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  • 塔研23 03月号 26–31ページ
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  • 「愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2023
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2023
塔研23 03月号 26–31ページ

研究記事14

「愛あいがあれば,全すべての人ひとは,あなたたちが私わたしの弟で子しであることを知しります」

「あなたたちの間あいだに愛あいがあれば,全すべての人ひとは,あなたたちが私わたしの弟で子しであることを知しります」。ヨハネ 13:35

106番ばんの歌うた 愛あいを育はぐくむ

何なにを学まなぶかa

集会の前に,年齢や人種の違う兄弟姉妹が楽しそうにおしゃべりしている。1人の兄弟が,エホバの証人ではない夫婦を歓迎している。

多おおくの人ひとはエホバの証しょう人にんの愛あいを見みてどのように感かんじますか。(1節せつを参さん照しょう。)

1. 集しゅう会かいに初はじめて来きた人ひとたちはどんな感かん想そうを持もちますか。(写しゃ真しんも参さん照しょう。)

次つぎのような場ば面めんを想そう像ぞうしてみてください。ある夫ふう婦ふが初はじめて集しゅう会かいに出しゅっ席せきします。王おう国こく会かい館かんでみんなに歓かん迎げいされ,兄きょう弟だい姉し妹まいがお互たがいに愛あいを示しめしているのを見みて,とても温あたたかい気き持もちになります。帰かえり道みち,妻つまが夫おっとにこう言いいます。「楽たのしかったね。あんないい人ひとたち,なかなかいないよね」。

2. どんなことが原げん因いんでエホバに仕つかえるのをやめてしまう人ひとがいますか。

2 確たしかに,エホバの証しょう人にんがお互たがいに示しめしている愛あいは素す晴ばらしいものです。でも,完かん璧ぺきな人ひとは一人ひとりもいません。(ヨハ一いち 1:8)それで,兄きょう弟だい姉し妹まいと親したしくなるにつれて相あい手ての欠けっ点てんや弱じゃく点てんも見みえてくることでしょう。(ロマ 3:23)そうしたことが原げん因いんでエホバに仕つかえるのをやめてしまう人ひともいます。

3. イエスの本ほん物ものの弟で子しは何なにによって見み分わけられますか。(ヨハネ 13:34,35)

3 この記き事じの主しゅ題だい聖せい句くに注ちゅう目もくしてみましょう。(ヨハネ 13:34,35を読よむ。)イエスの本ほん物ものの弟で子しは何なにによって見み分わけられると書かかれているでしょうか。完かん全ぜんさではなく,愛あいです。さらにイエスは,「愛あいがあれば,全すべての人ひとは,あなたたちが私わたしの弟で子しであることを知しります」と言いいました。つまり,クリスチャンだけでなくクリスチャンではない人ひと全すべても,イエスの本ほん物ものの弟で子しを愛あいによって見み分わけることができるということです。

4. 本ほん物もののクリスチャンが示しめす愛あいについて,どんな疑ぎ問もんを持もつかもしれませんか。

4 エホバの証しょう人にんではない人ひとたちは次つぎのように思おもうかもしれません。「愛あいによってイエスの本ほん物ものの弟で子しを見み分わけられるってどういうことだろう。イエスはどのように使し徒とたちに愛あいを示しめしたんだろう。イエスのような愛あいを示しめすことなんてできるんだろうか」。私わたしたちもそうした点てんを考かんがえるのは良よいことです。もっと愛あい情じょう深ぶかい人ひとになり,仲なか間まの欠けっ点てんなどが気きになる時ときにも愛あいを示しめせるようになります。(エフェ 5:2)

イエスの本ほん物ものの弟で子しが愛あいによって見み分わけられる,と言いえるのはどうしてか

5. ヨハネ 15章しょう12,13節せつでイエスはどんなことを教おしえましたか。

5 イエスの弟で子したちの間あいだに見みられる愛あいは特とく別べつなものです。(ヨハネ 15:12,13を読よむ。)イエスはこう言いいました。「私わたしがあなたたちを愛あいした通とおりにあなたたちが互たがいを愛あいすること,これが私わたしのおきてです」。イエスがここで言いっていたのは自じ己こ犠ぎ牲せい的てきな愛あいのことです。聖せい句くの続つづく部ぶ分ぶんから分わかる通とおり,それは仲なか間まのために命いのちを差さし出だすほどの強つよい愛あいです。b

6. 聖せい書しょは愛あいの大たい切せつさをどのように強きょう調ちょうしていますか。

6 聖せい書しょは愛あいの大たい切せつさを強きょう調ちょうしています。次つぎのような聖せい句くが好すきだという兄きょう弟だい姉し妹まいもたくさんいます。「神かみは愛あい」。(ヨハ一いち 4:8)「あなたは隣りん人じんを自じ分ぶん自じ身しんのように愛あいさなければならない」。(マタ 22:39)「愛あいは多おおくの罪つみを覆おおう」。(ペテ一いち 4:8)「愛あいは決けっして絶たえません」。(コリ一いち 13:8)こうした聖せい句くから,愛あいを身みに着つけて示しめすことがとても大たい切せつだということがよく分わかります。

7. サタンが本ほん物ものの愛あいで結むすばれた人ひとたちのグループをつくれないのはどうしてですか。

7 次つぎのように思おもう人ひともいます。「どれが本ほん物ものの宗しゅう教きょうなんだろう。どの宗しゅう教きょうも自じ分ぶんたちは本ほん当とうのことを教おしえていると言いっているけれど,神かみについて教おしえていることはばらばらだ」。サタンは,間ま違ちがったことを教おしえる宗しゅう教きょうをたくさんつくって,人ひと々びとを混こん乱らんさせています。でも,国くにを超こえて互たがいに愛あいし合あう人ひとたちのグループをつくることはできません。それができるのはエホバだけです。本ほん物ものの愛あいはエホバからのもので,エホバの聖せいなる力ちからと祝しゅく福ふくを受うけている人ひとたちだけがそのような愛あいを示しめせるからです。(ヨハ一いち 4:7)だからこそ,イエスは自じ己こ犠ぎ牲せい的てきな愛あいによって本ほん物もののクリスチャンを見み分わけられると言いいました。

8-9. 多おおくの人ひとはエホバの証しょう人にんの愛あいを見みてどう感かんじていますか。

8 イエスが言いった通とおり,多おおくの人ひとが愛あいによって本ほん物もののクリスチャンを見み分わけています。イアン兄きょう弟だいの例れいを考かんがえてみましょう。兄きょう弟だいは家いえの近ちかくの競きょう技ぎ場じょうで開ひらかれた大たい会かいに初はじめて出しゅっ席せきしました。その競きょう技ぎ場じょうには,数すうカ月げつ前まえにスポーツの試し合あいの観かん戦せんに行いったことがありました。兄きょう弟だいはこう言いいます。「この大たい会かいは[その試し合あい]とはあまりにも対たい照しょう的てきでした。証しょう人にんたちは身みなりがきちんとしていて礼れい儀ぎ正ただしく,子こどもたちも行ぎょう儀ぎ良よくしていました。……しかも,それらの人ひとは満みち足たりた平へい安あんな気き持もちでいるようでした。それはわたしが切せつ望ぼうしていたものです。わたしは,その日ひに行おこなわれたどの講こう演えんも覚おぼえていませんが,証しょう人にんたちの行ぎょう状じょうには深ふかい感かん銘めいを受うけました」。c 私わたしたちが兄きょう弟だい姉し妹まいに親しん切せつにし,敬けい意いを表あらわせるのは,お互たがいに心こころから愛あいし合あっているからです。

9 ジョン兄きょう弟だいも初はじめてエホバの証しょう人にんの集しゅう会かいに出しゅっ席せきした時とき,同おなじような印いん象しょうを持もちました。こう言いっています。「出しゅっ席せきしているどの人ひとからも親したしみ深ぶかさ……が感かんじられ,皆みなが聖せい人じんのように思おもえました。その純じゅん粋すいな愛あいを見みて,これこそ真しんの宗しゅう教きょうだと確かく信しんしました」。d こうした例れいから,エホバの証しょう人にんが本ほん物もののクリスチャンだということが分わかります。

10. どんな時ときに本ほん物ものの愛あいを示しめす必ひつ要ようがありますか。(脚きゃく注ちゅうも参さん照しょう。)

10 この記き事じの最さい初しょの方ほうで考かんがえた通とおり,私わたしたちは誰だれも完かん璧ぺきではありません。それで仲なか間まの言げん動どうに傷きずつけられることがあります。e (ヤコ 3:2)でも,そういう時ときは本ほん物ものの愛あいを示しめすチャンスです。この点てんでイエスからどんなことを学まなべるでしょうか。(ヨハ 13:15)

イエスはどのように使し徒とたちに愛あいを示しめしたか

イエスが弟子たちに穏やかに話している。ヤコブとヨハネと母親がイエスに話している場面の絵が挿入されている。

イエスは使し徒とたちが良よくない態たい度どを取とった時ときにも愛あい情じょう深ぶかく接せっした。(11-13節せつを参さん照しょう。)

11. ヤコブとヨハネはどんな良よくない態たい度どを示しめしてしまいましたか。(挿さし絵えも参さん照しょう。)

11 イエスは弟で子したちに完かん璧ぺきを求もとめることはありませんでした。弟で子したちが良よくない傾けい向こうを正ただしてエホバに喜よろこばれる人ひとになれるよう,優やさしく助たすけました。ある時とき,使し徒とのヤコブとヨハネは母はは親おやを通とおして,イエスに王おう国こくでの目め立だった立たち場ばを求もとめました。(マタ 20:20,21)2人ふたりは誇ほこりや野や心しんを示しめしてしまったのです。(格かく 16:18)

12. ほかの10人にんの使し徒とたちもどんな良よくない態たい度どを示しめしてしまいましたか。

12 この時とき,良よくない態たい度どを示しめしてしまったのは,ヤコブとヨハネだけではありませんでした。ほかの使し徒とたちの反はん応のうについてこう書かかれています。「ほかの10人にんはそのことを聞きくと,その2人ふたりの兄きょう弟だいに対たいして憤いきどおった」。(マタ 20:24)使し徒とたちの間あいだで激はげしい言こと葉ばが飛とび交かったことでしょう。ヤコブとヨハネにほかの使し徒とたちはこう言いったかもしれません。「王おう国こくで目め立だった立たち場ばに就つこうとするなんて,何なに様さまだと思おもってるんだ。自じ分ぶんたちだってイエスと一いっ緒しょに一いっ生しょう懸けん命めい働はたらいてきたんだから,王おう国こくでいい立たち場ばに就つけてもらう資し格かくがあるはずだ」。いずれにしても,この時とき,使し徒とたちは仲なか間まへの愛あいを示しめし損そこなってしまいました。

13. イエスは使し徒とたちが弱じゃく点てんを表あらわした時とき,どうしましたか。(マタイ 20:25-28)

13 では,イエスはどうしたでしょうか。怒おこったりはしませんでした。「もっと謙けん遜そんで,いつも愛あいを示しめせる人ひとを使し徒ととして選えらび直なおす」と言いうこともありませんでした。使し徒とたちが本ほん当とうは正ただしいことをしたいと思おもっていることが分わかっていたので,辛しん抱ぼう強づよく教おしえました。(マタイ 20:25-28を読よむ。)使し徒とたちは誰だれが一いち番ばん偉えらいかについて言いい合あったことが何なん度どもありましたが,イエスはいつも愛あい情じょう深ぶかく穏おだやかに接せっしました。(マル 9:34。ルカ 22:24)

14. イエスの使し徒とたちが育そだった背はい景けいはどんなものでしたか。

14 イエスは使し徒とたちが育そだった背はい景けいを理り解かいしていました。(ヨハ 2:24,25)当とう時じの宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちは地ち位いや立たち場ばを重じゅう視ししていました。(マタ 23:6。マタイ 23:6の注ちゅう釈しゃくにある「会かい堂どうの最もっとも良よい座ざ席せき」の動どう画がも参さん照しょう。)さらに,独どく善ぜん的てきな態たい度どを取とっていました。f (ルカ 18:9-12)イエスは,使し徒とたちの自じ分ぶんや他たの人ひとに対たいする見み方かたが宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちの影えい響きょうを受うけていることをよく知しっていました。(格かく 19:11)イエスは使し徒とたちにできる以い上じょうのことを求もとめたり,何なにか失しっ敗ぱいした時ときにすぐに怒おこったりはしませんでした。使し徒とたちの良よい心こころに目めを向むけ,誇ほこりや野や心しんを乗のり越こえて愛あいを示しめせるように助たすけました。

イエスにどのように倣ならえるか

15. 使し徒とたちの間あいだで起おきた出で来き事ごとから,どんなことを学まなべますか。

15 このエピソードからどんなことを学まなべるでしょうか。ヤコブとヨハネが王おう国こくで目め立だった立たち場ばに就つこうとしたのは間ま違ちがったことでした。でも,ほかの10人にんが2人ふたりに腹はらを立たてて一いっ致ちを壊こわしてしまったのも良よくありませんでした。一いっ方ぽう,イエスは使し徒とたちみんなに愛あい情じょう深ぶかく穏おだやかに接せっしました。確たしかに,仲なか間まが失しっ敗ぱいや間ま違ちがいをすることもありますが,そういう時ときにどういう反はん応のうをするかが大たい切せつです。次つぎのように考かんがえてみてください。「自じ分ぶんがこんなに腹はらを立たてているのはどうしてだろう。こういう反はん応のうをするのは,自じ分ぶんに何なにか足たりないところがあるということだろうか。自じ分ぶんを傷きずつけたあの人ひとは何なにか大たい変へんな問もん題だいと闘たたかっているんだろうか。たとえ相あい手てに落おち度どがあるとしても,愛あいを示しめして許ゆるすことができるだろうか」。仲なか間まに愛あい情じょう深ぶかく接せっするなら,イエスの本ほん物ものの弟で子しであることを示しめすことができます。

16. イエスからほかにもどんなことを学まなべますか。

16 イエスから,仲なか間まを理り解かいすることの大たい切せつさも学まなべます。(格かく 20:5)もちろん,私わたしたちはイエスのように心こころを読よむことはできません。それでも仲なか間まの弱よわさを思おもいやることはできます。(エフェ 4:1,2。ペテ一いち 3:8)そうする上うえで,相あい手ての背はい景けいを知しることは役やく立だちます。1つの例れいを考かんがえてみましょう。

17. ある旅りょ行こうする監かん督とくは,仲なか間まをよく知しるようにしてどんな良よい結けっ果かになりましたか。

17 東ひがしアフリカで旅りょ行こうする奉ほう仕しをしていたある兄きょう弟だいは,気きに障さわる言げん動どうをする兄きょう弟だいにどう接せっしたでしょうか。こう言いっています。「その兄きょう弟だいを避さけるのではなく,もっと知しるようにしました」。そうすると,生おい立たちがその兄きょう弟だいの性せい格かくに大おおきな影えい響きょうを与あたえているということが分わかりました。さらにこう言いっています。「兄きょう弟だいが生おい立たちの影えい響きょうを乗のり越こえるためにどれほど頑がん張ばってきたかを知しって,本ほん当とうに立りっ派ぱだと思おもいました。私わたしたちは良よい友とも達だちになりました」。兄きょう弟だい姉し妹まいのことをもっとよく知しるようにするなら,愛あいを示しめしやすくなるでしょう。

18. 仲なか間まから傷きずつけられた時とき,どんなことを考かんがえるとよいですか。(格かく言げん 26:20)

18 自じ分ぶんを傷きずつけた相あい手てと話はなし合あった方ほうがいいと思おもうことがありますか。そういう時ときにも,まずは次つぎのように考かんがえてみましょう。「自じ分ぶんは事じ実じつを十じゅう分ぶんに知しっているだろうか」。(格かく 18:13)「悪わる気ぎはなかったんじゃないだろうか」。(伝でん 7:20)「自じ分ぶんも同おなじようなことをしてしまったことがあるだろうか」。(伝でん 7:21,22)「話はなし合あいに行いくと,問もん題だいがもっと大おおきくなってしまわないだろうか」。(格かく言げん 26:20を読よむ。)こうしたことを時じ間かんをかけて考かんがえるなら,愛あいを示しめして水みずに流ながそうと思おもうかもしれません。

19. どんなことを努ど力りょくしたいと思おもいますか。

19 エホバの証しょう人にんはグループとして,イエスの本ほん物ものの弟で子しであることを示しめしています。私わたしたちは個こ人じんとしても,仲なか間まの失しっ敗ぱいや欠けっ点てんを許ゆるし,愛あいを示しめすことによって,本ほん物もののクリスチャンであることを示しめせます。そうした様よう子すを見みた人ひとたちは本ほん物ものの宗しゅう教きょうだと感かんじ,愛あいの神かみであるエホバを一いっ緒しょに崇すう拝はいするようになるかもしれません。では,クリスチャンの特とく徴ちょうである愛あいをこれからも示しめしていきましょう。

どのように答こたえますか

  • イエスの本ほん物ものの弟で子しが愛あいによって見み分わけられる,と言いえるのはどうしてですか。

  • イエスはどのように使し徒とたちに愛あいを示しめしましたか。

  • イエスにどのように倣ならえますか。

17番ばんの歌うた 「そう望のぞみます」

a エホバの証しょう人にんがお互たがいに愛あいを示しめしているのを見みて,聖せい書しょの真しん理りを学まなびたいと思おもった人ひとは大おお勢ぜいいます。でも私わたしたちも完かん璧ぺきではないので,兄きょう弟だい姉し妹まいに愛あい情じょう深ぶかく接せっするのを難むずかしく感かんじることがあります。では,愛あいがとても大たい切せつなのはどうしてでしょうか。仲なか間まの欠けっ点てんや弱じゃく点てんが気きになる時とき,どうすればイエスに倣ならって愛あいを示しめせるでしょうか。

b 「来きて,わたしの追つい随ずい者しゃになりなさい」の本ほんの第だい17章しょう10-11節せつを参さん照しょう。

c 「ものみの塔とう」2012年ねん11月がつ1日ついたち号ごう13-14ページの「人じん生せいはついに目もく的てきのあるものとなりました」という記き事じを参さん照しょう。

d 「ものみの塔とう」2012年ねん5月がつ1日ついたち号ごう18-19ページの「申もうし分ぶんのない生せい活かつのように思おもえました」という記き事じを参さん照しょう。

e この記き事じで取とり上あげられているのは,コリント第だい一いち 6章しょう9,10節せつに挙あげられているような長ちょう老ろうたちが扱あつかう重じゅう大だいな罪つみではありません。

f あるラビはこう言いったとされています。「世せ界かいにはアブラハムのような正ただしい人ひとが少すくなくとも30人にんはいる。もし正ただしい人ひとが30人にんいるなら,私わたしと私わたしの息子むすこはそのうちの2人ふたりである。もし10人にんなら,私わたしと私わたしの息子むすこはそのうちの2人ふたりである。もし5人にんなら,私わたしと私わたしの息子むすこはそのうちの2人ふたりである。もし2人ふたりなら,私わたしと私わたしの息子むすこがその2人ふたりである。もし1人ひとりだけなら,私わたしがその1人ひとりである」。

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