ハルマゲドン前における,神のあわれみによる和解
1 西暦1919年以後エホバは霊的イスラエルの残りの者と和解されましたが,その結果はどんな例えで示すことができますか。
わがままで離れて行った妻が,法律上の夫のあわれみによって再び受け入れられたなら,妻はその夫に対してどのような態度を取るべきですか。そして受け入れた後夫が妻に愛を惜しみなく表現するなら,妻は夫をどのように見,夫に対してどのような気持ちを抱くべきですか。夫が過分の親切を示してくれたのに対し,夫に非常な尊敬の念を抱くはずです。かつてないほど夫に引き付けられるのが道理です。夫をより深く尊敬し,夫との新たにされた結婚のきずなを強く,断ち切られないものにする根拠があります。妻にふさわしいそのような反応は,エホバが地上の契約の民と和解されたことから生じました。そして西暦1919年以来,和解した霊的イスラエルの残りの者にも同じ結果が生じました。
2 夫を「バアリ」と呼ばずに「イシ」と呼ぶようになったことは,妻に関して何を暗示していますか。このことは,西暦前537年後のイスラエル人の残りの者に関連してどのように事実となりましたか。
2 遠い昔の聖書時代の妻が自分の配偶者を「わが所有者」と呼ばずに「わが夫」と呼ぶには,確かに妻の側が態度を変え,感謝の念を深める必要がありました。彼女は夫をヘブライ語で「バアリ」と呼ばずに「イシ」と呼びました。(ホセア 2:18)その昔サラは族長アブラハムを『わが主』,すなわちヘブライ語でアドナイと呼んで,アブラハムに敬意を示しました。彼女はアブラハムの正妻でしたから,自分の夫としてアブラハムを尊敬しました。彼女は自分をアブラハムの奴隷,彼女の仕えめで金で買われた,そしてアブラハムの家から追い出されなければならなかったエジプト人ハガルのような奴隷であるとは考えませんでした。(創世 18:12。ペテロ第一 3:6)サラは,神を恐れた夫に献身的に協力したので,エホバはサラが90歳の時に奇跡的に独り子を授けて,彼女に報いられました。(創世 21:1-7)和解したイスラエル人の残りの者が,西暦前537年にエホバによりバビロンから解放された後エホバに対して示した敬意は,サラがアブラハムに対して示した敬意と同じでした。残りの者は再びエホバの真の妻なる組織のように感じました。エホバのあわれみに残りの者は感動し,エホバをイシ,『わが夫』と呼びました。
3,4 (イ)西暦1919年以来,霊的イスラエルの残りの者は,どんな関係に対してより深い認識を示すようになりましたか。どの契約について長い間誤解していましたか。(ロ)1934年に「ものみの塔」誌はどんな記事を掲載しましたか。
3 20世紀におけるこれと同様の出来事においては,霊的イスラエルの残りの者が,西暦1919年に大いなるバビロンから解放されました。その時まで,それらの霊的イスラエル人は,メシアであるイエスとその花嫁であるクリスチャン会衆を偏重していましたが,今や彼らはメシアの天の父エホバ神に対してもっと感謝を示すようになりました。天的夫としてのエホバ神と霊的イスラエルとの関係は,特に西暦1892年以来なおざりにされていました。エホバ神の新しい契約は誤解されていたのです。
4 「だれがエホバを敬うか」。これは,「ものみの塔」誌の1926年1月1日号に掲載された主要記事の主題でした。その時以後,神に対する霊的イスラエルの関心は高まりました。そして1934年となり,「彼の契約」という題の連続記事が「ものみの塔」誌に掲載されました。この記事は八部から成り,1934年4月1日号から7月15日号まで掲載され,「ものみの塔」誌の読者に供給されました。この連続記事は,メシアなるイエスの仲介によるエホバの新しい契約が霊的イスラエルの残りの者に適用されることを,彼らにはっきり思い起こさせました。
5 (イ)1934年の終わりに,「彼の契約」と題する記事をそのまま載せたどんな本が発行されましたか。(ロ)エホバのあわれみを受けた者はそのあわれみに感動し,エホバをその組織と関連させて何と呼びましたか。
5 その後まもなく,すなわち1934年11月15日に,「エホバ」という題の本が,ニューヨーク市ブルックリンにあるものみの塔聖書冊子協会の印刷機で印刷されました。その本の4章から11章には,その年の初めに「ものみの塔」誌に掲載された「彼の契約」という記事がそのまま載せられていました。そうです,霊的イスラエルの残りの者は,エホバと新しい契約を結んでいたのです。それ以後,エホバの霊的イスラエルに対する夫のような関係に,徐々に注意が払われてきました。解放され,和解した霊的イスラエルの残りの者に対するエホバのあらゆるあわれみ深い扱いにこたえ,妻のような組織は感動してエホバをイシ,『わが夫』と呼びました。自分が属すべき唯一の正当な組織は,サタンの組織ではなくてエホバの組織でした。専心の献身は,宇宙の主権者としてのエホバのものでした。このことを残りの者は認めました。
霊的繁栄と安全
6 ホセア 2章17節から20節に詳述されている通り,残りの者は天的夫であるエホバに献身的な愛を示し,その結果どんな祝福を得ましたか。
6 和解した残りの者が天的夫エホバに示した献身的な愛は,すばらしい祝福につながりました。預言者ホセアを通してさらに語られたエホバの言葉は,そのことを予告していました。『我もろもろのバアルの名をかれ[回復したイスラエル人]が口よりとりのぞき重ねてその名を世に記憶せらるることなからしめん その日には我かれら(我が民)のために野の獣そらの鳥および地の昆虫と誓約をむすび また〔弓と剣と戦争とを地〕よりのぞき彼らをして安らかにおらしむべし われ汝をめとりて永遠にいたらん〔義と公正と愛のこもった親切〕とあわれみとをもてなんじを娶り かわることなき真実をもて汝をめとるべし 汝エホバをしらん』― ホセア 2:17-20,〔新〕。
7 復帰した残りの者はなぜイスラエルの天的夫をもはや「バアリ」と呼ぼうとしませんでしたか。またどんな崇拝に再び戻ることはありませんでしたか。
7 復帰した残りの者が,バビロン捕囚から帰還した後も,エホバを引き続きバアリ,「わが所有者」と呼ぶとすれば,それによって彼らは,バアルの像を崇拝した先祖たちの罪と自分たちの罪を思い出すでしょう。悔い改めた残りの者に対するエホバの態度は,彼らのうちにバアルへの嫌悪感を生み出させました。そのようにしてエホバは彼らの口からバアル像の名前を除かれました。彼らはもはやそのいやな名前によってそれらを思い出そうとはしませんでした。当然のこと彼らはイスラエル国民の天的夫を,「わがバアル」,すなわちバアリという名称で呼ぼうとはしませんでした。(ホセア 2:16,新英語聖書; エルサレム聖書; リーサー訳)バアルに対するその嫌悪感にふさわしく,彼らは,人間の作った物質の像の崇拝に二度と戻りませんでした。
8 メシアを受け入れたユダヤ人の残りの者は,バアル崇拝に対してどのように反対を示しましたか。また霊的イスラエルの残りの者は今日どのようにして,キリスト教世界に加えられる神の罰にあずからないようにしていますか。
8 イエスをメシアとして受け入れたユダヤ人の残りの者も,あらゆる種類の偶像崇拝に対して同じように反対の態度を示しました。その残りの者はイエス・キリストを仲介者とする新しい契約に入れられました。現代においては,霊的イスラエルの残りの者が,偶像的なものの崇拝すべてに反対の態度を取っています。西暦1919年に,エホバはメシアであるイエスを用いて彼らをバビロンから解放されました。彼らは自分たちの神であるエホバに専心の献身をすることに努め,どの国の国旗であろうとそれに敬礼することを拒否します。(出エジプト 20:1-6。コリント第二 6:15から7:1まで)彼らは,バアル崇拝に似たところがあるものは一切避けて,自分の身を汚さないようにします。偶像の神々がエホバに対抗することを許さないのです。このようにして彼らは,エホバがキリスト教世界に問われる責任にあずからないようにします。エホバはこう言われます。『われかれが耳環 くび玉などを掛けてその恋人らをしたいゆき 我をわすれ香をたきて事えしもろもろのバアルの日のゆえをもてその罪を罰せん』― ホセア 2:13および8節。
9 神は「大患難」のときにキリスト教世界を昔のどの王国のように扱われますか。しかしホセア 2章18節によると,バアル崇拝を捨てた残りの者には何を約束しておられますか。
9 10部族のイスラエル王国の現代の対型であるキリスト教世界の前方には「大患難」が控えています。(マタイ 24:21,22)神は彼女に責任を問われます。そしてイスラエルに対して行なわれたのと同じことを彼女に行なわれます。『我……イスラエルの家の国をほろぼすべければなり その日われエズレルの谷にてイスラエルの[戦いの]弓を折るべし』。(ホセア 1:4,5)彼女は神との和解にあずかりません。しかし,バアル崇拝を捨てた悔い改めた残りの者はどうでしょうか。彼らにはホセア 2章18節〔新〕のエホバの次の言葉が適用されます。『その日には我かれら(我が民)のために野の獣 そらの鳥および地の昆虫と誓約をむすび また〔弓と剣と戦争とを地〕よりのぞき 彼らをして安らかにおらしむべし』。安全を保証するなんとすばらしい約束でしょう!
動物に関連した契約
10 第一世紀においてのみならず,西暦1919年以後も,エホバが霊的イスラエルの「地」から,弓や剣を折り戦争を断たれる,ということはどのように真実となりましたか。
10 この約束が与えられてから約八世紀後,生来のイスラエルの残りの者は,イエスをメシアとして受け入れました。神のこの約束は彼らにおいて実現しました。彼らは,ユダ,ベニヤミン,レビ,アセルなどの12部族から取られていました。にもかかわらず,イエス・キリストのそれらイスラエル人の弟子の間には,部族間の戦争など起こりませんでした。西暦1919年以来エホバが大いなるバビロンから解放した霊的イスラエルの残りの者についても同じことが言えます。あらゆる国民の中から取られたとはいえ,この現代の残りの者の間には,戦争に狂ったこの世界にありながら国際戦争など一度も起きたことがありません。(マタイ 28:19)エホバが彼らの「地」,すなわち彼らの霊的地所から「弓と剣と戦争とを」断たれたのは事実です。(ホセア 2:18,新)彼らはエホバを天的夫とする霊的イスラエルの成員として,自分たちの間に平和を保つことに極めて熱心です。―マルコ 9:50。
11 契約の民の霊的地所から弓と剣と戦争とを断つことはどのように可能でしたか。
11 これはどのようにして可能になっているのでしょうか。それは彼らが,メシアなる指導者,平和の君の性格に倣って自分の性格を変えたからです。(イザヤ 9:6,7)エホバはその聖霊と文字に書かれたその言葉とによって彼らの性格を変え,地の野獣が持っているような凶暴で人を害する傾向を除かれました。(ローマ 12:1,2)エホバは,和解した残りの者に関して言われたことを象徴的な意味で成就されました。『その日には我かれら(我が民)のために野の獣 そらの鳥および地の昆虫と誓約をむすび……彼らをして安らかにおらしむべし』。(ホセア 2:18)西暦1914年から1918年の第一次世界大戦以来,一般の世界はますます動物的になり,野獣よりも悪くなりました。しかしエホバは,和解した残りの者を,エホバとの是認された関係という霊的パラダイスに入れられました。疑う人はだれでも,その事実を自分で確かめるために,エホバのクリスチャン証人の王国会館に行って,そこにある神の平和の霊を見さえすれば分かります。
12 キリスト教世界の地の宗教的地所は,和解した残りの者のそれと比べてどのように目立ちますか。
12 霊的繁栄と安全のそのパラダイスと鋭い対照をなしているのは,エホバ神と契約関係にあると主張するキリスト教世界の地上の宗教的地所です。彼女の上には,ホセア 2章12節のエホバの破壊的な言葉が成就しつつあります。「われこれを林となし 野の獣をしてくらはしめん」。霊的姦淫にふけるキリスト教世界は,安心感も,霊的危険やキリスト教徒と自称する野獣のような国々からの保護も与えない,無人の林のようになりました。キリスト教世界の教会員は,「地的,動物的,悪霊的な」この世の知恵の犠牲になるがままに放置されています。(ヤコブ 3:15)彼らは霊的にむさぼり食われています。エホバは,野獣と鳥に関する契約の約束をキリスト教世界に与えておられません。彼女を『安らかにおらしめ』てはおられません。
永続的基礎の上に立つ新たにされた婚約
13 エホバはどんな崇高な特質を心にかけて「妻」なる組織を再び娶ると言われましたか。
13 エホバは霊的イスラエルの天的夫として,霊的イスラエルの残りの者に非常なあわれみを示されました。そして引き続きその残りの者に忠節な愛と忠実さを示しておられます。エホバは,残りの者によって代表される「妻」なる組織に対し,極めて崇高な精神を抱いて次の預言をされました。『われ汝をめとりて永遠にいたらん〔義と公正と愛のこもった親切[もしくは忠節な愛]〕とをもてなんじを娶り かわることなき真実をもて汝をめとるべし 汝エホバをしらん』― ホセア 2:19,20,〔新世訳[脚注]〕。
14 (イ)エホバが『われ汝を娶り』と三回言っておられる事実は何を示していますか。(ロ)エホバが霊的イスラエルと結婚関係を新たにされたことは,なぜあわれみ深い行ないであるのみならず義かつ公正でもありますか。またむだに終わることがないと言えますか。
14 エホバは残りの者に向かって三回,『われ汝を娶り』と言っておられます。これによってエホバの言葉は非常に力のこもったものになっています。このことは,エホバの愛が熱烈であるために,エホバがそのあわれみを顕著な方法で示されることを物語っています。エホバが結婚契約関係を新たにされたことは,あわれみ深い行為であるばかりでなく,義と公正の行ないでもありました。なぜそうですか。なぜならエホバはその契約を,メシアなるイエスによってささげられたなだめの犠牲,公正の条件を満たす犠牲に基づいて新たにされたからです。(ヨハネ第一 1:7から2:1)ですから,霊的イスラエルの残りの者が,エホバとの是認された関係に戻されたことは,エホバの忠実さと忠節な愛が真実のものであることを証明しています。またエホバが義と,公正と,愛のこもった親切,あわれみ,忠実さとをもって残りの者を娶られるとすれば,それがむなしくなることはありません。忠節な者たちは皆,そのような忠節な神に,不定の時まで,永遠に,忠実さと専心の献身とをもって答え応ずるでしょう! これは,ハルマゲドンで終わる来るべき「大患難」をも通過して続くことを意味します。―啓示 16:14,16。
15,16 (イ)和解した残りの者がエホバを知るのは何に起因しますか。(ロ)ホセア 2章21節から23節で,エホバは,ご自分がわたしたちの必要とするものすべての供給者であることを示すためになんと言っておられますか。
15 エホバは,ご自分が娶る悔い改めた残りの者に対して,「汝エホバを知らん」と述べておられます。(ホセア 2:20)この意味は,エホバがもたらされた,あわれみに満ちた和解のためだけでなく,その後神がなすべく意図されたことの故にも,彼らが神を知るようになる,ということです。残りの者はかつてないほどに神を知るようにされ,彼らの上に絶えまなくそそがれるすべての祝福の源はエホバであるという認識を深めました。それでエホバが,生活に必要なものすべての供給者として,愛を込め喜びを込めて,次の詩的な言葉をつけ加えておられることに注目しましょう。
16 『その日われ応えん 我は天にこたえ 天は地にこたえ 地は穀物と酒と油とに応えまたこれらのものはエズレル[神,種まきたもう]に応えん 我わがためにかれを地にまき あわれまれざりし者を[ヘブライ語: ロルハマを]あわれみ わが民ならざりし者に[ヘブライ語: ロアンミに]むかいて汝はわが民なりといわん かれらは我にむかいて汝はわが神なりといわん』― ホセア 2:21-23[新世訳脚注]; 新英語聖書; エルサレム聖書。
17 この一連の答えすなわち応答はどのように作用し,最後に創造者エホバに達しますか。
17 ではこのつながった一連の答え,すなわち応答が,どう作用するかを考えてみましょう。古代において,悔い改めた残りの者はエホバにより彼らの故国ユダの地に種のようにまかれ,穀物や甘いぶどう酒,油などを必要としていました。生活をうるおすそうした良い物の直接の源は地にあります。必要に迫られている残りの者のために,穀物と甘いぶどう酒と油は,地に向かってそのミネラルを穀物の茎に,またぶどうの実をならせるぶどうの木に,油を供給するオリーブの木に放出するよう求めます。それをするには,地は発育中の植物が干ばつで干あがることのないよう,天に雨を降らせてもらわねばなりません。そこで地は,しかるべき時季に雨を降らせてくれるよう天に訴えます。天は自らを閉ざすことなく地の求めに応じます。しかし天は自分でどうすることができますか。天は,地に水滴を落とすことのできる雨雲を創造者が作り出してくださることに依存しています。創造者は偉大な雨製造者であられます。―エレミヤ 10:12,13。
18 それでエズレルに対する答えで終わる多くの作用のサイクルは,どんな主要な答えまたは応答で始まりますか。
18 そこで最後に天はエホバに向かい,雨雲を起こしてその中にある水を空けるようにお願いします。今や故国の土を踏んだ和解した妻のような民のために,エホバは天に答えられます。直ちに自然の作用の全サイクルが働きを開始し,その結果エホバの民は穀物や甘いぶどう酒,油などを得ます。こうしてそれら地の産物はエズレル,すなわちエホバが彼らの故国に植えられた残りの者に答えます。
19 このように,復帰した残りの者はどんな点でエホバを知るようになり,バアルに誉れを帰すことをやめましたか。
19 このようにして,エホバの復帰した残りの者は,彼らの自然環境の中の有益な作用すべてが神の計らいであることを知るようになります。それらは,偶像崇拝者たちが恥ずべき忌まわしい多産の儀式によって毎年礼拝する,想像上の産物であるバアルもしくはあるバアルたちによるものではありません。それで今や正確な知識によって啓発された残りの者は,真の神に専心の献身をしました。
20 (イ)霊的パラダイスを設けた者がだれであることを,今日,霊的イスラエルの残りの者は知っていますか。(ロ)他の人々の「大群衆」は,残りの者と霊的パラダイスを楽しむためにどのようにそこに足を踏み入れましたか。
20 ところで,今日の霊的イスラエル人の復帰した残りの者はどうでしょうか。彼らも,大いなるバビロンから解放してくださった神が豊穣と平和と安全の霊的パラダイスを設け,西暦1919年以後自分たちをそれに入れてくださった,ということを認めるようになりました。神を恐れる人々が多数,霊的イスラエル人のこの霊的パラダイスに注目しました。エゼキエル書 36章35,36節の言葉の通りでした。『人すなわち言わん この荒れたりし地はエデンの園のごとくに成(る)……に至れりと 汝らの周囲に残れる国々の民はすなわち我エホバがくづれし者を再興し 荒れたるところに植え付けすることを知るにいたらん』。それで正直な観察者の「大群衆」は,和解した残りの者と共に霊的豊穣,平和,安全を楽しむためにその霊的パラダイスに足を踏み入れました。
21 (イ)したがってエホバはだれをご自分の民と宣言されますか。そしてエホバが彼らの神であることを公に宣明することにだれが加わりますか。(ロ)ここでエホバはエズレルの名の意味をどのように成就されますか。
21 第一次世界大戦中大いなるバビロンに流刑の身となっていた,そしてその間エホバのあわれみを失っていた残りの者に,エホバはこういう霊的に有益な方法であわれみを示されました。ご自分の民でなかった者たちに向かってエホバは今『なんじはわが民なり』と言われます。残りの者は心を込めて『なんじはわが神なり』と言います。(ホセア 2:23)現在やはり霊的パラダイスの中に住んでいる羊のような仲間の「大群衆」は,残りの者に加わって,エホバが自分たちの神であることを公に宣明しています。(啓示 7:9-17。ヨハネ 10:16)こうしたことは皆,「神,種まきたもう」というエズレルの名前の意味を実行するためにエホバが霊的イスラエルの残りの者を種のようにまかれた,地上の再興した地所の中で起きています。
神のあわれみを示す実際の例
22,23 ホセア 3章によると,彼は何をするように指示されますか。それにはどんな目的がありますか。
22 エホバは,心温まるあわれみを示しながら,契約の民との結婚に関する問題の解決に成功されました。そのことをはっきりと示すために,エホバは預言者ホセアに一つの人生劇を演じさせられました。ホセアは彼の預言書の第三章の中で,そのことにつき次のように述べています。
23 『エホバわれに言い給いけるは 汝ふたたび往きてエホバに愛せらるれども転りてほかのもろもろの神にむかい[それと関係のある]ぶどうの菓子を愛するイスラエルの子孫のごとく そのつれそうものに愛せらるれども姦淫をおこなう婦人をあいせよ われ銀十五枚おおむぎ一ホメル半をもてわがためにその婦人をえたり 我これにいいけるは汝はおおくの日わがためにとどまりて淫行をなすことなく他の人にゆくことなかれ 我もまた汝にむかいてしかせん イスラエルの子輩は多くの日王なく君なく犠牲なく表柱なくエポデなくテラピムなくしておらん その後イスラエルの子輩はかえりてその神エホバとその王ダビデをたずねもとめ 末日におののきてエホバとその恩恵とにむかいてゆかん』― ホセア 3:1-5。
24 (イ)ホセアはだれを,だれから,いくらで買い取りますか。(ロ)西暦前537年と西暦1919年に,エホバはどのようにこの預言を成就されましたか。
24 ホセアは,彼が従順に演じた預言劇の中でエホバを表わしていました。ホセアは彼の正妻ゴメルを,彼女の不倫な同棲生活の無名の相手から買い戻しました。ゴメルはその男の奴隷になっていました。彼女を買い戻すためにホセアは銀30シケル,つまり一人の奴隷の値に相当する額を支払いました。(出エジプト 21:32)それと同様に,エホバは西暦前537年,流刑にされ奴隷にされていたバビロンの地のイスラエル人を買い戻されました。イザヤ書 43章14節に示されているように,エホバはバビロンの征服者であるペルシャのクロス大王に贖い代を与えられました。(イザヤ 44:26から45:4)同様に,西暦1919年,エホバは天的夫として霊的イスラエルの残りの者を,大いなるバビロンと彼女のこの世的な政治上の仲間への隷属状態から買い戻されました。あわれみ深くもエホバは,大いなるクロスすなわちイエス・キリストによって残りの者を解放され,キリストに『もろもろの国を嗣業としてあたえ地の極を彼の有として』お与えになりました。―詩 2:8,9。
25 (イ)ホセアが例で示したように,エホバは昔その契約の民をどのように懲らしめましたか。(ロ)「彼らの王ダビデ」はどのように探し求められましたか。そしてどちらの探求者にエホバのあわれみは示されましたか。
25 ホセアは,彼の正妻ゴメルを愛をもって受け入れたのち,性に関する制限を加えて彼女を懲らしめました。その制限には,彼自身夫として彼女に注意を向けるのを差し控えることも含まれていたようです。それで流刑にされたイスラエル人も懲らしめを受け,イスラエル人の王たちや王子たち,偶像崇拝の祭司たち,あるいは偶像崇拝の他の道具などを持つことを許されませんでした。(ホセア 13:11)西暦前537年,エホバは背教の宗教から自分のもとへ戻った悔い改めた残りの者を,愛をもって受け入れられました。彼らは,異邦人の支配から解放するメシアなる解放者を期待しまた待つようになりました。このメシアは,ダビデの王統から出ることになっていた王でした。(ダニエル 9:24-27)神の定めの時その王は確かに出現しました。西暦33年,エホバはメシアなるイエスを天において王となし,栄光をお与えになりました。信仰を持つイスラエル人の残りの者は,天のメシアなる王として彼に従いました。(コロサイ 1:13)彼らはエホバのあわれみを得ました。―ローマ 9:24-26。ペテロ第一 2:9,10。
26 当時,ロルハマ(あわれまれぬ者)だったのはだれですか。
26 信仰のないイスラエル国民はロルハマ(あわれまれぬ者)となりました。悔い改めなかったエルサレムは,西暦70年にローマ人に滅ぼされ,生き残ったユダヤ人は世界中に散らされました。―マタイ 24:15-22。ルカ 21:20-24。
27 (イ)この「終わりの時」に,残りの者は震えながらどのようにエホバのところへ来ましたか。「彼らの王ダビデ」を見つけた後彼らは何をしてきましたか。(ロ)このことからエホバのあわれみが他のだれに差し伸べられる結果になりましたか。
27 今や19世紀が経過しました。キリスト教世界を含めこのあわれみに欠けた世界は,西暦1914年以来その「終わりの時」にあります。(ダニエル 12:4)第一次世界大戦後,新しい契約の下にある真の霊的イスラエル人の残りの者は彼らの神エホバを探し求めるようになりました。彼らは契約関係を是認していただくよう,震えおののきながらエホバのみもとに来ました。(詩 50:5)そして「彼らの王ダビデ」,すなわち今や即位したイエス・キリストが,1914年における異邦人時代の終了以来天において権能を与えられた王として統治しておられるのを知りました。彼らは清純な熱意を抱いて,マタイ 24章14節の時機にかなったイエスの預言を成就することに着手しました。それ以来彼らは何をしてきたでしょうか。それは次のことです。つまりハルマゲドンで大詰めを迎える「大患難」がぼっ発しないうちに,「あらゆる国民に対する証しのため」「王国のこの良いたより」を全地に宣べ伝えることです。その結果,神のあわれみは,特に1935年以来,やはり唯一真の神エホバとその下にあるメシアなる王大いなるダビデを求める羊のような人々の「大群衆」に差し伸べられています。
28 残りの者と「大群衆」に対してすでに働いているエホバのあわれみは,いつその最大の輝きを発しますか。どのように?
28 エホバは現在まですでに残りの者およびメシアの羊のような臣民に対して偉大な,そしてすばらしいあわれみを示してこられました。しかしそのあわれみは,残りの者と「大群衆」を,ハルマゲドンの「大患難」の最初から最後まで守られる時に,最大の輝きを発することでしょう。エホバが全宇宙の前で示される比類のないあわれみの対象として,エホバは彼らをハルマゲドン後の新秩序に入れられます。「わたしたちの主イエス・キリストの神また父,優しいあわれみの父またすべての慰めの神がたたえられんことを」― コリント第二 1:3。