聖書研究者たちは,助け合うことによって兄弟愛を示しました。次の経験から分かる通り,「苦難の時に頼れる」勇敢な友となったのです。(格 17:17)
1921年5月31日火曜日,後にタルサ人種虐殺として知られるようになった事件が,米国オクラホマ州タルサで起きました。黒人男性が拘束され,白人女性を暴行したという容疑を掛けられたことがきっかけでした。1000人以上の白人男性と,黒人男性の小さなグループが衝突し,その暴動は黒人が多く住むグリーンウッド地区にすぐに広がりました。そして,1400軒以上の家や商店などが略奪され,火を付けられました。公式の記録によれば,死者は36人ですが,実際には数百人が命を落としたかもしれません。
聖書研究者のリチャード・J・ヒル兄弟は黒人で,グリーンウッドに住んでいました。当時のことについてこう述べています。「暴動が起きた夜,私たちはいつものように集会を開いていました。集会が終わった後,市の中心部から銃声が聞こえてきました。床に就く頃になっても,その音は鳴りやみませんでした」。6月1日水曜日の朝,状況はさらに悪くなっていました。兄弟はこう続けます。「人々がやって来て,『命を守りたければ,今すぐコンベンション・ホールに行け』と言いました」。それで,ヒル兄弟は妻と5人の子供たちを連れて,タルサのコンベンション・ホールに逃げました。そこには黒人が3000人ほどいて,事態を落ち着かせるために派遣された国家警備隊がその人たちを守っていました。
同じ頃,白人のアーサー・クラウス兄弟は勇気ある決定をしました。こう言います。「暴徒たちがグリーンウッド中を荒らし回って,略奪したり家に火を付けたりしていると聞いて,私は親友のヒル兄弟がどうしているか確かめに行くことにしました」。
クラウス兄弟がヒル兄弟の家に着くと,そこにはライフルを持った近所の白人男性も来ていました。この男性は,ヒル兄弟の友達でした。クラウス兄弟のことを暴徒の1人だと思って,「お前は何をしにここに来たんだ」と叫びました。
クラウス兄弟はこう言います。「下手な返事をしていたら,撃たれていたことでしょう。私は,自分がヒル兄弟の友達で,この家にこれまで何度も来たことがあるということを何とか分かってもらいました」。クラウス兄弟とこの男性は,ヒル兄弟の家や持ち物を暴徒から守ることができました。
その後,間もなく,クラウス兄弟はヒル兄弟と家族がコンベンション・ホールにいることを知りました。そして,黒人がそこから出るためには責任者であるバレット司令官のサインが入った書類が必要であると知らされました。クラウス兄弟はこう言います。「司令官に会うのはとても大変なことでした。司令官に,ヒル兄弟の家族をコンベンション・ホールから連れ出したいと伝えると,司令官から,『君がこの家族を守って世話するというのだね』と尋ねられました。それで私は,『もちろんです』と答えました」。
クラウス兄弟は書類を手にコンベンション・ホールに急ぎました。兄弟は係官にその書類を見せました。するとその人は驚いて,こう言いました。「司令官のサインが入ってるじゃないか。ここから誰かを連れていけるのは,あなたが初めてですよ」。間もなくクラウス兄弟は,ヒル兄弟と家族を見つけることができました。そして,皆でクラウス兄弟の車に乗り込み,家に向かいました。
クラウス兄弟は,ヒル兄弟と家族が安全に過ごせるようにしました。クラウス兄弟が勇敢に兄弟愛を示したことは,周囲の人たちに感銘を与えました。兄弟はこう述べています。「ヒル兄弟の家を一緒に守ってくれた近所の人は,以前よりも真理に対して好意的になりました。そして,大勢の人が神の王国に関心を持つようになりました。それは,神に献身した人たちの間では,人種の壁がなく,皆が平等であることを知ったからです」。