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  • 塔研18 01月号 27–31ページ
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  • 神に仕える人と仕えない人はどのように異なっていますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
塔研18 01月号 27–31ページ
母親と娘が口論している。母親と娘が一緒に楽しく働いている。

神かみに仕つかえる人ひとと仕つかえない人ひとはどのように異ことなっていますか

「あなた方がたは必かならず,義ぎなる者ものと邪じゃ悪あくな者もの……との相そう違いを……見みるであろう」。マラ 3:18

歌うた: 61,53

どのように答こたえますか

  • どうすれば自じ分ぶんに対たいしてバランスの取とれた見み方かたができますか。

  • 他たの人ひとにどのように接せっするべきですか。

  • どうすれば新あたらしい人じん格かくを身みに着つけられますか。

1,2. 今こん日にち,神かみの民たみはどんな難むずかしい状じょう況きょうに置おかれていますか。(冒ぼう頭とうの写しゃ真しんを参さん照しょう。)

医い師しや看かん護ご師しが伝でん染せん病びょうの患かん者じゃの治ち療りょうに当あたることがあります。患かん者じゃを助たすけるため献けん身しん的てきに働はたらきます。でも,自じ分ぶんが感かん染せんしないよう注ちゅう意いしなければなりません。わたしたちも,神かみに喜よろこばれない態たい度どや特とく質しつにいわば感かん染せんした人ひとたちの中なかで生せい活かつし,活かつ動どうしています。それで,そのような態たい度どに感かん染せんしないよう気きをつけなければなりません。

2 終おわりの日ひの今いま,世せ界かいは道どう徳とく的てきに退たい廃はいしています。テモテ第だい二にの手て紙がみには,神かみに仕つかえていない人ひと々びとの特とく徴ちょうが記しるされています。人ひと々びとのそのような行こう動どうや態たい度どは,今こん後ごますます広ひろまっていくことでしょう。(テモテ第だい二に 3:1-5,13を読よむ。)わたしたちはそれを見みて本ほん当とうにひどいと感かんじます。でも注ちゅう意いしないと,自じ分ぶんがそのような行こう動どうや態たい度どの影えい響きょうを受うけてしまうことがあります。(箴しん 13:20)この記き事じでは,終おわりの日ひに多おおくの人ひとが示しめす特とく質しつが,神かみの民たみが示しめす特とく質しつとどれほど異ことなっているかを考かんがえます。エホバを知しるよう人ひと々びとを助たすけるわたしたちが,神かみに喜よろこばれない態たい度どに感かん染せんしないためにどうしたらよいかも学まなびます。

3. テモテ第だい二に 3章しょう2-5節せつに挙あげられている態たい度どや特とく質しつを示しめすのはだれですか。

3 パウロは「終おわりの日ひ」が「対たい処しょしにくい危き機きの時じ代だい」になると述のべ,多おおくの人ひとが示しめす19の態たい度どや特とく質しつを挙あげています。似にた記き述じゅつはローマ 1章しょう29-31節せつにもありますが,テモテ第だい二にの手て紙がみの記き述じゅつには,クリスチャン・ギリシャ語ご聖せい書しょの他たの箇か所しょでは使つかわれていない言こと葉ばが用もちいられています。パウロは「人ひと々びとは」と書かいていますが,すべての人ひとがそのような特とく質しつを示しめしているわけではありません。クリスチャンは全まったく異ことなる特とく質しつを示しめしています。(マラキ 3:18を読よむ。)

自じ分ぶんに対たいする見み方かた

4. 誇ほこりのために思おもい上あがる人ひととはどんな人ひとですか。

4 パウロは,自じ分ぶんやお金かねを愛あいする者ものについて述のべた後のち,人ひと々びとがうぬぼれる者もの,ごう慢まんな者もの,誇ほこりのために思おもい上あがる者ものになるとも述のべています。そのような人ひとは,自じ分ぶんの能のう力りょくや外がい見けんや富とみや立たち場ばのゆえに優ゆう越えつ感かんを抱いだくかもしれません。称しょう賛さんされ尊そん敬けいされることを強つよく願ねがっています。ある学がく者しゃは誇ほこり高たかい人ひとについて,「心こころの中なかに小ちいさな祭さい壇だんがあり,自じ分ぶん自じ身しんに身みをかがめる」と述のべています。過か度どの誇ほこりは非ひ常じょうに不ふ快かいなもので,誇ほこり高たかい人ひとでさえ他たの人ひとがそのような誇ほこりを示しめすと不ふ快かいに感かんじる,と言いう人ひとたちもいます。

5. 忠ちゅう実じつな人ひとでさえ誇ほこりに負まけることがあります。例れいを挙あげてください。

5 エホバは誇ほこりを不ふ快かいに思おもわれます。「高たかぶる目め」を憎にくまれるのです。(箴しん 6:16,17)誇ほこりは神かみに近ちかづく妨さまたげとなります。(詩し 10:4)誇ほこりは悪あく魔まの示しめす特とく質しつです。(テモ一いち 3:6)残ざん念ねんなことに,神かみの忠ちゅう節せつな僕しもべの中なかにも誇ほこりに感かん染せんしてしまった人ひとがいます。ユダの王おうウジヤは長なが年ねん忠ちゅう実じつに歩あゆんでいました。「ところが,彼かれが強つよくなるや,その心こころは滅ほろびをもたらすほどにごう慢まんになったので,彼かれはその神かみエホバに対たいして不ふ忠ちゅう実じつなことをし,エホバの神しん殿でんに入はいって香こうの祭さい壇だんの上うえで香こうをたこうとし[まし]た」。ヒゼキヤ王おうも一いち時じ的てきとはいえ,ごう慢まんになりました。(代だい二に 26:16; 32:25,26)

6. ダビデが誇ほこりを抱いだいても不ふ思し議ぎではなかったのはなぜですか。謙けん遜そんさを保たもてたのはなぜですか。

6 外がい見けん,人にん気き,音おん楽がくの才さい能のう,体たい力りょく,立たち場ばのゆえに誇ほこりを抱いだく人ひともいます。ダビデはそのすべてを兼かね備そなえていましたが,生しょう涯がい,謙けん遜そんさを保たもちました。ゴリアテを殺ころした後のち,サウル王おうから娘むすめを妻つまにするよう勧すすめられましたが,こう言いいました。「私わたくしは何なに者ものなのでしょう。私わたくしの親しん族ぞく,私わたくしの父ちちの一いち族ぞくもイスラエルでは何なに者ものなのでしょう。私わたくしが王おうの婿むこになるなどとは」。(サム一いち 18:18)ダビデが謙けん遜そんさを保たもてたのはなぜでしょうか。ダビデが優すぐれた特とく質しつや能のう力りょくや特とっ権けんを持もっていたのは,神かみが「ご自じ分ぶんを低ひくくして」つまり謙けん遜そんさを示しめして,注ちゅう意いを向むけてくださったからです。(詩し 113:5-8)ダビデは,自じ分ぶんの持もつ良よいものがすべてエホバから与あたえられたものであることを知しっていました。(コリント第だい一いち 4:7と比ひ較かく。)

7. 謙けん遜そんであるために,どんな点てんを思おもいに留とめるべきですか。

7 今こん日にち,エホバの民たみはダビデのように謙けん遜そんであるよう努ど力りょくしています。わたしたちは,宇う宙ちゅうで最もっとも偉い大だいな方かたエホバが謙けん遜そんであることに心こころを打うたれます。(詩し 18:35)次つぎの助じょ言げんを当あてはめたいと思おもっています。「優やさしい同どう情じょう心しん,親しん切せつ,へりくだった思おもい,温おん和わ,そして辛しん抱ぼう強づよさを身みに着つけなさい」。(コロ 3:12)また,愛あいは「自じ慢まんせず,思おもい上あが」りません。(コリ一いち 13:4)わたしたちが謙けん遜そんであれば,人ひと々びとはエホバに引ひき寄よせられるかもしれません。夫おっとが妻つまの良よい行おこないによって,エホバに引ひき寄よせられるのと同おなじです。(ペテ一いち 3:1,2)

他たの人ひとへの接せっし方かた

8. (イ)今こん日にち,親おやへの不ふ従じゅう順じゅんはどう見みられていますか。(ロ)聖せい書しょは子こどもにどんな命めい令れいを与あたえていますか。

8 パウロは,終おわりの日ひの人ひと々びとが互たがいにどのように接せっするかを述のべています。子こどもは親おやに不ふ従じゅう順じゅんになります。そのような態たい度どは,本ほんや映えい画がやテレビなどで当とう然ぜんのことのように扱あつかわれ,勧すすめられることさえあります。しかし,親おやへの不ふ従じゅう順じゅんは,社しゃ会かいの最もっとも重じゅう要ような単たん位いである家か族ぞくの安あん定てい性せいを脅おびやかします。人ひと々びとは昔むかしからそのことを理り解かいしていました。興きょう味み深ぶかいことに,古こ代だいギリシャでは,親おやを殴なぐる子こどもは市し民みん権けんを失うしないました。ローマ法ほうのもとでは,父ちち親おやを殴なぐることは殺さつ人じんと同おなじほど重じゅう大だいな罪つみでした。ヘブライ語ご聖せい書しょもクリスチャン・ギリシャ語ご聖せい書しょも,親おやを敬うやまうよう命めいじています。(出しゅつ 20:12。エフェ 6:1-3)

9. どうすれば,子こどもは親おやに心こころから従したがうことができますか。

9 どうすれば子こどもは周しゅう囲いの人ひと々びとの不ふ従じゅう順じゅんな態たい度どに感かん染せんしないですむでしょうか。親おやが自じ分ぶんのためにしてくれたことをよく考かんがえるなら,感かん謝しゃの気き持もちがわき,親おやに従したがいたいと思おもうでしょう。わたしたちすべての父ちちエホバが親おやへの従じゅう順じゅんを求もとめておられる,ということも忘わすれてはなりません。友とも達だちに親おやの良よい点てんを話はなすなら,その友とも達だちも親おやに敬けい意いを持もつようになるでしょう。中なかには自し然ぜんの情じょう愛あいを持もたない親おやもいます。そのような親おやに心こころから従したがうのは難むずかしいかもしれません。他た方ほう,親おやが子こどもに純じゅん粋すいな愛あいを示しめすなら,子こどもはあまり気きが進すすまない時ときにも親おやに従したがうよう努ど力りょくすることでしょう。オースティンはこう言いいます。「自じ分ぶんの好すきなようにしたいと思おもうこともよくありましたが,親おやは無む理りのない決きまりを設もうけ,理り由ゆうも説せつ明めいしてくれました。ぼくの気き持もちもよく聞きいてくれました。気き遣づかってくれていることが伝つたわってきたので,親おやに従したがい,親おやを喜よろこばせたいと思おもいました」。

10,11. (イ)多おおくの人ひとは愛あいの欠かけたどんな態たい度どを示しめしていますか。(ロ)クリスチャンはどのように愛あいを示しめしますか。

10 パウロは,愛あいの欠かけた態たい度どや行こう動どうについてさらに述のべています。「親おやに不ふ従じゅう順じゅんな者もの」の次つぎに感かん謝しゃしない者ものが挙あげられているのは適てき切せつなことです。感かん謝しゃしない人ひとは,他たの人ひとがしてくれたことを何なんとも思おもわないからです。人ひと々びとは忠ちゅう節せつでない者ものともなります。容よう易いに合ごう意いせず,他たの人ひとと和わ解かいしようとしません。冒ぼうとくする者ものや裏うら切ぎる者ものともなり,他たの人ひとや神かみをののしったり侮ぶ辱じょくしたりします。中ちゅう傷しょうする者ものもいます。これは,他たの人ひとの良よい評ひょう判ばんを損そこなうために悪あく意いのあることを言いう人ひとのことです。a

11 今こん日にち,多おおくの人ひとは愛あいの欠かけた態たい度どを示しめしていますが,エホバを崇すう拝はいする人ひとたちは他たの人ひとに純じゅん粋すいな愛あいを抱いだいています。エホバの民たみは昔むかしからずっとそうでした。イエスは,モーセの律りっ法ぽうの中なかで神かみを愛あいすることに次ついで大たい切せつなおきては隣りん人じんを愛あいすることである,と言いいました。いずれもギリシャ語ごでアガペーと呼よばれる愛あいです。(マタ 22:37-39)互たがいを愛あいすることは真しんのクリスチャンを見み分わけるしるしであるとも述のべました。(ヨハネ 13:34,35を読よむ。)クリスチャンは敵てきでさえ愛あいします。(マタ 5:43,44)

12. イエスはどのように人ひと々びとに愛あいを表あらわしましたか。

12 イエスは人ひと々びとに深ふかい愛あいを示しめしました。都と市しから都と市しへ旅たびして,神かみの王おう国こくの良よいたよりを伝つたえました。目めの見みえない人ひと,足あしの悪わるい人ひと,重おもい皮ひ膚ふ病びょうの人ひと,耳みみの聞きこえない人ひとをいやし,死し人にんを復ふっ活かつさせました。(ルカ 7:22)多おおくの人ひとから憎にくまれましたが,人じん類るいのために命いのちをなげうつことさえしました。イエスは父ちちエホバの愛あいを完かん全ぜんな仕し方かたで表あらわしました。エホバの証しょう人にんは神かみとイエスに倣ならい,世せ界かい中じゅうで愛あいを示しめしています。

13. わたしたちが愛あいを示しめすなら,人ひと々びとはどのようにエホバに引ひき寄よせられますか。

13 わたしたちが愛あいを示しめすなら,人ひと々びとは天てんの父ちちに引ひき寄よせられます。例たとえば,タイのある男だん性せいは,地ち区く大たい会かいで兄きょう弟だいたちが互たがいに愛あいを示しめす様よう子すを見みて感かん銘めいを受うけました。家いえに帰かえると,聖せい書しょレッスンを週しゅうに2回かい受うけたいと申もうし出でました。家か族ぞくや親しん族ぞくに学まなんだことを伝つたえ,大たい会かいのわずか6か月げつ後ごには,初はじめての聖せい書しょ朗ろう読どくの割わり当あてを果はたしました。わたしたちは,他たの人ひとにどれほど愛あいを示しめしているかを確たしかめるため,こう自じ問もんできます。「家か族ぞくや会かい衆しゅうの兄きょう弟だい姉し妹まい,宣せん教きょうで会あう人ひとたちを助たすけるため,できる限かぎり努ど力りょくしているだろうか。エホバがご覧らんになるような仕し方かたで他たの人ひとを見みるよう努つとめているだろうか」。

おおかみと子こ羊ひつじ

14,15. 多おおくの人ひとはどんな動どう物ぶつ的てきな性せい質しつを示しめしていますか。ある人ひとたちはどのように変へん化かしましたか。

14 終おわりの日ひには他たの悪わるい態たい度ども見みられます。どれもクリスチャンが避さけなければならないものです。例たとえば,神かみを信しんじない人ひとは,善ぜん良りょうさを愛あいさない者ものとなります。幾いくつかの聖せい書しょ翻ほん訳やくでは,「善ぜんを憎にくむ者もの」とか「良よいことすべてを嫌きらう者もの」と訳やくされています。また,自じ制せい心しんのない者ものや粗そ暴ぼうな者ものともなります。中なかには,片かた意い地じな者ものもいます。ギリシャ語ごでは衝しょう動どう的てきで無む謀ぼうな者ものという意い味みもあります。

15 以い前ぜんに動どう物ぶつ的てきな性せい質しつを示しめしていた多おおくの人ひとは,良よい変へん化かを遂とげました。この大おおきな変へん化かについて美うつくしく描びょう写しゃした聖せい書しょ預よ言げんがあります。(イザヤ 11:6,7を読よむ。)おおかみやライオンなどの野や獣じゅうが,子こ羊ひつじや子こ牛うしなどの家か畜ちくと共ともに平へい和わに暮くらすことが記しるされています。このような平へい穏おんな状じょう態たいが見みられるのは,「地ち[が]必かならずエホバについての知ち識しきで満みちるから」です。(イザ 11:9)動どう物ぶつがエホバについて学まなぶことはないので,この預よ言げんは象しょう徴ちょう的てきな意い味みで人にん間げんに成じょう就じゅします。

ある男性が女性のハンドバッグを奪い取っている。聖書を研究している。新しい人格を身に着け,年配の姉妹を助けている。

聖書は人の生き方を大きく変える。(16節を参照。)

16. 多おおくの人ひとは聖せい書しょを学まなんでどのように新あたらしい人じん格かくを身みに着つけましたか。

16 かつてはおおかみのように粗そ暴ぼうだった人ひとが,今いまでは他たの人ひとたちと平へい和わに暮くらしています。jw.orgの「聖せい書しょは人ひとの生いき方かたを変かえる」というシリーズ記き事じには,そのような経けい験けんが載のせられています。エホバを知しり,エホバに仕つかえるようになった人ひとたちは,敬けい虔けんな専せん心しんという形かたちを取とりながらその力ちからにおいて実じっ質しつのない者ものではありません。形かたちだけの崇すう拝はいで行こう動どうが伴ともなっていない,ということはないのです。以い前ぜんは粗そ暴ぼうだった人ひとも,「神かみのご意い志しにそいつつ真しんの義ぎと忠ちゅう節せつのうちに創そう造ぞうされた新あたらしい人じん格かくを着つけ」ています。(エフェ 4:23,24)人ひと々びとは神かみについて学まなぶと,神かみの規き準じゅんに従したがう必ひつ要ようがあることに気きづきます。そして,自じ分ぶんの考かんがえや態たい度どや行こう動どうを変へん化かさせます。もちろん,そのような変へん化かを遂とげることは簡かん単たんではありません。でも,神かみのご意い志しを行おこないたいと誠せい実じつに願ねがう人ひとは,聖せい霊れいの助たすけによって変へん化かすることができます。

「こうした人ひと々びとからは離はなれなさい」

17. 神かみに仕つかえていない人ひと々びとの影えい響きょうを受うけないようにするため,どんな努ど力りょくが求もとめられますか。

17 神かみに仕つかえている人ひと々びとと仕つかえていない人ひと々びとの違ちがいはますます明あきらかになっています。わたしたちは,神かみに仕つかえていない人ひと々びとの悪わるい態たい度どの影えい響きょうを受うけないよう注ちゅう意いしなければなりません。パウロはテモテ第だい二に 3章しょう2-5節せつで様さま々ざまな悪わるい態たい度どを示しめす人ひと々びとについて述のべた後のち,そうした人ひと々びとから離はなれなさいと命めいじています。もちろん,そのような人ひと々びとを完かん全ぜんに避さけることはできません。職しょく場ばや学がっ校こうで接せっすることもあれば,一いっ緒しょに生せい活かつしていることもあります。でも,そうした人ひとたちの考かんがえ方かたや行こう動どうに倣ならってはなりません。どんなことが助たすけになるでしょうか。エホバとの強つよい関かん係けいを保たもつことです。そのためには,聖せい書しょをよく学まなび,神かみに仕つかえる人ひとを友ともにする必ひつ要ようがあります。

18. わたしたちの言げん動どうによって,他たの人ひとはどのようにエホバに引ひき寄よせられますか。

18 わたしたちは,エホバを知しるよう人ひと々びとを助たすけたいとも願ねがっています。ですから,他たの人ひとに真しん理りを伝つたえる機き会かいを探さがしてください。適てき切せつな時ときに適てき切せつなことを話はなせるよう,エホバに助たすけを祈いのり求もとめてください。自じ分ぶんがエホバの証しょう人にんであることを周まわりの人ひとたちに伝つたえてください。そうすれば,良よい行おこないをする時とき,自じ分ぶんにではなくエホバに栄えい光こうをもたらすことができます。わたしたちは「不ふ敬けい虔けんと世よの欲よく望ぼうとを振ふり捨すてるべきこと,また現げん存そんする事じ物ぶつの体たい制せいにあって健けん全ぜんな思おもいと義ぎと敬けい虔けんな専せん心しんとをもって生せい活かつすべきことを」教おしえられています。(テト 2:11-14)神かみに喜よろこばれる行こう動どうをするなら,わたしたちを見みる人ひとたちはこう言いうかもしれません。「わたしたちはあなた方がたと共ともに行ゆきます。神かみがあなた方がたと共ともにおられることを聞きいたからです」。(ゼカ 8:23)

a ギリシャ語ごの「中ちゅう傷しょうする者もの」や「訴うったえる者もの」に当あたる言こと葉ばはディアボロスであり,聖せい書しょの中なかで,神かみを中ちゅう傷しょうする邪じゃ悪あくな者ものサタンの称しょう号ごうとして使つかわれています。

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