補足情報
1 原則
原則とは,聖書に書かれている基本的な教えのことです。原則を調べると,神の考え方や感じ方が分かります。原則は,良い判断をして正しいことを行うために役立ちます。特に,どうすべきかが聖書にはっきりとは書かれていないようなときに役立ちます。
▸ 1章8節
2 従う
3 自由意思
私たちはエホバから自由意思を与えられています。ロボットとは違い,どうするかを自分で選ぶ自由があります。(申命 30:19。ヨシュア 24:15)その自由を使って良い選択ができます。でも気を付けていないと,悪い選択をしてしまうかもしれません。エホバを心から愛し続け,エホバに喜ばれる生き方をするかどうかは,一人一人の選択に懸かっています。
▸ 1章12節
4 道徳基準
エホバは道徳基準を定めています。道徳基準とは,行動についての指針のことです。聖書を調べると,神の道徳基準がどのようなもので,どのように役立つかが分かります。(格言 6:16-19。コリント第一 6:9-11)神の道徳基準は,神が何を良いと考え何を悪いと考えているかを知るのに役立ちます。優しくて親切な人になったり,良い判断をしたりするためにも役立ちます。世の中の道徳基準は下がる一方ですが,エホバの基準は変わりません。(申命 32:4-6。マラキ 3:6)神の道徳基準を守れば,体に悪いことや自分の心を傷つけるようなことをせずに済みます。
▸ 1章17節
5 良心
エホバは私たち一人一人に良心をくれました。良心とは,私たちの内面にある善悪の感覚のことです。(ローマ 2:14,15)良心が正しく働くようにするためには,エホバの道徳基準に合わせて良心をきちんと整えることが大切です。そういう良心があれば,神に喜ばれる決定ができます。(ペテロ第一 3:16)良くないことをしそうな時,良心は警告を出します。悪いことをしてしまったら,良心は私たちを責めます。良心の声を無視していると,良心がうまく反応しなくなることがありますが,エホバに助けてもらえば,再び正しく働くようになります。「健全な良心」があると,穏やかな気持ちでいられ,自尊心が持てます。
▸ 2章3節
6 神を畏れる
7 悔い改める
悔い改めには,悪いことをしてしまったことを深く悲しむことが含まれます。神の基準に反することをしてしまったと気付いた時,神を愛している人は深く悲しみます。悪いことをしてしまったなら,イエスの贖いの犠牲に基づいて,エホバに許しを求めるべきです。(マタイ 26:28。ヨハネ第一 2:1,2)心から後悔し,悪いことをやめたなら,エホバは許してくださいます。それ以上罪悪感を抱かなくて大丈夫です。(詩編 103:10-14。ヨハネ第一 1:9; 3:19-22)間違いを繰り返さないよう失敗から学び,考え方を改め,エホバの基準に合わせた生き方をすることが大切です。
▸ 2章18節
8 排斥
重大な罪を犯したのに悔い改めず,エホバの基準に合わせようとしないなら,会衆の中にいることはできません。排斥されます。排斥された人とは関わりを持たないようにし,話すこともしません。(コリント第一 5:11。ヨハネ第二 9-11)排斥は,エホバの評判と会衆を守るためのものです。(コリント第一 5:6)排斥は,悔い改めてエホバのもとに戻ってこられるよう,当人を矯正するためのものでもあります。(ルカ 15:17)
▸ 3章19節
9 指示やアドバイス
10 謙遜
11 エホバの権威
エホバは全てのものを造った方で,宇宙で最も力が強い方です。それでエホバには,天と地球の生きているもの全てに指示を与える権威があります。エホバはいつでも私たちのためになる指示を与えます。エホバが私たちのために役目を任せている人たちもいます。親,会衆の長老,政府などです。エホバは私たちがそういう人たちに協力することを願っています。(ローマ 13:1-5。テモテ第一 5:17)ですが,国の法律に従うと神の基準に反することになる場合は,神に従います。(使徒 5:29)エホバが役目を任せている人たちを敬うなら,エホバの権威を重んじていることになります。
▸ 4章7節
12 長老
エホバは経験のある兄弟である長老たちに,会衆を世話させています。(申命 1:13。使徒 20:28)長老たちは,私たちがエホバとの友情を強められるよう助け,みんなで気持ちよくエホバを賛美し,エホバに仕えられるようにしています。(コリント第一 14:33,40)長老たちは聖なる力によって任命されるので,聖書に書かれている資格を満たしていなければいけません。(テモテ第一 3:1-7。テトス 1:5-9。ペテロ第一 5:2,3)私たちは神から役目を与えられている長老たちを信頼し,喜んで協力します。(詩編 138:6。ヘブライ 13:17)
▸ 4章8節
13 家族をまとめる
エホバは,子供を世話する役目を親に任せています。聖書によれば,父親(父親がいなければ母親)が家族のまとめ役です。父親(または母親)は家族のために衣食住を整えます。みんなでエホバに仕えられるように家族をまとめることもとても大切です。家族で集会に行ったり,伝道に出掛けたり,聖書を学んだりすることを欠かさないようにします。何かを決める時にもみんなをまとめ,最終的な決定をします。すぐに怒ったり厳しいことを言ったりせず,いつもイエスのように優しく親切に接します。そうすれば温かい家庭になり,みんなが安心して暮らし,エホバとの友情を育てていけます。
▸ 4章12節
14 統治体
統治体とは,クリスチャンの活動を監督する役目を神から任されている兄弟たちのことで,みんな天に行く希望を持っています。エホバは1世紀に,クリスチャン会衆の活動のために指示を与える役目を何人かの兄弟たちに任せていました。(使徒 15:2)同じように現代でも,統治体として奉仕する兄弟たちが,神に仕える人たちに指示を与え,教え,世話しています。それらの兄弟たちは,聖書に書かれている指針に従い,聖なる力に頼っています。イエスは,この兄弟たちをまとめて「忠実で思慮深い奴隷」と呼びました。(マタイ 24:45-47)
▸ 4章15節
15 頭を覆う
場合によっては,会衆の中で普通は兄弟が行うことを姉妹が行わなければならないときがあります。そういうとき,姉妹は頭を覆う物を着けます。家族や会衆を教えるためにエホバがつくった取り決めを尊重していることを示すためです。どんなときでも頭を覆う物を着けなければいけないわけではなく,特定の状況でそうします。例えば,夫やバプテスマを受けた兄弟が一緒にいる時に聖書レッスンで誰かを教える場合,頭を覆う物を着けます。(コリント第一 11:11-15)
▸ 4章17節
16 中立
クリスチャンは,政治や国同士の争いに関わらずに中立でいます。(ヨハネ 17:16)エホバに仕える人は神の王国だけを支持します。イエスのように,この世界の政治的なことには関わりません。
エホバは「政府や権威者に従う」ようにと言っています。(テトス 3:1,2。ローマ 13:1-7)でも同時に,殺人をしてはいけないとも言っています。それで,戦争に行くとしたら,クリスチャンの良心は非常に痛みます。戦争に行くことは考えられません。兵役の代わりに,軍とは無関係の仕事をすることを選べる場合,それをするかどうか自分の良心に照らして考えます。
私たちはエホバだけを崇拝します。エホバは全てのものを造った方だからです。国家のシンボルを不敬に扱ったりはしませんが,国旗に敬礼したり国歌を歌ったりはしません。(イザヤ 43:11。ダニエル 3:1-30。コリント第一 10:14)選挙についても,いずれかの政党や候補者に投票することがないよう,クリスチャン一人一人が決定します。クリスチャンは神の王国だけを支持しているからです。(マタイ 22:21。ヨハネ 15:19; 18:36)
▸ 5章2節
17 世の精神
世の中にはサタンの考え方が広まっています。その考え方は,エホバを愛していない人や,エホバの基準を無視している人たちによく見られます。(ヨハネ第一 5:19)サタンの考え方や,その考え方に基づく態度のことを「世の精神」と言います。(エフェソス 2:2)世の精神に影響されないように注意しなければいけません。(エフェソス 6:10-18)クリスチャンはエホバの考え方ややり方に心を向け,倣うようにします。
▸ 5章7節
18 背教
背教とは,聖書の教えに逆らう立場を取ることです。背教者は,エホバと,神の王国の王イエスに背き,周りの人を自分たちに同調させようとします。(ローマ 1:25)エホバに仕える人たちに疑いの気持ちを持たせようとします。初期のクリスチャン会衆の中には背教者になった人たちがいましたが,現代でもそういうことがあります。(テサロニケ第二 2:3)エホバに揺るぎない愛を抱く人たちは,背教者とは一切関わりません。好奇心から,あるいは誰かに勧められて,背教者の本を読んだり話を聞いたりするようなことはしません。エホバから決して離れず,エホバだけを崇拝します。
▸ 5章9節
19 罪を償う
モーセの律法では,エホバに罪の許しを願うことが規定されていました。イスラエル国民は,罪を償うための穀物や油や動物の捧げ物を神殿に持っていきました。このことは,国民全体の罪も個人の罪もエホバは許したいと思っているということを忘れないために大切でした。やがて,私たちの罪を償うためにイエスが自分の命を犠牲として捧げてくださったので,罪を償うための捧げ物は必要ではなくなりました。イエスの完全な犠牲は「一度限り捧げられ」ました。(ヘブライ 10:1,4,10)
▸ 7章6節
20 動物を虐待しない
21 血液分画と医療処置
血液分画 血液は4つの主要成分(赤血球,白血球,血小板,血漿)から成っています。4つの主要成分はさらに細かく分けることができ,分けられたものを血液分画と言います。a
クリスチャンは,全血輸血も,血液の4つの主要成分の輸血もしません。では,血液分画はどうでしょうか。聖書に具体的なことは書かれていないので,聖書の原則できちんと整えられた良心に沿って,一人一人が決めます。
ある人は,血液分画の使用を一切受け入れません。神がイスラエル人のために作った律法では,動物から抜いた血は全て「地面に注ぎ出す」べきだったから,と考えるのかもしれません。(申命 12:22-24)
一方,血液分画を使っても構わないと判断する人もいます。小さな血液分画は命を表してはいない,と考えるからかもしれません。
血液分画を使用するかどうかを決める時には,次のことを考えましょう。
全ての血液分画を受け入れないことにすると,使えなくなる医薬品や止血剤がある,ということを理解しているだろうか。
血液分画を受け入れない理由,あるいは受け入れる理由を医師にどう説明できるだろうか。
医療処置 クリスチャンは,献血をすることも,前もって自己血を保存しておくこと(貯血式自己血輸血などと呼ばれる)もしません。とはいえ,自己血を使う医療処置はいろいろあります。手術や検査や処置の過程での自己血の使用については,一人一人が良心に沿って決めます。そうした処置の中には,自己血がいったん体から分離されるものもあります。(詳しくは,「ものみの塔」2000年10月15日号30-31ページを参照。)
例えば,血液希釈(術中希釈式自己血輸血などと呼ばれる)という処置では,手術の直前に患者の自己血を取り出し,代わりに増量剤を入れて体内の血液を希釈します。そして,自己血は手術中か手術直後に体内に戻されます。
自己血回収(回収式自己血輸血,セル・サルベージ,血液回収などと呼ばれる)という処置もあります。手術中に出血した血液を回収して洗浄し,手術中か手術直後に体内に戻す処置です。
こうした医療処置のやり方は医師によって微妙に違います。それで,自己血の使用を受け入れるかどうかを決める前に,具体的にどういった手順が取られるのかを知っておくことが大切です。
自己血を使用する医療処置について決める時には,次のことを考えましょう。
血液が体外に迂回させられ,その流れが一時的に遮断される可能性があっても,その血液は自分の体の一部であって「地面に注ぎ出す」必要はない,と私の良心は判断するだろうか。(申命 12:23,24)
医療処置の過程で,血液が取り出され,調整されてから体内に戻される場合,私の良心はどう感じるだろうか。
自己血を使用する医療処置を全て受け入れないとしたら,血液検査も血液透析も人工心肺装置も受け入れないことになる,ということを理解しているだろうか。
血液分画や,自己血を使う医療処置について決める時は,エホバに祈って助けを求めてから,よく調べましょう。(ヤコブ 1:5,6)それから,聖書の原則できちんと整えられた良心に沿って決めます。誰かに「あなただったらどうしますか」と尋ねたり,人の意見に左右されたりしないようにします。(ローマ 14:12。ガラテア 6:5)
▸ 7章11節
22 性道徳
23 恥知らずな行いと汚れ
恥知らずな行いには,神の基準に甚だしく違反するような話し方や行いが含まれ,恥ずべきことをしても平然としている態度が伴います。恥知らずな行いをする人は,神の基準に敬意を払っていません。誰かが恥知らずな行いの罪を犯したなら,審理委員会が問題を扱います。汚れには,いろいろな種類の悪い行いが含まれます。汚れの問題も,事の重大さに応じて審理委員会が扱うことがあります。(ガラテア 5:19-21。エフェソス 4:19。詳しくは,「ものみの塔」2006年7月15日号の「読者からの質問」を参照。)
24 マスターベーション
エホバの考えでは,セックスは夫婦が愛を表現し合うための清い行いです。セックスとは違い,マスターベーションは性的な快感を得るために自分の性器を誤用することなので,汚れた行いです。エホバとの友情をだめにしてしまいます。異常な欲望を持つようになったり,セックスについてゆがんだ見方をしたりするようになるかもしれません。(コロサイ 3:5)この汚れた行いが習慣になっている人は,やめる努力を諦めずに続けるべきです。(詩編 86:5。ヨハネ第一 3:20)エホバに心から祈って助けを求めてください。ポルノは汚れた考えを持たせるので,見てはいけません。クリスチャンの親や,エホバの基準を大切にしている信頼できる友人に話して助けてもらってください。(格言 1:8,9。テサロニケ第一 5:14。テトス 2:3-5)エホバは,道徳的に清い生き方をしようとするあなたの努力を見て,よく頑張っていると思ってくれます。(詩編 51:17。イザヤ 1:18)
▸ 9章9節
25 一夫多妻
26 離婚と別居
エホバの考えでは,結婚は生涯ずっと続く絆です。(創世 2:24。マラキ 2:15,16。マタイ 19:3-6。コリント第一 7:39)エホバが離婚を認めているのは,夫婦のどちらかが姦淫をした場合だけです。その場合,無実な側は離婚するかどうかを選ぶことができます。(マタイ 19:9)
相手が姦淫をしていなくても,別居することにしたクリスチャンもいます。(コリント第一 7:11)以下の場合,別居するかもしれません。
夫が家族を養おうとしない 家族がお金や食べ物に困るほど,夫が家族を養うことを怠っている。(テモテ第一 5:8)
ひどい身体的虐待を受けている 健康や命が危ないと思えるほど,夫(または妻)から身体的に虐待されている。(ガラテア 5:19-21)
エホバとの友情が大きく脅かされている 夫(または妻)のせいで,エホバに仕えられなくなっている。(使徒 5:29)
▸ 11章19節
27 褒め,励ます
私たちはみんな,褒め言葉や励ましの言葉を必要としています。(格言 12:25; 16:24)優しくて温かい言葉を掛けられると,元気が出て,慰められます。大きな問題にぶつかっていても,頑張り続け,エホバに仕えていく力が湧いてきます。(格言 12:18。フィリピ 2:1-4)誰かがとても落ち込んでいたら,誠実に耳を傾け,気持ちに寄り添うようにしましょう。そうすれば,どんな言葉を掛けるとよいか,何をしてあげるとよいかが見えてきます。(ヤコブ 1:19)まず兄弟姉妹をよく知るようにすると,どんなふうに助けるとよいかが分かります。それから,慰めと励ましの神エホバに心を向けるように助けましょう。エホバがその人を爽やかにしてくれます。(コリント第二 1:3,4。テサロニケ第一 5:11)
▸ 12章16節
28 結婚式
聖書には,結婚式について細かな決まりは書かれていません。国によって習慣や法律も違います。(創世 24:67。マタイ 1:24; 25:10。ルカ 14:8)式で一番大事なのは,エホバの前で結婚の誓いをすることです。たいていは,誓いをするのを家族や友達に見守ってもらい,長老に聖書の話をしてもらいます。式の後に披露宴をするかどうか,どんな披露宴にするかは,新郎新婦が決めます。(ルカ 14:28。ヨハネ 2:1-11)式について何かを決める時には,エホバに喜ばれるかどうかを確かめることが大切です。(創世 2:18-24。マタイ 19:5,6)聖書の原則が役立ちます。(ヨハネ第一 2:16,17)披露宴でお酒を出す場合は,きちんと節度が保たれるようにします。(格言 20:1。エフェソス 5:18)音楽や余興も,エホバに喜ばれるものにします。式の日に何をするかばかりに気持ちが向きがちですが,何よりも大切なのは神との絆と2人の絆であることを忘れないようにします。(格言 18:22。詳しくは,「ものみの塔」2006年10月15日号18-31ページを参照。)
▸ 13章18節
29 良い決定をする
何かを決める時には,聖書の原則に合わせるようにしましょう。例えば,エホバの証人ではない夫(または妻)から,祝い事の日に親族と一緒に食事をしようと言われたら,どうすればよいでしょうか。良心に沿って考え,食事に行くことにする場合,「何かの異教の習慣をする予定なら,それには参加できない」と説明しましょう。食事に行くと他の人がどう思うかも考えます。(コリント第一 8:9; 10:23,24)
クリスマスや正月などの時期に,雇用主からボーナスをあげようと言われたら,どうすればよいでしょうか。断った方がいいでしょうか。必ずしもそうではありません。雇用主がどうしてそのボーナスをくれるのかを考えましょう。クリスマスや正月を祝うためでしょうか。それとも,日頃の感謝を表したいと思っているだけでしょうか。そうしたことをよく考えて,もらうかどうかを決めましょう。
祝い事の時期に,誰かがプレゼントをくれて,「あなたが祝わないのは知っているけど,受け取ってほしい」と言われたら,どうすればよいでしょうか。その人はただ喜んでほしいと思っているだけでしょうか。それとも,あなたの信仰心を試したり,あえて祝い事に参加させようとしたりしているのでしょうか。そうしたことを考えてから,もらうかどうかを決めましょう。何かを決める時はいつでも,エホバを裏切るようなことはせず,晴れやかな気持ちでいられるようにしましょう。(使徒 23:1)
▸ 13章22節
30 ビジネスと裁判
誰かと仲たがいした時は,すぐに穏やかに話し合えば,たいていは大きな問題にならずに済みます。(マタイ 5:23-26)何よりも大事なのは,エホバの評判が傷つかないようにすることと,会衆の平和を守ることです。(ヨハネ 13:34,35。コリント第一 13:4,5)
ビジネスのことで仲たがいした時には,裁判に訴えたりせずに事を収めるようにしましょう。コリント第一 6章1-8節には,仲間を裁判に訴えることについてのパウロの助言が書かれています。仲間を訴えるなら,エホバと会衆の評判に傷が付いてしまいます。マタイ 18章15-17節には,中傷や詐欺などの重大な問題があった時にどうすべきか,3つの段階が書かれています。(1)まず当事者同士で話し合います。(2)それでもうまくいかなければ,会衆の信頼できる1人か2人の人に話し合いに加わってもらいます。(3)それでもだめなら,長老団に問題を扱ってもらいます。長老たちは聖書の原則を使って,関係者が和解できるように助けます。聖書の基準に従おうとしない人がいるなら,審理処置が必要になる場合があります。
法律上,訴訟が必要なケースもあります。離婚,親権,扶養料,保険金,破産,遺言などが関わっている場合です。こういう場合に平和裏に法的手段を取ることは,パウロの助言に反していません。
強姦,児童虐待,暴行,重大な窃盗,殺人など,重い犯罪が関わっている場合,当局に通報するのはパウロの助言に反したことではありません。
▸ 14章14節
31 サタンはだまそうとしている
サタンはエデンの園でエバに話し掛けた時からずっと,人間をだまそうとしています。(創世 3:1-6。啓示 12:9)私たちの考え方をゆがめれば悪いことをさせられる,ということを知っています。(コリント第二 4:4。ヤコブ 1:14,15)政治,宗教,商業,メディア,教育などを使って自分の考えを広め,それが良いものであるかのように思わせています。(ヨハネ 14:30。ヨハネ第一 5:19)
サタンは自分に残された時間が少ないことを知っています。さまざまな手を使って,できるだけ多くの人をだまそうとしています。特に,エホバに仕える人たちを狙っています。(啓示 12:12)気を付けていないと,サタンに考え方を少しずつゆがめられてしまうかもしれません。(コリント第一 10:12)例えば,多くの人は結婚を軽く考え,別に別れてもいいと思っています。映画やテレビ番組にもそういう考え方がよく見られます。でも,エホバの考えでは,結婚の絆はずっと続くものです。(マタイ 19:5,6,9)世の中の見方に影響されないように気を付けることが大切です。
反抗心を持たせることもサタンが使う方法です。(テモテ第二 3:4)気を付けていないと,エホバから役目を任されている人たちに不敬な態度を取るようになることがあります。例えば,兄弟が会衆の長老の指示に従わなくなるかもしれません。(ヘブライ 12:5)あるいは姉妹が,家族をまとめる役目を任されている夫に敬意を払わなくなるかもしれません。(コリント第一 11:3)
サタンに考え方をゆがめられないようにしましょう。エホバの考え方に合わせ,「天の事柄について考え続けましょう」。(コロサイ 3:2。コリント第二 2:11)
▸ 16章9節
32 治療法
私たちはみんな健康でいたいと思っています。病気であれば,できるだけ良い治療を受けたいと思います。(イザヤ 38:21。マルコ 5:25,26。ルカ 10:34)今はいろいろな医療や治療法があります。どれを選ぶかを決める時には,聖書の原則に合わせることが大切です。私たちを完全に健康にできるのは神の王国だけだということを忘れないようにしましょう。エホバへの奉仕ができなくなるほど健康のことに気を取られるのは,良くありません。(イザヤ 33:24。テモテ第一 4:16)
邪悪な天使の力が関わっていそうな治療法は選ばないように気を付けましょう。(申命 18:10-12。イザヤ 1:13)治療法を選ぶ前に,どんな由来があるか,どんな考えに基づいたものかをしっかり確かめてください。(格言 14:15)サタンが私たちをだまして邪悪な天使に関わらせようとしている,ということを忘れてはいけません。邪悪な天使が関わっているかもしれないと少しでも思うなら,選ばないようにしましょう。(ペテロ第一 5:8)
▸ 16章18節
a 4つの主要成分も血液分画と見なす医師もいます。それで医師には,全血だけでなく,主要成分である赤血球,白血球,血小板,血漿も輸血しないでほしい,という意思をきちんと伝えておくことが大切です。