1-2. 現 げん 代 だい のクリスチャンはロトと同 おな じようにどんな問 もん 題 だい を経 けい 験 けん していますか。
今 いま の世 よ の中 なか の道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん について考 かんが えると,私 わたし たちは正 ただ しい人 ひと ロトと同 おな じような気 き 持 も ちになります。ロトは,お父 とう さんエホバが悪 わる い行 おこな いを嫌 きら っていることを知 し っていたので,「不 ふ 法 ほう な人 ひと 々 びと の恥 はじ 知 し らずな行 おこな いに非 ひ 常 じょう に苦 くる しんでい」ました。(ペテ二 に 2:7,8 )でも,エホバを畏 おそ れ,愛 あい していたので,周 まわ りの人 ひと たちの低 ひく い道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん に染 そ まってしまうことはありませんでした。私 わたし たちもエホバの基 き 準 じゅん を守 まも ろうとしない人 ひと たちに囲 かこ まれて生 せい 活 かつ しています。それでも,エホバを愛 あい し,畏 おそ れているなら,道 どう 徳 とく 的 てき に清 きよ い人 ひと でいることができます。(格 かく 14:2 )
2 エホバは,この点 てん で役 やく 立 だ つアドバイスを「格 かく 言 げん の書 しょ 」に収 おさ めてくださっています。年 ねん 齢 れい や性 せい 別 べつ に関 かん 係 けい なく,全 すべ てのクリスチャンはここから大 たい 切 せつ なことを学 まな べます。
エホバへの 畏 おそ れは 私 わたし たちを 守 まも る
職 しょく 場 ば にいる時 とき ,エホバを愛 あい していない人 ひと と親 した しくなったり良 よ くない誘 さそ いを受 う け入 い れたりしないよう注 ちゅう 意 い する必 ひつ 要 よう がある。(3節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
3. 格 かく 言 げん 17章 しょう 3節 せつ によると,私 わたし たちが心 こころ を守 まも るべきなのはどうしてですか。(写 しゃ 真 しん も参 さん 照 しょう 。)
3 私 わたし たちが心 こころ を守 まも ることはどうして大 たい 切 せつ でしょうか。エホバは心 こころ を調 しら べる方 かた です。人 ひと の見 み えるところではなく,内 ない 面 めん に注 ちゅう 目 もく しています。( 格 かく 言 げん 17:3 を 読 よ む。) 永 えい 遠 えん の命 いのち につながるエホバの教 おし えについていつも考 かんが えている人 ひと は,エホバから愛 あい されます。(ヨハ 4:14 )サタンやサタンの世 せ 界 かい が広 ひろ めている不 ふ 道 どう 徳 とく な行 おこな いやうそに影 えい 響 きょう されてしまうことはありません。(ヨハ一 いち 5:18,19 )エホバのことを身 み 近 ぢか に感 かん じる ようになればなるほど,エホバへの愛 あい や敬 けい 意 い が深 ふか まっていきます。お父 とう さんエホバを悲 かな しませたくないと思 おも うので,罪 つみ を犯 おか すことについて考 かんが えることさえしません。何 なに かの誘 ゆう 惑 わく を受 う けた時 とき には,「これほど愛 あい してくださっているエホバを悲 かな しませることになってもいいのだろうか」と考 かんが えるようにしましょう。(ヨハ一 いち 4:9,10 )
4. ある姉 し 妹 まい にとって,エホバへの畏 おそ れはどのように助 たす けになりましたか。
4 クロアチアのマルタ姉 し 妹 まい は,不 ふ 道 どう 徳 とく なことを行 おこな いそうになったことがありました。 こう書 か いています。「理 り 性 せい 的 てき に考 かんが えるのは大 たい 変 へん でした。間 ま 違 ちが ったことをしたいという気 き 持 も ちに負 ま けそうになりました。でも,エホバへの畏 おそ れの気 き 持 も ちが助 たす けになりました」。どのようにでしょうか。姉 し 妹 まい は,悪 わる い決 けっ 定 てい をしたらどんな結 けっ 果 か になるかをじっくり考 かんが えました。私 わたし たちも同 おな じようにすることができます。エホバをがっかりさせ,エホバに仕 つか え続 つづ けられなくなってしまうとしたら,本 ほん 当 とう に悲 かな しいことではないでしょうか。(創 そう 6:5,6 )
5. レオ兄 きょう 弟 だい の例 れい からどんなことを学 まな べますか。
5 エホバを畏 おそ れているなら,悪 わる い行 おこな いを一 いっ 切 さい 避 さ けるように努 ど 力 りょく します。コンゴ民 みん 主 しゅ 共 きょう 和 わ 国 こく のレオ兄 きょう 弟 だい は,このことの大 たい 切 せつ さを学 まな びました。バプテスマを受 う けた4年 ねん 後 ご ,兄 きょう 弟 だい は悪 わる い友 とも 達 だち と関 かか わるようになりました。自 じ 分 ぶん 自 じ 身 しん が悪 わる いことを行 おこな っていなければ,エホバに罪 つみ を犯 おか していることにはならない,と考 かんが えていました。でもすぐに友 とも 達 だち の悪 わる い影 えい 響 きょう を受 う けて,アルコールにおぼれ,不 ふ 道 どう 徳 とく なことを行 おこな うようになってしまいます。やがて,クリスチャンの親 おや から教 おそ わったことや,以 い 前 ぜん の幸 しあわ せな日 ひ 々 び についてじっくり考 かんが えるようになり,再 ふたた び正 ただ しい考 かんが え方 かた ができるようになりました。そして,長 ちょう 老 ろう たちに助 たす けてもらい,エホバの元 もと に戻 もど ることができました。今 いま では,長 ちょう 老 ろう また特 とく 別 べつ 開 かい 拓 たく 者 しゃ として奉 ほう 仕 し を楽 たの しんでいます。
6. これからどんな2人 ふたり の女 じょ 性 せい について考 かんが えていきますか。
6 では,格 かく 言 げん 9章 しょう を調 しら べてみましょう。その中 なか では,知 ち 恵 え と愚 おろ かさが2人 ふたり の女 じょ 性 せい に例 たと えられています。(ローマ 5:14, ガラテア 4:24 と比 ひ 較 かく 。)サタンの世 せ 界 かい は,性 せい 的 てき な不 ふ 道 どう 徳 とく やポルノであふれています。(エフェ 4:19 )それで,エホバへの畏 おそ れの気 き 持 も ちを強 つよ め,悪 わる いことから離 はな れていることはとても大 たい 切 せつ です。(格 かく 16:6 )男 だん 性 せい であっても女 じょ 性 せい であっても,私 わたし たち全 すべ ては格 かく 言 げん 9章 しょう から大 たい 切 せつ な点 てん を学 まな べます。2人 ふたり の女 じょ 性 せい はどちらも,「分 ふん 別 べつ のない人 ひと たち」を招 しょう 待 たい しています。いわば,「私 わたし の家 いえ に来 き て一 いっ 緒 しょ に食 しょく 事 じ をしましょう」と言 い っているかのようです。(格 かく 9:1,5,6, 13, 16,17 )でも,どちらの家 いえ に行 い くかによって結 けっ 果 か は大 おお きく変 か わってきます。
愚 おろ かな 女 じょ 性 せい の 誘 さそ いを 退 しりぞ ける
「愚 おろ かな女 じょ 性 せい 」の誘 さそ いを受 う け入 い れるなら,悲 ひ 惨 さん な結 けっ 果 か になる。(7節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
7. 格 かく 言 げん 9章 しょう 13-18節 せつ によると,愚 おろ かな女 じょ 性 せい の誘 さそ いに応 おう じる人 ひと はどうなりますか。(挿 さし 絵 え も参 さん 照 しょう 。)
7 「愚 おろ かな女 じょ 性 せい 」の誘 さそ いについて考 かんが えてみましょう。( 格 かく 言 げん 9:13-18 を 読 よ む。) この女 じょ 性 せい は分 ふん 別 べつ のない人 ひと たちに,「こちらに来 き [て]」一 いっ 緒 しょ に楽 たの しむようにと呼 よ び掛 か けています。この誘 さそ いに応 おう じる人 ひと はどんな結 けっ 果 か になるでしょうか。「死 し んだ無 む 力 りょく な人 ひと たちがそこに[いる]」と書 か かれています。「格 かく 言 げん の書 しょ 」の前 まえ の方 ほう の章 しょう でも,似 に たような表 ひょう 現 げん があります。「いかがわし[く]不 ふ 道 どう 徳 とく な女 じょ 性 せい 」について,「彼 かの 女 じょ の家 いえ は死 し へと沈 しず [む]」と書 か かれています。(格 かく 2:11-19 )また,格 かく 言 げん 5章 しょう 3-10節 せつ でも,「いかがわしい女 じょ 性 せい の……足 あし は死 し へと下 くだ る」と警 けい 告 こく されています。
8. 私 わたし たちはどんな選 せん 択 たく をする必 ひつ 要 よう がありますか。
8 「愚 おろ かな女 じょ 性 せい 」の声 こえ が聞 き こえてきたなら,その誘 さそ いに応 おう じるか退 しりぞ けるかを決 き めなければなりません。性 せい 的 てき に不 ふ 道 どう 徳 とく なことをするように誘 ゆう 惑 わく を受 う けたり,ポルノが突 とつ 然 ぜん 目 め に飛 と び込 こ んできたりした時 とき ,私 わたし たちはどうするでしょうか。
9-10. 性 せい 的 てき に不 ふ 道 どう 徳 とく な行 おこな いを避 さ けるべきなのはどうしてですか。
9 性 せい 的 てき に不 ふ 道 どう 徳 とく な行 おこな いを避 さ けるべきなのはどうしてでしょうか。「愚 おろ かな女 じょ 性 せい 」は,「盗 ぬす んだ水 みず は甘 あま [い]」と言 い っています。この「盗 ぬす んだ水 みず 」とは何 なん でしょうか。聖 せい 書 しょ は,夫 ふう 婦 ふ の性 せい 関 かん 係 けい を爽 さわ やかな水 みず に例 たと えています。(格 かく 5:15-18 )正 せい 式 しき に結 けっ 婚 こん した夫 ふう 婦 ふ だけが性 せい 的 てき な親 しん 密 みつ さを楽 たの しむことができます。しかし,「盗 ぬす んだ水 みず 」はそれとは全 まった く違 ちが い ます。これは正 ただ しくない性 せい 関 かん 係 けい を指 さ しているようで,多 おお くの場 ば 合 あい 隠 かく れて行 おこな われます。泥 どろ 棒 ぼう が人 ひと 目 め を避 さ けて家 いえ に忍 しの び込 こ むのとよく似 に ています。誰 だれ にも気 き 付 づ かれていないと思 おも っているなら,「盗 ぬす んだ水 みず 」は甘 あま く感 かん じるかもしれません。でも実 じっ 際 さい には,エホバが全 すべ てを見 み ています。エホバに嫌 きら われてしまうとしたら,それ以 い 上 じょう に悲 かな しいことはありません。とても大 おお きなものを失 うしな うことになるのです。(コリ一 いち 6:9,10 )考 かんが えるべき点 てん はほかにもあります。
10 性 せい 的 てき に不 ふ 道 どう 徳 とく なことを行 おこな うなら,恥 は ずかしい気 き 持 も ちや自 じ 分 ぶん には価 か 値 ち がないという気 き 持 も ちになるかもしれません。望 のぞ まないのに妊 にん 娠 しん したり,家 か 庭 てい が崩 ほう 壊 かい したりすることもあります。命 いのち に関 かか わる病 びょう 気 き になることさえあるでしょう。(格 かく 7:23,26 )格 かく 言 げん 9章 しょう 18節 せつ の最 さい 後 ご には,「彼 かの 女 じょ の客 きゃく が墓 はか の底 そこ にいる」とあります。ですから,愚 おろ かな女 じょ 性 せい の「家 いえ 」に行 い かないのは本 ほん 当 とう に賢 かしこ いことです。では,大 おお 勢 ぜい の人 ひと が悲 ひ 劇 げき をもたらすこの誘 さそ いに応 おう じてしまうのはどうしてでしょうか。(格 かく 9:13-18 )
11. ポルノがとても有 ゆう 害 がい なのはどうしてですか。
11 多 おお くの人 ひと はポルノのわなにはまっています。ポルノは無 む 害 がい だと考 かんが える人 ひと もいますが,実 じっ 際 さい には有 ゆう 害 がい です。自 じ 分 ぶん や他 た の人 ひと の尊 そん 厳 げん を傷 きず つけます。中 ちゅう 毒 どく 性 せい があるので,見 み るのをやめるのはかなり大 たい 変 へん です。不 ふ 道 どう 徳 とく な画 が 像 ぞう は頭 あたま に残 のこ り,なかなか消 け すことができません。さらに,ポルノは間 ま 違 ちが った欲 よく 望 ぼう を膨 ふく れ上 あ がらせてしまいます。(コロ 3:5。 ヤコ 1:14,15 )実 じっ 際 さい ,ポルノを見 み る多 おお くの人 ひと が不 ふ 道 どう 徳 とく なことを行 おこな うようになっています。
12. 不 ふ 道 どう 徳 とく な欲 よく 望 ぼう を湧 わ き上 あ がらせないために,どんなことができますか。
12 クリスチャンである私 わたし たちは,ポルノが目 め に飛 と び込 こ んできたならどうすべきでしょうか。すぐに目 め を背 そむ けるべきです。エホバとの友 ゆう 情 じょう が一 いち 番 ばん 大 だい 事 じ だということをいつも意 い 識 しき しているなら,こうしたきっぱりとした行 こう 動 どう を取 と ることができます。一 いっ 般 ぱん 的 てき にはポルノと考 かんが えられていない画 が 像 ぞう であっても,不 ふ 道 どう 徳 とく な欲 よく 望 ぼう を湧 わ き上 あ がらせる場 ば 合 あい があります。そうしたものも避 さ けるべきなのはどうしてでしょうか。たとえ小 ちい さなことであっても,心 こころ の中 なか で姦 かん 淫 いん を犯 おか すことにつながるようなことはしたくない,と思 おも っているからです。(マタ 5:28,29 )タイで長 ちょう 老 ろう として奉 ほう 仕 し しているデービッド兄 きょう 弟 だい はこう言 い います。「『これはポルノではないかもしれないけれど,見 み 続 つづ けるならエホバは喜 よろこ ぶだろうか』と考 かんが えるようにしています。そうすることで,良 よ い決 けっ 定 てい ができています」。
13. 賢 かしこ く行 こう 動 どう するためには何 なに が必 ひつ 要 よう ですか。
13 エホバを悲 かな しませたくないという気 き 持 も ちがあるなら,賢 かしこ く行 こう 動 どう することができます。聖 せい 書 しょ に,「知 ち 恵 え はエホバへの畏 おそ れから始 はじ まる」と書 か かれている通 とお りです。(格 かく 9:10 )この点 てん は,格 かく 言 げん 9章 しょう の初 はじ めの方 ほう で説 せつ 明 めい されています。そこでは,「真 しん の知 ち 恵 え 」が別 べつ の女 じょ 性 せい として描 えが かれています。
賢 かしこ い 女 じょ 性 せい の 招 しょう 待 たい を 受 う け 入 い れる
14. 格 かく 言 げん 9章 しょう 1-6節 せつ には,どんな招 しょう 待 たい について書 か かれていますか。
14 格 かく 言 げん 9:1-6 を 読 よ む。 これは,創 そう 造 ぞう 者 しゃ であり全 すべ ての知 ち 恵 え の源 みなもと である,エホバからの招 しょう 待 たい です。(格 かく 2:6。ロマ 16:27 )ここに出 で てくる家 いえ は,7本 ほん も柱 はしら がある大 おお きな家 いえ です。ここから,エホバが惜 お しみなく与 あた える方 かた だということが分 わ かります。エホバは,役 やく 立 だ つ知 ち 恵 え を求 もと める人 ひと たちを喜 よろこ んで迎 むか え入 い れてくださいます。
15. 私 わたし たちにはどんな招 しょう 待 たい が差 さ し伸 の べられていますか。
15 「真 しん の知 ち 恵 え 」を表 あらわ している女 じょ 性 せい の様 よう 子 す からも,エホバが惜 お しみなく与 あた えてくださる方 かた だという ことが分 わ かります。この女 じょ 性 せい は,肉 にく をしっかり用 よう 意 い し,ぶどう酒 しゅ に香 こう 料 りょう を混 ま ぜ,食 しょく 卓 たく も整 ととの えました。(格 かく 9:2 )さらに,9章 しょう 4,5節 せつ にはこうあります。「知 ち 恵 え は,分 ふん 別 べつ のない人 ひと に言 い う。『来 き て,私 わたし のパンを食 た べ……なさい』」。この賢 かしこ い女 じょ 性 せい の招 しょう 待 たい を受 う け入 い れるべきなのはどうしてでしょうか。エホバはご自 じ 分 ぶん の子 こ 供 ども たちに賢 かしこ く歩 あゆ んでほしいと思 おも っています。間 ま 違 ちが いを通 とお して学 まな ぶようなつらい学 まな び方 かた をしないように守 まも りたいと思 おも っています。それで,エホバは「正 しょう 直 じき な人 ひと のために,役 やく 立 だ つ知 ち 恵 え を蓄 たくわ え」ています。(格 かく 2:7 )エホバを畏 おそ れているなら,エホバに喜 よろこ ばれることをしたいと思 おも うはずです。エホバからのアドバイスに耳 みみ を傾 かたむ け,喜 よろこ んで当 あ てはめます。(ヤコ 1:25 )
16. アラン兄 きょう 弟 だい が賢 かしこ い決 けっ 定 てい をする上 うえ で,エホバへの畏 おそ れはどのように助 たす けとなりましたか。どんな結 けっ 果 か になりましたか。
16 エホバへの畏 おそ れは,賢 かしこ い決 けっ 定 てい をする上 うえ でどのように助 たす けとなるでしょうか。長 ちょう 老 ろう で学 がっ 校 こう の教 きょう 師 し をしているアラン兄 きょう 弟 だい の例 れい を考 かんが えてみましょう。兄 きょう 弟 だい はこう言 い います。「同 どう 僚 りょう の多 おお くは,ポルノ映 えい 画 が も性 せい 教 きょう 育 いく の一 いち 部 ぶ だと考 かんが えていました」。でも,兄 きょう 弟 だい はこの間 ま 違 ちが った考 かんが え方 かた に影 えい 響 きょう されることはありませんでした。さらにこう言 い っています。「エホバを悲 かな しませたくなかったので,そうした映 えい 画 が を一 いっ 切 さい 見 み ないようにしました。そして,その理 り 由 ゆう について同 どう 僚 りょう に説 せつ 明 めい しました」。兄 きょう 弟 だい は,「真 しん の知 ち 恵 え 」の声 こえ に耳 みみ を傾 かたむ け,「理 り 解 かい の道 みち を前 ぜん 進 しん しなさい」というアドバイスを当 あ てはめたのです。(格 かく 9:6 )何 なん 人 にん かの同 どう 僚 りょう は,兄 きょう 弟 だい のきっぱりとした態 たい 度 ど に感 かん 心 しん し,聖 せい 書 しょ レッスンを始 はじ め,集 しゅう 会 かい にも出 しゅっ 席 せき するようになっています。
「真 しん の知 ち 恵 え 」の招 しょう 待 たい を受 う け入 い れるなら,いつまでも幸 しあわ せでいられる。(17-18節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
17-18. 「真 しん の知 ち 恵 え 」の招 しょう 待 たい を受 う け入 い れるなら,どんな素 す 晴 ば らしい経 けい 験 けん ができますか。(挿 さし 絵 え も参 さん 照 しょう 。)
17 エホバは2人 ふたり の女 じょ 性 せい の例 たと えを使 つか って,どうすれば幸 しあわ せになれるかを教 おし えてくれています。騒 さわ がしく「愚 おろ かな女 じょ 性 せい 」の招 しょう 待 たい を受 う け入 い れる人 ひと は,不 ふ 道 どう 徳 とく な行 おこな いから喜 よろこ びを得 え ようとします。そうした人 ひと は,今 いま が楽 たの しければいいと考 かんが え,将 しょう 来 らい のことなど気 き に留 と めていません。でも,最 さい 終 しゅう 的 てき には「墓 はか の底 そこ 」に下 くだ ることになります。(格 かく 9:13,17,18 )
18 一 いっ 方 ぽう ,「真 しん の知 ち 恵 え 」の招 しょう 待 たい を受 う け入 い れる人 ひと たちは,幸 しあわ せを味 あじ わうことができます。今 いま ,エホバとの絆 きずな を強 つよ めるのに必 ひつ 要 よう なものがふんだんに与 あた えられています。栄 えい 養 よう 豊 ゆた かで美 うつく しく盛 も り付 つ けられた料 りょう 理 り が目 め の前 まえ に並 なら んでいるかのようです。(イザ 65:13 )エホバはイザヤを通 とお してこう言 い っています。「私 わたし の言 い うことを一 いっ 心 しん に聞 き き,良 よ い物 もの を食 た べなさい。そうすれば,本 ほん 当 とう に豊 ゆた かな物 もの を大 おお いに喜 よろこ べる」。(イザ 55:1,2 )私 わたし たちは,エホバが愛 あい するものを愛 あい し,エホバが憎 にく むものを憎 にく むよう教 おし えられています。(詩 し 97:10 )また,「真 しん の知 ち 恵 え 」を学 まな ぶよう人 ひと 々 びと に勧 すす めることから喜 よろこ びを味 あじ わっています。まるで,「町 まち の高 たか 台 だい から……『経 けい 験 けん のない人 ひと は誰 だれ でもこちらに来 き なさい』」と呼 よ び掛 か けているかのようです。でも,私 わたし たちが味 あじ わっている喜 よろこ びは今 いま だけのものではありません。永 えい 遠 えん に生 い きて,「理 り 解 かい の道 みち を前 ぜん 進 しん し」ていくことができるのです。(格 かく 9:3,4,6 )
19. 伝 でん 道 どう の書 しょ 12章 しょう 13,14節 せつ からすると,どうすることが大 たい 切 せつ ですか。(「エホバへの畏 おそ れがあるなら… 」の囲 かこ みも参 さん 照 しょう 。)
19 伝 でん 道 どう の 書 しょ 12:13,14 を 読 よ む。 では,これからもエホバへの畏 おそ れの気 き 持 も ちを強 つよ めていきましょう。そうするなら,この邪 じゃ 悪 あく な終 お わりの時 じ 代 だい の中 なか でもエホバとの友 ゆう 情 じょう を守 まも ることができます。心 こころ を守 まも り,道 どう 徳 とく 的 てき に清 きよ い人 ひと でいることもできます。そして,この畏 おそ れの気 き 持 も ちは,「真 しん の知 ち 恵 え 」について学 まな ぶようできるだけ多 おお くの人 ひと に伝 つた えていく力 ちから ともなるでしょう。