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聖書を毎日調べる 2026
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8月がつ

8月がつ1日ついたち,土ど曜よう日び

世せ界かいの始はじめから今いままで起おきたことが……ないような大だい患かん難なんがある。(マタ 24:21)

私わたしたちは,できるだけ多おおくの人ひとが警けい告こくに従したがい,エホバの崇すう拝はいに加くわわることを願ねがっています。では,今いま警けい告こくを聞きこうとしない人ひとたちはどうなるのでしょうか。エホバは,大おおいなるバビロンが滅ほろびる様よう子すを見みてエホバに信しん仰こうを持もつようになる人ひとたちを救すくうかもしれません。そうであれば,もうすぐ起おきることについて人ひと々びとに警けい告こくし続つづけることはますます重じゅう要ようになるといえます。私わたしたちが今いま伝つたえていることを将しょう来らい人ひと々びとが思おもい出だすかもしれないからです。(エゼキエル 33:33と比ひ較かく。)警けい告こくの内ない容ようを思おもい出だし,手て遅おくれになる前まえに私わたしたちと一いっ緒しょにエホバに仕つかえたいと思おもうようになるかもしれません。フィリピの牢ろう番ばんは,「大おおきな地じ震しんが起おき」た後あと,信しん仰こうを持もつようになりました。同おなじように,今いまは反はん応のうがない人ひとであっても,大おおいなるバビロンの滅ほろびという世せ界かいを揺ゆるがす出で来き事ごとを見みて,信しん仰こうを持もつようになるかもしれません。(使し徒と 16:25-34)塔とう研けん24.05 16-17ページ9-10節せつ

8月がつ2日ふつか,日にち曜よう日び

キリストは律りっ法ぽうの終しゅう着ちゃく点てんで[す]。(ロマ 10:4)

パウロがヘブライ人じんのクリスチャンに宛あてて書かいた手て紙がみから大たい切せつなことを学まなべます。一いち部ぶの兄きょう弟だい姉し妹まいはクリスチャンとして成せい長ちょうするどころか,「固かたい食しょく物もつではなく,乳ちちを必ひつ要ようとする状じょう態たいに逆ぎゃく戻もどりして」いました。(ヘブ 5:12)会かい衆しゅうを通とおして徐じょ々じょに明あきらかにされていた真しん理りを受うけ入いれることができていませんでした。(格かく 4:18)例たとえば,クリスチャンになったユダヤ人じんの多おおくは,キリストの犠ぎ牲せいによってモーセの律りっ法ぽうが無む効こうになってから30年ねんほどたった後あとも,律りっ法ぽうに従したがう必ひつ要ようがあると主しゅ張ちょうしていました。(テト 1:10)パウロは,ヘブライ人じんのクリスチャンがさらに成せい長ちょうすることを願ねがっていました。それで,聖せい書しょの深ふかい真しん理りを理り解かいできるように助たすけるために手て紙がみを書かきました。それは,エホバを崇すう拝はいするための新あらたな方ほう法ほうがどれほど優すぐれているかを理り解かいし,勇ゆう気きを持もって伝でん道どうを続つづける助たすけになったことでしょう。(ヘブ 10:19-23)塔とう研けん24.04 6ページ15節せつ

8月がつ3日か,月げつ曜よう日び

神かみが正ただしい人ひとも正ただしくない人ひとも復ふっ活かつさせてくださる。(使し徒と 24:15)

アダムとエバがサタンの側がわに付ついてエホバ神かみに反はん逆ぎゃくしてから,数かぞえ切きれないほど多おおくの人ひとが死しにました。これまで亡なくなった人ひとたちはどうなるのでしょうか。キリストに忠ちゅう実じつに従したがってきた14万まん4000人にんは天てんに復ふっ活かつし,不ふ滅めつの命いのちを与あたえられます。(啓けい 14:1)さらに,エホバを愛あいして忠ちゅう実じつに仕つかえた大おお勢ぜいの人ひとたちは,エホバが「正ただしい人ひと[を]復ふっ活かつさせてくださる」時ときに生いき返かえります。そして,キリストの千せん年ねん統とう治ちとそれに続つづく最さい後ごの試し練れんの間あいだも正ただしい人ひとであり続つづけるなら,地ち球きゅうでいつまでも生いきることができます。(ダニ 12:13。ヘブ 12:1)これまでエホバに仕つかえてこなかった人ひとや「悪わるいことを行おこなった人ひと」を含ふくむ「正ただしくない人ひと」も復ふっ活かつしてきます。そうした人ひとたちは,千せん年ねん統とう治ちの間あいだに生いき方かたを変かえてエホバに仕つかえるチャンスを与あたえられます。(ヨハ 5:29。ルカ 23:42,43)とはいえ,本ほん当とうに悪わるい人ひとたちについては,エホバは復ふっ活かつさせないと決きめています。(ルカ 12:4,5)塔とう研けん24.05 2ページ3節せつ,6ページ15,17節せつ

8月がつ4日か,火か曜よう日び

この民たみは……,唇くちびるで私わたしを敬うやまうが,心こころは私わたしから遠とおく離はなれている。(イザ 29:13)

エホバに認みとめられたいなら,「心こころに真しん実じつを語かたる人ひと」でなければなりません。(詩し 15:2)うそをつかないというだけでは不ふ十じゅう分ぶんです。エホバは,私わたしたちが話はなすことやすることなど全すべての点てんで正しょう直じきであることを願ねがっています。(ヘブ 13:18)このことは大たい切せつです。「エホバは,欺あざむく人ひとをひどく嫌きらい,正しょう直じきな人ひとたちを親したしい友ともとするから」です。(格かく 3:32)「心こころに真しん実じつを語かたる人ひと」は,みんなの前まえではエホバに従したがいながら,隠かくれてエホバのおきてを破やぶるようなことをしません。人ひとを欺あざむくような行こう動どうを避さけます。心こころが不ふ正しょう直じきな人ひとは,エホバのおきてや知ち恵えが本ほん当とうに良よいものかどうか疑うたがうようになるかもしれません。(ヤコ 1:5-8)そして,自じ分ぶんにとってあまり重じゅう要ように思おもえないことについては,エホバに従したがわなくなるかもしれません。そうしたことをしても何なにも悪わるいことが起おきないように思おもえると,その人ひとは平へい気きでエホバのおきてを破やぶるようになっていくでしょう。そうした見みせ掛かけの崇すう拝はいはエホバに受うけ入いれられません。(伝でん 8:11)それで,私わたしたちは全すべての点てんで正しょう直じきでいたいと思おもいます。塔とう研けん24.06 10ページ7-8節せつ

8月がつ5日か,水すい曜よう日び

しっかり立たつため,真しん理りのベルトを腰こしに巻ま[く]。(エフェ 6:14)

エホバに仕つかえる人ひとたちは,聖せい書しょの真しん理りを愛あいしています。私わたしたちはその真しん理りに基もとづいて信しん仰こうを持もつようになりました。(ロマ 10:17)そして,エホバが「真しん理りの柱はしらまた支ささえ」としてクリスチャン会かい衆しゅうを設せつ立りつしたことを信しんじるようになりました。(テモ一いち 3:15)サタンは何なによりも,神かみの組そ織しきの指し示じや聖せい書しょに対たいする信しん頼らいを失うしなわせようとしています。(エフェ 4:14)間まもなく,悪あく魔まサタンは全ぜん世せ界かいで間ま違ちがった情じょう報ほうを大だい々だい的てきに広ひろめ,人ひと々びとがエホバに逆さからうように仕し向むけます。(啓けい 16:13,14)私わたしたちは,サタンがますます必ひっ死しになって私わたしたちを惑まどわし,エホバから引ひき離はなそうとすることも予よ期きしています。(啓けい 12:9)ですから,真しん理りと間ま違ちがった情じょう報ほうを見み分わけて,真しん理りにしっかり従したがえるように自じ分ぶんを訓くん練れんすることが大たい切せつです。(ロマ 6:17。ペテ一いち 1:22)大だい患かん難なんを生いき残のこれるかどうかはそのことに懸かかっているからです! 塔とう研けん24.07 8ページ1-3節せつ

8月がつ6日か,木もく曜よう日び

私わたしが今日きょう命めいじるこのおきては,あなたにとって難むずかし過すぎるものでも,遠とおくにあるものでもありません。(申しん 30:11)

エホバはイスラエル人じんを1つの国こく民みんとして組そ織しきした時とき,契けい約やくを結むすびました。イスラエル人じんは律りっ法ぽうに従したがう限かぎり,繁はん栄えいし,エホバに守まもってもらうことができました。もしイスラエル人じんがほかの神かみ々がみを崇すう拝はいしたりしてエホバに反はん逆ぎゃくするなら,エホバに守まもってもらうことはできず,苦くるしむことになりました。でも,たとえそうなったとしても,エホバの好こう意いを再ふたたび得えることは可か能のうでした。自じ分ぶんたちの「神かみエホバのもとに帰かえり,……神かみの言いうことを聞きく」ことができたのです。(申しん 30:1-3,17-20)つまり,悔くい改あらためるチャンスがありました。悔くい改あらためるなら,もう一いち度どエホバとの絆きずなを強つよめ,守まもってもらうことができました。エホバに選えらばれたイスラエル国こく民みんは何なん度どもエホバに反はん逆ぎゃくし,結けっ果かとしてつらい経けい験けんをしました。でも,エホバは不ふ従じゅう順じゅんなご自じ分ぶんの民たみを見み捨すてませんでした。何なん度ども預よ言げん者しゃを遣つかわし,悔くい改あらためてご自じ分ぶんのもとに戻もどってくるよう勧すすめました。(王おう二に 17:13,14)塔とう研けん24.08 9ページ4-5節せつ

8月がつ7日か,金きん曜よう日び

エルサレムの会かい衆しゅうに対たいして激はげしい迫はく害がいが始はじまった。(使し徒と 8:1)

イエスが亡なくなった後あと,エルサレムとユダヤに住すんでいたヘブライ人じんのクリスチャンたちはいろいろと大たい変へんな経けい験けんをしました。クリスチャン会かい衆しゅうが設せつ立りつされた後あとすぐに激はげしい迫はく害がいが始はじまりました。さらに,約やく20年ねん後ごには経けい済ざい的てきに厳きびしい状じょう況きょうが生しょうじました。恐おそらく,それまでに起おきていた飢き饉きんが原げん因いんだったと思おもわれます。(使し徒と 11:27-30)でも西せい暦れき61年ねんごろからしばらくの間あいだ,比ひ較かく的てき平へい和わな時じ期きが続つづきます。当とう時じのクリスチャンはこの時じ期きに,パウロから手て紙がみを受うけ取とりました。聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かかれたその手て紙がみはとてもタイムリーなものでした。当とう時じのクリスチャンが経けい験けんしていた平へい和わな時じ期きはずっと続つづくわけではありませんでした。それで,「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」はちょうど良よい時ときに書かかれたといえます。パウロが与あたえたアドバイスは,間まもなく経けい験けんすることになっていた患かん難なんを忍にん耐たいする上うえで役やく立だつものでした。塔とう研けん24.09 8ページ1-2節せつ

8月がつ8日か,土ど曜よう日び

この人ひとたち[は]私わたしをとても慰なぐさめてくれています。(コロ 4:11)

つらい経けい験けんをする時とき,兄きょう弟だい姉し妹まいを通とおしてエホバの愛あいを感かんじることができます。例たとえば,親しん身みになって話はなしを聞きいてくれたり,そばにいてくれたりするだけでもほっとします。力ちからになる聖せい句くを教おしえてくれたり,祈いのってくれたりすることもあるでしょう。(ロマ 15:4)エホバの考かんがえ方かたを思おもい起おこしてバランスの取とれた見み方かたができるように助たすけてくれることもあるかもしれません。ほかにも,食しょく事じを作つくってくれたりして,力ちからが出でない時ときにサポートしてくれることもあります。仲なか間まに支ささえてもらうためには,自じ分ぶんの方ほうから助たすけを求もとめる必ひつ要ようがあるかもしれません。(格かく 17:17)兄きょう弟だい姉し妹まいは,私わたしたちがどんな気き持もちでいるか,どんな助たすけを必ひつ要ようとしているかを知しらないかもしれません。(格かく 14:10)それで,信しん頼らいできる友とも達だちに気き持もちを話はなしてください。どんなサポートを必ひつ要ようとしているかを伝つたえましょう。自じ分ぶんにとって話はなしやすい1人ひとりか2人ふたりの長ちょう老ろうに話はなすこともできます。姉し妹まいたちの中なかには,クリスチャンとして安あん定ていした別べつの姉し妹まいに話はなすと安あん心しんする人ひともいるかもしれません。塔とう研けん24.10 10ページ15-16節せつ

8月がつ9日か,日にち曜よう日び

子こを認みとめて信しん仰こうを抱いだく人ひとが皆みな,永えい遠えんの命いのちを受うける。(ヨハ 6:40)

多おおくの人ひとは少すこしでも健けん康こうに長なが生いきしたいと思おもって,食しょく事じに気きを使つかったり定てい期き的てきに運うん動どうしたりしています。でも,永えい遠えんに生いきられるとは思おもっていません。永えい遠えんに生いきるなんて現げん実じつ離ばなれしている,年としを取とって苦くるしい思おもいをしてまで生いきていたくない,と考かんがえるのです。でも,ヨハネ 3章しょう16節せつや5章しょう24節せつによると,イエスは「永えい遠えんの命いのち」を得えることができると言いっています。ある時とき,イエスは奇き跡せきによってパンと魚さかなを増ふやし,大おお勢ぜいの人ひとのために食しょく事じを用よう意いしました。びっくりするような奇き跡せきでしたが,次つぎの日ひにイエスはもっと驚おどろくようなことを言いいます。ガリラヤ湖こ沿えん岸がんのカペルナウムまで付ついてきた群ぐん衆しゅうに対たいし,人ひと々びとが復ふっ活かつし永えい遠えんに生いきられるようになると話はなしたのです。(ヨハ 6:39,40)亡なくなったあなたの友とも達だちや家か族ぞくを含ふくむ大おお勢ぜいの人ひとが復ふっ活かつしてきて,みんなで永えい遠えんに生いきられるということです。塔とう研けん24.12 8ページ1-2節せつ

8月がつ10日か,月げつ曜よう日び

夫おっとの皆みなさん,……女じょ性せいはより繊せん細さいな器うつわですから,妻つまを大たい切せつにしましょう。(ペテ一いち 3:7)

世せ界かい保ほ健けん機き関かんの最さい近きんの報ほう告こくによると,暴ぼう力りょくを振ふるったり,きついことを言いったり,感かん情じょうを傷きずつけたりして妻つまを虐ぎゃく待たいしている夫おっとがたくさんいます。人ひと前まえでは妻つまを大だい事じにしているように見みせ掛かけながら,家いえの中なかでは妻つまにひどいことをしている夫おっともいるでしょう。どうして妻つまに対たいしてこのようなひどいことをするのでしょうか。父ちち親おやが暴ぼう力りょく的てきな人ひとだったために,そうしたひどい行おこないが普ふ通つうのことだと考かんがえているのかもしれません。周まわりの環かん境きょうに影えい響きょうされて,“男おとこ”なら自じ分ぶんが上うえであることを力ちからで妻つまに分わからせるものだと考かんがえている人ひともいるでしょう。怒いかりなどの感かん情じょうを抑おさえるように教おそわってこなかった人ひとや,いつもポルノを見みているために女じょ性せいや性せいに対たいする見み方かたがゆがんでいる人ひともいます。それに加くわえて,新しん型がたコロナウイルスのパンデミックによってこうした問もん題だいが増ふえたという報ほう告こくもあります。とはいえ,どれを取とっても夫おっとが妻つまをひどく扱あつかってよい理り由ゆうにはなりません。塔とう研けん25.01 8ページ2-3節せつ

8月がつ11日にち,火か曜よう日び

キリストは人にん間げんとして苦くるしんだのですから,皆みなさんもキリストと同おなじ精せい神しんを身みに着つけてください。(ペテ一いち 4:1)

「あなたは,心こころを尽つくし,力ちからを尽つくし,知ち力りょくを尽つくし,自じ分ぶんの全すべてを尽つくして,あなたの神かみエホバを愛あいさなければならない」。(ルカ 10:27)イエスはこれがモーセの律りっ法ぽうの中なかで一いち番ばん大たい切せつなおきてだと分わかっていました。私わたしたちは心こころを尽つくしてエホバを愛あいします。それには私わたしたちの感かん情じょう,願ねがい,気き持もちが関かかわっています。また,自じ分ぶんの持もつエネルギーを使つかい,力ちからを尽つくしてエホバを愛あいします。さらに,知ち力りょくを尽つくしてエホバを愛あいします。そのためにはどんな考かんがえ方かたをするかが大たい切せつです。エホバを愛あいしている人ひとはエホバに倣ならった考かんがえ方かたをしたいと思おもっています。もちろん,私わたしたちはエホバの考かんがえを完かん全ぜんにつかむことはできません。でも「キリストの考かんがえ」を学まなぶなら,理り解かいを深ふかめていくことはできます。イエスはいつもお父とうさんエホバと同おなじ考かんがえ方かたをしていたからです。(コリ一いち 2:16)塔とう研けん25.03 8ページ1節せつ

8月がつ12日にち,水すい曜よう日び

その豊ゆたかな惜おしみない親しん切せつのおかげで,私わたしたちはキリストの血ちによって贖あがなわれ,解かい放ほうされています。過あやまちを許ゆるされているのです。(エフェ 1:7)

完かん全ぜんな人ひととしてのイエスの命いのちと,罪つみを犯おかす前まえの最さい初しょの人にん間げんアダムの命いのちには,同おなじ価か値ちがありました。(コリ一いち 15:45)それで,イエスは自じ分ぶんの命いのちを犠ぎ牲せいにすることによってアダムの罪つみを贖あがない,アダムが失うしなったものを取とり戻もどすことができました。(ロマ 5:19)このようにして,イエスは「最さい後ごのアダム」になりました。別べつの完かん全ぜんな人ひとが,アダムが失うしなったもののためにさらに代だい価かを支し払はらう必ひつ要ようはありません。イエスは死しぬことによって,「一いち度どで永えい遠えんに有ゆう効こうな犠ぎ牲せいを捧ささげた」のです。(ヘブ 7:27; 10:12)贖しょく罪ざいと贖あがないはどう違ちがうのでしょうか。贖しょく罪ざいとは,人じん類るいが神かみと再ふたたび良よい関かん係けいになれるようにするために,神かみが取とった方ほう法ほうです。贖あがないは,罪つみ深ぶかい人じん類るいの贖しょく罪ざいを可か能のうにするために支し払はらわれる代だい価かのことです。この代だい価かは,イエスが私わたしたちのために注そそぎ出だした貴き重ちょうな血ちによって支し払はらわれました。(ヘブ 9:14)塔とう研けん25.02 5ページ12-13節せつ

8月がつ13日にち,木もく曜よう日び

神かみは信しん頼らいできる方かたで,皆みなさんが耐たえられないほど誘ゆう惑わくを受うけるままにはしません。出で口ぐちを設もうけて,誘ゆう惑わくに耐たえ切きれるようにしてくださいます。(コリ一いち 10:13)

エホバを生いきている現げん実じつの存そん在ざいと見みることは,試し練れんに対たいする正ただしい見み方かたを持もつ上うえで助たすけになります。自じ分ぶんが経けい験けんしている問もん題だいを,エホバと悪あく魔まサタンが関かかわる大おおきな問もん題だいの一いち部ぶと見みることができます。サタンは私わたしたちについて,つらい経けい験けんをするとエホバから離はなれるだろうと主しゅ張ちょうしています。(ヨブ 1:10,11。格かく 27:11)私わたしたちが試し練れんに遭あってもエホバから離はなれないなら,エホバを愛あいしていることを証しょう明めいし,サタンがうそつきであることを明あきらかにできます。今いま,政せい府ふからの反はん対たいを受うけたり,経けい済ざい的てきな問もん題だいを抱かかえたりしていますか。伝でん道どうしてもあまりいい反はん応のうがなかったりするでしょうか。そういう難むずかしい状じょう況きょうも,エホバに喜よろこんでもらえるチャンスになるということを忘わすれないでください。エホバは私わたしたちが耐たえられないほどの試し練れんを受うけるままには決けっしてされません。私わたしたちが忍にん耐たいできるように力ちからを与あたえてくださいます。塔とう研けん24.06 22ページ9節せつ

8月がつ14日か,金きん曜よう日び

人ひとはそれぞれ,自じ分ぶんの欲よく望ぼうに引ひかれて惑まどわされることにより,試ためされるのです。(ヤコ 1:14)

あなたはどんなことが自じ分ぶんにとって一いち番ばん誘ゆう惑わくとなるかを知しっていますか。自じ分ぶんの弱よわさを認みとめようとしなかったり,自じ分ぶんが悪わるいことをするはずはないと考かんがえたりするのは危き険けんです。それは自じ分ぶんを欺あざむいていることになります。(ヨハ一いち 1:8)パウロは,「クリスチャンとして十じゅう分ぶんに資し格かくがある」人ひとでも用よう心じんしていないなら誘ゆう惑わくに負まけてしまうことがあると言いいました。(ガラ 6:1)私わたしたちは自じ分ぶんを正しょう直じきに見みつめて弱よわい分ぶん野やを認みとめる必ひつ要ようがあります。(コリ二に 13:5)自じ分ぶんにとって一いち番ばん誘ゆう惑わくになりやすい分ぶん野やを見み分わけることができたら,どうしますか。守まもりを固かためましょう。聖せい書しょ時じ代だい,都と市しの城じょう壁へきの中なかで最もっとも弱よわい所ところは門もんでした。それで,門もんはほかのどこよりも防ぼう備びがしっかりと固かためられていました。同おなじように,自じ分ぶんの特とくに弱よわいと思おもえる分ぶん野やについては,いっそう注ちゅう意いを払はらう必ひつ要ようがあります。(コリ一いち 9:27)塔とう研けん24.07 15ページ5-7節せつ

8月がつ15日にち,土ど曜よう日び

あらゆる善よいことを行おこなって実みを結むすび,神かみについての正せい確かくな知ち識しきをますます得え[る]。(コロ 1:10)

今日きょうの聖せい句くが述のべている「善よいこと」には良よい知しらせを伝つたえることも含ふくまれます。神かみの言こと葉ばを読よんでじっくり考かんがえるなら,エホバへの信しん仰こうは強つよくなり,王おう国こくのメッセージを伝つたえることがどうして大たい切せつなのかがはっきり分わかるようになります。聖せい書しょから力ちからをもらうためには,読よんだり学まなんだり考かんがえたりする時ときにじっくり時じ間かんをかけることが大たい切せつです。聖せい書しょを読よんでいて分わかりにくい部ぶ分ぶんがあったなら,そのまま先さきに進すすむのではなく,「ものみの塔とう出しゅっ版ぱん物ぶつ索さく引いん」や「エホバの証しょう人にんのためのリサーチガイド」を使つかって調ちょう査さしましょう。時じ間かんをかけて学まなぶなら,聖せい書しょに書かかれていることが正せい確かくであるという確かく信しんを強つよめることができます。(テサ一いち 5:21)この確かく信しんが強つよくなればなるほど,学まなんだことを伝つたえたいという気き持もちは強つよくなるでしょう。塔とう研けん24.04 15ページ4-5節せつ

8月がつ16日にち,日にち曜よう日び

私わたしが手て紙がみを書かいたのは,皆みなさんが全すべてのことについて従じゅう順じゅんかどうかを確たしかめるためで[す]。(コリ二に 2:9)

ダビデは「あなたは善よい方かたで,快こころよく許ゆるしてくださいます」と言いっています。(詩し 86:5)ミカはこう言いいました。「あなたのような神かみがいるでしょうか。……過あやまちを許ゆるし,違い反はんを見み過すごす方かた」。(ミカ 7:18)イザヤはこう言いっています。「悪わるい行おこないをやめ,有ゆう害がいな考かんがえを捨すてよ。憐あわれんでくださるエホバのもとに帰かえれ。私わたしたちの神かみのもとに帰かえれ。神かみは寛かん大だいに許ゆるしてくださる」。(イザ 55:7)コリントの会かい衆しゅうの人ひとたちはエホバに倣ならって,悔くい改あらためた人ひとを温あたたかく迎むかえ,愛あいしていることを本ほん人にんに伝つたえるように教おしえられました。会かい衆しゅうはパウロの指し示じに従したがい,「全すべてのことについて従じゅう順じゅん」であることを示しめしました。罪つみを犯おかした人ひとは会かい衆しゅうから除のぞかれて数すうカ月げつしかたっていませんでしたが,矯きょう正せいによって悔くい改あらためることができていました。それで,その人ひとの会かい衆しゅうへの復ふっ帰きを遅おくらせる理り由ゆうは何なにもありませんでした。塔とう研けん24.08 17-18ページ12-13節せつ

8月がつ17日にち,月げつ曜よう日び

一いっ方ぽうは連つれていかれ,他た方ほうは捨すてられます。(マタ 24:40)

私わたしたちはとても重じゅう要ような時じ代だいに生いきています。間まもなくイエスは地ち球きゅうにいる一人ひとり一人ひとりを裁さばきます。イエスは自じ分ぶんの臨りん在ざいと「体たい制せいの終しゅう結けつのしるし」について預よ言げんし,裁さばきが近ちかづく時じ期きにどんなことが起おきるかを教おしえました。(マタ 24:3)この預よ言げんは,マタイ 24章しょうと25章しょう,そしてその並へい行こう記き述じゅつであるマルコ 13章しょうとルカ 21章しょうに書かかれています。イエスは警けい告こくを与あたえるため,3つの例たとえ話ばなしをしました。羊ひつじとヤギ,思し慮りょ深ぶかい乙おと女めと愚おろかな乙おと女め,タラントの例たとえ話ばなしです。こうした例たとえ話ばなしを調しらべていくと,イエスが一人ひとり一人ひとりの行おこないに基もとづいて裁さばきを行おこなうことが分わかります。塔とう研けん24.09 20ページ1-2節せつ

8月がつ18日にち,火か曜よう日び

何なにをするにも,愛あいを抱いだいて行おこなってください。(コリ一いち 16:14)

私わたしたちにとって一いち番ばんの手て本ほんであるイエス・キリストは,どんな時ときもお父とうさんエホバや人ひと々びとへの愛あいの気き持もちから行こう動どうしていました。だからこそ,一いっ生しょう懸けん命めいに働はたらき,立たち場ばの低ひくい人ひとがするような仕し事ごとも進すすんで行おこないました。(マタ 20:28。ヨハ 13:5,14,15)兄きょう弟だいたち,エホバはあなたが愛あいの気き持もちから行こう動どうするなら喜よろこんでくれます。そして,援えん助じょ奉ほう仕し者しゃになるといったクリスチャンとしての目もく標ひょうを達たっ成せいできるように助たすけてくれます。(ペテ一いち 5:5)世よの中なかでは,自じ分ぶんを売うり込こむ人ひとが評ひょう価かされることがよくあります。でも,エホバに仕つかえる人ひとたちの間あいだではそういうことはありません。イエスのように愛あいの気き持もちから行こう動どうする人ひとは,人ひとの上うえに立たとうとしたり,自じ分ぶんを重じゅう要ような人じん物ぶつと見みてもらおうとしたりはしません。もしそのような野や心しんを持もった人ひとが会かい衆しゅうの中なかで責せき任にんを与あたえられたとしたら,どうなるでしょうか。エホバの大たい切せつな羊ひつじを世せ話わするための目め立だたない仕し事ごとはしようとしないでしょう。「そういう仕し事ごとはほかの誰だれかがやればいい」と考かんがえるかもしれません。(ヨハ 10:12)塔とう研けん24.11 15ページ6-7節せつ

8月がつ19日にち,水すい曜よう日び

神かみが聖せいなる力ちからによって皆みなさんを群むれの監かん督とくに任にん命めいしました。(使し徒と 20:28)

「人ひと々びとという贈おくり物もの」として奉ほう仕しできる兄きょう弟だいたちが世せ界かい中じゅうでもっと必ひつ要ようとされています。(エフェ 4:8)バプテスマを受うけた兄きょう弟だいの皆みなさん,この面めんであなたには「助たすける力ちから」がありますか。(格かく 3:27)援えん助じょ奉ほう仕し者しゃとしての資し格かくを満みたすよう努ど力りょくしているでしょうか。長ちょう老ろうとして奉ほう仕しすることを目もく標ひょうにできますか。王おう国こく福ふく音いん伝でん道どう者しゃのための学がっ校こう(SKE)に出しゅっ席せきできるよう状じょう況きょうを調ちょう整せいできるでしょうか。SKEで学まなぶなら,イエスにもっと仕し事ごとを委ゆだねてもらえるような人ひとになれます。自じ分ぶんには資し格かくがないと感かんじるときは,与あたえられるどんな割わり当あても果はたすことができるよう聖せいなる力ちからを求もとめてエホバに祈いのってください。(ルカ 11:13)イエスが「人ひと々びとという贈おくり物もの」である兄きょう弟だいたちを与あたえてくれたことは,終おわりの時じ代だいに私わたしたちのことを導みちびいてくれている証しょう拠こです。(マタ 28:20)王おうであるイエスは私わたしたちを愛あいし,惜おしみなく与あたえ,気き遣づかってくれています。そして,私わたしたちが必ひつ要ようとしている世せ話わを受うけられるよう,資し格かくを満みたす兄きょう弟だいたちを任にん命めいしてくれました。そのことに本ほん当とうに感かん謝しゃできます。塔とう研けん24.10 23ページ16-17節せつ

8月がつ20日はつか,木もく曜よう日び

以い前ぜんの事こと柄がらは思おもい出だされることも……ない。(イザ 65:17)

神かみに仕つかえる人ひとたちも心こころが痛いたむことやつらい経けい験けんをすることがあります。でも,そうしたものはやがて「忘わすれられ,[神かみ]の目めから隠かくされ」ます。(イザ 65:16)エホバは私わたしたちの問もん題だいを全すべて取とり除のぞき,つらい記き憶おくも全すべて消けし去さってくださるのです。今いまでも,集しゅう会かいへ行いくと,この悪わるい世よの中なかで経けい験けんするいろいろなストレスを忘わすれて心こころが穏おだやかになります。私わたしたち一人ひとり一人ひとりはこうした温あたたかい雰ふん囲い気きに貢こう献けんできます。愛あいや喜よろこび,平へい和わ,親しん切せつ,温おん和わといった聖せいなる力ちからが生うみ出だすものを表あらわすように努ど力りょくすることによってです。(ガラ 5:22,23)エホバの温あたたかい家か族ぞくの一いち員いんになれるのは本ほん当とうに素す晴ばらしいことです。この家か族ぞくの中なかにとどまっているなら,「新あたらしい天てんと新あたらしい地ち」に関かんするエホバの約やく束そくが完かん全ぜんに実じつ現げんするのを見みることができるでしょう。塔とう研けん24.04 22ページ9-10節せつ

8月がつ21日にち,金きん曜よう日び

「これは聖せいなるものです」と性せい急きゅうに言いった後あとで,誓せい約やくした事ことについて考こう慮りょするのは,わなとなる。(格かく 20:25)

誰だれかと付つき合あうのはとても楽たのしいことですが,それは結けっ婚こんにつながるかもしれない大たい切せつなステップでもあります。結けっ婚こん式しきの日ひ,2人ふたりは生いきている限かぎり互たがいを愛あいし,敬けい意いを示しめし合あうことをエホバに誓ちかいます。どんな誓ちかいをする場ば合あいでも,その前まえに注ちゅう意い深ぶかく考かんがえることが必ひつ要ようです。結けっ婚こんの誓ちかいについてもまさにそういえます。結けっ婚こんする前まえに付つき合あうことで,互たがいのことをよく知しり,良よい決けっ定ていをすることができます。結けっ婚こんするという決けっ定ていもあれば,付つき合あうのをやめるという決けっ定ていもあるでしょう。たとえ別わかれることになったとしても,失しっ敗ぱいではありません。結けっ婚こんすべきかどうかを見み極きわめることができたのですから,良よい決けっ定ていができたといえます。付つき合あうことについて正ただしい見み方かたを持もつことが大たい切せつなのはどうしてですか。そうできているなら,独どく身しんの人ひとは結けっ婚こんするつもりがないのにデートをしたりすることはないでしょう。塔とう研けん24.05 26-27ページ3-4節せつ

8月がつ22日にち,土ど曜よう日び

私わたしたちの主しゅについて語かたること[を]恥はじてはなりません。(テモ二に 1:8)

若わかいクリスチャンは,自じ分ぶんが信しんじていることをきちんと説せつ明めいできるか自じ信しんがないと感かんじることがあります。例たとえば,授じゅ業ぎょうで進しん化か論ろんが出でてくると,不ふ安あんに感かんじるかもしれません。どうしてでしょうか。先せん生せいたちは進しん化かを事じ実じつとして教おしえることがあるからです。信しんじていることについて自じ信しんを持もてるよう,お子こさんをどのように助たすけられるでしょうか。創そう造ぞうを信しんじていることを恥はずかしく感かんじる必ひつ要ようはない,とはっきり伝つたえることができます。どうしてでしょうか。生せい命めいは全まったくの偶ぐう然ぜんによって生しょうじたのではないと考かんがえる科か学がく者しゃも多おおくいます。そうした科か学がく者しゃたちは,生せい命めいの複ふく雑ざつさの背はい後ごには知ち性せいある設せっ計けいの証しょう拠こがあるということを認みとめ,進しん化か論ろんを受うけ入いれていません。また,お子こさんは,他たの兄きょう弟だい姉し妹まいが生せい命めいは創そう造ぞうされたと確かく信しんできた理り由ゆうについてよく考かんがえることで,自じ分ぶんが信しんじていることにもっと自じ信しんを持もてるようになるでしょう。塔とう研けん24.12 18ページ14-15節せつ

8月がつ23日にち,日にち曜よう日び

イエスは聖せいなる力ちからにより喜よろこびにあふれ[た]。(ルカ 10:21)

イエスが一いっ生しょう懸けん命めい良よい知しらせを伝つたえることができたのは,伝でん道どうに対たいしてポジティブな見み方かたをしていたからです。イエスは西せい暦れき30年ねんの終おわりごろ,良よい知しらせを聞ききそうな人ひとたちが大おお勢ぜいいるのに気き付づいて,その人ひとたちを,すでに色いろづいて収しゅう穫かくできる畑はたけに例たとえました。(ヨハ 4:35)その1年ねん後ごには弟で子したちに,「収しゅう穫かくは多おおいです」と言いいました。(マタ 9:37,38)後のちにこうも言いいました。「収しゅう穫かくは多おおいです……。それで,収しゅう穫かくのために人ひとを遣つかわしてくださるよう,収しゅう穫かくの主しゅ人じんにお願ねがいしなさい」。(ルカ 10:2)イエスは良よい知しらせを受うけ入いれるようになる人ひとたちが必かならずいる,と考かんがえていました。そして,実じっ際さいに多おおくの人ひとが受うけ入いれた時ときに喜よろこびました。イエスは弟で子したちに,伝つたえるメッセージに対たいしてポジティブな見み方かたをするようにと教おしえました。そのような見み方かたは熱あつい気き持もちで伝でん道どうを続つづける上うえで役やく立だつからです。塔とう研けん25.03 18-19ページ15-16節せつ

8月がつ24日か,月げつ曜よう日び

私わたしの神かみは私わたしの岩いわ,避ひ難なんできる場ば所しょ。(詩し 94:22)

エホバは避ひ難なん所じょです。ひどい嵐あらしの時とき,大おおきな岩いわがあれば,その陰かげに隠かくれることができます。同おなじように,大たい変へんな経けい験けんをする時とき,エホバは私わたしたちを守まもってくださいます。ご自じ分ぶんとの絆きずなを保たもてるよう助たすけてくれますし,私わたしたちが今いま経けい験けんしているつらい問もん題だいがずっと続つづくようにはしません。さらに,私わたしたちの平へい和わや安あん全ぜんを脅おびやかすものを全すべてなくすと約やく束そくしています。(エゼ 34:25,26)岩いわのような方かたであるエホバのもとに逃にげ込こむ1つの方ほう法ほうは,祈いのることです。祈いのると,エホバは私わたしたちに「神かみからの平へい和わ」を与あたえ,心こころと考かんがえを守まもってくださいます。(フィリ 4:6,7)エホバは,いつでも私わたしたちのそばにいて助たすけてくれます。エホバは「永えい遠えんの岩いわ」です。(イザ 26:3,4)ずっと存そん在ざいしていて,約やく束そくを守まもり,祈いのりを聞きき,必ひつ要ような助たすけを与あたえてくれます。また,エホバはご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとに揺ゆるぎない愛あいを示しめす方かたです。(サム二に 22:26)私わたしたちが行おこなったことを覚おぼえていて,必かならず報むくいてくださいます。エホバは確たしかに信しん頼らいできる方かたです。(ヘブ 6:10; 11:6)塔とう研けん24.06 27ページ4-6節せつ

8月がつ25日にち,火か曜よう日び

あなたの心こころを守まもれ。命いのちは心こころに懸かかっているからである。(格かく 4:23)

息いき抜ぬきをする時ときに不ふ健けん全ぜんなものを見みたり聞きいたりするなら,心こころがエホバからそらされることがあります。良よくない交こう友ゆうや,お金かねや物ものを愛あいする考かんがえ方かたにも注ちゅう意いが必ひつ要ようです。何なにかのせいでエホバへの愛あいが少すこしでも弱よわまっていることに気き付づいたなら,その影えい響きょうを取とり除のぞくためにすぐに行こう動どうしましょう。(マタ 5:29,30)心こころがほかのものに傾かたむいてしまうことがないようにしましょう。クリスチャンの活かつ動どうをたくさん行おこなっていれば悪わるい影えい響きょうを受うけることはない,と考かんがえるようになってしまうかもしれません。こんな場ば面めんをイメージしてみてください。とても寒さむくて風かぜの強つよい日ひに外そとにいたとします。家いえに帰かえるとすぐに暖だん房ぼうをつけます。でも,ドアを開あけたままにしておくならどうでしょうか。冷つめたい空くう気きが入はいってきて,家いえの中なかは暖あたたまりません。同おなじように,聖せい書しょの教おしえを学まなぶだけではエホバとの温あたたかい関かん係けいを保たもつことはできません。世よの中なかには,冷つめたい「空くう気き」のような,神かみを敬うやまわない態たい度どが広ひろまっています。それで,良よくない影えい響きょうが入はいり込こんで心こころがエホバからそれてしまうことがないように,いわばドアを閉しめる必ひつ要ようがあります。(エフェ 2:2)塔とう研けん24.07 21ページ6-7節せつ

8月がつ26日にち,水すい曜よう日び

敵てきを愛あいし続つづけ,迫はく害がいする人ひとのために祈いのり続つづけなさい。(マタ 5:44)

イエスがどれほどの痛いたみや屈くつ辱じょくを味あじわい,理り不ふ尽じんに感かんじたかは,私わたしたちの想そう像ぞうをはるかに超こえています。しかし,イエスは不ふ当とうな扱あつかいを受うけても愛あいを示しめし,エホバに仕つかえ続つづけました。自じ分ぶんを杭くいにくぎ付づけにしたローマの兵へい士したちに罰ばつが与あたえられることを願ねがうのではなく,こう祈いのりました。「父ちちよ,彼かれらをお許ゆるしください。自じ分ぶんたちが何なにをしているのか知しらないのです」。(ルカ 23:34)私わたしたちも,自じ分ぶんにひどいことをした人ひとのために祈いのるなら,憤いきどおりや怒いかりの気き持もちを静しずめることができます。相あい手てに対たいする自じ分ぶんの見み方かたも変かえられるかもしれません。この体たい制せいが続つづく限かぎり,不ふ当とうな経けい験けんをすることがあるでしょう。でもどんなときも,祈いのってエホバに頼たよることをやめないでください。イエスの手て本ほんに倣ならい,聖せい書しょのアドバイスの通とおりにしていきましょう。そうするなら,エホバがあなたを支ささえ,豊ゆたかに報むくいてくださいます。(ペテ一いち 3:8,9)塔とう研けん24.11 6ページ16節せつ,7ページ17,19節せつ

8月がつ27日にち,木もく曜よう日び

あなたは悪あくを喜よろこぶ神かみではない。悪わるい人ひとはあなたのもとにとどまれない。(詩し 5:4)

エホバは何なんでも許きょ容ようする神かみではなく,罪つみを見み過すごしたりはしません。(詩し 5:4-6)私わたしたちが聖せい書しょに書かかれている神かみの正ただしい基き準じゅんに従したがうことを願ねがっています。もちろんエホバは,完かん璧ぺきではない私わたしたちに完かん璧ぺきであることを求もとめているわけではありません。(詩し 130:3,4)でも,「神かみへの敬けい意いがなく……神かみの惜おしみない親しん切せつに付つけ込こんで恥はじ知しらずな行おこない」をする人ひとたちを大おお目めに見みることはありません。(ユダ 4)聖せい書しょにはハルマゲドンで起おきる「神かみを敬うやまわない人ひと々びとの……滅ほろび」について書かかれています。(ペテ二に 3:7。啓けい 16:16)でも,エホバは誰だれも滅ほろぼされないでほしいと思おもっています。聖せい書しょによれば,エホバは「全すべての人ひとが悔くい改あらためることを望のぞんでい」ます。(ペテ二に 3:9)長ちょう老ろうたちはエホバに倣ならい,罪つみを犯おかした人ひとが生いき方かたを変かえてエホバとの絆きずなを取とり戻もどせるように辛しん抱ぼう強づよく助たすけます。塔とう研けん24.08 26ページ1-2節せつ

8月がつ28日にち,金きん曜よう日び

あなたは手てを開ひらいて,生いきている全すべてのものの願ねがいをかなえる。(詩し 145:16)

私わたしたちもエホバに倣ならって,必ひつ要ような物ものを愛あいの気き持もちから仲なか間まと分わけ合あうことができます。例たとえば,食たべる物ものや着きる物ものを必ひつ要ようとしている兄きょう弟だい姉し妹まいが身み近ぢかにいますか。エホバはあなたを通とおしてその人ひとを助たすけたいと思おもっているかもしれません。エホバの証しょう人にんは,特とくに災さい害がいが起おきた時ときに進すすんで他たの人ひとを助たすけることで知しられています。コロナのパンデミックの間あいだにも,兄きょう弟だい姉し妹まいは食たべ物ものや着きる物ものなど必ひつ要ようとしている物ものを仲なか間まと分わけ合あいました。世せ界かい的てきな活かつ動どうのために惜おしみなく寄き付ふした人ひとも大おお勢ぜいいます。それは世せ界かい中じゅうで救きゅう援えん活かつ動どうを行おこなう上うえでとても助たすけになりました。兄きょう弟だい姉し妹まいはヘブライ 13章しょう16節せつの言こと葉ばを心こころに留とめて行こう動どうしました。「善ぜんを行おこなうことや,持もっている物ものを分わけ合あうことを忘わすれてはなりません。神かみはそのような犠ぎ牲せいをとても喜よろこんでくださいます」。塔とう研けん24.09 27ページ6-7節せつ

8月がつ29日にち,土ど曜よう日び

より重じゅう要ようなことを見み極きわめ[る]。(フィリ 1:10)

こんな例れいを考かんがえてみましょう。家か族ぞくを養やしなうための仕し事ごとを探さがしているとします。良よさそうな仕し事ごとが2つあります。仕し事ごとの種しゅ類るいやスケジュール,通つう勤きん時じ間かんなど,関かん係けいする全すべての情じょう報ほうを検けん討とうします。どちらの仕し事ごとも聖せい書しょの教おしえには反はんしていません。一いっ方ぽうの仕し事ごとの方ほうが好このみだったり,給きゅう料りょうが高たかかったりして,その仕し事ごとにしようと思おもうかもしれません。でも,決けっ定ていする前まえにほかにも考かんがえるべきことがあります。例たとえば,その仕し事ごとは会かい衆しゅうの集しゅう会かいの予よ定ていに影えい響きょうしそうでしょうか。家か族ぞくを感かん情じょう面めんでケアしたり信しん仰こう面めんで養やしなったりするのに必ひつ要ような時じ間かんを奪うばわれないでしょうか。このように考かんがえるなら,エホバへの崇すう拝はいや家か族ぞくのニーズといった「より重じゅう要ようなこと」をお金かねよりも優ゆう先せんさせることができます。そうすれば,エホバに祝しゅく福ふくしてもらえる決けっ定ていが下くだせるでしょう。塔とう研けん25.01 17ページ11-13節せつ

8月がつ30日にち,日にち曜よう日び

エホバは心こころが傷きずついた人ひとのそばにいる。(詩し 34:18)

ほかの人ひとからひどいことを言いわれたりされたりしたとしても,エホバから愛あいされ,大たい切せつにされていることを忘わすれないでください。「打うちのめされた」ように感かんじるときは,エホバが心こころの中なかの良よいものを見みてあなたを引ひき寄よせてくださったということを思おもい出だしてください。(ヨハ 6:44)あなたはエホバにとって大たい切せつな存そん在ざいなので,エホバはいつでも助たすけたいと思おもっています。イエスの人ひとへの接せっし方かたからも,エホバの気き持もちについて知しることができます。イエスは伝でん道どうしていた時とき,ほかの人ひとから見み下くだされている人ひとたちに目めを留とめ,思おもいやり深ぶかく接せっしました。(マタ 9:9-12)ある女じょ性せいが,重おもい病びょう気きを癒いやしてもらいたいと思おもってイエスの外がい衣いに触ふれたことがありました。その時とき,イエスは優やさしい言こと葉ばを掛かけ,その女じょ性せいの信しん仰こうを褒ほめました。(マル 5:25-34)イエスの性せい格かくはお父とうさんエホバとそっくりです。(ヨハ 14:9)それで,エホバも私わたしたちのことを大たい切せつに思おもい,信しん仰こうや愛あいといった良よい点てんに注ちゅう目もくしてくれていることが分わかります。塔とう研けん24.10 7ページ4-5節せつ

8月がつ31日にち,月げつ曜よう日び

私わたしの涙なみだをあなたの革かわ袋ぶくろに集あつめてください。(詩し 56:8)

ダビデは生しょう涯がい中ちゅう,涙なみだが出でるようなつらい状じょう況きょうに何なん度ども直ちょく面めんしました。他たの人ひとから敵てき意いを向むけられたり,信しん頼らいしていた人ひとに裏うら切ぎられたりしました。(サム一いち 19:10,11。サム二に 15:10-14,30)ある時とき,ダビデはこう書かきました。「私わたしはため息いきばかりで疲つかれた。夜よ通どおし泣ないて寝ね床どこをぬらし,寝ね椅い子すは涙なみだであふれる」。(詩し 6:6)ダビデはいろいろなつらい状じょう況きょうに直ちょく面めんしましたが,エホバが自じ分ぶんを愛あいしてくれていることを確かく信しんしていました。「エホバは私わたしが泣なく声こえを聞きいてくださる」と書かいています。(詩し 6:8)今日きょうの聖せい句くの言こと葉ばにはエホバの優やさしい気き遣づかいが美うつくしく表ひょう現げんされています。ダビデは,エホバがまるで自じ分ぶんの涙なみだを袋ふくろに入いれて集あつめ,書しょ物もつに記き録ろくしてくれているかのように感かんじていました。エホバが自じ分ぶんの苦くるしみに目めを留とめ,覚おぼえていてくれると確かく信しんしていたのです。また,愛あい情じょう深ぶかい天てんのお父とうさんエホバが,自じ分ぶんが置おかれている状じょう況きょうだけでなく,自じ分ぶんがどんなダメージを受うけているかもよく分わかってくれているとも信しんじていました。塔とう研けん24.12 22ページ11-12節せつ

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