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ルカものみの塔出版物索引 1986-2024
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23:43 洞-1 779-780; 洞-2 563-564,676-677; 塔研22.12 8-9; 塔研21.04 9; 塔研19.07 30; 塔研18.12 5-7; イ道 299,314,316; 塔14 6/1 10; 塔13 3/1 9; 塔13 6/1 14-15; 塔10 12/1 25; 塔09 8/15 10-11; 目 08/2 11; 目 06/2 8; 学ぶ 188-190; 目00 2/22 8-9; 目97 4/8 8-9; 知 8-9; 塔94 4/1 6; 塔94 6/15 6-7; 塔91 3/1 27; 塔91 6/1 8; 塔91 10/15 29-30; 偉 133章; 楽 170-171; 目90 9/8 23; 塔89 8/15 7,10-11,14; 論 424-426; 鑑87 122; 目86 8/22 19-20; 目86 10/8 26-27
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ルカものみの塔出版物索引 1951-1985
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23:43 塔84 1/15 3-7; 塔84 2/15 4; 塔84 3/15 30; 目82 2/8 10; 塔81 1/15 8; 目79 11/8 26-28; 人 26-27; 政 165-166; 聖 176; 塔76 15; 救 92; 秘 127; 良 151; 塔75 85; 誇 152; 一 28; 塔74 198,574; 千 31; 目74 10/8 15; 目73 8/22 9; 塔72 9; 教 180; 塔70 269,326; 塔66 453; 事 386; 塔65 236,403; 塔63 9; 塔62 10,388,423; 失 229; 目60 7/8 17; 塔59 184,190; 塔58 346; 遠 275; 目58 2/8 4; 塔57 213; 目57 10/8 15; 天 344; 塔51 51
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ルカ 注釈 23章新世界訳聖書 (スタディー版)
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今日あなたに言います。: 入手できるギリシャ語聖書の最初期の写本のギリシャ語は大文字だけで書かれている。今日の多くの言語で使われているスペースや句読点などはなかった。写本家の中には句読点のような記号を加える人もいたが,そうした記号が使われることは少なく一貫してもいなかった。それで現代の聖書翻訳の句読点は,ギリシャ語の文法と各節の文脈に基づいている。この節の場合,ギリシャ語の文法では,カンマを打つ位置によってイエスのせりふの意味は以下の2通りの理解ができる。(1)「今日あなたに言います。あなたは私と共にパラダイスにいることになります」,(2)「あなたに言います。今日あなたは私と共にパラダイスにいることになります」。どちらになるかは,イエスが言った事の意味を翻訳者がどう理解するか,聖書が全体として何を教えているかによって決まる。ウェストコット・ホート,ネストレ・アーラント,聖書協会世界連盟などによるギリシャ語本文の学術版は,「今日」と訳されるギリシャ語の前にカンマが打ってあり,(2)の理解になる。しかし,「今日」の後にカンマを打つ方が,イエスがこれ以前に述べたことや聖書が他の箇所で教えていることと一致する。例えば,イエスは自分が死んで3日目まで「墓の中に」いると述べた。(マタ 12:40。マル 10:34)また弟子たちに,自分が殺されて3日目に生き返ると何度か述べた。(ルカ 9:22; 18:33)さらに,聖書はイエスが「死の眠りに就いた人たちの中で最初に」復活した方で,40日後に天に昇ったことを記している。(コ一 15:20。ヨハ 20:17。使徒 1:1-3,9。コロ 1:18)イエスが復活したのは,死んだ日ではなく死んでから3日目だった。それで明らかに,犯罪者はイエスが話したその日にイエスと共にパラダイスにいることはできなかった。
この論議と一致しているのは,シリア語クレトニア写本として知られる,ルカの記述の5世紀のシリア語訳で,以下のように訳している。「アーメン,われ今日なんじに言う,われと共になんじはエデンの園におらん」。(F・C・バーキット,「4福音書のクレトニア訳」,第1巻,ケンブリッジ,1904年)さらに注目すべき点として,初期と後代のギリシャ語の著述家と注釈者たちは,この部分の訳し方について意見の相違があることを示していた。例えば,4世紀から5世紀のエルサレムのヘシキウスは,ルカ 23:43についてこう書いている。「以下のように読む人たちもいる。『今日あなたに言います』。そしてカンマを入れ,こう続ける。『あなたは私と共にパラダイスにいることになります』」。(「ギリシャ教父全集」[Patrologiae Graecae],第93巻,第1432-1433欄にあるギリシャ語文。)11世紀から12世紀のテオフュラクトスは,「『今日』の後に句読点を打つ」よう主張する人たちについて書いた。「その場合,次のように言う。『今日あなたに言います』。それから,『あなたは私と共にパラダイスにいることになります』という表現を続ける」。(「ギリシャ教父全集」,第123巻,第1104欄。)G.M.ラムサは,「福音の光 イエスの教えに関するアラム語と古来の東洋的慣習に基づく解説」(英語)の303-304ページで,ルカ 23:43の「今日」の用法について述べている。「この文章では『今日』という言葉が強調されており,『今日あなたに言います。あなたは私と共にパラダイスにいることになります』と訳すべきである。イエスの約束はその日に行われ,あとで実現することになっていた。これは,特定の日になされた約束が後日必ず果たされることを示す,オリエントの特徴的な言い方である」。それで,ルカ 23:43のギリシャ語はセム語系の強調の仕方に沿ったものだろう。ヘブライ語聖書には,約束や命令などの厳粛な表現の中で「今日」を含む慣用表現が使われている例がたくさんある。(申 4:26; 6:6; 7:11; 8:1,19; 30:15。ゼカ 9:12)以上の証拠に示されているように,イエスが「今日」という語を使って注目させたかったのは,犯罪者がパラダイスにいる時ではなく,約束がなされた時だった。
ロザハムやラムサ(1933年版)による英訳,ラインハルトやW・ミヒャエーリスによるドイツ語訳など幾つもの翻訳は,約束の実現の時ではなく約束がなされた時を強調するのが正しいということを認めている。これらの翻訳は,その聖句を「新世界訳」の読み方と同様の形に訳している。
パラダイス: 「パラダイス」という語はギリシャ語パラデイソスから来ていて,よく似た語がヘブライ語(パルデース,ネヘ 2:8,伝 2:5,ソロ 4:13に出ている)にもペルシャ語(パイリダエーザ)にもある。この3つの語全ては,美しい公園もしくは公園のような庭園という基本的な考えを伝えている。セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちは,創 2:8の「エデンに庭園」という表現に含まれる「庭園」というヘブライ語(ガン)を訳すのに,ギリシャ語パラデイソスを使った。ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の中には,ルカ 23:43で「あなたは私と共にエデンの園にいることになります」と訳しているものもある。(付録CのJ17,18,22)イエスの隣で杭に掛けられた犯罪者に対するこの約束は,啓 2:7で述べられている「神のパラダイス」にいるという約束ではなかった。啓 2:7の約束は,「征服する人」つまり天の王国におけるキリストの共同統治者に対するものだったから。(ルカ 22:28-30)この犯罪者は,イエス・キリストと共に世を征服する者ではなく,「水と聖なる力によって生まれ」てもいなかった。(ヨハ 3:5; 16:33)この人は,「正しくない人」たちの1人として復活し,キリストが楽園となった地上を1000年間治める時に王国の下で地上に住むと思われる。(使徒 24:15。啓 20:4,6)
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