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  • 塔研18 01月号 22–26ページ
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  • 本当の幸せにつながるのはどんな愛ですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
塔研18 01月号 22–26ページ
自分を過度に愛する女性。物を愛する男性。パーティーで大騒ぎしている人たち

本ほん当とうの幸しあわせにつながるのはどんな愛あいですか

「エホバをその神かみとする民たみは幸さいわいだ!」 詩し 144:15

歌うた: 75,73

どのように答こたえますか

  • 自じ分ぶんよりも神かみを愛あいしていることをどのように示しめせますか。

  • お金かねを愛あいする人ひとが幸こう福ふくになれないのはなぜですか。

  • 生せい活かつを楽たのしむことに関かんしてバランスの取とれた見み方かたをしているか,どのように確たしかめることができますか。

1. わたしたちが特とく別べつな時じ代だいに住すんでいると言いえるのはなぜですか。

わたしたちは歴れき史し上じょう,極きわめて特とく別べつな時じ代だいに住すんでいます。聖せい書しょが予よ告こくしていたとおり,エホバは「すべての国こく民みんと部ぶ族ぞくと民たみと国こく語ごの中なかから……大だい群ぐん衆しゅう」を集あつめておられます。800万まん人にんを超こえる幸こう福ふくで「強きょう大だいな国こく民みん」が「昼ひるも夜よるも神かみに神しん聖せいな奉ほう仕しをささげて」います。(啓けい 7:9,15。イザ 60:22)神かみと隣りん人じんを愛あいする人ひと々びとがこれほど大おお勢ぜいいた時じ代だいはありません。

2. 神かみに仕つかえていない人ひと々びとはどんな愛あいを抱いだいていますか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)

2 とはいえ聖せい書しょは,神かみに仕つかえていない人ひと々びとがそのような愛あいとは異ことなる愛あいを示しめすことも予よ告こくしていました。利り己こ的てきな愛あいです。「終おわりの日ひには,……人ひと々びと[が]自じ分ぶんを愛あいする者もの,金かねを愛あいする者もの,……神かみを愛あいするより快かい楽らくを愛あいする者もの」となる,と使し徒とパウロは述のべました。(テモ二に 3:1-4)そのような利り己こ的てきな愛あいは,クリスチャンが抱いだく愛あいとは正せい反はん対たいのものです。決けっして人ひとを幸しあわせにはしません。それどころか,利り己こ的てきな愛あいのせいで「対たい処しょしにくい」世よの中なかになっています。

3. この記き事じではどんな点てんを考かんがえますか。なぜですか。

3 パウロは,利り己こ的てきな愛あいがクリスチャンにとって危き険けんであることを知しっていました。それで,そのような愛あいを示しめす人ひと々びとから「離はなれなさい」と警けい告こくしました。(テモ二に 3:5)もちろん,完かん全ぜんに接せっ触しょくを避さけることはできません。では,周しゅう囲いの人ひと々びとの間ま違ちがった態たい度どの影えい響きょうを受うけないようにし,愛あいの神かみエホバに喜よろこんでいただくには,どうしたらよいでしょうか。神かみに喜よろこばれる愛あいと,テモテ第だい二に 3章しょう2-4節せつに記しるされている愛あいを比ひ較かくして考かんがえましょう。そうすれば,自じ分ぶんがどんな愛あいを示しめすべきかが分わかります。この愛あいこそ,本ほん当とうの満まん足ぞく感かんと幸しあわせにつながる愛あいです。

神かみを愛あいするか,自じ分ぶんを愛あいするか

4. 自じ分ぶんを愛あいすることが間ま違ちがっていないのはなぜですか。

4 パウロは「自じ分ぶんを愛あいする者もの」について述のべました。自じ分ぶんを愛あいするのは間ま違ちがったことでしょうか。いいえ,それは自し然ぜんなことであり,必ひつ要ようなことでもあります。エホバは人にん間げんをそのような者ものとして造つくられました。「あなたは隣りん人じんを自じ分ぶん自じ身しんのように愛あいさねばならない」とイエスは教おしえました。(マル 12:31)自じ分ぶんを愛あいしていなければ,隣りん人じんを愛あいすることはできません。聖せい書しょはこうも述のべています。「夫おっとは自じ分ぶんの体からだのように妻つまを愛あいすべきです。妻つまを愛あいする人ひとは自じ分ぶん自じ身しんを愛あいしているのです。自じ分ぶんの身みを憎にくんだ者ものはかつていないからです。むしろ人ひとは,それを養やしない,また大たい切せつにします」。(エフェ 5:28,29)ですから,自じ分ぶんに対たいする適てき度どな愛あいは望のぞましいものです。

自分を過度に愛する女性

5. 自じ分ぶんを過か度どに愛あいする人ひととはどんな人ひとですか。

5 しかし,テモテ第だい二に 3章しょう2節せつに述のべられている自じ分ぶんへの愛あいは,健けん全ぜんなものではありません。利り己こ的てきでゆがんだ愛あいです。自じ分ぶんを過か度どに愛あいする人ひとは,自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえます。(ローマ 12:3を読よむ。)自じ分ぶんのことばかり考かんがえ,他たの人ひとのことはほとんど気きにかけません。物もの事ごとがうまくいかないと,自じ分ぶんの責せき任にんを認みとめずに,他たの人ひとのせいにします。ある聖せい書しょ注ちゅう解かい者しゃは,自じ分ぶんを愛あいする人ひとをハリネズミに例たとえ,こう述のべています。「[ハリネズミは]体からだを丸まるめ,自じ分ぶんは柔やわらかな体たい毛もうの中なかで温あたたまる。……しかし……他た者しゃに向むかってたくさんの鋭するどい針はりを突つき出だす」。そのような自じ己こ中ちゅう心しん的てきな人ひとは本ほん当とうの意い味みで幸こう福ふくではありません。

6. 神かみを愛あいする人ひとはなぜ幸こう福ふくですか。

6 終おわりの日ひに人ひと々びとが示しめす悪わるい特とく質しつとして,自じ分ぶんへの愛あいがまず挙あげられているのはなぜでしょうか。ある聖せい書しょ学がく者しゃたちによれば,自じ分ぶんへの愛あいは,パウロが挙あげている他たの様さま々ざまな悪わるい特とく質しつを生うみ出だすからです。しかし,神かみを愛あいする人ひとは全まったく異ことなる特とく質しつを示しめします。聖せい書しょは,神かみに喜よろこばれる愛あいを,喜よろこび,平へい和わ,辛しん抱ぼう強づよさ,親しん切せつ,善ぜん良りょう,信しん仰こう,温おん和わ,自じ制せいと結むすび付つけています。(ガラ 5:22,23)詩し編へん作さく者しゃも「エホバをその神かみとする民たみは幸さいわいだ!」と述のべています。(詩し 144:15)エホバは幸こう福ふくな神かみです。ですから,神かみの民たみも幸こう福ふくです。自じ分ぶんを愛あいし,受うけることだけに関かん心しんがある人ひととは異ことなり,自じ分ぶんの時じ間かんやエネルギーを他たの人ひとに与あたえるので幸こう福ふくです。(使し徒と 20:35)

野外奉仕をしている姉妹

自分よりも神を愛していますか。(7節を参照。)

7. 神かみへの愛あいの強つよさを確たしかめるため,どんなことを自じ問もんできますか。

7 神かみへの愛あいよりも自じ分ぶんへの愛あいが強つよくなっていないか,どのように確たしかめられますか。フィリピ 2章しょう3,4節せつにはこうあります。「何なに事ごとも闘とう争そう心しんや自じ己こ本ほん位いの気き持もちからするのではなく,むしろ,他たの人ひとが自じ分ぶんより上うえであると考かんがえてへりくだった思おもいを持もち,自じ分ぶんの益えきを図はかって自じ分ぶんの事ことだけに目めを留とめず,人ひとの益えきを図はかって他たの人ひとの事ことにも目めを留とめなさい」。こう自じ問もんできます。「この助じょ言げんを自じ分ぶんの生せい活かつに当あてはめているだろうか。神かみのご意い志しを進すすんで行おこなおうとしているだろうか。会かい衆しゅうでも野や外がい宣せん教きょうでも,他たの人ひとを助たすけようと努つとめているだろうか」。自じ分ぶんの時じ間かんやエネルギーを与あたえることには,努ど力りょくと自じ己こ犠ぎ牲せいが求もとめられます。でも,宇う宙ちゅう主しゅ権けん者しゃの是ぜ認にんを得えること以い上じょうに幸しあわせなことはありません。

8. 神かみへの愛あいに動うごかされ,どんな奉ほう仕しをしている人ひとたちもいますか。

8 神かみへの愛あいに動うごかされ,高こう収しゅう入にゅうの得えられる仕し事ごとを後あとにして,エホバにいっそう仕つかえている人ひとたちもいます。エリカは米べい国こくに住すむ医い師しです。でも,医い師しとして成せい功こうしようとするのではなく,正せい規き開かい拓たく奉ほう仕しを始はじめ,夫おっとと共ともに幾いくつかの国くにで奉ほう仕ししました。こう述のべています。「外がい国こく語ごの区く域いきで奉ほう仕ししてたくさんの良よい経けい験けんをし,多おおくの友ともを得え,本ほん当とうに充じゅう実じつした生せい活かつを送おくってきました。医い師しの仕し事ごとは続つづけていますが,エホバについて人ひと々びとに教おしえ,会かい衆しゅうの兄きょう弟だい姉し妹まいを助たすけることに多おおくの時じ間かんやエネルギーを使つかっています。心こころからの喜よろこびと満まん足ぞく感かんを味あじわっています」。

富とみを天てんに蓄たくわえるか,地ち上じょうに蓄たくわえるか

物を愛する男性

9. お金かねを愛あいする人ひとが幸こう福ふくになれないのはなぜですか。

9 パウロは「金かねを愛あいする者もの」についても述のべました。何なん年ねんか前まえ,アイルランドの開かい拓たく者しゃはある男だん性せいに神かみについて話はなしました。すると男だん性せいは財さい布ふから数すう枚まいの紙し幣へいを取とり出だして,誇ほこらしげに「これがわたしの神かみだよ!」と言いいました。これほどあからさまに言いわないとしても,お金かねや物ものを愛あいする人ひとが世せ界かいにはあふれています。聖せい書しょはこう警けい告こくしています。「ただ銀ぎんを愛あいする者ものは銀ぎんに満みち足たりることなく,富とみを愛あいする者ものは収しゅう入にゅうに満みち足たりることがない」。(伝でん 5:10)そのような人ひとはもっとたくさんのお金かねを欲ほしがり,お金かねを貯ためるために必ひっ死しに努ど力りょくします。その結けっ果か,「多おおくの苦く痛つう」を経けい験けんしています。(テモ一いち 6:9,10)

10. 聖せい書しょには富とみと貧まずしさについてどんなことが記しるされていますか。

10 もちろん,お金かねは必ひつ要ようです。ある程てい度ど,身みの守まもりともなります。(伝でん 7:12)では,基き本ほん的てきな必ひつ要ようを賄まかなうお金かねしかなくても幸しあわせになれるでしょうか。もちろんなれます。(伝でん道どうの書しょ 5:12を読よむ。)ヤケの子こアグルはこう述のべました。「わたしに貧まずしさをも富とみをも与あたえないでください。わたしのために定さだめられた食しょく物もつをわたしにむさぼり食くわせてください」。アグルがひどく貧まずしい生せい活かつを望のぞまなかったのは,続つづく部ぶ分ぶんで述のべているように,貧まずしさのゆえに盗ぬすみを働はたらき,神かみの名なを汚けがすようなことはしたくなかったからです。では,アグルが富とみを与あたえないでほしいと祈いのったのはなぜでしょうか。こう述のべています。「それは,わたしが満みち足たりてあなたを実じっ際さいに否いなみ,『エホバとはだれか』と言いうことのないため……です」。(箴しん 30:8,9)今こん日にちでも,神かみではなく富とみを信しん頼らいしている人ひとが大おお勢ぜいいるのではないでしょうか。

11. イエスはお金かねに関かんしてどんな助じょ言げんを与あたえましたか。

11 お金かねを愛あいする人ひとは神かみに喜よろこばれません。イエスはこう言いいました。「だれも二人ふたりの主しゅ人じんに奴ど隷れいとして仕つかえることはできません。一いっ方ぽうを憎にくんで他た方ほうを愛あいするか,一いっ方ぽうに堅かたく付ついて他た方ほうを侮あなどるかのどちらかだからです。あなた方がたは神かみと富とみとに奴ど隷れいとして仕つかえることはできません」。イエスはこうも述のべました。「あなた方がたは自じ分ぶんのために地ち上じょうに宝たからを蓄たくわえるのをやめなさい。そこでは蛾がやさびが食くい尽つくし,また盗ぬす人びとが押おし入いって盗ぬすみます。むしろ,自じ分ぶんのために天てんに宝たからを蓄たくわえなさい。そこでは蛾がもさびも食くわず,盗ぬす人びとが押おし入いって盗ぬすむこともありません」。(マタ 6:19,20,24)

12. 生せい活かつをシンプルにするなら,もっとエホバに仕つかえることができます。例れいを挙あげてください。

12 生せい活かつをシンプルにするなら,エホバに仕つかえる時じ間かんを増ふやすことができ,もっと幸しあわせになれます。そのことに気きづいた人ひとは大おお勢ぜいいます。米べい国こくに住すむジャックは,妻つまと一いっ緒しょに開かい拓たく奉ほう仕しをするため,大おおきな家いえと仕し事ごとを手て離ばなしました。こう言いいます。「自し然ぜんに囲かこまれた美うつくしい家いえや土と地ちを手て離ばなすのはつらいことでした。でも,それまで何なん年ねんもの間あいだ,わたしは仕し事ごと上じょうの問もん題だいのためにいらいらして家いえに帰かえっていました。でも,開かい拓たく奉ほう仕しをしていた妻つまはいつも幸しあわせそうでした。妻つまはよく『わたしには最さい高こうの上じょう司しがいるから』と言いっていました。今いまはわたしも開かい拓たく奉ほう仕しをし,同おなじ上じょう司しであるエホバに仕つかえています」。

寄付箱にお金を入れている兄弟

お金よりも神を愛していますか。(13節を参照。)

13. お金かねに対たいしてバランスの取とれた見み方かたをしているかを,どのように確たしかめることができますか。

13 お金かねに対たいしてバランスの取とれた見み方かたをしているかを確たしかめるため,こう自じ問もんしてみましょう。「聖せい書しょがお金かねについて述のべている事こと柄がらを本ほん当とうに信しんじているだろうか。そのことが生せい活かつに表あらわれているだろうか。お金かねを稼かせぐことが生せい活かつの中ちゅう心しんになっていないだろうか。エホバとの関かん係けいや他たの人ひととの関かん係けいよりも,お金かねや物ものを大たい切せつにしていないだろうか。エホバが必ひつ要ようなものを与あたえてくださることを本ほん当とうに信しんじているだろうか」。エホバはご自じ分ぶんに頼たよる人ひとを決けっして失しつ望ぼうさせません。(マタ 6:33)

エホバを愛あいするか,快かい楽らくを愛あいするか

14. 生せい活かつを楽たのしむことについて,どんなバランスの取とれた見み方かたができますか。

14 予よ告こくされていたとおり,今こん日にち多おおくの人ひとは「快かい楽らくを愛あいする者もの」となっています。自じ分ぶんやお金かねに対たいして健けん全ぜんな見み方かたをすることが大たい切せつなように,生せい活かつを楽たのしむことについてもバランスの取とれた見み方かたをする必ひつ要ようがあります。エホバは,わたしたちが健けん全ぜんな活かつ動どうを楽たのしむことを禁きんじてはおられません。聖せい書しょは,神かみに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたちに,「行いって,歓よろこびをもってあなたの食しょく物もつを食たべ,良よい心こころをもってあなたのぶどう酒しゅを飲のめ」と勧すすめています。(伝でん 9:7)

パーティーで大騒ぎしている人たち

15. 「快かい楽らくを愛あいする者もの」とはどんな人ひとのことですか。

15 テモテ第だい二に 3章しょう4節せつは,神かみを無む視しするほど快かい楽らくを追つい求きゅうする人ひとについて述のべています。この聖せい句くの「神かみを愛あいするより」快かい楽らくを愛あいするという表ひょう現げんに関かんして,ある学がく者しゃはこう述のべています。「[この聖せい句く]は,彼かれらが神かみのことも幾いくらか愛あいしているという意い味みではない。神かみを全まったく愛あいしていないという意い味みである」。快かい楽らくを愛あいする人ひとに対たいする何なんと強きょう力りょくな警けい告こくでしょう。「快かい楽らくを愛あいする者もの」は「快かい楽らくにさらわれてしまい」ます。(ルカ 8:14)

16,17. イエスは生せい活かつを楽たのしむことに関かんしてどんなバランスの取とれた見み方かたをしましたか。

16 イエスは生せい活かつを楽たのしむことに対たいして完かん全ぜんにバランスの取とれた見み方かたをしました。「婚こん宴えん」や「盛せい大だいな歓かん迎げいの宴えん」に出しゅっ席せきしたこともあります。(ヨハ 2:1-10。ルカ 5:29)婚こん宴えんでは水みずをぶどう酒しゅに変かえる奇き跡せきを行おこないました。ぶどう酒しゅが足たりなくなったからです。別べつの機き会かいには,食たべたり飲のんだりしているイエスを非ひ難なんした人ひとたちの独どく善ぜん的てきな見み方かたを正ただしました。(ルカ 7:33-36)

17 とはいえ,イエスは快かい楽らくを中ちゅう心しんにした生いき方かたをしていたわけではありません。エホバを第だい一いちにし,他たの人ひとたちを助たすけるために多おおくの時じ間かんとエネルギーを費ついやしました。人ひと々びとの命いのちを救すくうため,大おおきな苦く痛つうを伴ともなう死しを遂とげました。また,ご自じ分ぶんに従したがおうとする者ものたちにこう言いいました。「人ひと々びとがわたしのためにあなた方がたを非ひ難なんし,迫はく害がいし,あらゆる邪じゃ悪あくなことを偽いつわってあなた方がたに言いうとき,あなた方がたは幸さいわいです。歓よろこび,かつ喜よろこび躍おどりなさい。天てんにおいてあなた方がたの報むくいは大おおきいからです。人ひと々びとはあなた方がたより前まえの預よ言げん者しゃたちをそのようにして迫はく害がいしたのです」。(マタ 5:11,12)

歌を歌っている兄弟姉妹

快楽よりも神を愛していますか。(18節を参照。)

18. 生せい活かつを楽たのしむことに関かんしてバランスの取とれた見み方かたをしているか,どのように確たしかめることができますか。

18 あなたは生せい活かつを楽たのしむことに関かんしてバランスの取とれた見み方かたをしていますか。こう自じ問もんできます。「集しゅう会かいや野や外がい奉ほう仕しよりも遊あそびを優ゆう先せんしていないだろうか。神かみに仕つかえるため,自じ分ぶんにとって楽たのしいことを進すすんで犠ぎ牲せいにするだろうか。映えい画がや音おん楽がくやゲームを選えらぶ際さい,エホバがどうご覧らんになるかを考かんがえるだろうか」。神かみを本ほん当とうに愛あいしているなら,神かみに喜よろこばれないとはっきり分わかっている事こと柄がらだけでなく,神かみに喜よろこばれない可か能のう性せいがある事こと柄がらも注ちゅう意い深ぶかく避さけるでしょう。(マタイ 22:37,38を読よむ。)

幸しあわせな生いき方かた

19. どんな人ひとは本ほん当とうの意い味みで幸しあわせにはなれませんか。

19 約やく6000年ねんに及およぶサタンの支し配はいは間まもなく終おわろうとしています。今いまの世せ界かいには自じ分ぶんやお金かねや快かい楽らくを過か度どに愛あいする人ひとたちがあふれています。できるだけ多おおくのものを得えようとし,自じ分ぶんの欲よく望ぼうを満みたすことを生せい活かつの中ちゅう心しんにしています。そのような人ひとは本ほん当とうの意い味みで幸しあわせにはなれません。ではどんな人ひとが幸しあわせになれますか。詩し編へん作さく者しゃはこう述のべています。「ヤコブの神かみを自じ分ぶんの助たすけとする者ものは幸さいわいだ。彼かれの望のぞみはその神かみエホバにある」。(詩し 146:5)

20. 神かみを愛あいするならどんな喜よろこびを味あじわえますか。

20 エホバの民たみは神かみを深ふかく愛あいしており,その民たみの数かずは年ねん々ねん増ぞう加かしています。これは神かみの王おう国こくがすでに支し配はいしており,間まもなく素す晴ばらしい祝しゅく福ふくを地ちにもたらすことの証しょう拠こです。神かみのご意い志しを行おこなうなら,神かみに喜よろこんでいただくことができます。エホバに喜よろこんでいただいているという実じっ感かんがあると,本ほん当とうに幸しあわせになれます。エホバを愛あいする人ひとは永えい遠えんに喜よろこびを味あじわうでしょう。次つぎの記き事じでは,利り己こ的てきな愛あいから生しょうじる幾いくつかの特とく質しつを取とり上あげ,エホバの民たみの示しめす特とく質しつとの違ちがいについて考かんがえます。

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