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「来て,私の弟子になりなさい」
追 第18章 182–191ページ

第18章

「引ひき続つづき私わたしの後あとに従したがいなさい」

1-3. (ア)イエスは使し徒とたちとどのように別わかれましたか。使し徒とたちが寂さびしく感かんじる必ひつ要ようがなかったのはどうしてですか。(イ)天てんに戻もどってからのイエスについて知しる必ひつ要ようがあるのはどうしてですか。

11人にんの使し徒とたちがオリーブ山やまに集あつまっています。尊そん敬けいと愛あい情じょうのこもったまなざしで使し徒とたちが見みつめているのは,復ふっ活かつしたイエスです。姿すがたは人にん間げんですが,実じっ際さいには再ふたたび力ちから強づよい天てん使しになっています。イエスと使し徒とたちがその山やまで顔かおを合あわせるのはこれが最さい後ごです。

2 オリーブ山やまは石せっ灰かい岩がんでできた丘きゅう陵りょう地ちにあり,キデロンの谷たにを挟はさんだ向むかい側がわにエルサレムがあります。イエスにとって思おもい出で深ぶかい場ば所しょです。この山やまの中ちゅう腹ふくにあるベタニヤでは,ラザロを生いき返かえらせました。数すう週しゅう間かん前まえには,その近ちかくのベテパゲから,ロバに乗のってエルサレムに向むかいました。ゲッセマネの庭てい園えんもオリーブ山やまにあったと思おもわれます。イエスはそこで,捕とらえられる前まえの数すう時じ間かんを苦く悩のうしながら過すごしました。今いまその同おなじ山やまが,親したしい友ともである弟で子したちとの別わかれの場ば所しょになろうとしています。イエスは弟で子したちを温あたたかく励はげましてから,空そらへ上のぼっていきます。弟で子したちはその場ばに立たち尽つくしたまま,愛あいするイエスが雲くもに隠かくれて見みえなくなるまでじっと見み守まもります。(使し徒と 1:6-12)

3 寂さびしい別わかれのシーンに思おもえるかもしれませんが,実じつはそうではありません。その時とき2人ふたりの天てん使しが使し徒とたちに言いった通とおり,イエスの歩あゆみはそれで終おわったわけではありませんでした。(使し徒と 1:10,11)天てんに戻もどってさらに活かつ躍やくすることになっていたからです。聖せい書しょを調しらべると,イエスがその後ごどんなことをしてきたかが分わかります。そのことについて学まなぶのは大たい切せつです。イエスがペテロに与あたえた,「引ひき続つづき私わたしの後あとに従したがいなさい」という命めい令れいに,私わたしたち皆みなも従したがわなければならないからです。(ヨハネ 21:19,22)たまに従したがうというのではなく,生しょう涯がいずっとイエスに従したがう生いき方かたをするべきなのです。そのためには,イエスが天てんでどんな役やく割わりを担にない,今いまどんなことをしているかを知しる必ひつ要ようがあります。

天てんに戻もどってからのイエス

4. イエスが天てんに戻もどってからどんなことをするかについて,聖せい書しょの中なかでどのように予よ告こくされていましたか。

4 イエスが天てんに戻もどってエホバや天てん使したちとの喜よろこばしい再さい会かいを果はたした時ときのことについて,聖せい書しょには何なにも書かかれていません。でも,イエスが天てんに戻もどってすぐにどんなことをするかは予よ告こくされていました。聖せい書しょから分わかるように,ユダヤ人じんは1500年ねん以い上じょうの間あいだ,贖しょく罪ざいの日ひの儀ぎ式しきを行おこなっていました。年ねんに一いち度どのその日ひ,大だい祭さい司しは神しん殿でんの至し聖せい所じょに入はいり,犠ぎ牲せいの血ちを契けい約やくの箱はこの前まえではね飛とばしました。その儀ぎ式しきの中なかで,大だい祭さい司しはメシアを表あらわしていました。イエスは天てんに戻もどってから,その儀ぎ式しきによって表あらわされていたことを一いち度ど限かぎり行おこないました。天てんでエホバの前まえに出でることによって最もっとも聖せいなる場ば所しょに入はいり,自じ分ぶんの贖あがないの犠ぎ牲せいの価か値ちを父ちちに差さし出だしたのです。(ヘブライ 9:11,12,24)エホバはそれを受うけ入いれたでしょうか。

5-6. (ア)エホバがキリストの贖あがないの犠ぎ牲せいを受うけ入いれたことがどんなことから分わかりますか。(イ)贖あがないから誰だれがどんな恩おん恵けいを受うけますか。

5 その答こたえは,イエスが天てんに戻もどって間まもなく起おきたことから分わかります。120人にんほどのクリスチャンがエルサレムのある家いえの階かい上じょうの部へ屋やに集あつまっていた時とき,突とつ然ぜん,激はげしい風かぜが吹ふき付つけるような音おとが家いえ全ぜん体たいに響ひびき渡わたりました。炎ほのおのような舌したが弟で子したちの頭あたまの上うえに現あらわれ,弟で子したちは聖せいなる力ちからに満みたされてさまざまな言げん語ごで話はなし始はじめました。(使し徒と 2:1-4)このことによって,新あたらしい国こく民みんが生うまれたことが明あきらかになりました。その国こく民みんとは,神かみに新あらたに「選えらばれた種しゅ族ぞく,王おうである祭さい司し」になる「神かみのイスラエル」で,地ち上じょうを神かみが考かんがえている通とおりの状じょう態たいにするために働はたらきます。(ペテロ第だい一いち 2:9。ガラテア 6:16)この出で来き事ごとは,エホバ神かみがキリストの贖あがないの犠ぎ牲せいを喜よろこんで受うけ入いれたことの証しょう拠こでした。その時とき聖せいなる力ちからが注そそがれたことのほかにも,贖あがないによって可か能のうになったことがあります。

6 その時とき以い来らい,世せ界かい中じゅうのキリストの弟で子したちが,贖あがないの恩おん恵けいを受うけています。「小ちいさな群むれ」は天てんでキリストと一いっ緒しょに治おさめ,「ほかの羊ひつじ」はイエスが治おさめる地ち上じょうで生いきることになります。(ルカ 12:32。ヨハネ 10:16)贖あがないのおかげで,私わたしたちは罪つみを許ゆるされ,そうした希き望ぼうを持もつことができます。贖あがないに「信しん仰こうを抱いだ」き,イエスに日ひ々び従したがうことによって,晴はれやかな気き持もちでいられ,明あかるい将しょう来らいを楽たのしみにできるのです。(ヨハネ 3:16)

7. イエスは天てんに戻もどった後あと,権けん威いを与あたえられてどんなことをしてきましたか。どうすればイエスの指し導どうにしっかり従したがっていることになりますか。

7 イエスは天てんに戻もどった後あと,ほかにもどんなことをしてきたでしょうか。イエスには大おおきな権けん威いが与あたえられています。(マタイ 28:18)クリスチャン会かい衆しゅうを治おさめるようエホバから任にん命めいされ,公こう正せいで愛あい情じょう深ぶかいリーダーとして会かい衆しゅうを導みちびいています。(コロサイ 1:13)イエスは予よ告こくされていた通とおり,自じ分ぶんの弟で子したちを見み守まもり世せ話わすることを,信しん頼らいできる人ひとたちに任まかせています。(エフェソス 4:8)例たとえば,パウロを「異い国こくの人ひと々びとへの使し徒と」として選えらび,良よい知しらせを広ひろめる任にん務むを与あたえました。(ローマ 11:13。テモテ第だい一いち 2:7)1世せい紀きの終おわりごろには,ローマの属ぞく州しゅうアジアにあった7つの会かい衆しゅうに,褒ほめ言こと葉ばを掛かけ,助じょ言げんを与あたえ,正ただすべき問もん題だい点てんを伝つたえました。(啓けい示じ 2-3章しょう)あなたはイエスがクリスチャン会かい衆しゅうの頭かしらだということをいつも意い識しきしていますか。(エフェソス 5:23)自じ分ぶんの会かい衆しゅうで長ちょう老ろうたちに従したがい,協きょう力りょくするなら,頭かしらであるイエスにしっかり従したがっていることになります。

8-9. 1914年ねんに,イエスはどんな権けん威いを与あたえられましたか。そのことを考かんがえると,どんな決けっ定ていをしたいと思おもいますか。

8 1914年ねん,イエスはエホバによってメシア王おう国こくの王おうに任にん命めいされました。イエスが統とう治ちを始はじめて間まもなく,「天てんで戦せん争そうが起おこ」りました。その結けっ果か,サタンと邪じゃ悪あくな天てん使したちは地ちに投なげ落おとされ,それ以い来らい地ち球きゅうではたくさんの悲ひ惨さんなことが起おきています。大おおきな戦せん争そう,犯はん罪ざい,テロ,病びょう気き,地じ震しん,食しょく糧りょう不ぶ足そくなどによって多おおくの人ひとが苦くるしんでいることからして,今いまが終おわりの時じ代だいで,イエスが天てんで治おさめていることは明あきらかです。サタンは今いまでも「この世よの支し配はい者しゃ」として,残のこされた「短みじかい」時ときの間あいだ権けん威いを振ふるっていますが,イエスは世せ界かい中じゅうの人ひと々びとに,その支し配はいから抜ぬけ出だして自じ分ぶんの王おう国こくの国こく民みんになる機き会かいを与あたえています。(啓けい示じ 12:7-12。ヨハネ 12:31。マタイ 24:3-7。ルカ 21:11)

9 今いま,メシアである王おうイエスにしっかり従したがうことは重じゅう要ようです。日ひ々びいろいろな決けっ定ていをする時ときにはいつも,この堕だ落らくした世よの中なかで受うけ入いれられるかではなく,イエスに喜よろこんでもらえるかを考かんがえなければなりません。「王おうの中なかの王おうまた主しゅの中なかの主しゅ」であるイエスは正ただしいことを愛あいしているので,人にん間げんを見みて怒いかりを感かんじることもあれば喜よろこびを感かんじることもあります。(啓けい示じ 19:16)どういうことでしょうか。

メシアである王おうが怒いかることと喜よろこぶこと

10. イエスはどんな方かたですか。正せい当とうな怒いかりを感かんじているのはどうしてですか。

10 私わたしたちの主しゅ人じんであるイエスは,エホバと同おなじように幸こう福ふくな方かたです。(テモテ第だい一いち 1:11)地ち上じょうにいた時ときも,批ひ判はん的てきで気き難むずかしい人ひとではありませんでした。とはいえ,今いまの世よの中なかで起おきているたくさんの悪わるい事こと柄がらを見みて,正せい当とうな怒いかりを感かんじています。例たとえば,多おおくの宗しゅう教きょう組そ織しきが,イエスの教おしえを守まもっていると主しゅ張ちょうしながら間ま違ちがったことをしています。そのことをイエス自じ身しんが次つぎのように予よ告こくしていました。「私わたしに向むかって『主しゅよ,主しゅよ』と言いう人ひと全ぜん員いんが天てんの王おう国こくに入はいるのではなく,天てんにいる私わたしの父ちちの望のぞむことを行おこなう人ひとだけが入はいります。その日ひには,多おおくの人ひとが私わたしに向むかって『主しゅよ,主しゅよ,私わたしたちは……あなたの名なによって多おおくの強きょう力りょくな行おこないをしなかったでしょうか』と言いいます。その時とき,私わたしははっきり言いいます。『あなたたちのことは全まったく知しりません。不ふ法ほうなことをする人ひとたち,離はなれ去さりなさい!』」(マタイ 7:21-23)

11-13. ある人ひとたちはイエスの厳きびしい言こと葉ばに戸と惑まどうかもしれません。どうしてですか。イエスが怒いかりを感かんじている理り由ゆうをどんな例たとえで説せつ明めいできますか。

11 自じ分ぶんはクリスチャンだと言いう多おおくの人ひとは,イエスの言こと葉ばに戸と惑まどうかもしれません。イエスの名なによって「多おおくの強きょう力りょくな行おこない」をしてきた人ひとたちに対たいして,イエスがこのような厳きびしいことを言いうのはどうしてでしょうか。キリスト教きょうを奉ほうじていると主しゅ張ちょうするいろいろな宗しゅう教きょう団だん体たいが,慈じ善ぜん事じ業ぎょうを推すい進しんしたり,貧まずしい人ひとたちを助たすけたり,病びょう院いんや学がっ校こうを建たてたりしてきました。それなのになぜイエスの怒いかりを買かっているのか,例たとえで考かんがえてみましょう。

12 ある夫ふう婦ふがしばらく出で掛かけなければならなくなり,子こ供どもたちを連つれていけないので,ベビーシッターを雇やとったとします。そのベビーシッターに,「子こ供どもたちの面めん倒どうを見みてやってください。食しょく事じをさせ,衛えい生せい面めんや安あん全ぜん面めんに気きを配くばってください」と指し示じします。ところが,帰かえってきた両りょう親しんはがくぜんとします。子こ供どもたちはおなかをすかせていて,体からだや服ふくが汚よごれています。元げん気きがなく,かわいそうな状じょう態たいです。泣なき叫さけんでいるのに,放ほうっておかれています。ベビーシッターは何なにをしているのでしょうか。なんと,はしごに上のぼって窓まどを掃そう除じしています。怒おこった両りょう親しんが問といただすと,ベビーシッターはこう言いいます。「私わたし,いろいろしましたよ。窓まどはぴかぴかでしょう? 皆みなさんのために,家いえのあちこちも修しゅう理りしておきました」。両りょう親しんの怒いかりは収おさまるでしょうか。そんなはずはありません。そんな仕し事ごとは頼たのんでいないからです。子こ供どもたちの世せ話わをしてもらいたかったのに指し示じを無む視しされたら,怒おこるのは当とう然ぜんです。

13 多おおくのキリスト教きょう会かいはこのベビーシッターのようです。イエスは弟で子したちに,聖せい書しょの真しん理りを人ひと々びとに教おしえることによって神かみからの食しょく物もつを与あたえ,清きよい状じょう態たいでいられるように助たすけなさいと指し示じしていました。(ヨハネ 21:15-17)ところが,多おおくのキリスト教きょう会かいはその指し示じに従したがっていません。そうした教きょう会かいが間ま違ちがったことを教おしえてきたため,人ひと々びとは聖せい書しょの基き本ほん的てきな真しん理りさえ知しらず,混こん乱らんし心こころが飢うえています。(イザヤ 65:13。アモス 8:11)教きょう会かいがいくら世せ界かいを良よくしようとしてきたとしても,イエスの指し示じを無む視ししてきたことの言いい訳わけにはなりません。そもそも,サタンがつくり上あげた世せ界かいは取とり壊こわしが決きまっている家いえのようなもので,聖せい書しょに書かかれている通とおりもう間まもなく滅ほろぼされます。(ヨハネ第だい一いち 2:15-17)

14. イエスは現げん在ざい行おこなわれているどんな活かつ動どうを見みて喜よろこんでいますか。どうしてですか。

14 天てんから地ち上じょうを見みているイエスは,大おおきな喜よろこびも感かんじているに違ちがいありません。天てんに戻もどる前まえに弟で子したちに与あたえた,人ひと々びとを弟で子しとするという任にん務むを,何なん百びゃく万まんもの人ひとたちが果はたしているからです。(マタイ 28:19,20)私わたしたちの行こう動どうを見みてメシアである王おうが喜よろこんでいることを考かんがえると,本ほん当とうにうれしくなります。これからも「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」と一いっ緒しょに働はたらき続つづけることを決けつ意いしましょう。(マタイ 24:45)天てんに行いくよう選えらばれた兄きょう弟だいたちから成なるその少しょう人にん数ずうのグループは,多おおくのキリスト教きょう会かいの聖せい職しょく者しゃたちとは違ちがい,イエスに従したがって伝でん道どう活かつ動どうを指し揮きし,キリストの羊ひつじを養やしなってきました。

15-16. (ア)地ち上じょうの多おおくの人ひとが愛あいを示しめしていないことで,イエスはどう感かんじていますか。どうしてそう言いえますか。(イ)多おおくのキリスト教きょう会かいの指し導どう者しゃたちがイエスの怒いかりを買かっているのはどうしてですか。

15 王おうであるイエスが怒いかりを感かんじている別べつの理り由ゆうは,地ち上じょうの多おおくの人ひとが愛あいを示しめしていないからです。イエスが地ち上じょうにいた時ときのことを思おもい起おこしてみましょう。イエスが安あん息そく日びに人ひと々びとを癒いやした時とき,パリサイ派はの人ひとたちはイエスを批ひ判はんしました。彼かれらは心こころが狭せまく,独どく自じの解かい釈しゃくでモーセの律りっ法ぽうや口く伝でん律りっ法ぽうを守まもることにこだわっていたので,それ以い外がいのものを認みとめようとしませんでした。イエスの奇き跡せきによって非ひ常じょうに大おお勢ぜいの人ひとが助たすけられましたが,人ひと々びとが心こころから喜よろこんだり信しん仰こうを強つよめられたりしたことはパリサイ派はの人ひとたちにとってどうでもよいことでした。イエスは彼かれらのことをどう思おもったでしょうか。「憤いきどおりを覚おぼえながら見み回まわし」,彼かれらの「心こころが無む感かん覚かくなのを深ふかく悲かなし」みました。(マルコ 3:5)

16 現げん在ざい,イエスはさらにひどい状じょう況きょうを見みて「深ふかく悲かなしんで」います。多おおくのキリスト教きょう会かいの指し導どう者しゃたちは,聖せい書しょに書かかれていない教きょう義ぎや伝でん統とうに固こ執しつしています。また,神かみの王おう国こくの良よい知しらせが広ひろめられていることに腹はらを立たてています。そうした聖せい職しょく者しゃたちは世せ界かい各かく地ちで,イエスが伝つたえたメッセージを誠せい実じつに伝つたえようとするクリスチャンに対たいする迫はく害がいを扇せん動どうしてきました。(ヨハネ 16:2。啓けい示じ 18:4,24)さらに,戦せん争そうに行いって人ひとを殺ころすよう教きょう会かい員いんたちに呼よび掛かけることさえしています。戦たたかうことがイエス・キリストに喜よろこばれるかのように思おもわせているのです。

17. イエスは本ほん物ものの弟で子したちのどんな様よう子すを見みて喜よろこんでいますか。

17 対たい照しょう的てきに,イエスの本ほん物ものの弟で子したちは人ひとに愛あいを示しめすよう努ど力りょくしています。反はん対たいに遭あっても,イエスに見み習ならって「あらゆる人ひと」に良よい知しらせを伝つたえます。(テモテ第だい一いち 2:4)互たがいを深ふかく愛あいしていて,そのことが一いち番ばんの特とく徴ちょうとなっています。(ヨハネ 13:34,35)仲なか間まを愛あいし,敬うやまい,尊そん重ちょうしているので,まさしくイエスの後あとに従したがっていると言いえます。メシアである王おうはそれを見みて心こころから喜よろこんでいるに違ちがいありません。

18. 私わたしたちがどうなってしまうと,主しゅ人じんであるイエスは深ふかく悲かなしみますか。どうすればイエスに喜よろこばれますか。

18 忘わすれないでおきたいこととして,主しゅ人じんであるイエスは,弟で子したちが忍にん耐たいせず,エホバへの愛あいを弱よわめて仕つかえるのをやめてしまうと,深ふかく悲かなしみます。(啓けい示じ 2:4,5)弟で子したちが終おわりまで耐たえ忍しのぶなら,イエスは喜よろこびます。(マタイ 24:13)ですから,「引ひき続つづき私わたしの後あとに従したがいなさい」というキリストの命めい令れいをいつも心こころに留とめましょう。(ヨハネ 21:19)では,終おわりまで耐たえ忍しのぶ人ひとが,メシアである王おうの導みちびきによって今いまも将しょう来らいもどんな素す晴ばらしい人じん生せいを送おくれるか考かんがえてみましょう。

王おうに仕つかえ続つづける人ひとたちは最さい高こうの人じん生せいを送おくれる

19-20. (ア)イエスの後あとに従したがうなら,今いまどんな素す晴ばらしいものを手てに入いれられますか。(イ)キリストを「永えい遠えんの父ちち」として受うけ入いれる人ひとにはどんな良よいことがありますか。

19 イエスの後あとに従したがうなら,今いまも最さい高こうの人じん生せいを送おくれます。キリストを自じ分ぶんの主しゅ人じんとし,キリストの指し示じに従したがって手て本ほんに倣ならうなら,世せ界かい中じゅうの人ひとたちがなかなか得えられずにいる素す晴ばらしいものを手てに入いれることができます。有ゆう意い義ぎな仕し事ごと,本ほん当とうの愛あいの絆きずなで結むすばれた家か族ぞくのような仲なか間ま,晴はれ晴ばれとした良りょう心しん,穏おだやかな心こころなどです。結けっ果かとして,充じゅう実じつした幸しあわせな生せい活かつを送おくれます。それだけではありません。

20 エホバは,子し孫そん全ぜん員いんを悲ひ惨さんな目めに遭あわせたアダムの代かわりに,イエスが「永えい遠えんの父ちち」となるようにしました。(イザヤ 9:6,7)そのことを受うけ入いれ,イエスに信しん仰こうを抱いだくなら,私わたしたちは地ち上じょうで永えい遠えんに生いきるという確たしかな希き望ぼうを持もてます。また,エホバ神かみとの絆きずなをますます強つよめることができます。すでに学まなんだように,毎まい日にちイエスの手て本ほんに倣ならうよう努ど力りょくすることは,神かみからの次つぎの命めい令れいに従したがう一いち番ばんの方ほう法ほうです。「皆みなさんは子こ供どもとして神かみに愛あいされているのですから,神かみに倣ならってください」。(エフェソス 5:1)

21. 暗くらい世よの中なかでキリストの弟で子しはどんな光ひかりを輝かがやかせますか。

21 イエスと父ちちエホバに見み習ならう私わたしたちには,素す晴ばらしい機き会かいがあります。闇やみに包つつまれた世せ界かいで,何なん十じゅう億おくという人ひとたちがサタンに惑まどわされていますが,キリストの弟で子しである私わたしたちは神かみからの明あかるい光ひかりを輝かがやかせることができます。聖せい書しょの真しん理りという光ひかり,クリスチャンとしての立りっ派ぱな生いき方かたに表あらわれる光ひかり,本ほん当とうの喜よろこびや平へい和わや愛あいという光ひかりです。キリストに従したがってそうした光ひかりを輝かがやかせるにつれ,エホバとの友ゆう情じょうがますます深ふかまっていきます。エホバに造つくられた者ものとして,それ以い上じょうに価か値ちのあることはありません。

イエスが天の王座に座り,地上で神に従う人たちを治めている。

22-23. (ア)イエスの後あとにずっと付ついていく人ひとにはどんな素す晴ばらしい将しょう来らいが待まっていますか。(イ)あなたはどんなことを決けつ意いしていますか。

22 エホバが将しょう来らいあなたのためにどんなことを行おこないたいと思おもっているかについて,さらに考かんがえてみましょう。エホバは,メシアである王おうがサタンの邪じゃ悪あくな体たい制せいを終おわらせるために戦たたかうようにします。イエスの勝しょう利りは確かく実じつです。(啓けい示じ 19:11-15)その後ご,キリストの千せん年ねん統とう治ちが始はじまり,イエスは天てんから地ちを治おさめます。その統とう治ちにより,神かみに従したがう全すべての人ひとが贖あがないの恩おん恵けいを受うけ,完かん全ぜんな人にん間げんになります。想そう像ぞうしてみてください。あなたは健けん康こうで若わか々わかしく元げん気きいっぱいになり,世せ界かい中じゅうの人ひとたちと1つの家か族ぞくになって,地ち球きゅうをパラダイスに変かえるために楽たのしく働はたらくことになります。1000年ねんの終おわりに,イエスは統とう治ち権けんを父ちちエホバに返かえします。(コリント第だい一いち 15:24)あなたが離はなれることなくキリストに従したがい続つづけるなら,想そう像ぞうもつかないほど素す晴ばらしい将しょう来らいが待まっています。「神かみの子こ供どもの輝かがやかしい自じ由ゆう」を得えられるのです。(ローマ 8:21)アダムとエバが失うしなった良よいもの全すべてを取とり戻もどすことになります。地ち上じょうでエホバの息子むすこや娘むすめとなった後あとは,アダムが犯おかした罪つみの影えい響きょうに悩なやまされることは二に度どとありません。「もはや死しはなくなり」ます。(啓けい示じ 21:4)

23 第だい1章しょうで取とり上あげた裕ゆう福ふくな若わかい支し配はい者しゃのことを思おもい出だしてください。イエスから「来きて,私わたしの弟で子しになりなさい」と言いわれましたが,応おうじませんでした。(マルコ 10:17-22)私わたしたちはその人ひとのようになりたくはありません。ぜひとも喜よろこんでイエスに従したがいましょう。忍にん耐たいしつつ,立りっ派ぱな羊ひつじ飼かいの後あとにずっと付ついていくことを決けつ意いしてください。そうすれば,イエスがエホバの約やく束そく全すべてを完かん全ぜんに実じつ現げんさせるのを見みることができるでしょう。

イエスの弟で子しとして考かんがえたいこと

  • どうすればキリストと同おなじ考かんがえ方かたができるようになりますか。(コリント第だい一いち 2:13-16)

  • イエスの歩あゆみに一いっ層そうしっかり付ついていくためにどんなことをしたいと思おもいますか。(ペテロ第だい一いち 2:21)

  • イエスへの愛あいが冷さめてしまわないようにするためにはどうしたらいいですか。(啓けい示じ 3:14-18)

  • キリストが地ち球きゅう全ぜん体たいを治おさめる時ときが早はやく来きてほしいと願ねがっていることを,どのように示しめせますか。(啓けい示じ 22:17,20)

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