,人種によって皮膚の色が異なっているため,しばしば深刻な問題が生じます。皮膚の色が異なっている人々は劣っている,と大勢の人は考えています。それは敵意を,さらには憎しみや人種的な偏見という社会悪を生じさせます。人間の創造者はそうしたことを意図されたのでしょうか。神の見地から優れた人種があるのでしょうか。エホバは不公平な方ですか。
人間の創造者 ― 不公平な方か
4-6 (イ)エホシャファト王は不公平について,何と述べましたか。(ロ)モーセとパウロは,エホシャファトの言葉をどのように確証していますか。(ハ)ある人々はどのような質問を提起するかもしれませんか。
4 歴史をさかのぼってみれば,人間の創造者が全人類をどのように見ておられるかについて,幾らかの考えが得られます。西暦前936年から911年までユダを支配していたエホシャファト王は,神の律法に基づいて多くの改革を行ない,司法制度が適正に機能するための取り決めを設けました。この王は裁き人たちに次のような優れた諭しを与えました。「あなた方は自分のしていることに気をつけなさい。あなた方が裁くのは人のためではなく,エホバのためだからです。……注意深くし,行動しなさい。わたしたちの神エホバには,不義も,えこひいきも……ないからです」― 歴代第二 19:6,7。
5 その数百年前,預言者モーセはイスラエルの諸部族に,「あなた方の神エホバは……だれに対しても不公平な扱いをせず」と語りました。(申命記 10:17)パウロもローマ人への手紙の中で,このような訓戒を与えました。「悪行者である,あらゆる人間に対しては,ユダヤ人をはじめとして,ギリシャ人にも,苦悩や苦難があります。……神はえこひいきをされないからです」― ローマ 2:9-11,新英訳聖書。
6 しかし,中には次のように尋ねる人がいるかもしれません。『イスラエル人についてはどうなのか。彼らは神の選民ではなかったのか。イスラエルに関して神は不公平ではなかったのか。モーセは全イスラエルに対して,「あなたの神エホバは……すべての民の中からあなたを選んでご自分の民とし,特別な所有物とされた」と言ったではないか』。―申命記 7:6。
7 (イ)ユダヤ人がメシアを退けた時,どんな結果が生じましたか。(ロ)今日,だれが神からのすばらしい祝福を享受できますか。どのようにして享受できますか。
7 いいえ,特別な目的のためにイスラエルを用いられた神は,不公平ではありませんでした。エホバはメシアを生み出す経路となる民を選択するに当たって,忠実なヘブライ人の族長たちの子孫を選ばれましたが,ユダヤ人はメシアなるイエス・キリストを退けて死刑にした時,神の恵みを失いました。しかし今日,イエスに信仰を働かせるなら,どんな人種や国籍の人であっても,すばらしい祝福を享受し,永遠の命の見込みを持つことができるのです。(ヨハネ 3:16; 17:3)このことは確かに,神の側に不公平がないことを証明しています。さらにエホバは,人種や国籍に関係なく,「外人居留者に愛を示(し)」,「これを虐待してはならない」とイスラエル人に命令されました。(申命記 10:19。レビ記 19:33,34)ですから,天におられるわたしたちの愛ある父は,決して不公平な方ではありません。
8 (イ)エホバがイスラエルをえこひいきされたのではないことを,何が証明していますか。(ロ)エホバはイスラエルをどのように用いられましたか。
8 イスラエル人が特別な特権を享受したのは確かですが,彼らには重い責任も課せられていました。エホバの律法を守る義務を負っていたので,律法に従わなかった人々は呪いのもとに置かれました。(申命記 27:26)事実,イスラエル人は神の律法に逆らったために,繰り返し罰せられなければなりませんでした。ですから,エホバはえこひいきをして彼らを取り扱われたのではありません。むしろ,預言的な型を設けて警告の例とするために,彼らをお用いになりました。幸いにも,神は全人類を祝福するため,イスラエルを通して,請け戻す方であられるイエス・キリストを生み出されました。―ガラテア 3:14。創世記 22:15-18と比較してください。
イエスは不公平だったか
9 (イ)エホバとイエスはどのように似ておられますか。(ロ)イエスに関して,どんな質問が生じますか。
9 エホバに不公平がなかった以上,イエスが不公平であると考えられるでしょうか。ではこのことについて考えてください。イエスはかつて,「わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を求める」と言われました。(ヨハネ 5:30)エホバとエホバの愛するみ子との間には完全な一致があり,イエスはあらゆる点においてみ父のご意志を行ないます。実際,このお二方の見方と目的は非常によく似ているので,イエスは「わたしを見た者は,父をも見たのです」と言うことができました。(ヨハネ 14:9)イエスは33年余り地上で人間として生活して現実の経験を積まれました。また聖書は,イエスが仲間の人間をどのように扱われたかを明らかにしています。イエスは他の人種の人々にどのような態度を示されましたか。偏見を抱いたり,不公平だったりしましたか。イエスは人種差別主義者でしたか。
10 (イ)イエスは助けを願うフェニキア人の女の求めにどのようにお答えになりましたか。(ロ)イエスは異邦人を「小犬」と呼ぶことによって,偏見を示しておられたのですか。(ハ)女は反対をどのように克服しましたか。そのため,どんな結果になりましたか。
10 イエスはその地上での生涯の大部分をユダヤ人と共に過ごしました。しかしある日のこと,異邦人であるフェニキア人の女がイエスに近づき,自分の娘を治してほしいとイエスに懇願しました。それに答えてイエスは,「わたしは,イスラエルの家の失われた羊のほかはだれのところにも遣わされませんでした」と言われました。それでも女は「主よ,私をお助けください!」と嘆願しました。それでイエスは,「子供たちのパンを取って小犬に投げ与えるのは正しくありません」と付け加えられました。ユダヤ人にとって犬は汚れた動物でしたから,イエスは異邦人を「小犬」と呼ぶことによって,偏見を示しておられたのでしょうか。そうではありません。イエスはそのすぐ前のところで,『イスラエルの失われた羊』を世話するという,神からの特別な任務に言及しておられるからです。さらに,非ユダヤ人を野犬ではなく「小犬」になぞらえることによって,イエスはこの比較を和らげられました。イエスの言葉によってこの女が試されたことは言うまでもありません。女はこの反対を克服する決意を抱いてはいたものの,謙遜に,また巧みにこう答えました。「そうです,主よ。けれど,小犬も自分の主人たちの食卓から落ちるパンくずを食べるのでございます」。イエスは女の信仰に感銘を受け,ただちにその娘を癒されました。―マタイ 15:22-28。
11 イエスに関連した出来事が例証しているとおり,ユダヤ人とサマリア人はお互いにどんな態度を示していましたか。
11 イエスがあるサマリア人たちに出会った時のことも考えてください。ユダヤ人とサマリア人の間には根深い敵意が存在していました。あるとき,イエスはあるサマリア人の村で自分のために準備をさせるため,使者をお遣わしになりました。ところが,それらのサマリア人たちは「彼を迎えなかった。その顔がエルサレムへ行くことに向けられていたからであった」と記されています。そのためヤコブとヨハネは気が立ち,天から火が下って彼らを滅ぼし尽くすことを望むまでになりましたが,イエスはその二人の弟子たちをお叱りになり,一行は別の村に向かいました。―ルカ 9:51-56。
12 あるサマリア人の女がイエスの求めに驚いたのはなぜですか。
12 イエスはユダヤ人とサマリア人の間に存在していた敵意の感情に同調されましたか。では,別のときに生じた事柄に注目してください。イエスと弟子たちはユダヤからガリラヤへ向かう途上にあり,サマリアを通らなければなりませんでした。旅の疲れのため,イエスはヤコブの泉の傍らに座って休み,弟子たちのほうは食物を買うためにスカルの町に向かいました。そこへ,サマリア人の女が一人,水をくみにやって来ます。さてイエスご自身,別のときにサマリア人を「別の人種の」者として類別しておられました。(ルカ 17:16-18,ギリシャ語聖書 王国行間逐語訳)しかしイエスは,「わたしに飲ませてください」と女に言われます。ユダヤ人はサマリア人と交渉を持たなかったので,女は驚き,「ユダヤ人のあなたが,サマリア人の女であるわたしに,水を飲ませてほしいとおっしゃるのはどうしてですか」と答えます。―ヨハネ 4:1-9。
13 (イ)イエスはサマリア人の女の反論にどのようにお答えになりましたか。女はどんな反応を示しましたか。(ロ)最後には,どんな結果になりましたか。
13 しかし,イエスは女の反論を無視されました。それどころか,その機会をとらえて女に証しを行ない,自分がメシアであることを認める発言さえしておられます。(ヨハネ 4:10-26)女は驚き入り,水がめを泉のそばに残したまま市内に走って戻り,生じた事柄を他の人々に告げ始めました。この女は不道徳な生活を送っていましたが,「もしやこれがキリストではないでしょうか」と述べることにより,霊的な事柄に対する関心を明らかにしました。最後にはどんな結果になりましたか。女の行なった立派な証しによって,土地の人々が大勢イエスに信仰を持つようになりました。(ヨハネ 4:27-42)興味深いことに,組合教会の神学者であるトマス・O・フィガートは自著「人種問題に関する聖書の見方」の中で,こう注解しています。「人種差別の誤った伝統を破棄して寛大な意志表示に置き換えることを我らの主が重要なものと考えられたのなら,我々は今日の人種差別主義の川に飲み込まれてしまわないよう注意を払うべきである」。
14 福音宣明者フィリポの宣教の際,エホバの公平さに関するどんな証拠が示されましたか。
14 エホバ神の公平さによって,様々な人種の人々がユダヤ教への改宗者となることが許されました。今から19世紀前,エルサレムとガザの間の砂漠の道で生じた事柄についても考えてみてください。エチオピアの女王に仕える一人の黒人の男性が兵車に乗り,イザヤの預言を読んでいました。この役人は割礼を受けた改宗者でした。「彼は崇拝のためにエルサレムに行ってきた」と記されているからです。エホバのみ使いがユダヤ人の福音宣明者フィリポに現われ,「近づいて,この兵車と一緒になりなさい」と告げます。フィリポは,「それはできません。あの人は人種が違います」と言ったでしょうか。そんなことは全くありませんでした。フィリポは,兵車に乗るようにとのエチオピア人の招きを喜んで受け入れ,一緒に座り,イエス・キリストに関するイザヤの預言について説明しました。二人が水のあるところに近づいた時,エチオピア人は「わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか」と尋ねました。妨げるものは何もなかったのでフィリポはエチオピア人に喜んでバプテスマを施し,エホバは幸福なその人を,ご自分の公平なみ子イエス・キリストの油そそがれた追随者として受け入れました。(使徒 8:26-39)しかし程なくして,神の公平さに関するさらに別の証拠が示されました。
大きな変化
15 イエスの死後,どんな変化が生じましたか。パウロはそれをどのように説明していますか。
15 キリストの死は,世にある人種的な偏見を除き去ったわけではありません。それでも,その犠牲の死という方法によって,神はイエスのユダヤ人の弟子たちと,異邦人の追随者たちとの関係を確かに変化させました。使徒パウロは,エフェソスにいた異邦人のクリスチャンに手紙を書き,次のように述べてその点を指摘しました。「肉について言えば,自分たちが以前は諸国民の者であったことを覚えておきなさい。……そのころあなた方はキリストを持たず,イスラエルの国家から疎外され,約束にかかわる数々の契約に対してはよそ者であり,希望もなく,世にあって神を持たない者だったのです。しかし,かつては遠く離れていたあなた方が,今やキリスト・イエスと結ばれ,キリストの血によって近い者となりました。キリストはわたしたちの平和であり,二者を一つにし,その間にあって隔てていた壁を取り壊した方なのです」。その「壁」,つまり分離の象徴は,ユダヤ人と異邦人の間の仕切りとしての役割を果たした律法契約の取り決めでした。その取り決めは,キリストを通してユダヤ人と異邦人の双方が「一つの霊のもとに父に近づく」ことができるよう,キリストの死に基づいて廃止されました。―エフェソス 2:11-18。
16 (イ)ペテロに王国のかぎが与えられたのはなぜですか。(ロ)幾つのかぎがありましたか。それらのかぎを使うことによって,どんな結果が生じましたか。
16 さらに,使徒ペテロには「天の王国のかぎ」が与えられました。それは,どんな人種の人々も神の目的について学び,聖霊によって「再び生まれ」,キリストと共なる霊的な相続人となることができるようにするためです。(マタイ 16:19。ヨハネ 3:1-8)ペテロは三つの象徴的なかぎを用いました。第一のかぎはユダヤ人のため,第二のかぎはサマリア人のため,第三のかぎは異邦人のためでした。(使徒 2:14-42; 8:14-17; 10:24-28,42-48)そのようにして公平な神エホバは,あらゆる人種の選ばれた者たちに,イエスの霊的な兄弟となり,王国の共同の相続人となる特権を得る道を開かれました。―ローマ 8:16,17。ペテロ第一 2:9,10。
17 (イ)ペテロはどんな変わった幻を与えられましたか。なぜですか。(ロ)ある男の人たちはだれの家にペテロを案内しましたか。そこではだれが,ペテロを待っていましたか。(ハ)ペテロはそれらの異邦人に何を思い起こさせましたか。それでも,神はペテロに何を明確に教えられましたか。
17 ペテロは,異邦人のための第三のかぎを使う準備のため,汚れた動物に関する変わった幻を見せられ,「立ちなさい,ペテロ,ほふって食べなさい!」と告げられました。「神が清めたものを汚れていると呼んではならない」というのが,その教訓でした。(使徒 10:9-16)ペテロは幻の意味が分からずに大変当惑しましたが,すぐに3人の男の人が到着してペテロをコルネリオの家に連れて行きました。コルネリオはカエサレアに配置されていたローマの士官です。その都市はローマ人部隊のユダヤにおける本拠地だったので,コルネリオが自分の家を構えるのにふさわしい場所でした。いかにも異邦人らしいそうした環境の中でペテロを待っていたのは,コルネリオとその親族,および親しい友人たちでした。同使徒はそれらの人たちに次のことを思い起こさせます。「ユダヤ人にとって,別の人種の人と一緒になったり近づきになったりするのがいかに許されないことか,あなた方もよく知っておられます。ですが神は,何人をも,汚れているとか清くないとか呼ぶべきでないことをわたしにお示しになりました。そのようなわけで,わたしを呼びに来られた時,わたしは何の異存もなくやって来ました」― 使徒 10:17-29。
18 (イ)ペテロはコルネリオとその客たちに,どんな重大な発表をしましたか。(ロ)イエスに関してペテロが証しを行なっている時に,どんな劇的な出来事が生じましたか。(ハ)それから,信仰を持った異邦人に関連して,どんな手段が講じられましたか。
18 コルネリオが問題に関する神の指示を説明した後に,ペテロは,「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」と述べました。(使徒 10:30-35)それから同使徒がイエス・キリストに関する証しを行なってゆくと,劇的な事柄が生じました。「ペテロがまだこれらのことについて話しているうちに,聖霊がみ言葉を聞いているすべての人の上に下った」のです。ペテロのユダヤ人の仲間たちは「驚嘆した。無償の賜物である聖霊が諸国の人々の上にも注ぎ出されていたからである。彼らがいろいろな国語で話し,神をあがめているのを聞いたのである」と,聖書は述べています。ペテロはそれにこたえて,「わたしたちと同じように聖霊を受けたこの人々に,だれか水を禁じてバプテスマを受けさせないでいることができるでしょうか」と言います。天の公平な神の聖霊が,信仰を持つこれら異邦人に注ぎ出されたのですから,だれが異議を唱えることができるでしょう。それでペテロは,「イエス・キリストの名においてバプテスマを受ける」よう彼らに命じます。―使徒 10:36-48。
「あらゆる国から来た」
19 人種間の敵意が広がっているのはなぜですか。どの程度広がっていますか。
19 今わたしたちは「終わりの日」に生活しており,「対処しにくい危機の時代」が,人生の現実の姿になっています。とりわけ人々は,自分を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,自制心のない者,粗暴な者,片意地な者,誇りのために思い上がる者となっています。(テモテ第二 3:1-5)そういう社会的な風潮の中で,人種間の敵意や紛争が世界中で広がっていても驚くにはあたりません。多くの国では,人種や皮膚の色の異なった人々が互いをさげすみ,憎み合うことさえしています。ある国々では,それが実際の戦いや,場合によっては恐ろしい残虐行為へと発展しました。いわゆる文明社会においてさえ,多くの人が人種的偏見を克服する上で困難を抱えています。そしてこの“病気”は,かつては平和があふれ,さながら牧歌的であった海洋の島々など,人が考えもしないような地域に広がっている観があります。
20 (イ)ヨハネは霊感によるどんな幻を見ましたか。(ロ)この預言的な幻は,どの程度成就していますか。(ハ)ある人々は,今も十分に克服できないどんな困難な問題を抱えていますか。そのような人たちは解決策をどこに求めるべきですか。
20 しかし,世界のさまざまな場所で人種間の調和が欠けていても,公平な神エホバは,すべての人種や国の正直な心を持つ人々を,際立った国際的な一致に導き入れることを予告されました。使徒ヨハネは,神の霊感を受け,「あらゆる国民,人種,部族,言語からの数え切れない膨大な数の民」を見ました。「彼らはみ座と子羊の前に立ち」,エホバを賛美していました。(啓示 7:9,エルサレム聖書)この預言はすでに成就の途上にあります。今日では210の国や地域で,すべての国や人種の330万以上のエホバの証人たちが一致と人種間の調和を享受していますが,それらの人たちもやはり不完全です。彼らの中にさえ,自分では気づかないかもしれませんが,人種的な偏見を十分に克服する面で困難を抱えている人たちがいます。この問題はどのように克服できるでしょうか。その問題は,公平な神エホバの霊感による言葉から得られる有益な諭しを土台にした,次の記事で討議しましょう。
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思いを一つにしてエホバに仕えなさいものみの塔 1988 | 5月15日
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思いを一つにしてエホバに仕えなさい
「その時,わたしは清い言語をもろもろの民に向ける。それは彼らが皆,エホバのみ名を呼び求め,一致結束してこれに仕えるためである」― ゼパニヤ 3:9,アメリカ標準訳。
1,2 (イ)エホバは現在,どんな預言を成就させておられますか。(ロ)この預言からどんな質問が生じますか。
エホバ神は今日,人間だけではとてもなし得ないことを行なっておられます。分裂した今の世界では3,000ほどの言語が用いられていますが,神は現在,次の預言を成就させておられます。「わたしはもろもろの民に清い言語への変化を与える。それは,すべての者がエホバの名を呼び求め,肩を並べて神に仕えるためである」― ゼパニヤ 3:9。
2 この「清い言語」とは何ですか。だれがそれを語るのですか。「肩を並べて神に仕える」とはどのようなことですか。
彼らは「清い言語」を語る
3 「清い言語」とは何ですか。それを語る人々が分裂していないのはなぜですか。
3 西暦33年のペンテコステの日に神の聖霊がイエス・キリストの弟子たちに注がれ,弟子たちは自分の知らなかった言語で語ることができました。それにより,多くの国語の人々に「神の壮大な事柄について」告げることができたのです。このようにしてエホバは,民族的な背景の異なる民全体を一致した状態へと導き始められました。(使徒 2:1-21,37-42)信仰を持った異邦人が後にイエスの追随者になった時,神の僕たちは実際に多言語,多人種の民でした。それでも彼らは皆,「清い言語」を語ったので,この世的な障害によって引き裂かれることは全くありませんでした。この言語は,ゼパニヤ 3章9節で予告されている,聖書の真理という共通の言語です。(エフェソス 4:25)「清い言語」を語る人々は,「同じ思い,また同じ考え方でしっかりと結ばれて」いるので,分裂することなく,「語るところは一致して」います。―コリント第一 1:10。
4 ゼパニヤ 3章9節は多言語,多人種の人々が協力することをどのように指摘しましたか。そのような協力は今日どこに見られますか。
4 すべての国と人種の人々はこの「清い言語」により,「肩を並べて」,文字通りには『一つの肩で』エホバに仕えられるようになりました。彼らは「一致結束して」(新英訳聖書),「思いを一つにして」(新アメリカ聖書),「異口同音に一致して,肩で一つに結ばれて」(アンプリファイド・バイブル,英文)神に仕えることになっていました。別の翻訳は,「その時,わたしはすべての民の唇を清いものに変える。それは,彼らが皆,エホバのみ名を呼び求め,その方への奉仕において協力するようになるためである」となっています。(バイイングトン訳)このように多言語,多人種の人々が神への奉仕において協力することは,エホバの証人の間にしか見られません。
5 エホバの証人は人間のどんな言語をも,どのような方法で用いることができますか。
5 エホバの証人はすべて聖書の真理,つまり「清い言語」を語るので,人間のどんな言語をも,神を賛美して王国の良いたよりを宣明するという最も高められた方法で用いることができます。(マルコ 13:10。テトス 2:7,8。ヘブライ 13:15)このように,すべての民族集団が「清い言語」により,思いを一つにしてエホバに仕えられるというのは,本当にすばらしいことです。
6 エホバは人々をどのように見ておられますか。しかし,あるクリスチャンの心の中に,多少とも不公平な傾向が残っているなら,何が助けになりますか。
6 ペテロはコルネリオや他の異邦人に証しを行なった際,こう語りました。「神は不公平な方ではなく,どの国民の中でも,神を恐れ,義を行なう人は,神に受け入れられることが,わたしには確かに分かります」。(使徒 10:34,35,バイイングトン訳)他の翻訳によると,エホバは「人を偏り見ることをされない」,「人々を差別されない」,「えこひいきをされない」方です。(エンファティック・ダイアグロット訳,フィリップス訳,新国際訳)わたしたちはエホバの僕として,すべての民族集団をエホバがご覧になるように見なければなりません。しかし,あるクリスチャンの心の中に,多少とも不公平な傾向が残っている場合はどうですか。そのときは,わたしたちの公平な神が,あらゆる国民,部族,民,国語から成るご自分の僕たちをどのように扱われるかに注目することが,助けになるでしょう。―「目ざめよ!」誌の1985年2月8日号,3-11ページもご覧ください。
彼らは望ましい者
7 どんな国や人種の人であろうと,クリスチャンは神との関係に関して,どのような意味で他のクリスチャンと異なっていませんか。
7 あなたがバプテスマを受けたエホバの証人であるなら,この邪悪な体制において行なわれている「忌むべきことのために[一時は]嘆息し,うめいて」おられたことでしょう。(エゼキエル 9:4)あなたは,『自分の罪にあって死んで』いましたが,神は憐れみ深くもイエス・キリストを通してあなたをご自分に引き寄せてくださいました。(エフェソス 2:1-5。ヨハネ 6:44)これらの点に関して言えば,あなたと,仲間の信者となっている他の人たちとは異なるところがありません。彼らも悪に悩まされ,『自分の罪にあって死んで』おり,イエス・キリストを通して神の憐れみを受ける者となりました。さらに,だれであれ,今わたしたちがエホバ神のみ前で神の証人としての立場を得ているのは,人種や国籍とはかかわりがなく,ひとえに信仰によっているのです。―ローマ 11:20。
8 ハガイ 2章7節は現在どのように成就していますか。
8 ハガイ 2章7節にある預言的な言葉は,わたしたちが異なった国籍の仲間の信者をどのようにみなすべきかを理解する助けとなります。その中でエホバはこう宣言されました。「わたしはあらゆる国民を激動させる。あらゆる国民のうちの望ましいものが必ず入って来る。わたしはこの家を栄光で満たす」。ここで予告されている,清い宗教が高められることは,神のまことの神殿,つまり神の崇拝の領域で生じています。(ヨハネ 4:23,24)では「あらゆる国民のうちの望ましいもの」とは何ですか。それは,王国を宣べ伝える業に好意的な反応を示す,義を愛する幾千幾万という人々です。それらの人々はあらゆる国民や人種から,「エホバの家の山」へ流れのように向かい,バプテスマを受けた証人,国際的な「大群衆」の一部となっています。(イザヤ 2:2-4。啓示 7:9)神の地上の組織の一部としてエホバを賛美するのは,清くて道徳的な,また敬虔な人々であって,まさしく非常に望ましい人々です。ですから当然,真のクリスチャンは皆,天におられるわたしたちの共通の父に受け入れられるこれら望ましいものたちすべてに,兄弟愛を示すことを願うべきです。
彼らの人格は新しい
9 過去において,なじみのない人たちをよく思わなかったとしても,すでにクリスチャンになったからには,事情が異なってくるはずなのはなぜですか。
9 全地にいるわたしたちの霊的な兄弟姉妹が望ましいものであるのは,彼らが「古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい」という諭しに注意を払ってきたからでもあります。「それは,正確な知識により,またそれを創造した方の像にしたがって新たにされてゆくのです。そこにはギリシャ人もユダヤ人もなく,割礼も無割礼もなく,異国人も,スキタイ人も,奴隷も,自由人もありません。ただキリストがすべてであり,すべてのうちにおられるのです」。(コロサイ 3:9-11)もし,ある人が以前にユダヤ人やギリシャ人,また自分にはなじみのない他の人々をよく思わなかったとしても,すでにクリスチャンになったからには,事情は異なってくるはずです。人種や国籍や文化の違いにはかかわりなく,「新しい人格」を着けている人々は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制という神の聖霊の実を培い,その実をはっきりと示します。(ガラテア 5:22,23)これにより,エホバを崇拝する仲間はそれらの人たちを慕わしく思います。
10 いずれかの人種あるいは国の,仲間の信者について,十把一からげの,敵意のこもったことを言いたくなるとき,テトス 1章5節から12節はどのように助けになりますか。
10 この世の一部の人々は,エホバの僕たちとは異なり,自分自身とは民族的な背景の異なる人々について,非難がましい発言をします。かつてクレタ人のある預言者は自分自身の民について,「クレタ人は常に偽り者,害をもたらす野獣,無為に過ごす大食家」と語りました。使徒パウロは,クレタ島のクリスチャンの中にいた偽教師を沈黙させることが必要になった時,その言葉を思い起こしました。しかしパウロは決して,『クレタ人のクリスチャンはすべて嘘をつき,害をもたらし,怠惰で大食をする』と述べたわけではありませんでした。(テトス 1:5-12)そうです,クリスチャンは他の人について非難がましいことは言わないからです。さらに,それらクレタ人の大部分はすでに「新しい人格」を身に着け,ある人々は長老の任命を受けるにふさわしい霊的な資格を有していました。特定の人種あるいは国籍の,自分の霊的な兄弟姉妹たちについて,十把一からげの,敵意のこもったことを言いたくなるとき,ここに述べた事柄は真剣な考慮に値します。
他の人が自分より上であると考えなさい
11 クリスチャンの心の中に何らかの不公平な傾向があるなら,どうすることができますか。
11 一方,クリスチャンがある人種や国籍について不公平な見方をしているなら,それはきっと言葉や行動に現われるでしょう。特に民族的に様々な背景の人々から成る会衆では,そういう言葉や行動が今度は人の感情を傷つけることになりかねません。確かに,神の民の一致にそのような緊張を加えたいと願う人はいないはずです。(詩編 133:1-3)それで,クリスチャンの心の中に少しでも不公平な傾向があるなら,このように祈るのは良いことです。「神よ,わたしをくまなく探り,わたしの心を知ってください。わたしを調べて,不安の念を起こさせるわたしの考えを知ってください。わたしのうちに苦痛の道があるかどうかを見て,わたしを定めのない時に至る道に導き入れてください」― 詩編 139:23,24。
12 自分自身や,自分と同じ民族的な背景を持つ他の人たちについて誇るべきでないのはなぜですか。
12 わたしたちはすべて,イエス・キリストの犠牲がなければ,神のみ前に占める立場の全くない不完全な人間であるという現実的な見方をするのは良いことです。(ヨハネ第一 1:8-2:2)そうであれば,何が人を他と異ならせるのですか。もらったのではないものは一つもないのですから,どうして自分自身や,自分と同じ民族的な背景を持つ他の人たちについて誇るべきでしょうか。―コリント第一 4:6,7と比較してください。
13 わたしたちはどうすれば,会衆の一致に貢献できますか。フィリピ 2章1節から11節を通して,何を学べますか。
13 他の人たちの良い特質を認め,それに対する感謝を示すなら,会衆の一致に貢献できます。ユダヤ人の使徒パウロは異邦人であったフィリピの人たちに次のように告げましたが,それはわたしたちすべての思索の材料となっています。「あなた方が同じ思いを持ち,同じ愛を抱いているのだという点で,わたしの喜びを満たしてください。また,魂において結び合わされ,一つの考えを思いに抱き,何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち(なさい)」。どんな人種や国籍の仲間の人間に対してもわたしたちが表わすべき正しい態度は,イエス・キリストのうちに例証されています。イエス・キリストは力ある霊の被造物であったにもかかわらず「人のような様になり」,あらゆる人種や国の罪深い人間のために苦しみの杭の上で死なれるほど,ご自分を低くされました。(フィリピ 2:1-11)ですから,わたしたちもイエスの追随者として他の人々が自分よりも上であることを認め,愛と謙遜と同情心を保つべきではないでしょうか。
耳を傾け,観察しなさい
14 他の人が自分より上であると考えるために,どのような助けが得られますか。
14 他の人が話す時によく耳を傾け,人の振る舞いを注意深く観察するなら,他の人が自分より上であると考えるための助けが得られるかもしれません。例えば,仲間の長老で,もしかしたら別の人種の人がいて,その人が神権宣教学校で効果的な助言を与える能力の面で自分よりも優れているなら,わたしたちはそれを正直に認めなければならないでしょう。その人が,有能な王国宣明者になるよう仲間の信者を助ける面で良い成果を上げることができたのは,必ずしもその人の話法,つまり話し方によっているのではなく,その人の霊性であることを,わたしたちは認めることができます。そして,エホバがその人の努力を祝福しておられることも明らかです。
15 仲間の崇拝者たちの述べることに耳を傾ける時,わたしたちは何に気づくかもしれませんか。
15 兄弟姉妹たちと会話をし,集会で彼らの注解に耳を傾けるなら,特定の聖書的な真理の把握の仕方が自分よりも優れている人がいることに気づかされるかもしれません。彼らの兄弟愛や信仰がより強く見えたり,エホバに対するより深い信頼が明確に示されたりすることに気づくかもしれません。ですから,民族的な背景がわたしたちと同じであってもなくても,それらの人たちは愛とりっぱな業へとわたしたちを鼓舞し,わたしたちの信仰を強くする助けとなり,天の父に一層十分に依り頼むようわたしたちを動かすのです。(箴言 3:5,6。ヘブライ 10:24,25,39)エホバが彼らに近づいておられるのは明らかなのですから,わたしたちもそうすべきです。―ヤコブ 4:8と比較してください。
祝福され,支えられている
16,17 エホバが,どんな国籍や人種の人であれ,ご自分の僕たちに祝福を与えることに関して不公平ではないことを示す例を挙げてください。
16 エホバは,どんな国籍や人種の人であれ,ご自分の僕たちに祝福を与えることに関して不公平ではありません。例えば,ブラジルという国のことを考えてください。1920年ごろ,ブラジルの人たちは,外国人の宣教者からではなく,8人のブラジル人の水夫の唇を通して初めて王国の音信を聞きました。神の祝福があったことは明白です。1987奉仕年度には,1億4,130万2,000人が住むこの国に,最高で21万6,216人 ― 654人につき一人の伝道者という割合 ― の王国宣明者がいたからです。
17 神からの祝福を示す別の例を考えてください。1923年の4月に,カリブ海の島トリニダードから二人の黒人のエホバの証人が,西アフリカで王国の音信を宣明するために派遣されました。そのようにして,W・R・ブラウン兄弟と姉妹は多年にわたって同地で奉仕することになり,同兄弟は“バイブル・ブラウン”として知られるようになりました。その広大な地域で他の人たちも働くようになりましたが,この二人は「植え」,「神がそれをずっと成長させてくださったのです」。(コリント第一 3:5-9)今日,ガーナの王国宣明者の数は3万2,600人を上回り,ナイジェリアだけでもその数は13万3,800人を超えています。
18,19 わたしたちの公平な神が,あらゆる人種や国のご自分の僕たちを支えてくださることを示す例を挙げてください。
18 エホバは,あらゆる国や人種のご自分の僕たちを祝福されるだけではなく,支えてもおられます。例えば,日本の二人のエホバの証人について考えてください。1939年6月21日に三浦勝夫とその妻は不当にも逮捕されて投獄され,5歳になる男の子からも引き離されました。その子は祖母の世話を受けなければなりませんでした。三浦姉妹は8か月後に釈放されましたが,三浦兄弟は裁判にかけられるまで2年余り拘留されました。同兄弟は虐待され,有罪とされ,5年の刑を言い渡されました。広島の刑務所で,神は聖書を用いて同兄弟を支えました。聖書は尽きることのない慰めと力を与えました。1945年8月6日に原子爆弾の爆風がその刑務所を破壊した時,三浦兄弟はまるで奇跡によるかのようにして生き残りました。2か月後,同兄弟は北日本で妻や息子と再会することができました。
19 第二次世界大戦のさなか,多くの国でエホバの証人は厳しい迫害を経験しました。例えば,ロバート・A・ウインクラーは,ドイツとオランダのナチ強制収容所で苦しみを経験したドイツ人の一兄弟です。同兄弟は仲間の証人たちを敵に売ろうとしなかったので残虐にも殴打され,本人と見分けることができないほどになりました。しかし,ウインクラー兄弟はこのように書きました。「どんな悩みの中にあっても必ず助けてくださるというエホバの約束を思いめぐらし,私は苦しみを忍ぶだけの慰めと力を得ました。……土曜日にはゲシュタポの手で殴られ,翌月曜日には再び彼らの尋問を受けねばならなかったので,今度はどうなるのか,またどうすべきかを考え,私は祈り,エホバの約束を信じて,エホバに依り頼みました。しかし,王国の業のために,また私のクリスチャン兄弟たちを守るためには,神権的な戦いの戦術を行使しなければならないことも知っていました。私にとってそれは忍耐の大きな試練でした。やがて試練の17日間が終わった時,私は全く力尽きていましたが,エホバの力によってその試練に耐え,忠誠を保てたことをエホバに感謝しました」。―詩編 18:35; 55:22; 94:18。
わたしたちの兄弟関係を感謝する
20 どうすれば,どの人種や国の仲間の信者に対しても敬意を深めることができますか。
20 エホバがどの国や人種のご自分の証人たちをも祝福し,支えてくださることに疑問の余地はありません。エホバは不公平な方ではなく,エホバの献身した僕であるわたしたちには,不公平を示すための口実や理由はありません。さらに,どの人種や国の兄弟姉妹であっても,それらの人たちが持っている,自分より上であると考えられる点を考慮すれば,そうした兄弟姉妹に対する敬意は深まるでしょう。不公平な差別をせず,優れた実を生み出す天的な知恵を,彼らも当てはめているのです。(ヤコブ 3:13-18)そうです,彼らの親切,寛大さ,愛など,敬虔な特質も,わたしたちにとって立派な模範となっています。
21 わたしたちは何をする決意をすべきですか。
21 ですから,わたしたちの多人種,多国籍の兄弟関係に関して,深く感謝しなければなりません。わたしたちの天の父の助けと祝福をいただき,兄弟愛と互いへの敬意をもって,「肩を並べて神に仕え」ましょう。まさに,思いを一つにしてエホバに仕えることを,わたしたちの真剣な願い,堅い決意とすべきです。
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