世界を一周 ―「永遠の福音」大会とともに
70日間に世界を一周したクリスチャンの大会 ― そんなことはいままでに一度もありませんでした。エホバの証者の「永遠の福音」大会と共に世界を一周した大会代表者は586人でした。彼らは200のホテルに泊まり,57の航空会社を利用し,約4万1000キロの旅をしました。世界の24の主要都市で,3日から8日にわたって開かれるこの大会と共に世界一周するとはなんという特権でしょう。
この世界一周大会は,1963年6月30日,アメリカのウイスコンシン州ミルウォーキー市で始まり,それからニューヨーク市,ヨーロッパ,中東,極東へと移動し,9月1日から8日まで,カリフォルニア州パサデナのローズ・ボールで行なわれた大会をもって幕を閉じました。
これらの代表者たちを,大会開催諸都市に輸送するのはたいへんな仕事でした。たとえば,4日という短期間に,それまでに見たこともない大きなグループが台湾を訪れ,また去りました。マニラから台湾,日本,韓国に行く世界一周代表者たちを扱ったCATのフィリピン支社支配人B・ヘンソンは,「私はいままでこんなに大きなグループを扱ったことはありません。私の知る限りでは,これがいちばん大きな世界一周グループです」。
なぜ何百人もの人が「福音大会」と一緒に世界を一周したのでしょう。またこのほかに494名もの人々がやはり大会と共にパレスチナまで旅行したのはなぜでしょう。それは,神のことばである聖書と,すでに設立されている神の御国とを中心にしたこの大会から,霊的祝福がゆたかに与えられたからです。この大会について特筆すべきことはたくさんありますが,なかでも著しいのは,この特別号の「ものみの塔」に掲載されている,「神が全地の王となる時」という公開講演でこれは広く宣伝されました。全世界で,合計57万932人という大群衆が,この心を動かす話を聞くために「永遠の福音」大会に集まり,豊かな報いを受けました。
霊的報いは大
しかしこの公開講演は,大会で与えられた多くの霊的祝福の一つにすぎません。たとえば,ニューヨーク市での大会の公開講演のまえにも,多くの霊的な益が得られました。そのいくつかをあげてみましょう。
7月7日日曜日,ヤンキー野球場で行なわれた大会の初日に,ものみの塔協会の副会長F・W・フランズは,「世界 ― 神のわざの行なわれる畑」という題の講演を行ないました。非常に啓発的なこの話の中でフランズは,聖書の「世」と訳されているギリシャ語の意味について話し,そのギリシャ語「コスモス」が三つの異なった意味に用いられていることを示しました。(1)「周囲の体制物事の秩序。人間はその中で生まれ,生存する」。その例はヨハネ伝 12章25節。(2)ヨハネ伝 17章9節の場合のように,「クリスチャン会衆を含まぬ人類の集団で,クリスチャン会衆に反対するもの」。(そして)(3)ヨハネ伝 3章16節の場合のように,「人々そのもの。一つの家族としての人類全体。地球上の全人類」。
これについで翌日も多くの霊的祝福が与えられました。たとえば,ものみの塔協会のノア会長によって行なわれた,「永遠の福音」大会の基調をなす講演「『終りの時』に対する永遠の福音」などがそれです。黙示録 14章に基づいたこの講演で会長は,神の御国の誕生,および人類の敵に対する神の報復にかんする「喜びのおとずれ」が,1919年以降に聞かれるようになったことを示しました。そしてその話の終りに当り,喜びにあふれた5万8524人の聴衆のまえで,二つの聖書,すなわち1961年に改訂された「新世訳」のポケット版,および,6巻に分かれていた大きな活字の,もとの「新世訳」を1巻に収めたものを発表しました。大会出席者たちはとびつくようにしてこの二つの聖書を求めました。
火曜日,出席者たちは再び,「正義の新しい世に対する希望をもって生活する」という題の会長の講演を聞きました。クリスチャンは,神のことばである聖書にしるされた正しい行為の標準に一致して生活しなければならぬことを,会長は強調しました。またこの話が終るころ会長は,「正義の新しい世に対する希望をもって生活する」と題する,64頁の英語とスペイン語の小冊子を発表しました。これは神への献身を目標にする人にとっては,非常によい研究資料です。
6ヵ国語に訳された新世界訳
水曜日には,F・W・フランズの「解放を告げる使者」というすばらしい講演がありました。ハルマゲドンまえに,大いなるバビロンがなぜ崩壊しなければならぬか,その理由がこの講演によって明らかにされました。その主要な理由は,バビロン的宗教の崩壊まえに,宗教的解放がなければならぬ,ということにあります。同じ日に会長は,「聖書を配布することの重要性」について話し,「クリスチャン・ギリシャ語聖書の新世訳」を,イタリア語,オランダ語,フランス語,ドイツ語,ポルトガル語,スペイン語の6ヵ国語で出版することを発表して,6万2956人の聴衆を湧き立たせました。どの言葉の聖書も,わずか50セント(約180円)の寄付で求められる,ということを講演者が発表したとき,万雷の拍手が起りました。
この発表ののち,ノア会長は,イタリア語を話すいく人かの大会出席者に,イタリア語の翻訳についての感想を求めました。「ブラボ! ブラビシモ!」。その聖書の立派な索引を目にしたときそのうちのひとりが叫びました。イタリア語を話す代表者たちは,イタリア語の聖書が非常に高価なため,5000万のイタリア人にとって,またリビア,ソマリア,スイスに住む多くの人々にとって,この「新世訳」はほんとうに貴重なものになるだろう,と述べました。オランダ語を話す代表者たちも,「新世訳」のオランダ語版について感想を述べました。神の御名エホバがギリシャ語聖書に用いられていること,またこの翻訳された聖書がオランダ,北部ベルギー,スリナム,オランダ領アンチル諸島で広く用いられるであろうことに大きな喜びを表わしました。フランス語を話す代表者たちも,その翻訳のすぐれた特徴について述べ,この聖書が,フランス,ベルギー,スイス,フランス領ギアナ,カナダ,および他の多くの場所で,人々にどんなにか益することだろう,と語りました。ドイツ語を話す代表者は,協会が25万冊の新世訳聖書を印刷したこと,そのために全世界にいる8500万のドイツ語を話す人々を援助できることを喜びました。「これはエホバの証者にとって,ドイツ人がかつて持っていた聖書に対する関心をもう一度呼びさます非常によい機会です」と代表者のひとりは語りました。ポルトガル語を話す代表者たちは,翻訳された聖書を見て驚嘆し,そのうちのひとりはこう言いました。「世界中のポルトガル語を話す兄弟たちはこの聖書を得て大喜びするでしょう」。スペイン語を話す代表者たちは,「スペイン語の聖書からだけでも,多くの人が益を得ると思います」と言って,感激していました。会長の話によると,スペイン語を話す人は,世界中に1億6500万人いるということです。そして今後新しいスペイン語の聖書を使うエホバの証者は現在9万4000人います。
木曜日,「『永遠の福音』の本は益をもたらす」という題の会長の講演はさらに多くの霊の良きものをもたらしました。聖書は,「すべての国民,すべての種族,そしてどんな言葉を話す人々にとっても,『永遠の福音』を告げる本である」ことを会長は強調し,「聖書の福音は,『永遠』の福音であるゆえに,今日においても依然よいおとずれです。この福音が価値を失うことは決してありません」と述べました。そして聖書がテモテ後書 3章16節に述べているとおり,いかに,「人を教え,戒め,正しくし,義に導く」のに有益であるか,例をあげて説明しました。この話の終りに,ノア会長は,「聖書はみな神の感動によるものにして益あり」という新しい本を発表して,6万6295人の聴衆を驚かせました。わずか1ドルの寄付で聴衆に提供された,「ものみの塔」誌と同じ大きさのこの本は,78章から成り,うち66章は,聖書の各本の詳細な研究になっています。各章の最初の部分ではその本の背景が取り上げられ,次にその本の内容の要約,そして最後に「なぜ有益か」という部分がつづいて,読者にその本の大きな価値を示しています。大会出席者たちはよろこんでこの本を求め,聖書にかんする豊富な資料に目を見はりました。
金曜日にも多くの有益な講演が行なわれました。W・A・ビベンズによる「弟子となし,バプテスマを施しなさい」という話もその一つでした。この講演のあと,ニューヨーク大会に出席していた2251名が,エホバ神に対する献身の象徴としてバプテスマを受けました。全世界では,合計1万6267名がバプテスマを受けました。
決議が世界中で採択された
ヤンキー野球場での土曜日は重要な日でした。参会者たちは,土曜日の午後に重要なプログラムがあるので,みな席についているように,と前もって知らされていました。協会の副会長F・W・フランズは,「なぜ私たちは全部決議に参加すべきか」説明したのち,ノア会長に決議の提出を求めました。そしてこの決議は,ニューヨーク市に集まった8万4890名の大会出席者によって採択されました。
この決議は,次のことをとくに強調しました。すなわちエホバの証者は,エホバを真の神と認めていること,聖書は記録されたエホバのことばであること,エホバ神は宇宙の主権者であること,人々と諸国家は,神のメシヤの国の主権に服さず,国連を設置したこと,諸国民はその政治的偶像を崇拝しているが,エホバの証者はそれを崇拝しないこと,などです。また,多くの過激な政府がつくられましたが,「私たちは,命の源なる神の証者として,クリスチャンらしく確固たる態度を保ち,そのような過激な運動に参加せず,地上にあるどんな過激政府,また他の型の政府に対しても,クリスチャンの中立を固く守る」こともこの決議によって示されました。諸国民は目に見えぬ悪い霊者によってハルマゲドンに導かれていても,「私たちは彼らと共にハルマゲドンに向かって行進しない。私たちは全能の神とその御国に敵対して戦うことを拒否する」,ということも強調され,エホバの証者は,神のメシヤの御国に関する『永遠の福音』をすべての人々に伝えつづける,ということが決議されました。
決議の採択についで,ノア会長は,「偽りの宗教に対する神の裁きの執行」という題で講演を行ないました。この講演で強調された点は,聖書はただ一つの宗教を教えていること,偽宗教の源は悪魔であること,それは古代都市バビロンで始まり,エホバ神に反対したニムロデによってその基礎が置かれたことなどでした。バベルの塔を建てていた者たちの言葉が乱されたのち,人々はバビロンの偽りの宗教的観念を携えて全地に広がっていました。黙示録に出てくる神秘的な大いなるバビロンの正体が明らかにされました。大いなるバビロンは,いわゆるキリスト教にせよ異教にせよ,バビロンの宗教に根ざした偽りの宗教の世界帝国を象徴するものです。すでに何万という人々がこの大いなるバビロンを捨て,いま神の御国を伝道していることをノア会長が発表した時,万雷の拍手が湧き起りました。そうです,去る4月に,194ヵ国で102万8986人が伝道したのです!
新しい本に歓呼する
「『大いなるバビロンは倒れ』神の国は支配す」という新しい本が発表されるにおよんで,会長の話は最高潮に達しました。会長の説明によると,704頁のこの本は,二つの本を1冊にしたようなものです。前半では古代バビロンが取上げられて,それがヘブル語聖書中にはどのように出現し,神の民とどんな関係にあったかが説明されています。そして後半では,黙示録の14章から22章までの各節が説明されています。8万4890名のニューヨーク大会出席者は大きな喜びに満されました。彼らはただ喜ぶだけでなく歓呼したのです。ひとりの出席者はそれをこのように表現しました。「この本こそ私が何年も待ち望んでいたものです!」。出席者たちは,75セントの寄付でさっそくその本を求め,心をおどらせながら読みはじめました。協会が発行した本で,この「『大いなるバビロンは倒れ』神の国は支配す」ほど聴衆を歓喜させた本はない,と多くの出席者は考えたほどです。
日曜日は,ヤンキー野球場とニュー・ロックランド・パレス ― ここでは8日間のスペイン語の大会が行なわれた ― の最高潮の日でした。「神が全地の王となるとき」という公開講演が行なわれるので,この日は広く宣伝されていました。その宣伝には242万枚の招待ビラが配布され,2万500枚のポスターが市内の地下鉄やバスにはられました。日曜日は一日中雨が降ったり止んだりの天気でしたが,ヤンキー野球場は,公開講演を聞く人たちであふれました。雨にもかかわらず,10万7483人がこの集会に出席したと発表されたときはほんとうに驚きました。しかしそれはうれしい驚きでした。
出席者たちは,会長の閉会の言葉を待ちかまえていました。彼らはこの話を楽しみにしていたのです。というのは,この話できっと将来の良いニュースが発表される,と気づいていたからです。確かにその通りでした! ノア兄弟は,1966年から67年にかけて,西半球で顕著な大会を,またヨーロッパ,アジア,アフリカで大きな大会を開く計画が進行中であることを発表したのです。ニューフォンドランド,カナダ,メキシコ,ペルー,チリから来ていた兄弟たちは,大会開催予定地に自分の国が含まれているのを聞いて歓呼しました。特にラテンアメリカの代表たちは,北アメリカの兄弟たちに対するノア兄弟のすすめを聞いてさっそく行動を起し,南の方へ来るように兄弟たちを招待していました。
ミルウォーキーの記録的群衆
ニューヨーク大会のプログラムは,霊的報いにかんする限り,全世界で開かれた大会の典型となるものでした。しかしどの大会にもそれぞれ異なった特色がありました。ウイスコンシン州ミルウォーキーで開かれた大会 ― 世界一周大会の最初は,土地の多くの新聞の好評を得ました。たとえば,1963年7月6日付のミルウォーキー・スター紙は次のように伝えました。「ミルウォーキー市はいま,48州と12ヵ国から来た約5万のエホバの証者を迎えている。彼らはいま1963年度の世界一周大会を開催中である。これはたしかにわが町の名誉である。……この町が現在迎え入れているエホバの証者の中には黒人もたくさんいる。というのはこれは,世界史上最も人種差別をしない宗教の一つだからである。黒人は証者の組織のあらゆる部門で奉仕している。ミルウォーキー・スターは,深い尊敬の念をもってエホバの証者,および全人類の益のために彼らが従事している仕事に対し,賞賛をおくるものである。……われわれはすべての読者に告げる。もしあなたが,ミルウォーキー・カウンティー・スタジアムで開かれている大会のいずれかのプログラムに出席できたら,あなたはそこで実際の自由 ― 生きた自由を目撃していることを忘れないでいただきたい」。
ミルウォーキーの多くの市民は,「神が全地の王となるとき」という講演のビラによる招待に応じました。公開講演を聞きに集まった群衆はたいへんな数にのぼり,1963年7月8日付のミルウォーキー・ジャーナルが次のように報道したほどです。「日曜日の午後,スタジアムの記録は再び破られ,5万7055人がエホバの証者の大会最後のプログラムに出席した。そしてハルマゲドンの戦争の生存者を待ち受ける地上の楽園についての講演を聞いた」。
エホバの証者の世界一周大会は,ミルウォーキーからニューヨークに移動したのち,英国のロンドンにやってきました。大会と共に世界を一周していた代表者たちはジェット機でヨーロッパに来ましたが,その途上,時間を賢明に用いて「バビロン」の本を読む彼らの姿がよく見かけられました。バビロンの崩壊は大会出席者たちの話題になりました。早くひとりだけになってこのすばらしい本を精読したい,という人がたくさんいました。
ロンドン,ストックホルム,ミュンヘン,ミラノ
ツイッケナムの大会場であるラグビー・ユニオン・グランドに到着した時,大会出席者たちは,見なれぬもの,つまりスタジアムの近くの駐車場が小さな町に変っているのを見ました。そこには244のテントが張られ,大会中8日間各テントに24人が宿泊しました。これらのテントは,町名もつけられた区画に秩序正しく張られ,まるで小さな町のようでした。
公開講演の行なわれた7月21日の日曜日には,空はあおく晴れ渡り,スタジアムには5万111人の群衆があふれていました。
出席者たちはまたこの機会を利用して大英博物館を訪れ,聖書を研究する者にとって興味ぶかい多くの物を見学しました。会期中毎朝この博物館の見学が行なわれましたが,ここを見学した大会出席者の数は7000名近くにのぼります。彼らは有名なシナイ聖書写本,アレクサンドリン聖書写本,またバビロンの崩壊が西暦前539年であることを示すナボニダス年代記を見ました。
ロンドンの大会と日を同じくして,スウェーデンのストックホルムでも大会が開かれていました。ここでは,ほとんどの講演が,デンマーク語,ノルウェー語,フィンランド語,スウェーデン語の4ヵ国語に翻訳されました。他の言葉に妨げられないよう,各セクションの拡声器は,方向をよく考慮して設置されていました。芝生のまん中には,四つ葉のクローバーの形をした演壇が設けられ,その四つの「葉」から行なわれる講演を,北欧の四つの国から出席した人々は,それぞれ自国語で同時に聞くことができました。協会の副会長F・W・フランズの励ましを与える公開講演を聞いた2万5160名のうちには,ストックホルム地区から集まった推定3000名の善意者も含まれていました。
世界一周大会は次にミュンヘンとミラノに移り,両市で同時に開催されました。ミュンヘンの公開講演では,聴衆が10万人に達するものと予想されていました。ところがその予想を上回って,出席者は10万7164名になりました。ニューヨークの時よりも319名少ないだけです。ミュンヘンには,10万人を収容するだけのホールはないので,証者たちは広大なテレジーン牧場を,露天御国会館に仕立てなければなりませんでした。
イタリアのミラノで開かれた大会にとって,7月24日の水曜日は喜ばしい日でした。この日に会長は6ヵ国語の「新世訳」を発表したのです。そのうちの四つは,大会で使われた言葉だったので,出席したほとんど全部の人が新世訳を手に入れることができ,喜びと満足を味いました。この希望を与える講演は,それぞれ自国語で話を聞いた9864人のイタリア人,8454人のフランス人,1444人のスペイン人,754人のポルトガル人,合計2万5016人の聴衆に喜びをもたらしました。そのうちの約4000人は,招待に応じて講演を聞きにきたミラノの人々だったようです。
ミラノにいる間,世最一周大会参加者たちは,他の都市でしたと同じように,同市の人々に「永遠の福音」を伝道しました。彼らはかつて一度も証者の訪問を受けたことのない人々と話す機会がありました。日本人のある姉妹の証者の話によると,ひとりのイタリア人の主婦は,この証者が彼女に神の御国の福音を伝えるため,はるばる東洋からやってきたと聞いたとき,彼女を抱きかかえてキスしました。これは,日本人の証者と一緒にいたイタリア人の奉仕者が,神の真理を説明するよい機会となりました。
予定によると大会は,ミラノとミュンヘンからギリシャのアテネに移動し,7月30日に1日の大会を開くことになっていました アテネの警察署は,証者に大会開催の許可を与えていたのですが,1400人ばかりの大会出席者たちがアテネに集まる二,三日まえ,政府は許可を取り下げて大会を禁止しました。ギリシャ政府は,ギリシャ正教会の牧師の要求 ― 彼らは大会を禁止するようくりかえし要求していた ― に屈服して,自らの体面を傷つけたのです。けれどもその禁止もギリシャの証者たちの熱意をそいだ様子はなく,大会と共に旅行中の多くの証者がアテネに来て,二,三日彼らと共に過ごしたことを感謝していました。
証者たちは時間を賢明に用いて,古代のコリントや,アクロポリス,マルスの丘など,聖書にゆかりのふかい場所を訪ねました。マルスの丘に立った時,彼らは感激しました。使徒パウロはここに立って,真の神を知らなかったアテネの権力者たちに向い,使徒行伝 17章22節から31節までの言葉を語ったのです。丘の一方の斜面には以前,段々の坂道があって,自然の階段式さじきになっていました。そして人々はそこに集まって景色をながめたり,演説を聞いたのです。
さて大会参加者たちは,ギリシャを去って空路レバンノンのベイルートに向かいました。ここでは証者の大会は許可されていませんでしたが,御国会館で集まることは許されていました。それで世界一周大会と共に旅行していた証者のいく人かは,ことに協会本部から来ていた講演者たちは,予定に従って多くの御国会館で講演をしました。ですからレバノンの証者たちは,大会の主要な講演を聞いたわけです。「神が全地の王となるとき」という公開講演はあちこちの御国会館で行なわれ,合計914名がそれを聞きました。
レバノンにいるあいだ,大会参加者たちは,あの名高いレバノンの香柏を見にいく機会がありました。香柏の小さな森に着くまでは曲がりくねった山道で,そこを行くのはかなりの冒険でした。香柏はずんぐりと太く,高さは15メートルから24メートルくらいです。いまの香柏は,何世紀も前の香柏ほど大きくはないようです。しかし,レバノンの香柏の木陰に座して,おべんとうを食べながら,雪をいただいたヘルモン山をながめるなど,大会代表者たちにとってはほんとうにうれしいことでした。これらのものを実際に目で見たのですから,これからは,聖書に出てくる場所の様子がいっそうよく理解できるというものです。
聖地を訪ねて
世界一周大会参加者たちが次に訪問するところはヨルダンのエルサレムです。ヨルダンでは大会は予定されていませんでしたが,大会参加者たちはエルサレムを見ることを心から望み,神の御子が歩まれた地,そして使徒たちが御国の伝道を行なった地の土を踏むことを願っていたので,そこの訪問は有益でした。多くの証者にとってそれは,世界一周旅行の最も興味ある部分でした。彼らを驚かせたのは,聖地の地形の変化が激しいことでした。ある人は,小高い丘の起伏する土地を予想していたのですがそうではなく,実に山の多い所です。エルサレムからベッヘレムまたはベタニヤまで行くには,曲りくねった山道を下り,また同じような道を登らねばなりません。
大会参加者たちは,エルサレムの写真をたくさんとりました。キデロンの谷の向うにはゲッセマネの園が見えました。いまはそのほんの一部が残っているだけで,他の部分には二つの大きな教会が建っています。大会参加者たちは,初期クリスチャンたちの活動を心に描きながら,ふかい興味をもって地形を勉強しました。彼らはヨルダン川と死海にも行きました。死海は海面下396メートルのところにあります。少し元気をつけようと,旅行中の大会参加者のいく人かが死海の海辺まで行って水の中を歩いてみましたが,水は生ぬるいというよりも熱いくらいで,とても気分をせいせいさせるようなものではありませんでした。
インド,ビルマそしてタイ国
ヨルダンからレバノンに戻った世界一周大会の旅行者たちは,次にインドのデリーにやってきました。583名の旅行者は全員,政府直営のアショカ・ホテルに泊まりました。これはインドご自慢のホテルです。大会の開かれた場所も立派な所で,これまたインドご自慢の印象的なホール・ビグヤン・バーバン(知識の家)でした。各いすには物を書くための机とイヤホーンが設けてあります。イヤホーンにはセレクター・スイッチがついているので,演壇からの話に加えて,四つの言葉のうちのどれにでもスイッチを合わせることができます。会場の半分は,カナラ語,マラヤラム語,タミル語,ウルドゥーヒンディー語で話を聞くインド代表で占められました。公開講演の出席者数は,インドの証者がいままでに経験したことのない最高数に達し,1296名が,「神が全地の王となるとき」を聞いて心から喜びました。
次に「永遠の福音」大会は,ビルマのラングーン,タイ国のバンコクに移動し,8月8日から11日まで,両国で同時に開かれました。ラングーンでの公開講演は,土曜日の午後6時から行なわれました。講演の始まる1時間前に,大雨が町を襲ったので,記録的数の聴衆は見込み薄のように思われました。にもかかわらず,出席者は徐々にふえ,ついに603名に達しました。バンコクでは,公開講演出席者は961名にのぼり,うち200名は新しく興味をもった人々でした。
北のルート
タイ国から世界一周大会は北と南の二つのルートに分かれました。北回りの大会参加者たちは次に香港に行きました。ここでは8月13日に大会が開かれました。公開講演には土地の中国人の兄弟と善意者が多数 ― 合計1180名 ― 出席し,中国人の通訳を通して行なわれた協会会長の胸おどらす講演を熱心に聞きました。
香港から大会はフィリピンのマニラに移りました。ここの証者たちは,公開講演の宣伝に5000枚のプラカード,50万枚の招待ビラ,5万枚のポスター,2000枚のバスにはるポスター,46枚のジープにはるポスター,32の掲示板を使いました。この大会では聴衆が,タガログ語,セブービサヤン語,イロカノ語で話を聞けるよう準備がされていました。日曜日午後の公開講演には,スタジアムを埋めた3万7806人の大群衆の上に太陽が明るく輝いていました。スタジアムのある職員は,「何年もここで働いていますが,スタジアムが満員になったのを見るのはこれが始めてです」と言いました。
次は台湾の寿豊です。ここでの世界一周大会は一風変った場所で行なわれました。それは,台湾特有の水々しい青葉におおわれた山のふもとにある公立学校の運動場で,神の御国が全地を楽園にする時のことについて学ぶには理想的な場所でした。公開講演は中国語で行なわれ,土地のアミ語に訳されました。そして1566名の聴衆がその講演を聞きました。
次の「永遠の福音」大会は,3500のお寺のある仏教的伝統のゆたかな京都市で開かれました。ここでも旅行中の証者たちは,他の大会開催都市でしたと同じく,戸別伝道に参加し,市内を見学しました。そして神社や仏閣で,キリスト教国でも使われている,バビロンに起源をもつ崇拝の付属物 ― 聖水,香,ろうそく,じゆず,像,後光のさした「聖人」,「地獄」の絵 ― が仏教の中にもはいっているのを見ました。
大会は日本から韓国の京城に移りました。世界一周大会参加者たちは韓国に到着したとき,自分の氏名と国名が韓国語で書かれている大会バッジを渡されました。ですから韓国人ならだれでもすぐに読め,その代表がどの国からきたか,何を代表しているか直ぐにわかりました。この大会は,韓国における新世社会の歴史上最大の出来事となりました。大会は美しい市の公会堂で開かれ,ノア兄弟の講演には,場外にあふれ出た1042名を含めて8975名という記録的な群衆が集まりました。
南回り
世界一周大会参加者のうち,463人は北に回りましたが,120人は大会と共に南回りを選びました。タイ国の次はシンガポールです。彼らはここで中国人街を見学し,「地獄の金」など宗教に関係のある興味ぶかい物をたくさん見ました。地獄の金とは,信者が燃やすもので,それによって火の燃える地獄にいる親族や友人が助かると考えられているものです。シンガポールでの公開講演には560名が出席し,この地で行なわれた最大の神権的な大会となりました。次の大会開催都市であるインドネシアのバンドンでもやはり出席者は記録的な数にのぼり,公開講演には752名が集まりました。そのまえの公開講演出席者の最高数は451人でした。
インドネシアから「永遠の福音」大会はオーストラリアのメルボルンに移りました。この大会の最高潮の日について,1963年8月31日号のオーストラリアの雑誌「ザ・ブルテン」は次のように描写しました。「メルボルンですばらしい大会がいくつか開かれたことがある。……しかしエホバの証者の『永遠の福音』大会のような大会はなかったように思う。……時間は午後7時45分になろうとしていた。重要な時,すなわち大会の最高潮が訪れた。ニューヨークのブルックリンから来た,ものみの塔協会の副会長F・W・フランズ兄弟は,『神が全地の王になるとき』という講演を行なうことになっていた。1万2000以上の群衆が巨大な観覧席にあふれ,その光景はちょっと信じられないほどであった。……羊のおりのなかの1万2000人は,永遠の福音に万雷の拍手を送った」。実際の出席者数は,ドイツ語,ギリシャ語,イタリア語で聞いた人々をも含めて1万3142名でした。
世界一周大会は次にニュージーランドのオークランドに行きました。エホバの証者が「永遠の福音」大会のためにニュージーランド最大の劇場を借りた,ということを耳にした多くの人は,「そんなことは聞いたこともない」とか「どうやって借りたのですか」と言いました。5日間の宗教的大会のために映画を休むなど,前例のないことだったのです。ところがその劇場もこの大会には小さすぎました。それで群衆を収容するために,2000人分の席のあるオークランド公会堂がシビック劇場と共に用いられました。この二つの建物は目抜通りにあるため,ニユージーランド史上最大の宗教的大会を開くには絶好の場所でした。公開講演の日に二つの会場は6005人の聴衆でぎっしり埋まりました。
オークランド大会中も,他の場合と同じく,世界一周大会参加者たちは時間をさいて野外に出,オークランドの人々に福音を伝道しました。家の人の多くは,世界一周旅行をしている人が,見物する時間をさいて神の国を述べ伝えているので驚きました。オークランドの人々は,エホバの証者の振舞からもよい印象を受けました。たとえばシビック劇場の支配人は,「あなたがたほどよく組織され,行儀のよい人々は見たことがありません」と言いました。
次の大会はフィジー諸島のスバです。ここでの「永遠の福音」大会のプログラムは,英語,フランス語,サモア語,フィジー語の四つの言葉で行なわれ,代表たちは西サモア,アメリカ・サモア,タヒチ,トンガ,ニウエ,ニューカレドニア,ニューヘブライズ等17の島からきていました。世界一周旅行者たちはここで,この島独特のおいしい土地料理をごちそうになり,また太平洋諸島の人々の商業化されていない純粋のもてなしを受けました。公開講演の始まる半時間前,聴衆は,土地の衣服を身につけたサモア人とフィジー人の合唱団による御国の歌を楽しみました。そして1080人という記録的群衆が,希望を与える公開講演を聞きました。
ハワイそしてパサデナ
次の大会開催地であるハワイのホノルルでは,北回りと南回りの大会参加者が再び一緒になり,それに加えてアメリカ,カナダ,アラスカから1200名の代表が,ワイキキ・シェルで行なわれる大会にきました。ワイキキ・シェルは,ダイアモンドヘッドのふもとにある野外競技場で,ワイキキの浜から2区画ほど離れたところにあります。シェルの背景は美しいココヤシの木です。この理想的な環境の中で会長は,6189名の聴衆に,「神が全地の王となるとき」という音信を伝えました。それはかってハワイ諸島で行なわれたどの団体の大会よりも大きいものでした。また,公開講演がテレビで放送されたのもこれが初めてでした。聴視者は推定6万人から10万人で,ハワイ諸島全域におよびました。
南部カリフォルニア州パサデナの有名なローズ・ボールで開かれた8日間の大会と共に,世界一周大会は最後に来ました。初日の午後までには,8万543名の大会参加者たちが,英語を話す代表はローズ・ボールに,スペイン語を話す代表たちは隣接した野球場に集まりました。アメリカ各地から,また他の国々から来た彼らは,まる8日間,全世界の兄弟たちがすでに楽しんだ同じ霊の食物にあずかりました。そして土曜日の朝2496名の新しい奉仕者たちがバプテスマを受けた時,彼らはたいへんよろこびました。しかしその翌日,公開講演にもっと多くの友だちが集まって,出席者が11万8447名に増加したとき,その喜びはいっそう大きくなりました。
もう一つ大会参加者たちを感激させたものは,非常な成功のうちに終わった各大会について行なわれた3時間半のノア兄弟の説明でした。会長は,エホバの祝福によって,あらゆる国の人々の大群衆がエホバの組織に集められていることを強調しました。71日間の世界一週大会に1万6267名の新しい奉仕者がバプテスマを受け,57万932名が集まって公開講演を聞いたのです!
ですからノア兄弟は,献身したクリスチャンの大聴衆に向かい,エホバ神がご自身の組織に集めておられる羊のような人々の世話をよくして,自分の責任を全うするように激励しました。またノア兄弟は,宣教者の精神にならうように彼らを励ましました。各大会をとおして805名の宣教者が出席していました。将来の大会の計画をあらまし述べたのち,ノア兄弟は,エホバの組織に固くつき従うようにとの心のこもったすすめをもって,世界一周大会の幕を閉じました。
世界一周旅行と直接関係のなかった都市でも大会の開かれたところがありました。115名が公開講演を聞いたイスラエルのハイフア,702名が「神が全地の王となるとき」を聞いて歓喜したキプロス島のニコシアでの大会などがそれです。すべての詳細な事柄については,間もなく出版される,写真のたくさんのった200ページの大会報告に説明されているでしょう。
たしかに全世界の多数の人はこの叙事詩的な「永遠の福音」大会の益を楽しみました。また世界を一周した大会参加者にとって,新世社会が全世界に拡大しているありさまを見るのはすばらしいことでした。多くの人が神の真理を知りました。彼らは大いなるバビロンの束縛から解放されたことを心から喜んでいます。そして「永遠の福音」にあずかってエホバに賛美をささげ,楽しい生活を送っています。
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全世界で44万4374人が決議を採択しました。このニューヨーク市のヤンキー野球場では,8万4890人が決議を採択しました。
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世界一周大会参加者は,旅行中,宗教にゆかりのふかい場所を訪問しました。代表のひとりがエルサレムの写真をとっているところ。
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世界一周大会参加者は行く先々で「永遠の福音」を伝道しました。この写真では,タイ国のバンコクで,通訳を通じシャム語の「ものみの塔」を提供しています。