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聖書を毎日調べる 2026
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9月がつ

9月がつ1日ついたち,火か曜よう日び

自じ分ぶんがクリスチャンの信しん条じょうの通とおりに生いきているかどうか,いつも確たしかめてください。(コリ二に 13:5)

私わたしたちはクリスチャンとして十じゅう分ぶんに成せい長ちょうするよう努ど力りょくするだけでなく,逆ぎゃく戻もどりしないようにも気きを付つける必ひつ要ようがあります。その中なかには自じ己こ過か信しんを避さけることも含ふくまれます。(コリ一いち 10:12)自じ分ぶんが成せい長ちょうし続つづけているか「いつも確たしかめ」ることは大たい切せつです。コロサイのクリスチャンに宛あてた手て紙がみの中なかでも,パウロはクリスチャンとして大人おとなでいることの大たい切せつさを教おしえました。パウロは,十じゅう分ぶんに成せい長ちょうしていたコロサイの兄きょう弟だい姉し妹まいに向むけて,世よの中なかの考かんがえ方かたに影えい響きょうされないよう警けい告こくしました。(コロ 2:6-10)また,コロサイの会かい衆しゅうのことをよく知しっていたと思おもわれるエパフラスも,兄きょう弟だい姉し妹まいが「最さい終しゅう的てきに欠かけたところがない者ものとなり,……しっかり立たてるよう」いつも祈いのっていました。(コロ 4:12)パウロもエパフラスも,“子こ供ども”に逆ぎゃく戻もどりしないようにするためにはエホバに助たすけを求もとめ,自じ分ぶんでも努ど力りょくする必ひつ要ようがあるということをよく理り解かいしていました。コロサイの兄きょう弟だい姉し妹まいがどんな問もん題だいを経けい験けんするとしても,クリスチャンとして成せい長ちょうした状じょう態たいから逆ぎゃく戻もどりしてほしくない,と思おもっていたのです。塔とう研けん24.04 6ページ16-17節せつ

9月がつ2日ふつか,水すい曜よう日び

エホバは私わたしたちと共ともにいます。彼かれらを恐おそれないでください。(民みん 14:9)

エホバへの正ただしい畏おそれを抱いだいている人ひとは,エホバを本ほん当とうに愛あいしているので,悲かなしませるようなことは絶ぜっ対たいにしたくないと思おもうものです。私わたしたちはエホバから良よいと認みとめてもらうために,正ただしいことと悪わるいこと,真しん実じつなことと間ま違ちがっていることをしっかり見み分わけたいと思おもいます。(格かく 2:3-6。ヘブ 5:14)神かみよりも人ひとを恐おそれると,真しん実じつがはっきり見みえなくなることがあります。1つの例れいを考かんがえましょう。イスラエルの部ぶ族ぞくの12人にんの長ちょうは,エホバがイスラエル人じんに与あたえると約やく束そくした土と地ちに偵てい察さつに行いきました。そのうちの10人にんは,エホバへの愛あいよりカナン人じんを恐おそれる気き持もちの方ほうが強つよくなってしまいました。そして仲なか間まのイスラエル人じんに,「あの人ひとたちの所ところに攻せめていくなんて無む理りだ。彼かれらは私わたしたちより強つよい」と言いいました。(民みん 13:27-31)人にん間げん的てきな観かん点てんで言いえば,カナン人じんは確たしかに強きょう力りょくでした。でも,イスラエル人じんには敵てきを征せい服ふくすることなどできないと言いったのは,エホバのことを考かんがえていない発はつ言げんでした。塔とう研けん24.07 9ページ5-6節せつ

9月がつ3日か,木もく曜よう日び

地ち上じょうの人ひと全すべてを裁さばく方かたは,正ただしいことを行おこなわれるのではありませんか。(創そう 18:25)

私わたしたちは,エホバが人ひとを裁さばく時ときはいつでも正ただしい判はん断だんをしてくださることを確かく信しんできます。アブラハムがよく理り解かいしていたように,「地ち上じょうの人ひと全すべてを裁さばく」エホバは,完かん璧ぺきで,豊ゆたかな知ち恵えを持もち,憐あわれみ深ぶかい方かたです。エホバはイエスを教おしえ,全すべての人ひとを裁さばく責せき任にんを委ゆだねています。(ヨハ 5:22)エホバもイエスも一人ひとり一人ひとりの心こころを読よむことができます。(マタ 9:4)そしてそれぞれに対たいして,「正ただしいこと」を行おこないます。エホバが全すべてをよくご存ぞんじであることを確かく信しんしましょう。私わたしたちには裁さばく権けん限げんも能のう力りょくもありませんが,エホバにはあります。(イザ 55:8,9)それでエホバとイエスを信しん頼らいし,裁さばくことは全すべて任まかせましょう。王おうであるイエスはエホバと全まったく同おなじように公こう正せいで憐あわれみ深ぶかい裁さばきを行おこないます。(イザ 11:3,4)塔とう研けん24.05 7ページ18-19節せつ

9月がつ4日か,金きん曜よう日び

エホバは,欺あざむく人ひとをひどく嫌きらい,正しょう直じきな人ひとたちを親したしい友ともとする。(格かく 3:32)

イエスが初はじめてナタナエルに会あった時ときのことから,正しょう直じきな心こころを持もつことの大たい切せつさを学まなべます。フィリポが友ゆう人じんのナタナエルをイエスに会あわせようと連つれてきた時ときのことです。イエスはそれまで一いち度どもナタナエルに会あったことがなかったのに,「見みなさい,まさにイスラエル人じん,心こころに偽いつわりがない人ひとです」と言いいました。(ヨハ 1:47)イエスは,ナタナエルが特とくに正しょう直じきな人ひとであることに注ちゅう目もくしました。ナタナエルも私わたしたちのように完かん璧ぺきな人ひとではありませんでしたが,素す直なおで心こころが全まったく正しょう直じきな人ひとでした。イエスはそのことでナタナエルを褒ほめました。エホバを喜よろこばせる事こと柄がらとして詩し編へん 15編へんで挙あげられていることの多おおくは,私わたしたちが人ひとにどう接せっするかと関かん係けいがあります。詩し編へん 15編へん3節せつによると,エホバの天てん幕まくにいる人ひとは「中ちゅう傷しょうせず,周まわりの人ひとに何なにも悪わるいことをせず,友ともをけな」しません。そういうことをしてしまうなら,周まわりの人ひとをひどく傷きずつけることになります。(ヤコ 1:26)塔とう研けん24.06 10ページ7節せつ,11ページ9-10節せつ

9月がつ5日か,土ど曜よう日び

主しゅよ,あなたの名なを使つかうと,邪じゃ悪あくな天てん使しも服ふく従じゅうするのです。(ルカ 10:17)

よく準じゅん備びして伝でん道どうに出で掛かけるなら,気き持もちにゆとりを持もって話はなすことができるでしょう。イエスは,よく準じゅん備びしてから伝でん道どうに出で掛かけるように弟で子したちを助たすけました。(ルカ 10:1-11)弟で子したちはイエスに教おしえられた通とおりにした結けっ果か,伝でん道どうで良よい経けい験けんをし,深ふかい喜よろこびを味あじわうことができました。では,伝でん道どうのためにどんな準じゅん備びができるでしょうか。どうすれば自じ分ぶんの言こと葉ばで自し然ぜんに伝つたえられるかを考かんがえるのは大たい切せつです。区く域いきの人ひとのよくある反はん応のうについて幾いくつか考かんがえておき,どのように答こたえられるかを準じゅん備びしておくことも助たすけになります。実じっ際さいに話はなす時ときにはリラックスし,笑え顔がおでフレンドリーに話はなすように心こころ掛がけましょう。塔とう研けん24.04 15-16ページ6-7節せつ

9月がつ6日か,日にち曜よう日び

私わたしたちの神かみエホバ,あなたは栄えい光こうと栄えい誉よと力ちからを受うけるのにふさわしい方かたです。あなたが全すべてのものを創そう造ぞうされたからです。(啓けい 4:11)

私わたしたちが良よい知しらせを伝つたえる一いち番ばんの理り由ゆうは,エホバとその神しん聖せいな名な前まえを愛あいしているからです。私わたしたちは伝でん道どうすることによって,大だい好すきなエホバを賛さん美びしたいと思おもいます。そして,「私わたしたちの神かみエホバ,あなたは栄えい光こうと栄えい誉よと力ちからを受うけるのにふさわしい方かたです」という言こと葉ばに心こころから同どう意いしています。エホバが「全すべてのものを創そう造ぞうされた」証しょう拠こや,私わたしたちがエホバのおかげで存そん在ざいしていることについてみんなに伝つたえる時とき,エホバの栄えい光こうと栄えい誉よをたたえることができます。また,自じ分ぶんの時じ間かんや体たい力りょくや持もっている物ものをできる限かぎり伝でん道どうのために使つかうなら,自じ分ぶんの力ちからをエホバに捧ささげていることになります。(マタ 6:33。ルカ 13:24。コロ 3:23)私わたしたちはエホバのことが大だい好すきなので,エホバについてみんなに話はなします。さらに,エホバの名な前まえとその意い味みについてみんなに伝つたえたいとも思おもっています。塔とう研けん24.05 17ページ11節せつ

9月がつ7日か,月げつ曜よう日び

神かみ[は]……熱ねっ心しんに仕つかえようと努つとめる人ひとたちに報むくいてくださる。(ヘブ 11:6)

エホバは私わたしたちに今いま穏おだやかな心こころや満まん足ぞく感かんを与あたえ,将しょう来らい,永えい遠えんの命いのちを与あたえてくれます。エホバが私わたしたちに報むくいを与あたえたいと思おもっていることや,そうする力ちからを持もっていることを私わたしたちは確かく信しんしています。そう考かんがえると,一いっ生しょう懸けん命めいエホバに仕つかえたいと思おもうようになります。エホバに仕つかえていた昔むかしの人ひとたちもそうでした。そのうちの1人ひとりであるテモテの例れいを考かんがえましょう。(ヘブ 6:10-12)テモテは,生いきている神かみエホバに希き望ぼうを抱いだいていました。(テモ一いち 4:10)それで,エホバや仲なか間まのために働はたらくことに全ぜん力りょくを尽つくしました。どんな努ど力りょくを払はらったでしょうか。テモテは使し徒とパウロから,教おしえる点てんやみんなの前まえで話はなす点てんで成せい長ちょうするように勧すすめられました。若わか者ものも年ねん長ちょうの人ひとも含ふくめ,仲なか間まのクリスチャンに対たいして良よい手て本ほんになるようにとも言いわれました。また,必ひつ要ような場ば合あいにははっきりと親しん切せつに助じょ言げんを与あたえるといった難むずかしい仕し事ごとを任まかされました。(テモ一いち 4:11-16。テモ二に 4:1-5)テモテは,エホバが報むくいてくれることを確かく信しんしていたでしょう。(ロマ 2:6,7)塔とう研けん24.06 22-23ページ10-11節せつ

9月がつ8日か,火か曜よう日び

エホバは預よ言げん者しゃ[たち]皆みなを通とおして,イスラエルとユダに……警けい告こくし続つづけた。(王おう二に 17:13)

エホバは預よ言げん者しゃたちによって警けい告こくを与あたえ,イスラエル人じんを正ただそうとしました。例たとえば,エレミヤを通とおしてこう言いいました。「背はい信しんのイスラエルよ,戻もどりなさい……。私わたしは怒いかってあなたたちを見み下さげることはしない。揺ゆるぎない愛あいを抱いだいているからである……。私わたしはいつまでも憤ふん慨がいすることはない。ただ,自じ分ぶんの罪つみを認みとめなさい。あなたは,あなたの神かみエホバに背そむいたのである」。(エレ 3:12,13)また,ヨエルを通とおして,「心こころを尽つくして私わたしのもとに戻もどれ」と言いいました。(ヨエ 2:12,13)さらに,イザヤにこう伝つたえさせました。「自じ分ぶんを清きよめなさい。もう私わたしの前まえで悪わるいことをしてはならない。悪あくを行おこなうのをやめなさい」。(イザ 1:16-19)エゼキエルにはこう言いうよう指し示じしました。「私わたしは,悪わるい人ひとの死しを少すこしでも喜よろこぶだろうか。かえって,その人ひとが悪わるい行おこないをやめて生いき続つづけることを喜よろこぶのではないか。……私わたしは誰だれの死しをも喜よろこばない。悔くい改あらためて生いき続つづけなさい」。(エゼ 18:23,32)人ひと々びとが自じ分ぶんの罪つみを悔くい改あらためるのを見みる時とき,エホバは本ほん当とうに喜よろこびます。いつまでも生いき続つづけてほしいと願ねがっているからです。塔とう研けん24.08 9ページ5-6節せつ

9月がつ9日か,水すい曜よう日び

聖せい書しょ全ぜん体たいは神かみの聖せいなる力ちからの導みちびきによって書かかれたもので,……役やく立だちます。(テモ二に 3:16)

エホバに仕つかえる人ひとたちはみんな,エホバとの絆きずなを強つよめるのに必ひつ要ようなことを学まなぶことができ,導みちびきや保ほ護ごを与あたえられています。エホバが公こう平へいな方かたであることは,聖せい書しょを世せ界かい中じゅうの人ひとに読よめるようにしていることからも分わかります。聖せい書しょはもともとヘブライ語ご,アラム語ご,ギリシャ語ごの3つの言げん語ごで書かかれました。では,聖せい書しょを原げん語ごで読よめる人ひとの方ほうがエホバと強つよい絆きずなを持もてるということですか。いいえ,そういうわけではありません。(マタ 11:25)高たかい教きょう育いくを受うけていたり,聖せい書しょの原げん語ごに関かんする知ち識しきを持もっていたりしなくても,エホバの友とも達だちになることができます。エホバは,どんな教きょう育いくを受うけているかに関かかわりなく,世せ界かい中じゅうの全すべての人ひとがエホバの知ち恵えから学まなべるようにしてくださっています。実じっ際さい,聖せい書しょは何なん千ぜんもの言げん語ごに翻ほん訳やくされているので,世せ界かい中じゅうの人ひとが聖せい書しょを学まなび,エホバと親したしくなる方ほう法ほうを知しることができます。(テモ二に 3:16,17)塔とう研けん24.06 6-7ページ13-15節せつ

9月がつ10日か,木もく曜よう日び

[エルサレムの]荒こう廃はいが近ちかづいた。(ルカ 21:20)

イエスが予よ告こくしていたように,ユダヤ人じんの体たい制せいの終おわりが近ちかづいていました。クリスチャンは残のこされた時じ間かんを活かつ用ようし,信しん仰こうや忍にん耐たい力りょくを強つよめる必ひつ要ようがありました。(ヘブ 10:25; 12:1,2)私わたしたちはヘブライ人じんのクリスチャンたちよりもさらに大おおきな患かん難なんに直ちょく面めんすることになります。(マタ 24:21。啓けい 16:14,16)当とう時じのクリスチャンに与あたえられたアドバイスは私わたしたちのためにもなります。その幾いくつかを考かんがえてみましょう。パウロはヘブライ人じんのクリスチャンに宛あてた手て紙がみの中なかで,神かみの言こと葉ばをより深ふかく掘ほり下さげて学まなぶよう勧すすめました。(ヘブ 5:14–6:1)また,ヘブライ語ご聖せい書しょから,クリスチャンの崇すう拝はいがユダヤ教きょうよりも優すぐれていることを兄きょう弟だいたちに説せつ明めいしました。パウロは,間ま違ちがった考かんがえを見み極きわめて避さけ,真しん理りから離はなれないようにする上うえで,真しん理りに対たいする知ち識しきや理り解かいを深ふかめることが役やくに立たつということを知しっていました。塔とう研けん24.09 8ページ2-3節せつ,10ページ6節せつ

9月がつ11日にち,金きん曜よう日び

主しゅは本ほん当とうに生いき返かえっ[た]。(ルカ 24:34)

イエスの弟で子したちに励はげましが必ひつ要ようだったのはどうしてでしょうか。弟で子したちの中なかには,イエスに従したがうために家か族ぞくに別わかれを告つげ,家いえや仕し事ごとを手て放ばなした人ひとたちがいました。(マタ 19:27)また,イエスの弟で子しになったために,みんなからのけ者ものにされた人ひともいました。(ヨハ 9:22)弟で子したちがそうした犠ぎ牲せいを払はらったのは,イエスを約やく束そくされたメシアだと信しんじていたからでした。(マタ 16:16)でもイエスが殺ころされた時とき,希き望ぼうが打うち砕くだかれたように感かんじてがっかりしてしまいました。イエスは弟で子したちが気き落おちしている様よう子すを見みても,信しん仰こうが弱よわくなったとは考かんがえなかったことでしょう。それが大たい変へんな経けい験けんをした時ときの自し然ぜんな反はん応のうであることを理り解かいしていたからです。それで,イエスは復ふっ活かつしたその日ひから友ともである弟で子したちを力ちからづけるために行こう動どうしました。例たとえば,墓はかで泣ないていたマリア・マグダレネの前まえに現あらわれました。(ヨハ 20:11,16)また,エマオという村むらに向むかっていた2人ふたりの弟で子したちの前まえにも現あらわれました。ペテロにも会あいに行いきました。塔とう研けん24.10 13ページ5-6節せつ

9月がつ12日にち,土ど曜よう日び

皆みなさんの抱いだく希き望ぼうについて説せつ明めいを求もとめる人ひとにいつでも弁べん明めいできるよう,準じゅん備びしておきましょう。(ペテ一いち 3:15)

親おやの皆みなさん,創そう造ぞう者しゃがいると信しんじていることを説せつ明めいできるようお子こさんを助たすけましょう。jw.orgの「若わかい人ひとは尋たずねる 創そう造ぞう? それとも進しん化か?」というシリーズの記き事じを一いっ緒しょに振ふり返かえることができます。その後ご,ほかの人ひとが創そう造ぞう者しゃについての真しん理りを理り解かいできるよう助たすけるために,どうやって説せつ明めいするのが一いち番ばん良よいと思おもうかを子こ供どもと話はなし合あってください。話はなし合あう気きのある友とも達だちと話はなすときにはシンプルに説せつ明めいするよう勧すすめましょう。例たとえば,学がっ校こうの友とも達だちは「自じ分ぶんは見みえるものしか信しんじないし,神かみなんか見みたことない」と言いうかもしれません。そんなとき,こう言いえます。「町まちから遠とおく離はなれた森もりの中なかを歩あるいていて,立りっ派ぱな家いえを見みつけたとしたらどう思おもう? 家いえがあるってことは造つくった人ひとがいるってことだよね。地ち球きゅうも一いっ緒しょだと思おもわない?」塔とう研けん24.12 18ページ16節せつ

9月がつ13日にち,日にち曜よう日び

老ろう人じんには知ち恵えがあると思おもわないか。長ながく生いきている人ひとには理り解かい力りょくがあると思おもわないか。(ヨブ 12:12)

私わたしたちはみんな,生せい活かつの中なかで大おおきな決けっ定ていをするときにアドバイスを必ひつ要ようとしています。そうしたアドバイスは,長ちょう老ろうたちや経けい験けんを積つんだ兄きょう弟だい姉し妹まいからもらうことができます。でも,自じ分ぶんよりずっと年とし上うえだからといって,そうした人ひとたちのアドバイスは時じ代だい遅おくれだとすぐに決きめ付つけてはいけません。年ねん長ちょうの人ひとたちは,長ながい人じん生せい経けい験けんや理り解かい力りょくや知ち恵えを持もっています。エホバはそうした人ひとたちから学まなんでほしいと思おもっています。聖せい書しょ時じ代だいにエホバは,年ねん長ちょうの人ひとたちを通とおしてご自じ分ぶんの民たみを励はげまし,導みちびきました。例たとえば,モーセ,ダビデ,使し徒とヨハネがいます。3人にんは生いきていた時じ代だいも置おかれていた状じょう況きょうも全まったく違ちがっていました。でも人じん生せいの終おわり頃ごろに,若わかい人ひとたちに良よいアドバイスを与あたえました。3人にんとも,エホバに従したがうことがどれほど大たい切せつかを教おしえました。私わたしたちは年ねん齢れいに関かん係けいなく,そうした人ひとたちの言こと葉ばから大たい切せつなことを学まなべます。(ロマ 15:4。テモ二に 3:16)塔とう研けん24.11 8ページ1-2節せつ

9月がつ14日か,月げつ曜よう日び

人ひとの子この肉にくを食たべず,その血ちを飲のまない限かぎり,自じ分ぶんの内うちに命いのちを持もてません。(ヨハ 6:53)

ノアの時じ代だい,神かみは血ちを食たべることを禁きんじました。(創そう 9:3,4)イスラエルに与あたえた律りっ法ぽうの中なかでもそれを禁きんじました。血ちを食たべる人ひとは「除のぞかれ」る,つまり死し刑けいにされることになっていました。(レビ 7:27)イエスは人ひと々びとに律りっ法ぽうを守まもるよう教おしえました。(マタ 5:17-19)それでイエスがユダヤ人じんたちに,実じっ際さいにイエスの肉にくを食たべ,血ちを飲のむように勧すすめたとは考かんがえられません。これは比ひ喩ゆ表ひょう現げんでした。イエスは以い前ぜんサマリア人じんの女じょ性せいにこう言いったことがあります。「私わたしが与あたえる水みずは……永えい遠えんの命いのちを与あたえる」。(ヨハ 4:7,14)イエスはサマリア人じんの女じょ性せいに,文も字じ通どおりの水みずを飲のめば永えい遠えんの命いのちが得えられると言いっていたのではありません。同おなじようにカペルナウムの群ぐん衆しゅうにも,文も字じ通どおりイエスの肉にくを食たべ血ちを飲のむなら永えい遠えんに生いきられる,と言いっていたのではありません。塔とう研けん24.12 9ページ4-6節せつ

9月がつ15日にち,火か曜よう日び

自じ分ぶんの体からだを,生いきた犠ぎ牲せい,神かみに受うけ入いれられる聖せいなる犠ぎ牲せいとして差さし出だしてください。理り性せいを働はたらかせて神しん聖せいな奉ほう仕しをするのです。(ロマ 12:1)

クリスチャンの夫おっとは,世よの中なかに見みられる女じょ性せいに対たいする間ま違ちがった見み方かたに注ちゅう意いする必ひつ要ようがあります。人ひとの考かんがえ方かたや見み方かたは行こう動どうに影えい響きょうを与あたえるからです。パウロは天てんに行いくよう選えらばれたローマのクリスチャンに,「今いまの体たい制せいによって形かたち作づくられるのをやめてください」と警けい告こくしました。(ロマ 12:1,2)パウロがこの手て紙がみを書かいた時とき,兄きょう弟だい姉し妹まいはクリスチャンになってからしばらくたっていたと思おもわれます。でもパウロの言こと葉ばから分わかる通とおり,当とう時じの会かい衆しゅうには世よの中なかの考かんがえ方かたや習しゅう慣かんの影えい響きょうを受うけている人ひとたちがいたようです。それで,パウロはそうした人ひとたちに考かんがえ方かたや振ふる舞まいを変かえるようにと強つよく勧すすめました。現げん代だいのクリスチャンの夫おっとたちも,この助じょ言げんを真しん剣けんに受うけ止とめることは大たい切せつです。残ざん念ねんなことに,兄きょう弟だいであったとしても,世よの中なかの考かんがえ方かたの影えい響きょうを受うけている人ひとや,妻つまにひどいことをしてしまう人ひとさえいるからです。塔とう研けん25.01 9ページ4節せつ

9月がつ16日にち,水すい曜よう日び

皆みなさんに委ゆだねられた神かみの羊ひつじの群むれを世せ話わしてください。……監かん督とくとして奉ほう仕しし[ましょう]。(ペテ一いち 5:2)

長ちょう老ろうたちは忙いそがしく働はたらいています。長ちょう老ろうたちは伝でん道どうを熱ねっ心しんに行おこない,奉ほう仕しの区く域いきを組そ織しきし,上じょう手ずに伝でん道どうしたり教おしえたりできるように訓くん練れんしています。(テモ二に 4:5)憐あわれみ深ぶかく公こう平へいに裁さばく責せき任にんもあります。会かい衆しゅうの誰だれかが重じゅう大だいな罪つみを犯おかしたとき,長ちょう老ろうたちはその人ひとがエホバとの絆きずなを取とり戻もどせるように一いっ生しょう懸けん命めい助たすけます。また,会かい衆しゅうの清きよさにも気きを配くばっています。(コリ一いち 5:12,13。ガラ 6:1)そして何なによりも,長ちょう老ろうたちには神かみの羊ひつじを世せ話わするという役やく割わりもあります。(ペテ一いち 5:1-3)よく準じゅん備びして聖せい書しょに基もとづく話はなしをし,会かい衆しゅうのみんなをよく知しるようにし,牧ぼく羊よう訪ほう問もんを行おこないます。こうしたことに加くわえて,王おう国こく会かい館かんの建けん設せつやメンテナンス,また大たい会かいの組そ織しきに関かんする仕し事ごとをサポートしている長ちょう老ろうたちもいます。医い療りょう機き関かん連れん絡らく委い員いん会かいや患かん者じゃ訪ほう問もんグループに関かかわる奉ほう仕しをしている兄きょう弟だいたちもいます。長ちょう老ろうたちは私わたしたちのために本ほん当とうに一いっ生しょう懸けん命めい働はたらいてくれています。塔とう研けん24.10 20ページ9節せつ

9月がつ17日にち,木もく曜よう日び

アダムのゆえに全すべての人ひとが死しんでいくように,キリストのゆえに全すべての人ひとが生いかされる。(コリ一いち 15:22)

聖せい書しょの中なかで買かい戻もどしという言こと葉ばは,贖あがないが支し払はらわれることによって解かい放ほうされたり無む罪ざいとされたりすることを指さしています。そのことを使し徒とペテロは次つぎのように説せつ明めいしています。「ご存ぞんじのように,父ふ祖そたちから受うけ継つがれてきたむなしい生いき方かたから皆みなさんが自じ由ゆうにされた[直ちょく訳やく,「贖あがなわれた」,「買かい戻もどされた」]のは,銀ぎんや金きんといった朽くちる物ものによるのではありません。傷きずも汚お点てんもない子こ羊ひつじの血ちのような貴き重ちょうな血ち,つまりキリストの血ちによるのです」。(ペテ一いち 1:18,19,脚きゃく注ちゅう)贖あがないの犠ぎ牲せいのおかげで,私わたしたちは苦くるしみの原げん因いんとなっている罪つみと死しの支し配はいから自じ由ゆうになることができます。(ロマ 5:21)イエスの貴き重ちょうな血ちつまり命いのちによって買かい戻もどしていただいたことを考かんがえると,エホバとイエスに対たいして本ほん当とうに恩おん義ぎを感かんじるのではないでしょうか。塔とう研けん25.02 5ページ15-16節せつ

9月がつ18日にち,金きん曜よう日び

いつも用よう心じんしている人ひとは幸こう福ふくだ。(格かく 28:14)

どうすれば誘ゆう惑わくから自じ分ぶんを守まもれるでしょうか。格かく言げん 7章しょうに出でてくる若わか者ものの例れいから学まなびましょう。その若わか者ものは不ふ道どう徳とくな女じょ性せいと性せい的てき不ふ道どう徳とくを犯おかしました。22節せつには「突とつ然ぜん」その女じょ性せいに付ついていったとあります。でも,前まえの部ぶ分ぶんを見みると,若わか者ものが幾いくつかの段だん階かいを踏ふんで徐じょ々じょに罪つみに近ちかづいていったことが分わかります。どんなことが罪つみを犯おかすことにつながっていったでしょうか。まず,若わか者ものは晩ばんに「[不ふ道どう徳とくな]女じょ性せいの家いえへの曲まがり角かどの近ちかくを通とおり」ました。そして,その女じょ性せいの家いえの方ほうに進すすんでいきます。(格かく 7:8,9)さらに,女じょ性せいを見みてもそこから立たち去さりませんでした。若わか者ものは彼かの女じょの口くちづけを受うけ入いれ,女じょ性せいが共きょう食しょくの犠ぎ牲せいを捧ささげたことについて話はなすのをじっと聞ききました。女じょ性せいはその若わか者ものに,自じ分ぶんが悪わるい人ひとではないと思おもわせようとしていたのかもしれません。(格かく 7:13,14,21)もしこの若わか者ものが罪つみへとつながりかねない危き険けんを避さけていたなら,誘ゆう惑わくに負まけて罪つみを犯おかすことはなかったでしょう。塔とう研けん24.07 16ページ8-9節せつ,19ページ19節せつ

9月がつ19日にち,土ど曜よう日び

優やさしく許ゆるして慰なぐさめる。(コリ二に 2:7)

エホバは会かい衆しゅうの中なかで重じゅう大だいな罪つみが行おこなわれることを大おお目めに見みたりされません。ある人ひとは,エホバは憐あわれみ深ぶかいので,罪つみを悔くい改あらためなくても兄きょう弟だい姉し妹まいと交こう友ゆうを持もち続つづけられるようにしてくださると考かんがえるかもしれません。でも,それはエホバの見み方かたではありません。エホバは確たしかに憐あわれみ深ぶかい神かみですが,何なんでも許きょ容ようするわけではなく,正ただしさの基き準じゅんを下さげることもありません。(ユダ 4)実じつのところ,間ま違ちがった憐あわれみを示しめすなら,会かい衆しゅうのみんなを危き険けんにさらしてしまいます。(格かく 13:20。コリ一いち 15:33)でも,私わたしたちが知しっている通とおり,エホバは一人ひとりも滅ほろぼされないでほしいと思おもっています。可か能のうな時ときにはいつでも救すくいたいと思おもっています。心こころを入いれ替かえ,ご自じ分ぶんとの絆きずなを取とり戻もどしたいと思おもっている人ひとに,憐あわれみを示しめします。(エゼ 33:11。ペテ二に 3:9)それでエホバはコリントの会かい衆しゅうに,以い前ぜんに罪つみを犯おかした人ひとを許ゆるして再ふたたび迎むかえ入いれるように,とパウロを通とおして指し示じしました。その人ひとが悔くい改あらためて,罪つみ深ぶかい生いき方かたをやめていたからです。塔とう研けん24.08 16ページ7節せつ,18-19ページ14-15節せつ

9月がつ20日はつか,日にち曜よう日び

これら私わたしの兄きょう弟だいのうち最もっとも目め立だたない人ひとの1人ひとりにしたのは,それだけ私わたしにしたのです。(マタ 25:40)

イエスは人ひとを羊ひつじとヤギに分わける時とき,天てんに行いくよう選えらばれた兄きょう弟だいたちをサポートしたかどうかに基もとづいて裁さばきます。(マタ 25:31-46)イエスは「大だい患かん難なん」の期き間かん中ちゅう,ハルマゲドンの少すこし前まえにこの裁さばきを行おこないます。(マタ 24:21)天てんに行いくよう選えらばれた兄きょう弟だい姉し妹まいを忠ちゅう実じつにサポートした人ひとたちを,そうしなかった人ひとたちから分わけます。ちょうど羊ひつじ飼かいが羊ひつじをヤギから分わけるかのようにです。聖せい書しょの預よ言げんによると,イエスはエホバから裁さばきを行おこなうよう任にん命めいされ,正ただしい裁さばきを行おこないます。(イザ 11:3,4)人ひとの言こと葉ばや態たい度どや行こう動どうを観かん察さつします。天てんに行いくよう選えらばれた兄きょう弟だいたちにどう接せっしたかにも注ちゅう目もくします。(マタ 12:36,37)イエスは誰だれが選えらばれた兄きょう弟だいたちとその活かつ動どうをサポートしたかを知しっています。選えらばれたキリストの兄きょう弟だいたちをサポートする上うえで特とくに大たい切せつなのは,伝でん道どう活かつ動どうを行おこなうことです。塔とう研けん24.09 20ページ3-4節せつ

9月がつ21日にち,月げつ曜よう日び

全すべてのことを確たしかめてください。(テサ一いち 5:21)

自じ分ぶんの考かんがえが聖せい書しょに書かかれていることと合あっているか確たしかめましょう。例たとえば,若わかい人ひとがエホバは自じ分ぶんのことを気きに掛かけてくれていないんじゃないかと思おもう場ば合あい,その疑ぎ問もんをそのままにしておいてよいでしょうか。いいえ。「全すべてのことを確たしかめ」て,エホバがどう考かんがえているかを調しらべる必ひつ要ようがあります。私わたしたちは聖せい書しょを読よむ時とき,エホバが語かたり掛かけている声こえを聞きくことができます。でも,自じ分ぶんが持もっている疑ぎ問もんについてエホバがどう考かんがえているかを知しるためには努ど力りょくが要いります。ただ読よむだけではなく,気きになっている点てんに関かん係けいしている箇か所しょを探さがして読よむ必ひつ要ようがあります。そして,エホバが用よう意いしてくださっているいろいろな調ちょう査さツールを使つかって詳くわしく調しらべることができます。(格かく 2:3-6)調ちょう査さする時とき,エホバの考かんがえを見みつけられるように助たすけてください,と祈いのりましょう。そして,自じ分ぶんの状じょう況きょうにぴったり合あう聖せい書しょの言こと葉ばや役やく立だつ情じょう報ほうを探さがしましょう。塔とう研けん24.10 25ページ4-5節せつ

9月がつ22日にち,火か曜よう日び

[愛あいは]自じ分ぶんのことばかり考かんがえ……ません。(コリ一いち 13:5)

誇ほこりや野や心しんの気き持もちから努ど力りょくを払はらうとしても,エホバがそれを喜よろこぶことはありません。(コリ一いち 10:24,33; 13:4)イエスの親したしい使し徒とたちでさえ,間ま違ちがった動どう機きで特とく別べつな立たち場ばを求もとめてしまったことがありました。ヤコブとヨハネのことを考かんがえてみましょう。2人ふたりは王おう国こくで高たかい地ち位いを与あたえてくれるようにとイエスにお願ねがいしました。でも,イエスはそのことで2人ふたりを褒ほめるのではなく,12使し徒と全ぜん員いんにこう言いいました。「偉えらくなりたい人ひとは奉ほう仕し者しゃでなければならず,1番ばんでありたい人ひとは皆みなの奴ど隷れいでなければなりません」。(マル 10:35-37,43,44)ほかの人ひとに仕つかえる,という正ただしい動どう機きで働はたらく兄きょう弟だいたちは,会かい衆しゅうのみんなに喜よろこばれます。(テサ一いち 2:8)塔とう研けん24.11 15-16ページ7-8節せつ

9月がつ23日にち,水すい曜よう日び

助じょ言げん者しゃが多おおければ達たっ成せいされる。(格かく 15:22)

何なにかを決けっ定ていするとき,愛あいがあれば「人ひと」のためになることを優ゆう先せんし,慎つつしみを示しめします。(コリ一いち 10:23,24,32。テモ一いち 2:9,10)このように決けっ定ていするなら,他たの人ひとへの愛あいと敬けい意いを表あらわせます。大おおきな決けっ定ていをするときは,決けっ定てい後ごにどんなことが必ひつ要ようになるかを考かんがえましょう。イエスは「費ひ用ようを計けい算さんし」なさいと教おしえました。(ルカ 14:28)決けっ定ていがうまくいくようにするために必ひつ要ような時じ間かんと費ひ用ようと労ろう力りょくを考かんがえましょう。場ば合あいによっては家か族ぞくに相そう談だんして,そのために一人ひとり一人ひとりがどのように協きょう力りょくできるかを話はなし合あっておくこともできます。こうすることが大たい切せつなのはなぜでしょうか。決けっ定ていを調ちょう整せいすることが必ひつ要ようになったり,より良よい選せん択たく肢しが見みつかったりするかもしれません。前まえもって家か族ぞくに相そう談だんして意い見けんを聞きいておくなら,うまくいくよう喜よろこんで協きょう力りょくしてくれるでしょう。塔とう研けん25.01 18-19ページ14-15節せつ

9月がつ24日か,木もく曜よう日び

歓かん喜きし,……喜よろこびなさい。(イザ 65:18)

イザヤは,私わたしたちが「歓かん喜きし,……喜よろこ」べる理り由ゆうについて書かいています。エホバを崇すう拝はいするこの素す晴ばらしい環かん境きょうは,エホバがつくったものです。(イザ 65:18,19)エホバは私わたしたちを用もちいて,うそを教おしえられてきた人ひとたちがエホバの家か族ぞくに加くわわれるように助たすけています。私わたしたちは,エホバの家か族ぞくの中なかでたくさんの喜よろこびを味あじわっています。そして,ほかの人ひとたちにもぜひこの喜よろこびを味あじわってほしいと思おもいます。(エレ 31:12)私わたしたちはエホバとの絆きずながあるおかげで,将しょう来らいの素す晴ばらしい希き望ぼうを持もつことができています。これは本ほん当とうにうれしいことです。聖せい書しょによると,私わたしたちは「家いえを建たてて住すみ,ブドウ園えんを造つくって実みを食たべ」ます。「エホバに祝しゅく福ふくされ」,「無む駄だに労ろう苦くすることはなく」なります。安あん心しんして,目もく的てきのある充じゅう実じつした人じん生せいを送おくることができます。エホバは,私わたしたちにどんなものが必ひつ要ようかを知しってくれています。そして,「生いきている全すべてのものの願ねがいをかなえ」てくださいます。(イザ 65:20-24。詩し 145:16)塔とう研けん24.04 22-23ページ11-12節せつ

9月がつ25日にち,金きん曜よう日び

神かみは私わたしの強きょう固こな岩いわ,避ひ難なん所じょ。(詩し 62:7)

エホバを自じ分ぶんにとって岩いわのような存そん在ざいと見みるなら,エホバを心こころから信しん頼らいすることができます。大たい変へんな状じょう況きょうの中なかでもエホバに従したがうなら必かならず良よい結けっ果かになると信しんじることができます。(イザ 48:17,18)エホバの助たすけを経けい験けんするたびに,エホバへの確かく信しんは深ふかまっていきます。そして,これからどんな試し練れんを経けい験けんするとしても,エホバなら必かならず私わたしたちを助たすけることができる,と思おもうようになるでしょう。エホバは大おおきな岩いわのようにしっかりと安あん定ていしていて,変かわらない方かたです。気きまぐれな性せい格かくではなく,決きめたことを必かならず実じつ現げんさせます。(マラ 3:6)エデンで反はん逆ぎゃくが起おきた時ときも動どうじることはありませんでした。使し徒とパウロも,エホバは「ご自じ分ぶんを否ひ定ていすることができない」と書かいています。(テモ二に 2:13)つまり,どんなことがあっても,誰だれが何なにをしようとも,エホバは振ふり回まわされたりせず,ご自じ分ぶんの考かんがえや基き準じゅんを変かえることもないということです。それで私わたしたちは,動どう揺ようさせられるような状じょう況きょうでもエホバが助たすけてくださることや,将しょう来らいの約やく束そくを必かならず果はたしてくださることを確かく信しんして頼たよることができます。(詩し 62:6,7)塔とう研けん24.06 27-28ページ7-8節せつ

9月がつ26日にち,土ど曜よう日び

自じ分ぶんの内ない面めん[は]とても価か値ちがあります。(ペテ一いち 3:4)

今いま付つき合あっているなら,結けっ婚こんするかどうか決きめるのに何なにが役やく立だちますか。互たがいをよく知しることです。もちろん,付つき合あい始はじめる前まえから相あい手てのことをいくらか知しっていたでしょう。でも,今いまはその人ひとの「内ない面めん」をよく知しる必ひつ要ようがあります。自じ分ぶんの夫おっとや妻つまになるかもしれない人ひとがエホバとどれほど強つよい絆きずなを持もっているか,どんな性せい格かくや考かんがえ方かたをしているかをもっと知しるようにしましょう。やがて次つぎのようなことがはっきり分わかってくるはずです。「この人ひとは自じ分ぶんにとって良よい結けっ婚こん相あい手てといえるだろうか」。(格かく 31:26,27,30。エフェ 5:33。テモ一いち 5:8)「お互たがいが必ひつ要ようとしている愛あい情じょうや関かん心しんを示しめせるだろうか。お互たがいの欠けっ点てんを受うけ入いれられるだろうか」。(ロマ 3:23)覚おぼえておきたい点てんがあります。似にているところがあるからといって相あい性しょうがいいとは限かぎりません。大たい切せつなのは,互たがいの違ちがいにどれほど合あわせられるかです。塔とう研けん24.05 27ページ5節せつ

9月がつ27日にち,日にち曜よう日び

私わたしはエホバに対たいして罪つみを犯おかしました。(サム二に 12:13)

ダビデ王おうは重じゅう大だいな罪つみを犯おかしました。でも預よ言げん者しゃナタンからその罪つみについて指し摘てきされた時とき,謙けん遜そんに悔くい改あらためました。(詩し 51:3,4,17,表ひょう題だい)ヒゼキヤもエホバに対たいして罪つみを犯おかしました。(代だい二に 32:25)でも,ダビデと同おなじようにヒゼキヤは謙けん遜そんに悔くい改あらためました。(代だい二に 32:26)最さい終しゅう的てきには,エホバから見みて「正ただしいことを行おこない続つづけた」忠ちゅう実じつな王おうとして記き録ろくされています。(王おう二に 18:3)どんなことを学まなべるでしょうか。私わたしたちは罪つみを心こころから悔くい改あらため,同おなじことを繰くり返かえさないようできる限かぎりのことをする必ひつ要ようがあります。もし,ささいに思おもえるような点てんについて会かい衆しゅうの長ちょう老ろうたちから助じょ言げんを受うけたならどうでしょうか。自じ分ぶんはエホバから愛あいされていないとか,長ちょう老ろうたちから嫌きらわれているとは考かんがえないでください。イスラエルの良よい王おうたちであっても,助じょ言げんや戒いましめを受うけることがありました。(ヘブ 12:6)間ま違ちがいを正ただされた時とき,(1)謙けん遜そんに受うけ入いれ,(2)必ひつ要ような調ちょう整せいを行おこない,(3)心こころを込こめてエホバへの奉ほう仕しを続つづけてください。犯おかした罪つみを反はん省せいして悔くい改あらためるなら,エホバは私わたしたちのことを許ゆるしてくださいます。(コリ二に 7:9,11)塔とう研けん24.07 21ページ8-9節せつ,22ページ11節せつ

9月がつ28日にち,月げつ曜よう日び

皆みなさんの中なかから悪わるい人ひとを除のぞきなさい。(コリ一いち 5:13)

重じゅう大だいな罪つみを犯おかした人ひとは,長ちょう老ろうたちが繰くり返かえし助たすけようとしても,それを受うけ入いれようとしないなら,会かい衆しゅうから除のぞかれます。(王おう二に 17:12-15)その人ひとはエホバの基き準じゅんに従したがいたくないと思おもっていることを行こう動どうで示しめしていることになります。(申しん 30:19,20)その人ひとがエホバの証しょう人にんではなくなったことは会かい衆しゅうに知しらされます。そうするのは,罪つみを犯おかした人ひとに恥はじをかかせるためではありません。会かい衆しゅうの人ひとが,「そのような人ひととは交こう友ゆうするのをやめなさい。一いっ緒しょに食しょく事じをしてもなりません」という聖せい書しょの指し示じに従したがえるようにするためです。(コリ一いち 5:9-11)このような指し示じが与あたえられていることには,もっともな理り由ゆうがあります。パウロは「少すこしのパン種だねが生き地じ全ぜん体たいを発はっ酵こうさせる」と書かきました。(コリ一いち 5:6)会かい衆しゅうの人ひとが悔くい改あらためようとしない人ひとと交こう友ゆうを持もつなら,エホバの正ただしい基き準じゅんに従したがう決けつ意いが弱よわまってしまう危き険けんがあります。(格かく 13:20。コリ一いち 15:33)塔とう研けん24.08 26-27ページ3-4節せつ

9月がつ29日にち,火か曜よう日び

力ちからを与あたえてくださる方かたのおかげで,私わたしは強つよくなり,どんなことも乗のり越こえられます。(フィリ 4:13)

私わたしたちはほかの人ひとに力ちからを与あたえられるわけではありません。でも,自じ分ぶんの持もっている力ちからをほかの人ひとを助たすけるために使つかうなら,エホバに倣ならうことができます。例たとえば,高こう齢れいや病びょう気きの兄きょう弟だい姉し妹まいのために用よう事じをしたり家か事じを手て伝つだったりすることができるかもしれません。また,王おう国こく会かい館かんの清せい掃そうやメンテナンスを手て伝つだうこともできます。言こと葉ばによっても人ひとを力ちからづけることができるということを忘わすれないでください。心こころからの褒ほめ言こと葉ばを掛かけたい人ひとが誰だれかいますか。慰なぐさめの言こと葉ばを必ひつ要ようとしている人ひとがいるでしょうか。もしそうなら,自じ分ぶんから行こう動どうしましょう。その人ひとの家いえを訪ほう問もんしたり,電でん話わをかけたり,手て紙がみやメールやメッセージを送おくったりすることもできるかもしれません。あまり気きの利きいたことが言いえないとしても大だい丈じょう夫ぶです。たとえ多おおくを語かたらなくても,心こころから気き遣づかう言こと葉ばには大おおきな力ちからがあります。それは兄きょう弟だい姉し妹まいにとって,一いち日にち頑がん張ばってエホバに仕つかえる力ちからになり,前まえ向むきな気き持もちを保たもつための助たすけになることでしょう。(格かく 12:25。エフェ 4:29)塔とう研けん24.09 28ページ8-10節せつ

9月がつ30日にち,水すい曜よう日び

監かん督とくになろうと努つとめている人ひとは,立りっ派ぱな仕し事ごとを望のぞんでいます。(テモ一いち 3:1)

援えん助じょ奉ほう仕し者しゃとして奉ほう仕ししているなら,長ちょう老ろうになるために必ひつ要ような資し質しつを磨みがいてきたことでしょう。では,長ちょう老ろうという「立りっ派ぱな仕し事ごと」を行おこなうことを目もく標ひょうにできますか。長ちょう老ろうの仕し事ごとにはどんなことが含ふくまれているでしょうか。率そっ先せんして宣せん教きょうを行おこない,牧ぼく羊ようや教おしえることに一いっ生しょう懸けん命めい取とり組くみ,言こと葉ばや行おこないで会かい衆しゅうを元げん気きづけます。このように頑がん張ばって働はたらいている長ちょう老ろうたちは,聖せい書しょにある通とおり「人ひと々びとという贈おくり物もの」です。(エフェ 4:8)どうすれば長ちょう老ろうとして奉ほう仕しできるでしょうか。長ちょう老ろうとしての資し格かくは,仕し事ごとに就つくための資し格かくとは違ちがいます。大たい抵てい,世よの中なかでは,求きゅう人じん募ぼ集しゅうされている仕し事ごとのスキルを持もっているなら仕し事ごとに就つくことができます。でも長ちょう老ろうになるためには,伝でん道どうや教おしえるスキルを持もっているだけでは不ふ十じゅう分ぶんです。テモテ第だい一いち 3章しょう1-7節せつとテトス 1章しょう5-9節せつに載のせられている資し格かくを満みたしている必ひつ要ようがあります。塔とう研けん24.11 20ページ1-3節せつ

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