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  • 塔研19 02月号 20–25ページ
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  • 愛と公正 古代イスラエルにおいて
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2019
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2019
塔研19 02月号 20–25ページ

研究記事9

愛あいと公こう正せい 古こ代だいイスラエルにおいて(シリーズの第だい1部ぶ)

「神かみは義ぎと公こう正せいを愛あいされる方かた。地ちはエホバの愛あいある親しん切せつに満みちている」。詩し編へん 33:5

3番ばんの歌うた 私わたしたちの力ちから,希き望ぼう,確かく信しん

何なにを学まなぶかa

1-2. (ア)わたしたちはどんなことを願ねがっていますか。(イ)エホバはどんなことを願ねがっておられますか。

わたしたちは皆みな,愛あいされたい,公こう正せいな扱あつかいを受うけたいと願ねがっています。しかし,その期き待たいを何なん度ども裏うら切ぎられると,自じ分ぶんには価か値ちがないのだろうかと感かんじ,希き望ぼうを失うしなってしまうかもしれません。

2 エホバは,わたしたちの願ねがいをご存ぞんじです。わたしたちを深ふかく愛あいし,わたしたちが公こう正せいに扱あつかわれることを願ねがっておられます。(詩し 33:5)エホバがモーセを通とおしてイスラエル国こく民みんに与あたえた律りっ法ぽうには,そのような気き持もちが込こめられています。あなたは自じ分ぶんが愛あいされていないと感かんじていますか。不ふ公こう正せいな扱あつかいのために今いまも苦くるしんでいますか。では,モーセの律りっ法ぽうbを調しらべて,エホバがご自じ分ぶんに仕つかえる人ひと々びとをどれほど深ふかく気き遣づかっておられるかを考かんがえましょう。

3. (ア)ローマ 13章しょう8-10節せつにあるとおり,モーセの律りっ法ぽうを学まなぶと,何なにを感かんじ取とれますか。(イ)この記き事じではどんなことを考かんがえますか。

3 モーセの律りっ法ぽうを学まなぶと,エホバ神かみの温あたたかい愛あい情じょうを感かんじ取とれます。(ローマ 13:8-10を読よむ。)この記き事じでは,イスラエル人じんに与あたえられた律りっ法ぽうを幾いくつか取とり上あげ,次つぎの点てんを考かんがえます。律りっ法ぽうは愛あいに基もとづいている,と言いえるのはなぜですか。律りっ法ぽうは人ひと々びとが公こう正せいを行おこなう助たすけになった,と言いえるのはなぜですか。律りっ法ぽうを施し行こうする人ひとたちにはどんなことが求もとめられていましたか。律りっ法ぽうは特とくにどんな人ひとたちを保ほ護ごしましたか。こうした点てんを考かんがえると,慰なぐさめや希き望ぼうを得えることができ,愛あいある父ちちエホバに引ひき寄よせられます。(使し徒と 17:27。ロマ 15:4)

律りっ法ぽうは愛あいに基もとづいている

4. (ア)モーセの律りっ法ぽうは愛あいに基もとづいている,と言いえるのはなぜですか。(イ)マタイ 22章しょう36-40節せつにあるとおり,イエスはどんな命めい令れいを強きょう調ちょうしましたか。

4 モーセの律りっ法ぽうは愛あいに基もとづいていると言いえます。エホバは愛あいを動どう機きとしてすべてのことを行おこなわれるからです。(ヨハ一いち 4:8)律りっ法ぽう全ぜん体たいは2つの基き本ほん的てきな命めい令れいに基もとづいています。神かみを愛あいしなさいという命めい令れいと隣りん人じんを愛あいしなさいという命めい令れいです。(レビ 19:18。申しん 6:5。マタイ 22:36-40を読よむ。)ですから,律りっ法ぽうに含ふくまれる600以い上じょうのおきて一ひとつ一ひとつには,エホバの愛あいが表あらわれているはずです。幾いくつかの例れいに注ちゅう目もくしましょう。

5-6. エホバは,夫ふう婦ふにどんなことを望のぞんでおられますか。どんなことに関かん心しんを持もっておられますか。そのことを示しめすどんな例れいがありますか。

5 配はい偶ぐう者しゃへの忠ちゅう実じつさを保たもち,子こどもを愛あい情じょう深ぶかく世せ話わする。エホバは,夫ふう婦ふが愛あいを育はぐくみ,生しょう涯がい続つづく強つよい絆きずなで結むすばれることを望のぞんでおられます。(創そう 2:24。マタ 19:3-6)姦かん淫いんは,人ひとが犯おかす罪つみの中なかでも特とくに愛あいに欠かけたものです。十じっ戒かいも7番ばん目めのおきてで姦かん淫いんを禁きんじています。(申しん 5:18)姦かん淫いんは「神かみに対たい[する]」罪つみであり,配はい偶ぐう者しゃに大おおきなダメージを与あたえる残ざん酷こくな行こう為いです。(創そう 39:7-9)裏うら切ぎられたという気き持もちは何なん年ねんも何なん十じゅう年ねんも消きえないかもしれません。

6 エホバは,夫おっとと妻つまが互たがいにどう接せっするかに深ふかい関かん心しんを持もっておられます。特とくに,イスラエル人じんの夫おっとが妻つまを親しん切せつに扱あつかうことを願ねがっておられました。律りっ法ぽうに従したがう夫おっとは妻つまに愛あい情じょうを示しめし,ささいな理り由ゆうで離り婚こんすることはありませんでした。(申しん 24:1-4。マタ 19:3,8)しかし,重じゅう大だいな問もん題だいが生しょうじて離り婚こんすることにした場ば合あいには,離り婚こん証しょう書しょを妻つまに渡わたさなければなりませんでした。離り婚こん証しょう書しょがあれば,その女じょ性せいは後のちに不ふ道どう徳とくの罪つみに問とわれることがありませんでした。また,夫おっとは妻つまに離り婚こん証しょう書しょを渡わたす前まえに,都と市しの年ねん長ちょう者しゃたちに相そう談だんしなければならなかったようです。年ねん長ちょう者しゃたちはまず,夫ふう婦ふが離り婚こんせずに済すむよう助たすけたことでしょう。イスラエル人じんの男だん性せいが利り己こ的てきな理り由ゆうで妻つまを離り婚こんした場ば合あいでも,エホバは必かならずしも介かい入にゅうされたわけではありません。とはいえ,エホバはその女じょ性せいの流ながした涙なみだをご覧らんになり,その苦くるしみを自じ分ぶんのことのようにお感かんじになりました。(マラ 2:13-16)

イスラエル人の母親が娘たちと会話しながら,食事の支度をしている。父親が息子に羊の世話の仕方を教えている。

エホバは,子こどもが親おやから優やさしい愛あい情じょうを注そそがれ,よく教おしえられながら,すくすくと育そだつことを望のぞんでおられる。(7-8節を参照。)c

7-8. (ア)エホバは親おやに何なにをするようお命めいじになりましたか。(表ひょう紙しの絵えを参さん照しょう。)(イ)どんな教きょう訓くんを学まなべますか。

7 律りっ法ぽうを調しらべると,エホバが子こどもたちの幸こう福ふくを心こころから願ねがっておられることも分わかります。エホバは親おやに,子こどもの身しん体たい的てきな世せ話わをすることだけでなく,ご自じ分ぶんとの友ゆう情じょうを築きずけるよう子こどもを助たすけることもお命めいじになりました。親おやは子こどもがエホバの律りっ法ぽうを学まなんでエホバを愛あいするよう,あらゆる機き会かいに助たすけなければなりませんでした。(申しん 6:6-9; 7:13)イスラエル人じんがエホバから処しょ罰ばつされた理り由ゆうの一ひとつは,彼かれらが子こどもを残ざん忍にんな仕し方かたで虐ぎゃく待たいしたことです。(エレ 7:31,33)親おやは,子こどもを持もち物ものではなく,エホバから与あたえられた大たい切せつな贈おくり物ものと見みるべきでした。育いく児じ放ほう棄きや虐ぎゃく待たいなど,あってはならないことでした。(詩し 127:3)

8 教きょう訓くん: エホバは,夫おっとと妻つまが互たがいにどう接せっするかに深ふかい関かん心しんを払はらっておられます。また,親おやが子こどもを愛あいすることを願ねがっておられます。子こどもを虐ぎゃく待たいする親おやには責せき任にんを問とわれます。

9-11. エホバが貪どん欲よくを禁きんじる律りっ法ぽうをお与あたえになったのはなぜですか。

9 貪どん欲よくになってはならない。十じっ戒かいの最さい後ごのおきては,貪どん欲よく,つまり他たの人ひとのものをむやみに欲ほしがることを禁きんじています。(申しん 5:21。ロマ 7:7)エホバはこのおきてを与あたえて,大たい切せつなことを教おしえられました。心こころ,つまり考かんがえや感かん情じょうを守まもらなければならない,ということです。エホバは,悪わるい考かんがえが悪わるい行こう動どうにつながることをご存ぞんじです。(箴しん 4:23)悪わるい欲よく望ぼうを心こころの中なかで膨ふくらませたイスラエル人じんは,他たの人ひとを愛あいのない仕し方かたで扱あつかったことでしょう。ダビデ王おうはそのような間ま違ちがいを犯おかしました。普ふ段だんは良よい人ひとでしたが,ある時とき,他たの人ひとの妻つまを欲ほしがり,欲よく望ぼうに駆かられて罪つみを犯おかしました。(ヤコ 1:14,15)姦かん淫いんを犯おかし,相あい手ての女じょ性せいの夫おっとを欺あざむこうとし,最さい後ごには殺ころされるよう仕し向むけました。(サム二に 11:2-4; 12:7-11)

10 エホバは,イスラエル人じんが貪どん欲よくを禁きんじる律りっ法ぽうを破やぶった時とき,すぐそのことに気きづきました。心こころを読よむことができるからです。(代だい一いち 28:9)イスラエル人じんはこの律りっ法ぽうから,悪わるい行こう動どうにつながる考かんがえを抱いだくべきではない,ということを学まなびました。エホバは何なんと賢かしこく,愛あい情じょう深ぶかい神かみなのでしょう。

11 教きょう訓くん: エホバは人ひとの外がい見けん以い上じょうのものをご覧らんになります。内ない面めんつまり心こころを見みることができるのです。(サム一いち 16:7)わたしたちの考かんがえも感かん情じょうも行こう動どうもすべてご存ぞんじです。わたしたちのうちにある良よいものを探さがし,良よいところを伸のばせるようにしてくださいます。それと共ともに,わたしたちが悪わるい行こう動どうをする前まえに,自じ分ぶんの中なかの悪わるい考かんがえを見み分わけて制せい御ぎょすることを望のぞんでおられます。(代だい二に 16:9。マタ 5:27-30)

律りっ法ぽうは公こう正せいを行おこなう助たすけになった

12. モーセの律りっ法ぽうを調しらべると,どんなことも分わかりますか。

12 モーセの律りっ法ぽうを調しらべると,エホバが公こう正せいを愛あいしておられることも分わかります。(詩し 37:28。イザ 61:8)エホバは,人ひと々びとへの公こう正せいな接せっし方かたの点てんで完かん全ぜんな手て本ほんを示しめしておられます。イスラエル人じんは,エホバから与あたえられた律りっ法ぽうに従したがった時ときには祝しゅく福ふくされました。しかし,公こう正せいで義ぎにかなった規き準じゅんを無む視しした時ときには苦くるしみました。十じっ戒かいのおきてをさらに2つ取とり上あげましょう。

13-14. 十じっ戒かいの1番ばん目めと2番ばん目めのおきては,どんなことを命めいじていましたか。それらのおきてに従したがったイスラエル人じんは,どんな恩おん恵けいを受うけましたか。

13 エホバだけを崇すう拝はいする。十じっ戒かいの1番ばん目めと2番ばん目めのおきては,エホバだけを崇すう拝はいし,偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいしないようイスラエル人じんに命めいじています。(出しゅつ 20:3-6)この2つのおきては,エホバではなくイスラエル人じんのためのものでした。人ひと々びとは,エホバに揺ゆるぎない愛あいを示しめした時ときには繁はん栄えいしました。諸しょ国こくの神かみ々がみを崇すう拝はいした時ときには苦くるしみました。

14 カナン人じんについて考かんがえましょう。彼かれらは生いきた真しんの神かみではなく,命いのちのない偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいしていました。その結けっ果か,堕だ落らくしました。(詩し 115:4-8)崇すう拝はいの一いっ環かんとして,汚けがれた性せい行こう為いを行おこない,子こどもを犠ぎ牲せいにするという恐おそろしいことをしました。イスラエル人じんも,エホバを無む視しして偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいするようになった時ときには堕だ落らくし,子こどもを犠ぎ牲せいにしました。(代だい二に 28:1-4)イスラエルの指し導どう者しゃたちは,エホバの公こう正せいな規き準じゅんに従したがいませんでした。権けん力りょくを乱らん用ようして,弱よわい立たち場ばにいる人ひとたちを抑よく圧あつしたのです。(エゼ 34:1-4)エホバはイスラエル人じんに対たいし,無む防ぼう備びな女じょ性せいや子こどもを食くい物ものにする人ひと々びとを処しょ罰ばつすると警けい告こくされました。(申しん 10:17,18; 27:19)他た方ほう,ご自じ分ぶんに揺ゆるぎない愛あいを示しめし,互たがいに公こう正せいな接せっし方かたをする人ひと々びとを祝しゅく福ふくされました。(王おう一いち 10:4-9)

ある姉妹が不公正な扱いを受けたことで,つらい思いをしている。

エホバはわたしたちが不公正に苦しむ時,そのことを知っておられる。(15節を参照。)

15. エホバはどんな方かたですか。どのように行こう動どうされますか。

15 教きょう訓くん: エホバに仕つかえると主しゅ張ちょうしている人ひとがエホバの規き準じゅんを無む視しし,会かい衆しゅうのだれかに害がいを及およぼすとしても,それはエホバのせいではありません。エホバはわたしたちを愛あいしておられます。わたしたちが不ふ公こう正せいに苦くるしむ時とき,そのことをご存ぞんじです。母はは親おやが赤あかちゃんの苦くるしみを感かんじるよりも敏びん感かんに,わたしたちの苦くるしみを感かんじ取とられます。(イザ 49:15)問もん題だいにすぐ介かい入にゅうされるとは限かぎりませんが,他たの人ひとに害がいを及およぼした人ひとが悔くい改あらためないなら,しかるべき時ときにその人ひとの責せき任にんを問とわれます。

律りっ法ぽうはどのように施し行こうされたか

16-18. モーセの律りっ法ぽうには,どんな規き定ていが含ふくまれていましたか。そのことからどんな教きょう訓くんを学まなべますか。

16 モーセの律りっ法ぽうには,イスラエル人じんの生せい活かつ全ぜん般ぱんに関かんする規き定ていが含ふくまれていました。ですから,任にん命めいされた年ねん長ちょう者しゃたちは,人ひと々びとを正ただしく裁さばかなければなりませんでした。エホバの崇すう拝はいに関かんする事こと柄がらを扱あつかうだけではなく,争あらそい事ごとや犯はん罪ざいについて裁さばく責せき任にんもありました。幾いくつかの例れいを考かんがえましょう。

17 イスラエル人じんはだれかを殺ころした場ば合あいでも,直ただちに処しょ刑けいされたわけではありません。都と市しの年ねん長ちょう者しゃたちがまず状じょう況きょうをよく調しらべ,死し刑けいが適てき切せつかどうかを判はん断だんしました。(申しん 19:2-7,11-13)年ねん長ちょう者しゃたちは,所しょ有ゆう物ぶつに関かんするもめごとや夫ふう婦ふ間かんの問もん題だいなど,生せい活かつ上じょうの様さま々ざまな事こと柄がらについても裁さばきを行おこないました。(出しゅつ 21:35。申しん 22:13-19)年ねん長ちょう者しゃたちが問もん題だいを公こう正せいに扱あつかい,人ひと々びとが律りっ法ぽうに従したがう時とき,みんなが幸しあわせになり,エホバの栄えい誉よとなりました。(レビ 20:7,8。イザ 48:17,18)

18 教きょう訓くん: エホバは,わたしたちが行おこなうことすべてに関かん心しんを持もっておられます。わたしたちが他たの人ひとに接せっする時とき,公こう正せいと愛あいを示しめすことを望のぞんでおられます。わたしたちが家いえにいる時ときに言いうことや行おこなうことにも注ちゅう目もくしておられるのです。(ヘブ 4:13)

19-21. (ア)年ねん長ちょう者しゃや裁さばき人びとたちは,人ひと々びとをどのように扱あつかわなければなりませんでしたか。(イ)エホバはどんな予よ防ぼう手しゅ段だんを講こうじられましたか。どんな教きょう訓くんを学まなべますか。

19 エホバは,近きん隣りん諸しょ国こくの悪わるい影えい響きょうからイスラエル人じんを守まもりたいと思おもっておられました。それで,年ねん長ちょう者しゃや裁さばき人びとたちに,律りっ法ぽうを公こう平へいに施し行こうすることを求もとめました。彼かれらは公こう正せいを愛あいするべきであり,人ひと々びとを厳きびしく扱あつかうべきではありませんでした。(申しん 1:13-17; 16:18-20)

20 エホバはご自じ分ぶんに仕つかえる人ひと々びとを深ふかく気き遣づかっておられます。イスラエル人じんが不ふ当とうな扱あつかいを受うけないよう,予よ防ぼう手しゅ段だんとなる律りっ法ぽうをお与あたえになりました。例たとえば,律りっ法ぽうのおかげで,人ひと々びとはむやみに犯はん罪ざいのぬれぎぬを着きせられずに済すみました。訴うったえられた人ひとには,だれが訴うったえているのかを知しる権けん利りがありました。(申しん 19:16-19; 25:1)有ゆう罪ざいとされるためには,少すくなくとも2人ふたりの証しょう人にんの証しょう言げんが必ひつ要ようでした。(申しん 17:6; 19:15)では,ある人ひとが罪つみを犯おかし,目もく撃げき証しょう人にんが1人ひとりしかいない場ば合あいはどうでしたか。その人ひとは処しょ罰ばつを免まぬがれられると考かんがえるべきではありませんでした。エホバがご覧らんになっていたからです。家か庭ていでは父ちち親おやに権けん威いが与あたえられていました。しかし,その権けん威いは無む制せい限げんのものではありませんでした。家か族ぞくの問もん題だいの中なかには,都と市しの年ねん長ちょう者しゃたちが関かん与よし,最さい終しゅう的てきな裁さばきを下くださなければならないものもありました。(申しん 21:18-21)

21 教きょう訓くん: エホバは,完かん全ぜんな手て本ほんを示しめしておられます。決けっして不ふ公こう正せいなことを行おこなわれません。(詩し 89:14)ご自じ分ぶんの規き準じゅんに従したがう忠ちゅう実じつな人ひとを祝しゅく福ふくし,権けん力りょくを乱らん用ようする人ひとを処しょ罰ばつされます。(サム二に 22:21-23。エゼ 9:9,10)邪じゃ悪あくなことを行おこないながら処しょ罰ばつを免まぬがれているように思おもえる人ひとがいるとしても,エホバはふさわしい時ときに必かならずその人ひとを処しょ罰ばつされます。(箴しん 28:13)悔くい改あらためない人ひとは,「生いける神かみの手てに陥おちいるのは恐おそろしいこと」だと思おもい知しるでしょう。(ヘブ 10:30,31)

律りっ法ぽうは特とくにどんな人ひとたちを保ほ護ごしたか

古代イスラエルで,都市の門のところにいる年長者たちが,地元の商人からひどい扱いを受けたやもめとその子どもを親切に助けている。

年長者たちは争い事を解決する際,エホバに倣って人々や公正への愛を示す必要があった。(22節を参照。)d

22-24. (ア)律りっ法ぽうは特とくにどんな人ひとたちを保ほ護ごしましたか。そのことから,エホバについてどんなことを学まなべますか。(イ)出しゅつエジプト記き 22章しょう22-24節せつには,どんな警けい告こくが記しるされていますか。

22 律りっ法ぽうは特とくに,孤こ児じややもめや外がい人じん居きょ留りゅう者しゃなどの弱じゃく者しゃを保ほ護ごしました。イスラエルの裁さばき人びとたちはこう命めいじられていました。「あなたは,外がい人じん居きょ留りゅう者しゃや父ちちなし子ごに対たいする裁さばきを曲まげてはならない。また,やもめの衣ころもを質しちに取とってはならない」。(申しん 24:17)エホバは非ひ常じょうに弱よわい立たち場ばにいる人ひとたちを深ふかく気き遣づかわれました。そして,彼かれらを虐ぎゃく待たいする人ひと々びとの責せき任にんを問とわれました。(出しゅつエジプト記き 22:22-24を読よむ。)

23 律りっ法ぽうは,あらゆる近きん親しん姦かんを禁きんじることにより,家か族ぞくがだれも性せい犯はん罪ざいの被ひ害がいに遭あわないよう保ほ護ごしました。(レビ 18:6-30)イスラエルの近きん隣りん諸しょ国こくの人ひと々びとは近きん親しん姦かんを容よう認にんしていましたが,イスラエル人じんはエホバと同おなじように,そのような行こう為いを忌いまわしいものと見みるべきでした。

24 教きょう訓くん: エホバは,責せき任にんある立たち場ばの人ひとが自じ分ぶんの監かん督とく下かにある人ひとすべてを愛あい情じょう深ぶかく気き遣づかうことを望のぞんでおられます。また性せい犯はん罪ざいを憎にくみ,すべての人ひと,特とくに,非ひ常じょうに弱よわい立たち場ばにある人ひとが保ほ護ごされ,公こう正せいに扱あつかわれることを願ねがっておられます。

律りっ法ぽうは「来きたるべき良よい事こと柄がらの影かげ」

25-26. (ア)愛あいと公こう正せいが密みっ接せつに関かん係けいしていると言いえるのはなぜですか。(イ)このシリーズの次つぎの記き事じでは,どんなことについて考かんがえますか。

25 愛あいと公こう正せいは,呼こ吸きゅうと命いのちのように不ふ可か分ぶんの関かん係けいにあります。愛あいのあるところには公こう正せいがあり,公こう正せいのあるところには愛あいがあるのです。エホバが公こう正せいな方かたであることを知しると,エホバへの愛あいが深ふかまります。エホバとエホバの正ただしい規き準じゅんを愛あいするようになると,他たの人ひとを愛あいしたい,公こう正せいに扱あつかいたいと願ねがうようになります。

26 モーセの律りっ法ぽう契けい約やくは,イスラエル人じんがエホバと親したしい関かん係けいを築きずくうえで役やく立だちました。しかし,イエスが贖あがないの犠ぎ牲せいをささげた後のち,律りっ法ぽうは廃はい止しされ,もっと良よいものが存そん在ざいするようになりました。(ロマ 10:4)使し徒とパウロによると,律りっ法ぽうは「来きたるべき良よい事こと柄がらの影かげ」でした。(ヘブ 10:1)このシリーズの次つぎの記き事じでは,その良よい事こと柄がらを幾いくつか取とり上あげ,愛あいと公こう正せいがクリスチャン会かい衆しゅうで果はたす役やく割わりについて考かんがえます。

モーセの律りっ法ぽうから,次つぎの点てんについてどんなことが分わかりますか

  • イスラエル人じんに対たいするエホバの愛あい

  • 公こう正せいに対たいするエホバの愛あい

  • 弱よわい立たち場ばの人ひとに対たいするエホバの見み方かた

109番ばんの歌うた 心こころから熱ねつ烈れつに愛あいしましょう

a この記き事じは,4つの記き事じから成なるシリーズの第だい1部ぶです。このシリーズでは,エホバがわたしたちを気き遣づかっておられると確かく信しんできる理り由ゆうが取とり上あげられます。他たの3つの記き事じは,「ものみの塔とう」2019年ねん5月がつ号ごうに掲けい載さいされます。それぞれの記き事じでは,クリスチャン会かい衆しゅうで愛あいと公こう正せいがどのように示しめされているか,邪じゃ悪あくな世よにあって会かい衆しゅうを保ほ護ごし,子こどもたちを性せい的てき虐ぎゃく待たいから守まもるにはどうすればよいか,虐ぎゃく待たいの被ひ害がい者しゃをどのように助たすけられるかが取とり上あげられます。

b 語ご句くの説せつ明めい: エホバがモーセを通とおしてイスラエル人じんに与あたえた600以い上じょうの法ほう令れいは「律りっ法ぽう」,「モーセの律りっ法ぽう」,「おきて」などと呼よばれています。聖せい書しょの最さい初しょの5つの書しょ(創そう世せい記きから申しん命めい記きまで)は,しばしば「律りっ法ぽう」と呼よばれます。ヘブライ語ご聖せい書しょ全ぜん体たいを「律りっ法ぽう」と言いうこともあります。

c 写しゃ真しんや挿さし絵え: イスラエル人じんの母はは親おやが娘むすめたちと楽たのしく会かい話わしながら,食しょく事じの支し度たくをしている。向むこうの方ほうでは,父ちち親おやが息子むすこに羊ひつじの世せ話わの仕し方かたを教おしえている。

d 写しゃ真しんや挿さし絵え: 都と市しの門もんのところにいる年ねん長ちょう者しゃたちが,地じ元もとの商しょう人にんからひどい扱あつかいを受うけたやもめとその子こどもを親しん切せつに助たすけている。

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