テモテへの第二の手紙
4 キリスト・イエスは
6
9 できるだけ
14
16
19 プリスカとアクラ+,そしてオネシフォロの
20 エラスト+はコリントにとどまりました。トロフィモ+は
ユブロがあなたによろしくと
22
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キリスト・イエスは……生きている人と死んでいる人を裁くことになっています: ヘブライ語聖書で,エホバ神は「地上の人全てを裁く方」とされている。(創 18:25)ギリシャ語聖書でも,エホバは「全ての者を裁く方」と呼ばれている。(ヘブ 12:23)とはいえ,ヘブライ語聖書では,メシアも裁きを行うことが預言されていた。(イザ 11:3-5)そうした預言の通り,父が「裁くことを全て子に委ねています」とイエスは言った。(ヨハ 5:22,27)さらにイエスは聖書の中で,「生きている人と死んでいる人を裁くために神によって定められた者」とされている。(使徒 10:42; 17:31。ペ一 4:5)コ二 5:10の注釈も参照。
現れる時: この文脈で「現れる時」とは,キリストが天で栄光ある立場にいることがはっきり識別できる将来の定められた時のこと。その時,イエスは人類に対する神の裁きを執行する。(ダニ 2:44; 7:13,14)テモ一 6:14の注釈も参照。
あなたに厳粛に言い渡します: パウロはこの表現で,これから言うことの重要性をテモテに印象付けようとしている。(テモ一 5:21の注釈を参照。そこでパウロは同じ表現を使っている。)パウロとテモテは会衆を力づけ,偽りを教える人たちの影響から守るために,多くのことを行ってきた。パウロは自分の死が近いと分かっているので(テモ二 4:6-8),これから述べる事柄をテモテに気を引き締めて実行してほしいと思っている。(テモ二 4:2-5)
塔78 12/1 23-24; 千 116,131-132,141; 塔72 124; 事 372; 塔65 404-405
神の言葉を広めなさい: 文脈からすると,パウロは主に会衆内でのことを言っているようだ。(テモ二 4:3,4)テモテは監督として,人の信仰を強め,背教的な考えに影響されないように助けるために,神の言葉を上手に伝える必要があった。偽りを教える人たちは言葉を巡る議論を引き起こし,個人の意見や作り話を基に話した。対照的に,監督たちは「神の言葉」だけを教えるべきだった。(テモ二 2:15の注釈を参照。テモ二 3:6-9,14,16も参照。)この助言は広い意味で,会衆外の伝道にも当てはめられる。パウロは続く部分でテモテに,「福音伝道者として働き」なさいと言っている。(テモ二 4:5と注釈)
順調な時にも困難な時にも: または,「良い時期も悪い時期も」。パウロは,どんな状況でも神の言葉の真理を守り続けるようテモテを励ましている。比較的平和な時だけでなく,偽りを教える人たちが反対したり会衆を分裂させようとしたりする難しい時にも粘り強くそうしなければならない。
熱心に伝道しなさい: または,「緊急性を意識して伝道しなさい」。パウロがここで使っているギリシャ語動詞は字義的には,「上に立つ」という意味。しかし,意味が広く,「そばや近くに立つ」,「用意ができている」ということを意味する場合も多い。兵士や見張りが持ち場でいつも行動できるようにしている様子を表すのにも使われた。何かにすぐに取り組むことを指すこともできた。熱心で粘り強いという考えも含まれている。パウロはテモテに,いつでも「神の言葉を広め」られるよう用意していてほしいと思っている。この節の神の言葉を広めなさいに関する注釈を参照。
いつも辛抱強く: テモテはパウロから辛抱強さについて多くのことを学んだ。(テモ二 3:10)会衆内に偽りの教えの影響を受けた人たちがいたため,監督だったテモテはかなり辛抱する必要があった。戒め,忠告し,励ます時,常に自分を抑え,仲間のクリスチャンが正しいことをしたいという気持ちを強められるよう,辛抱強く心に訴え掛ける必要があった。怒りやいら立ちの気持ちのままに語るなら,相手は心を閉ざすかもしれず,信仰が弱くなることさえあるかもしれない。(ペ一 5:2,3)テサ一 5:14の注釈を参照。
いつも……教える技術を駆使して: ここで「教える技術」と訳されているギリシャ語は,教え方も教える内容も指せる。(マタ 7:28の注釈を参照。そこでは同じ語が「教え方」と訳されている。)この文脈では,教え方に重点が置かれているので,「教える技術」と訳されている。この節について,ある学者はこう述べている。テモテは「いつもキリスト教の真理を正しく巧みに教えなければならない」。(テモ一 4:15,16)マタ 28:20,テモ一 3:2の注釈を参照。
戒め: テモ一 5:20の注釈を参照。
忠告し: ここで「忠告し」と訳されているギリシャ語動詞は,「叱る」,「強く警告する」,「厳重に指示する」ことを意味する。ある行動を思いとどまらせたり,していることをやめさせたりするために注意を与えることを指せる。(マタ 16:20。マル 8:33。ルカ 17:3)
励まし: または,「説き勧め」。ロマ 12:8,テモ一 4:13の注釈を参照。
塔研26.03 2-7; 塔研24.08 22; 洞-2 468; 近 165; 塔12 3/15 15-16; 塔08 1/15 8-9; 塔03 1/1 29-30; 校 266; 宣 00/2 1; 塔99 3/15 10; 塔89 9/15 11-12; 塔86 12/1 12;
塔84 12/15 16-18; 塔79 3/1 22; 宣 78/2 7; 塔77 149-150,564; 塔74 471; 塔72 124-125,691; 塔71 344; 塔64 84; 目64 7/22 12; 塔63 18,489,526; 塔62 549; 塔57 267-268
健全な: または,「有益な」。テモ一 6:3の注釈を参照。
耳をくすぐるような話をしてもらうために: または,「自分たちが聞きたい話をしてもらうために」。この印象的な隠喩でパウロが使っているギリシャ語動詞は,「くすぐる」,「かく」という意味があるが,「むずむずする」という意味もある。ギリシャ語聖書でここだけに出ている。この比喩は,健全な信仰を持ち続けるのに役立つことよりも利己的な欲望を満たすことを聞きたいというむずむずする気持ちを表しているようだ。人々は,自分たちの耳をくすぐる,つまり聞きたいことを言ってくれる教師を選ぶ。予告されていた背教が起き,そのような利己的な弟子や偽りを教える人たちが大勢出てくるため,テモテは緊急感を持って働く必要がある。テモ一 4:1の注釈を参照。
塔84 6/15 26; 塔84 12/15 16-19; 目81 9/22 7-8; 目79 7/22 3; こ 171; 塔67 573; 目66 4/22 22; 塔64 80; 塔62 540; 目62 4/22 7; 塔60 166; 塔57 464
作り話: テモ一 1:4の注釈を参照。
塔11 7/15 17; 塔02 9/15 17-19; 塔94 4/1 29-31;
塔84 12/15 16-19; 目81 9/22 7-8; 目79 7/22 3; 塔76 428-429; 目66 4/22 22; 塔64 80; 塔62 515,540; 目62 4/22 7; 塔60 166; 塔57 464
頭がさえた状態を保ち: または,「鋭敏な感覚を保ち」,「冷静さを保ち」。ここで使われているギリシャ語動詞は字義的には,「しらふでいる」という意味。(ペ一 1:13; 5:8。テサ一 5:6の注釈を参照。)ギリシャ語聖書で,この動詞は比喩的な意味で使われ,「バランスの取れた」,「自制心のある」という考えを伝えている。パウロの人生は間もなく終わる。(テモ二 4:6-8)それでテモテは監督としての役割を引き続き果たし,会衆を力づけて,これから生じる迫害に備えて強くする必要があった。(テモ一 3:15。テモ二 4:3,4)奉仕のあらゆる面でバランスを取り,注意を怠らず,油断なく見張っていなければならなかった。
福音伝道者: または,「良い知らせを伝える人」。(マタ 4:23の注釈を参照。)関連するギリシャ語動詞は「良い知らせを広める」とよく訳され,ギリシャ語聖書に何度も出ている。イエスと弟子たち全てが神の王国の良い知らせを伝えたことに関して頻繁に使われている。(ルカ 4:43と注釈。使徒 5:42と注釈; 8:4; 15:35)しかし,パウロがここで使っている語は3回しか出ていない。それぞれの文脈から分かるように,「福音伝道者」は「宣教者」という特別な意味でも使われることがある。(使徒 21:8; エフ 4:11の注釈を参照。)テモテは宣教者としてパウロと共に,良い知らせがまだ伝わっていない場所で伝道活動を開始した。パウロから他の特別な務めも与えられた。(使徒 16:3,4。テモ一 1:3)パウロはテモテにそうした重要な務めを果たし続けるよう促している。
福音伝道者として働き: または,「良い知らせを伝え続け」。イエスは全てのクリスチャンに,福音伝道者として働くよう,つまり神からの救いの良い知らせを伝えるよう命じた。(マタ 24:14; 28:19,20。使徒 5:42; 8:4。ロマ 10:9,10)ギリシャ語聖書で,福音伝道を意味する語はたいてい,信者ではない人に語ることを指す。テモテはクリスチャンの監督として,テモ二 4:1,2に書かれているように,会衆内で教えるいろいろな責任があった。しかし,テモテをはじめ監督は皆,会衆外で良い知らせを伝える活動にも参加する必要があった。
自分の奉仕を十分に行いなさい: この指示に従う上で,テモテはパウロの手本を参考にできた。パウロは,神の導きを必要とする会衆内外の人々のために奉仕することをとても大切な務めと考えていた。(ロマ 11:13; コ二 4:1; テモ一 1:12の注釈を参照。)真のクリスチャンは皆,奉仕する務めを委ねられた。(コ二 4:1)テモテへの最後の励ましとなったかもしれない言葉の中で,パウロは,奉仕に専念してあらゆる面で頑張るよう促している。
洞-1 988; 洞-2 659; 塔研19.04 2-7; 塔09 5/15 16-17; 塔04 3/15 10,15; 塔95 12/1 8; 塔89 9/15 12; 務 10;
塔85 8/15 20; 鑑85 260-261; 塔84 12/15 16-20; 塔83 2/15 19; 塔83 5/1 12; 塔82 4/1 16-21; 塔81 6/15 15; 塔76 157; 塔75 560-563; 塔74 471; 塔73 563; 塔72 177; 塔62 69-70,397,495,550; 塔61 651; 目61 12/8 3; 塔57 271
飲み物の捧げ物のように注ぎ出されており: モーセの律法で,飲み物の捧げ物は全焼の捧げ物や穀物の捧げ物と共に差し出された。(レビ 23:18,37。民 15:2,5,10; 28:7)ある参考文献は飲み物の捧げ物についてこう述べている。「全焼の捧げ物と同様,全てが捧げられ,祭司に与えられる分はなかった。献酒全体が注ぎ出された」。パウロはフィリピの手紙の中で自分をそのような捧げ物になぞらえ,仲間のクリスチャンのために身も心も全て喜んで捧げることを示した。(フィリ 2:17と注釈)今回は,自分が間もなく死ぬことを指して,同じ表現を使っている。
解放される: パウロは,天に行くよう選ばれた自分が神に忠実な人として死ぬことを「解放」と考えていた。後に復活してキリストの「天の王国」で生きる道が開かれるから。(テモ二 4:18。テモ二 4:8の注釈も参照。)パウロは以前フィリピの人たちにもこう書いた。「本当に願っているのは,解放されてキリストと共になることです」。(フィリ 1:23と注釈)テモテはパウロがその手紙をローマで書いた時一緒にいたので,この表現を覚えていたと思われる。(フィリ 1:1; 2:19)
私は……戦いました。……走りました。……守りました: パウロは3つの表現を使って同じ考えを繰り返し述べ,強調している。自分は最後まで忠実にクリスチャンとして生活し奉仕して,主イエスから与えられた務めを全て果たした,ということ。(使徒 20:24)パウロの命は間もなく終わろうとしていたが,パウロの活動の成果は引き続き見られる。
立派に戦い: パウロはクリスチャンとしての生活と奉仕を高潔な戦いや苦闘に例えている。(コ一 9:25,テモ一 6:12の注釈を参照。)大変なことがいろいろあってもエホバに忠実に仕えた。宣教旅行では陸路や海路を長距離移動した。暴徒に襲われ,むちで打たれ,拘禁されるなど,あらゆる迫害に耐えた。「偽兄弟」からの反対にも立ち向かった。(コ二 11:23-28)そうした中で,エホバとイエスから力を与えられたので,忠実であり続け,奉仕をやり遂げることができた。(フィリ 4:13。テモ二 4:17)
競走を最後まで走りました: パウロは自分をクリスチャンの人生という競走の走者に例えている。地上での生涯が終わろうとしているこの時,その競争を走り抜いたと確信している。これまで手紙の中で何度も,ギリシャの競技会の選手を例えに使ってきた。(ヘブ 12:1)コ一 9:24,フィリ 3:13の注釈を参照。
または,「忠実であり続け」。
今から後,私は……授けられることになっています: パウロは自分が天での報いを授けられることになっていると理解していた。すでに,天に行くよう選ばれた神の子としての最初の証印を押されていた。(コ二 1:22の注釈を参照。)しかし,天に行くクリスチャンは「終わりまで」忠実に耐え忍んで初めて,最終的な証印を押される。(マタ 10:22。テモ二 2:12。ヤコ 1:12。啓 2:10; 7:1-4; 17:14)死が間近に迫っていたパウロは,自分が神に十分に尽くしてきたことを確信していた。エホバは聖なる力により,パウロに最終的な証印が確実に押されることを伝えた。地上での生涯は終わっていなかったが,パウロが天で生きることは保証されていた。
正義の冠: パウロは,「冠」と訳されているギリシャ語を他の箇所でも使っている。例えば,コ一 9:25,26では,枝葉で作った文字通りの冠を指して使った。それは優勝した運動選手に与えられた。同じ文脈でパウロは,「朽ちない冠」というはるかに良い報いを望んでいることを書いた。ここでは同じ報いを「正義の冠」と呼んでいる。天に行くよう選ばれたクリスチャンが死ぬまで正しい基準に従い続けるなら,「正しく裁く方」である主イエス・キリストは喜んでこの冠を授ける。それは天での不滅の命という報いを表している。
定めの日に: パウロがここで言っているのは,自分が死ぬ日のことではなく,ずっと後,キリストが神の王国の王として治めている時のこと。その時,パウロをはじめ天に行くよう選ばれた人で墓の中にいる人は皆,天に復活して不滅の命を得る。(テサ一 4:14-16。テモ二 1:12)
主が現れるのを待ち望んできた人全て: キリストは王権を持って臨在している間に,聖なる力によって選ばれたクリスチャンで死んで眠っている人たちに注意を向ける。(テサ一 4:15,16)その人たちを天での不滅の命へと復活させることによって報いを与え,自分の所に迎えるという約束を果たす。(ヨハ 14:3。啓 14:13。この節の正義の冠に関する注釈を参照。)こうして,キリストはその人たちの前に現れる。その人たちは,天の栄光を受けた愛する主に会うことを「待ち望んできた」。神の天の王国が治める地上で生きる希望を持つ忠実なクリスチャンも,キリストが現れるのを心待ちにしている。その時にはイエスが天で栄光ある強力な立場にいることを全ての人がはっきり識別できる。(ダニ 2:44)テモ一 6:14の注釈も参照。
塔84 12/15 15-16; 塔79 7/1 30; 目79 10/22 27; 千 242; 塔67 597; 塔65 178; 塔64 591; 塔62 405; 塔61 249; 目57 7/8 15
デマスは……私を見捨て: 「見捨て」と訳されているギリシャ語は,危険に直面している人を置き去りにすることを指せる。デマスはパウロの親しい仲間の1人だった。パウロがローマでの最初の拘禁中に書いた手紙によると,デマスは一緒にいた。(フィレ 24。コロ 4:14の注釈を参照。)しかし,今回パウロの状況は悪くなっていた。何人もの仲間のクリスチャンが既にパウロから離れていた。(テモ二 1:15)パウロはデマスが反対者や背教者になったと言っているわけではない。とはいえ,デマスは助けを必要としている忠実な使徒を慰めるという貴重な機会を失った。
今の体制を愛して: または,「今の時代を愛して」。(用語集の「体制」参照。)デマスは,神への愛よりもお金や物や娯楽などへの愛の方が強くなったのかもしれない。あるいは,迫害や殉教を恐れて安全な場所に行こうとしたのかもしれない。ある参考文献によれば,ここの「今の体制」は「パウロに付き添うことに伴う危険や犠牲のない世俗の生活」を指す。テサロニケに行ったのは,そこが故郷だったからかもしれない。デマスがパウロのそばで仕える特別な機会よりも「今の体制」を愛するようになったのは,こうした理由が考えられる。
ダルマティア: バルカン半島にある地域。アドリア海の東。ローマの属州イルリコの南部を指して使われた名称。しかし,パウロがこの手紙を書いた時には,ダルマティアは別の州だった。(付録B13参照。)パウロは「イルリコに至るまで」伝道したので,ダルマティアを通ったかもしれない。(ロマ 15:19と注釈)テトスに,クレタからニコポリスに来るよう頼んだ時,現代のギリシャの北西沿岸にあったニコポリスのことを言っていたと思われる。(テト 3:12)それで,テトスはニコポリスでパウロと共にいて,そこから新たな任務のためにダルマティアに行ったという可能性がある。クレタでしたように,そこで宣教者として奉仕し,会衆の組織を整えるのを手伝ったのかもしれない。(テト 1:5)
私と一緒にいるのはルカだけです: パウロの最後の拘禁中に,旅仲間のうちパウロと間近に接触できたのは,ルカだけだったようだ。(コロ 4:14。「使徒の活動の紹介」参照。)とはいえ,2人はサポートを受けることができたと思われる。テモ二 4:21でパウロが書いたように,少なくとも他の4人がテモテとエフェソスの人たちによろしくと言っている。パウロを訪ねることができた地元の会衆のクリスチャンかもしれない。
マルコを連れてきてください: パウロが言っているのは,イエスの弟子でマルコの福音書の筆者であるヨハネ・マルコのこと。(使徒 12:12の注釈を参照。)マルコはパウロの第1回宣教旅行でパウロとバルナバに同行したが,2人から離れてエルサレムに帰った。(使徒 12:25; 13:5,13)そのため,パウロは次の宣教旅行にマルコを連れていこうとしなかった。(使徒 15:36-41)しかし約10年後,マルコはパウロと共にローマにいた。その時にパウロがマルコを高く評価したことから,2人の不和が解決していて,パウロがマルコを信頼するようになっていたことが分かる。(フィレ 23,24。コロ 4:10の注釈を参照。)パウロはマルコがクリスチャンの忠実な奉仕者であることを認め,テモテにこう言っている。「マルコを連れてきてください。私の奉仕を支えてくれるからです」。
巻物: パウロが頼んだ巻物にはヘブライ語聖書の一部が書かれていたと思われる。ここで使われているギリシャ語(ビブリオン)に関連する語(ビブロス)は,もともとパピルスという植物の柔らかい髄を指していた。(用語集の「巻物」,「パピルス」参照。)パピルスは一種の紙の材料になったので,どちらのギリシャ語も巻物などの書物を指すようになった。(マル 12:26。ルカ 3:4。使徒 1:20。啓 1:11)ギリシャ語聖書で,パウロがここで使っている語は短い文書を指すこともあるが(マタ 19:7。マル 10:4),ヘブライ語聖書の書を指して使われることの方が多い。(ルカ 4:17,20。ガラ 3:10。ヘブ 9:19; 10:7)聖書を指す「バイブル」という英語は,ここで使われているギリシャ語に由来する。
特に羊皮紙のもの: 羊皮紙とは,羊やヤギや子牛の皮で作られた,一種の紙。(用語集の「羊皮紙」参照。)パウロはこれが何のことか具体的に述べていない。ヘブライ語聖書の巻物のことを言っていたのかもしれない。あるいは,パウロが自分で書いたメモなどのことだったのかもしれない。一部の学者によれば,「羊皮紙」に当たるギリシャ語は羊皮紙のノートも指せる。パウロはこの手紙を書いた時,自分が最後まで立派に戦ったことを確信していた。(テモ二 4:6-8)それでもテモテに,「巻物,特に羊皮紙のものを持ってきてください」と言った。命のある限り神の言葉によって自分とほかの人を力づけたいと思っていたようだ。
銅細工人アレクサンデル: パウロは,アレクサンデルという人についてテモテに警告している。その人はパウロと仲間が広めていた言葉に「激しく」反対した。(テモ二 4:15)パウロがここで使った「銅細工人」というギリシャ語は,西暦1世紀にどんな金属細工人も指せた。この人は,テモ一 1:20に出ている,会衆から除かれたと思われるアレクサンデルと同一人物の可能性がある。(注釈を参照。)パウロはここで,どんな危害を受けたかを明らかにしていない。アレクサンデルはパウロの逮捕に関わってパウロに不利な偽証さえしたのかもしれない,と考える人もいる。
エホバが……報復することになるでしょう: パウロはここで,銅細工人アレクサンデルについて,神が彼の行いに報復するという確信を言い表している。パウロが述べていることはヘブライ語聖書に沿っていて,幾つもの聖句で,エホバ神が人間の善い行いにも悪い行いにも報いることが示されている。1例は詩 62:12で,「エホバ,……あなたは各人に,行いに応じて報いる」とある。(詩 28:1,4,格 24:12,哀 3:64も参照。)パウロは同様の点をロマ 2:6で,「神は一人一人の行いに応じて報います」と述べている。また,ロマ 12:19で申 32:35のエホバの言葉を引用し,「復讐は私がすることであり,私が報復する」と書いている。この節で神の名前が使われていることについては,付録C3の序文とテモ二 4:14を参照。
私の最初の弁明の時: ローマの法の下で,訴えられた人は裁判のさまざまな段階で弁明を求められることがあった。パウロが言っているのは,西暦65年ごろのローマでのこの2度目の拘禁中に行った1回目の弁明のことだと思われる。西暦61年ごろのローマでの以前の拘禁中に行った弁明のことだと言う人もいるが(使徒 28:16,30),それはありそうもない。テモテが既によく知っている出来事についてパウロが書くとは考えにくい。(コロ 1:1,2; 4:3)
そのことで誰も責任を問われませんように: パウロは,「最初の弁明」の時に助けてくれなかった兄弟たちのことを言っているようだ。それはとてもつらい経験だった。(テモ二 4:17)しかしパウロは,許すことについてキリストから学んでいた。イエスは捕らえられた時,親友たちに見捨てられた。(マル 14:50)イエスと同様,パウロは兄弟たちに対して憤りを募らせたり恨みを抱いたりしなかった。コ一 13:5の注釈を参照。
主が私のそばに立って: パウロがここで言っている「力を与えて」くれた「主」とはイエス・キリストのことだと思われる。(テモ一 1:12も参照。)もちろん,力の究極の源はエホバ神。ご自分に仕える人たちにイエス・キリストを通して力を与える。(イザ 40:26,29。フィリ 4:13。テモ二 1:7,8)テモ二 2:1の注釈も参照。
私はライオンの口から救われました: これは文字通りに取るべきなのか比喩表現なのか,はっきりしない。(コ一 15:32の注釈と比較。)パウロが文字通りのライオンのことを言っていたのであれば,ダニエルがエホバに救われた時と同じように救われたのだろう。(ダニ 6:16,20-22)一方,ローマ市民権を持っていたパウロがライオンの前に投げ出されることはなかったはずだと考える学者も少なくない。「ライオンの口」は非常に危険な状況を指す隠喩の可能性がある。(詩 7:2; 35:17と比較。)パウロの言葉は,詩 22:21のダビデの嘆願を基にしているのかもしれない。
プリスカとアクラ……に,私からのあいさつを伝えてください: パウロは,もてなしの精神に富むこの夫婦を約15年前から知っていた。プリスカとアクラは,幾つかの場所で会衆を力づけるために一生懸命働いた。ローマを追放された後,コリントで初めてパウロに会った。(使徒 18:1-3。コ一 16:19)その後,エフェソスに行き(使徒 18:18,19,24-26),しばらくローマに戻り(ロマ 16:3,4),またエフェソスに戻った。テモテはこの時そこで奉仕していた。使徒 18:2,ロマ 16:3の注釈を参照。
オネシフォロの家の人たち: テモ二 1:16の注釈を参照。
冬になる前にこちらに着くよう努力してください: パウロはテモテに,冬になる前にローマに来てほしいと思っている。気候が厳しい冬期はそのような旅をするには危険すぎるからだろう。古代地中海世界では,晩秋から早春にかけて船旅はほとんど行われなかった。ほかの時期より嵐が多くて危険だった。(使徒 27:9-44。メディア・ギャラリーの「使徒の活動 パウロのローマへの旅とそこでの最初の拘禁」も参照。)さらに,雲が多くなり,雨や雪が降って霧も生じるため,視界が悪くなり,航海が困難になった。当時は羅針盤がなく,太陽や月や星の位置,目印となる島や山などに頼らざるを得なかったから。加えて,パウロがトロアスに置いてきたマントをテモテが冬になる前に持ってきてくれれば,パウロは寒さが厳しい冬期の拘禁中も身を温めることができた。(テモ二 4:13)メディア・ギャラリーの「マント……を持ってきてください」も参照。
主: 主イエス・キリストを指すと思われる。(ガラ 6:18,フィリ 4:23,テサ一 5:28,フィレ 25と比較。)
正しい精神を示しているあなたと共に: ここでギリシャ語プネウマが使われている。(用語集の「プネウマ」参照。)パウロはこの手紙の結びに,テモテの前向きな精神が祝福されるよう願っている。ガラ 6:18の注釈を参照。
惜しみない親切を示してくださいますように: 直訳,「惜しみない親切が皆さんと共にありますように」。ギリシャ語では,パウロは直前でテモテに対して「あなた」に当たる単数形代名詞を使い,ここで「皆さん」に当たる複数形代名詞を使っている。それで,パウロはこの個人的な手紙がエフェソス会衆などで他の人に対して読まれることを意図していたようだ。この時テモテはそこで奉仕していたと思われる。
4 キリスト・イエスは
6
9 できるだけ
14
16
19 プリスカとアクラ+,そしてオネシフォロの
20 エラスト+はコリントにとどまりました。トロフィモ+は
ユブロがあなたによろしくと
22